2009年12月31日木曜日

大晦日

寒い、いやはや寒い。
温度が低い上に風が強い。
モーも寒いと言って昼頃帰って来て、今ソファの上で丸くなっている。

一年経ってみれば、あっと言う間だ。
今年を振り返って見れば、昨年までの事の継続、また新しい事への挑戦といろいろある。
改めて継続する事の大切さ、そして挑戦する事の大切さ、両方を感じながらの年越えになりそうだ。



今年お世話になった皆様方、日記を読んで戴いた皆様方有難うございました。
来年もよろしくお願い致します。

良い年をお迎え下さい。

2009年12月29日火曜日

年の瀬

すべての教室の打ち収め、そして道場の大掃除を終えた。
ほっと一息という処だが、働き者の私は朝から家の掃除機かけをする。

午後、車を一車洗車する為にガソリンスタンドに行ったら満車だった。
普段私は車は自分で洗い、ワックスもかける。
ところが、今年は何かとばたばたしてて、ワックスをかける事が出来なかった。
で年の瀬でもあるし、かけようかなと思った。

しかし楽器車であるハイエースは車高がハイである。
でいつも脚立を2つ用意し、そこにバタ板を渡し、屋根にかけるのである。
今度もそうすれば良かったが、屋根にかけている間に凍死したら困るので、スタンドに行ったのである。
スタンドでは洗車と同時にかけるFK2とかいうインスタントワックスを頼んだ。
果たして効能があるのかどうかわからないが、春まではもってくれるだろう、たぶん。
先客も多く、1時間ちょっと待った。

スタンドのスタッフは本当に忙しそうだった。
私がオーナーなら、お年玉で金一封という処だが、果たして?

2009年12月27日日曜日

犬のふり見て

今朝は自閉症の子供達の教室を終え、昼食を摂り、テレビを付けると、たかじんの討論番組をしていた。
私はこのような討論番組が好きで目が無い。 鼻も無い、口も無い。
で見ていると、いつの間にやら寝てしまう。
よくあるパターンだ。

目が覚めると番組が変わり、鉄腕DASHをしている。
テーマは犬のしつけ。
いろんな犬が出てくる。 
その中一匹のデブ犬
太っていて、おすわりも出来ないし、ソファにも登れない。
毎日飯を食べては、冬以外は扇風機の前でゴロン。
主が餌を与え過ぎた事に起因する。

ウチのモーにも当てはまるなぁと思う。
私の場合出歩く事が多いので、いない間に腹が減っては可哀想だなぁと思い、ついつい多めに餌を入れてしまう。
それに食べた後でも、私の顔を見ると、まだ食べてないよという顔をして要求してくる。
そんなこんなで、ますますデブ猫になってくる。
もともとホルスタインだからいいか。 (黒白模様)

先程の犬は訓練師の指導のもとに、食事を減らし運動をさせて、一月後には5kg体重を落とした。
すると軽快に走るようになり、前は登る前から諦めていた、階段も走って上がれるようになった。

私はこのテレビを見て、ホットカーペットから身をはがし、公園に行く。

犬のふり見て我がふり直せである。

2009年12月25日金曜日

サンタ

昨日の昼の稽古9歳と4歳の兄弟も練習に来た。
二人とも、うだうだ言う事もあるが、太鼓は好きである。
上の子は5歳の時、家で箸を持って何でも叩きまくるので、母が同じ叩くなら太鼓をと、道場に連れて来た。

下の子はその時、生まれたてのホヤホヤ、放っておくわけにも行かず、一緒に来た。
しかし半年が過ぎ、ハイハイが出来るか出来ない内からバチを持ち、見よう見まねに太鼓を叩くようになった。
下の子には何も教えるでなく、好きに叩かしていたのだが、手勝手はいろいろだが、リズムは合わせて来る。
将来楽しみだ。
と思いながらも、最近二人とも口が立つようになった。
あまりふざけた事を言うと投げ飛ばしてやる。

練習が終わると二人とキャッチボールをしたり、サッカーボールを蹴る。
遊び場の前の池には龍がいると小さい頃から教えている。

昨日、サンタクロースの話になって、私はサンタさんから連絡があった旨を伝えた。

「今年は雪が多過ぎて、行けそうに無いよ。来年は必ず行くから今年は我慢して!」と

上の子「えっー ほんと?」
下の子 ポカン

面白い奴らだ。

2009年12月23日水曜日

S.G

今日は寒さも緩み、師走日和(先生が外を走り回るのに適した日和)かと思っていたら、朝から雨が降ったり止んだり。
で私としては、仕方なくボケテレ(ボケーとテレビを観るの意)をするしかなかった。

しかしながら3時頃、雨も上がったので、早速、吉井川の河川敷の我が公園に行った。
雨が降ったせいか人っ子一人いない、人っ親もいない。

だが、公園の芝生には2つの団体が。
100羽ちょっとの鴨の団体と30羽のカラスの団体。
お互い喧嘩するわけでなく、それぞれに過ごしている。

主の私がいない間にリラックスしている。
せめて「お邪魔しています」の一言でも言えばいいのに何も言わない、無礼な奴等だ。
S.G (私が作った、サッカーゴルフというゲーム)をしながら近付いて行くと、まずカラスがギャーギャーと騒いで空に飛んで行く。
それから鴨がいつも通り一斉に飛び立ち、川に飛び込む。
そして何も無かった顔をしてスイスイ泳ぐ。

馬鹿にしてるなと思うが、私はS.Gを続ける。
端っこまで行き、引き返すと、なんと鴨が全部元の芝生に帰っている。
私は理解した。
鴨は表面上は川の中をスイスイと泳いでいるが、やっぱり寒いんだ。
出来たら陸の上で過ごしたいと思っている。
それならそうと言えばいいのに。

で私は確かめるが如く、再度鴨に近付くとやはり同じ、川に飛び込む。
私はシカとして、S.Gを続ける。
またまた私が遠くに行った頃、芝生に戻って来る。

私が何度も繰り返すと、どうなるんだろうか?
何度も川に飛び込み、何度も上がってくるのか?
終いに面倒臭くなって、怒りだす鴨。

私もまだまだ試してみたかったが、陽も落ちて来たので、今日は止めといてやった。
またの機会に。

2009年12月22日火曜日

くれ

くれと言えば、広島の呉に行っていた。
焼山という処の夏祭りに呼ばれてだ。
4年程続けて、行かせて貰ったような気がする。
またそれが縁で呉のポートピアパークでの年越しイベントにも参加させてもらった。

呉は山陽道のインターからもかなり離れていて意外に時間がかかる。
4時間はゆうにかかったように思う
一度は山陽道で乗ってた車が故障し、慌ててレンタカーを手配し、太鼓を載せ変え、ぶっ飛ばして行った事もある。
夏祭り開始ぎりぎりにたどり着いた。
今からすれば、いい思い出だ。

その後私達を呼んでくれてた人が、東京に引っ越した事もあって、行かなくなった。
皆さん、今どうされてるんだろう。
時々、あの夏祭りの情景が思い出される。

2009年12月20日日曜日

難民

昨日はなかなか忙しい日だった。

朝 富山天龍太鼓に行き、その足で (右足)ルネスホールで打ち合わせに行き、そしてその足で (左足)ヨカに行った。
ヨカでは そ・さ・すの原則を守った。(初めての方に! そーと入り、さーとして、すーと帰るの意)
教室は少し寒いからか、いつもより生徒は少なかった。
木のポーズ、飛行機のポーズも、上手く出来た。
バランスのポーズは昼からの方がいいみたいである。
朝は酒が残っている事もあるので。

終わると急いで、両足で帰る。
さーと風呂に入ると、準備し一路(何本も道はあるが・・) 鼓空の忘年会に行く。
今年は来れない人も多く、7人での会となった。
焼肉ともつ鍋の店だった。
もつ鍋は白味噌スープとチゲ風の鍋。
どういうわけか肉の駄目な人、もつが駄目な人が3人。
でも肉の代わりにイカ、野菜、麺などを追加してOK。

ドリンクは飲み放題、3000円ちょいのセットなので安いと言えば安い。
店はお客で一杯だった。

忘年会が終わってから、皆で軽く某ファミレスでデザートを頬張る。
私はまだ飲み足りてなかったので、ワインを飲む。
ビンの銘柄をみると、カルロ、ロッシーニ、カリフォルニアワインだった。
向こうにいた時よく飲んでいたワインだったので懐かしかった。

2次会も終わり解散となったわけだが、私は予定通り、楽しみにしてた、ネットカフェに行った。
カプセルホテルは過去幾度か体験しているが、ネットカフェは今まで入った事がない。
一度入り、多少なりとも、ネット難民と呼ばれる方々の気持ちを体感してみたかった。

中に入り、受付で泊まりの手続きをする。
言われた場所に行ってみると、そこは薄きパネルで囲った、仕切りがあるのみ。
個室の天井というものはなく、上からは普通に大部屋の照明が入って来る。
中に布団はなく、黒のビニールマットと座椅子そしてテレビがあるだけ。
比較するのも何だが、カプセルホテルをきつねうどんとすると、ネットカフェは素うどんてな感じ。

まあ本来ネットカフェは寝る処ではなく、ネットを見たり、漫画を見たりする所だから仕方ないとも思うが。
そんな中、私も酒が入っているで、朝まで沈没。
寝れたから、まずはいいか。

シャワーや朝食のパン、ドリンク類もあったが、とりあえずスルー (しないの意)

受付で2230円を払って、カフェを出た。

2009年12月18日金曜日

温泉

今 湯郷温泉に来ている。湯に浸り 鼻唄でも唄い、熱燗でもといきたい処だが、残念ながら仕事。
7時にグランドホテルに入る事になっている。
今日も朝から寒かった。
明日はもっと冷え込むという。
辛いなぁと思うが、しかしテレビに映し出される北陸や北海道の映像を見ると、我ながら何を言ってるんだと思う。
零下20〜30度の世界から見れば、ここは南国か。

ヒートテックの上にアロハシャツ。

馬鹿な事言ってないで、仕事 仕事。

2009年12月17日木曜日

someday

Someday I’ll be there.

と思いし処は多数あれど、
今日は寒day、家から一歩出るも憚られる。
吐く息は白く、外は霜が降り立つ。
今年は暖かきと思いしが、少し意地を見せたか、さにあらず。

我、某ユニシロの自信作ヒートテックを下半身に身に着けるも、何故か底冷えがする。
まだ改良の余地有きか。

師走も半ばに入り、世話になった方々に礼状を書き、また道場の小掃除を始めたりする今日この頃。
合間にテレビを付けると、朝から笑点。
夕方から始まりし筈、何故に。
で見るに、タイムマシーンに乗りし気分。

時の中で出る総理は安部氏。
スポーツでは荒川静香のイナバウワー。

我も金無きしが、テレビ局もリサイクルか。
来年、我贅沢言う気は有らずとも、より良き年を願う。

Someday we will be there.


暖かき場所か?

2009年12月15日火曜日

津山店

昨日は小学校の練習に行ってから、加茂に行ったのだが、その途中000フルの津山店に寄った。
仕事と仕事の間にまた仕事を入れるのだから、我ながら見上げたものだ。

店内に入ると、やはりお客さんが少ない。
不況で外食産業も少し売り上げが落ちていると言う話は聞いてたが、やはりそうなのか。
空きテーブルが目立つ。

いつもながら、喫煙席か禁煙席かと尋ねられる。
自分処の社員に何度聞いたらわかるんだと思うが、まあ正体を明かさないのが我が仕事、仕方ない。
いつもながら禁煙席に入るのだが、常々おかしいんではと思っている。
どこの店舗でも喫煙席のスペース方が禁煙席のスペースより広いのである。
私も過去煙草を吸っていたから、吸う吸わないでなく、今は圧倒的に吸わない人の方が多いのに、そのスペースが狭いとは如何なる事かと思うのである。
今度会議に出たら提言してみよう。
まあ私も忙しく、なかなか会議には出られないのだが。

席に座りメニューを見る。
昨日は岡山南部は雨が降ってなかったのだが、津山に入ると雨が降っていた。
気温も低かったので、氷雨という感じだ。 
でメニューの一つに、「あったかフェアー」というのがあったので取り出す。
そこには、すきやき鍋セット、チゲ豚汁鍋セット、もつ鍋セットと3つ並んでいる。
この企画は誰が出したか知らないが、いいアイデアだ。
会ったら褒めといてやろう。

私はチゲ豚汁鍋セットを頼む。
少し時間がかかったが、鉄鍋のチゲ豚汁、ご飯、キムチ、漬物が出てきた。
漬物はごぼうの笹がきを醤油とみりんと唐辛子で甘辛く煮込んだもの。
チゲ豚汁は中にやはりごぼう、にんじん、里芋、しいたけ、大根、そしてうどんが入っている。
なかなかのボリュームだ、良い。
ただ豚を探してみたが、殆ど入ってない。
よく見ると豚のミンチ肉みたいなのが、申し分けなく入っている。
これで豚汁と銘打っていいのだろうか。
一応報告だけは入れておかねば。
まあ私としては別に豚が食べたかったわけでなく、温かい物を食べたかっただけなのでいいのだが、職務は職務だ。

で気になるのは隣のキムチの小鉢、この正体が判らなかった。
普通チゲ鍋に添えてキムチを出す?
私は発案者の頭を疑った。

しかしながら食べている内に気付いた。
鍋自体は多少赤くなっているが、そんなに辛くしていなかった。
おそらく万人が食べれるように。
でもっと辛いのを食べたいのなら、このキムチを入れておくれという事ではなかろうか。
おそらくチゲーねえー。

体も温まり、チゲ豚汁セット599円、それにドリンクバー規定の梅昆布茶130円、計729円を払い、店を出た。

外はやはり雨  ヒー さめー  (ちょっと無理があるか・・・・)

2009年12月14日月曜日

観客

一昨日夜、和太鼓連盟の会議があり、その後岡山の千日前にある、ブルーブルースというライブハウスに行った。
以前からの知り合いのディジュリドーと唄のユニット、アフリカンの演奏とダンス、ベリーダンス等の人達による民族ぽいライブだった。
7時頃から始まっていて、私が到着したのは9時30分を回っていたので、そんなに観ることはできなかったが、久しぶりの友達とも会え、また集まっている観客を見るだけで楽しかった。
イベントがあると、やはりそれ風なファッションの人達が集まってくる。
いつもあれっと感じるのはアフリカンを演奏する日本人はニット帽が好きである。
何故か?

イベントとお客さんとの関係で印象に残っているのは、シスコを拠点としている、グレートフル・デッドのコンサートに観に行った時である。
80年代だったから、時代はヒッピーからヤッピーに代わって行っていた。
ヤッピーと言うのはヒッピーカルチャーを存分に受けていながらも、経済的にもしっかりして行こうという若者達だ。
シスコにヘイト・アシュベリーというヒッピーにとっては憧れの場所があるのだが、そこも序所に小綺麗になって行き、ヒッピー達も経済的に追い出せれている感があった。

その様な時にヒッピーカルチャーの代表バンドのデッドのコンサート、野外音楽堂であったのだが、その音楽堂の周りに長い観客の行列ができた。
みんなサイケデリックな色合いの衣服を身に付けていた。
私は大きな声で「みんなどこに隠れていたんだい」と言いたくなった。

私達もいろんなイベントに出させて貰っているが、そこの主催者によってお客さんの雰囲気が決まってくる。
固いイベントもあれば、ゆるゆるのイベントもある。
私達が主催するイベントはどちらかと言えば後者に属する。
当たり前か、こちらの頭がゆるゆるなのだから。

世の中いろんな流れがあるが、いろんなカルチャーがあればより楽しく生きていけそうである。

2009年12月12日土曜日

モー飯

牛の子モーに毎日朝晩、猫飯をやっている。
以前はずっとドライフードをやっていた。
内容はかつおやまぐろ等の魚、そして野菜の粒が入っている。
まあ栄養素のバランスも良いとなっているし、兎に角手軽でいい。
私は通常これをパラパラ菓子と呼んでいる。

ずっとこのパラパラ菓子をやっていたのだが、病気をして物が食べにくくなった時に流動食の缶詰をやった。
序所に回復してからも、魚の缶詰を食べる時に嬉しそうな顔をするので、ずっとやるようになった。
今、朝夕と2缶そしてパラパラ菓子を少しやっている。
おかげで今ではやや太り気味だ。

こうして日々過ごしてたわけだが、数日前に私はふと考えてしまった。
毎日魚は一杯食べているが、野菜が少ないのではと。
確かにパラパラ菓子の中に野菜は入っているが、魚缶には入ってない。
比率を考えるとほんの僅かだ。

考えている内にある事に気付いた。
牛の子モーは今までパラパラ菓子と缶詰しか食べてない。
これは今まで猫達の長い歴史から考えても不自然な事ではないかと。

私が20代の時に6人で共同生活をしていたのだが、その時最初は1~2匹の猫だったのが、いろんな事情と、春秋の出産とかで、仕舞いには35匹の猫の世話をするようになった。
場所は今や華やかなディズニーランドの近くだったが、昔は埋立地で辺り一面草原が多く、人家も少なかったので、なんとかなっていた。
しかしながら猫飯の量は多かった。
その時は古米を買って来て、それに残り物の味噌汁や、キャットフードを混ぜてやっていた。

私はやはり猫飯の原点はご飯に味噌汁をかけた猫まんまと呼ばれるべき物ではと思った。
過去先猫達はこれで生きて来た。

思ったら実行、私の良い処である。
朝、早速、飯に味噌汁をかけ、その上に鰹節をひらひら泳がしたのである。
モーの食卓に持って行く。

さすれば、モーはいきなり猫まんまに飛び付いた。
まずは鰹節をほお張り、味噌汁をすすり出し、ご飯を食べた。
生まれて初めての食事だ。
モーの顔からは笑みがこぼれた。

まあ最近読んでだ本には犬は完全な雑食であるのに対し、猫は動物性の物から栄養素を摂ると書かれていた。
まあ牛だからどうでもいいだろう。
喜んで食えば身に付くというものだ。

ウッシッシ ・・・・(牛の子)

これからも時々作ってやろう。

2009年12月10日木曜日

暖国

我欲訪暖国

去年此期 我等訪台湾 為打鼓中祭

我再欲 暖国呼我等

我叩鼓 懸命

2009年12月8日火曜日

H.S.G.I

久しぶりにサッカーゴルフに行った。
天気も良く、ウインドブレーカーも持っていっていたのだが、全く必要なし。
高い土手相手に何度も蹴る。
誠にもって気持ちいい。

ボールを蹴りながら、進んでいると、川岸の芝生の上で鴨が日向ぼっこをしている。
私も仲間に入ろうと近づいて行くと、一斉に飛び立ち、川の中に飛び込んだ。
襲われると思ったのか。
川の中に入ると、ここまでは来れないだろうという顔をして、すいすい泳いでいる。
舐めた奴らだ。
私が泳げる事を知らないのだ。
しかしながら、水の中は冷たそうなので、深追いはやめた。
あまりに数が多かったので、数えてみる。
115羽だった。
飛んでいる鳥は数えにくいが、泳いでいる鳥は数え易い。
でも時々まだ数えてない鳥が数えたエリアに入って来る事がある。
あいつ何やってるんだと思う。
几帳面な私はもう一度数え直す。
115羽間違いない。

もしこれを全部捕まえると、どのくらいの葱がいるんだろうと思う。
4人で1羽を入れた鍋を囲む。
115個の鍋がいる。
葱農家に買出しに行った方がいい鴨。

しばらくのんびりする。
家を出る時モーが「猫缶買って来てくれ」と言ってたので帰りに買って帰る。

2009年12月7日月曜日

楽屋

今岡山のメルパルクの楽屋にいる。
楽屋と言っても宿泊部屋の一室を使っている。
どういう訳か、コンパニオンさん20名と同室だ。

今日は建築関係の会社が集まっての忘年会だそうだ。
来賓も銀行関係、マスコミ関係と多種多彩。
今日は作州武蔵太鼓で来ている。

先程宴会が始まり、コンパニオンさん達も出て行った。
私達の出番は8時、食事もよばれ、する事もなく書いている。

ちょっと眠たくなってきた。

2009年12月6日日曜日

草刈

今日は朝8時より、部落の草刈があった。
これは年間の作業の中でも一番大変だ。
草刈の場所は、私の家の前の大きな池そしてその上流にある2つの池の土手と、池を結ぶ林道だ。

前にも言ったが、私は部落の仕事は、積極的にする事にしている。
普段、道場に多少防音はしているが、やはり太鼓の音は漏れている。
それを我慢してもらっているのだから、せめてものお詫びという事もあるし、田舎の人は元気だと言えども、やはり高齢化が進んでいる。
私などはまだ若造だ。

で今日も率先して動く、まずは池の土手の急斜面を縦に、草払い機をかけながら降りて行く。
斜面は下から刈る方がやり易いので。
降りて行く時は足場も悪いし、かずらの蔦が、草払い機に絡まる。
途中笹が2m以上あって先が見えなくなった時は、私はこのまま遭難するのではと思った。
皆で協力し合い、まずは最初の大きな池の草刈りを終える。

林道を登って行く時に、部落の人が、これは猪が掘った跡だと教えてくれる。
しかし私には実感がまるでない。
まだ一度も見た事がないのだから。
偶然出くわし、鼻と鼻を突き合わせば、実感も沸くのだろうが。

まあ無事に3つの池そして林道の草刈を終えた。
11時30分になっていた。

昼食を摂り、心地よい疲れの中テレビを観ていると寝てしまう。
午後からはダレダレの一日だった。

2009年12月5日土曜日

泡が正しい

今日は慌ただしかったが、充実した一日だった。
まず朝は富山天龍太鼓の練習に行った。
いつもより少し難しい事を教えたら、子供はポカンと口を開けていた。
やはり少しづつレベルを上げないとね。

練習が終わり、食事を取ってから、米田さんの処に行く。
鼓空の二人が、自然農法で育てた米の稲刈りをし、それを約ひと月間天日干しにしていた。
今日はその稲の脱穀をした。
昔ながらの、足こぎの脱穀機で行う。
気を抜くと逆に回りそうだ。
まあ今回は作付け面積も小さいので収穫量も少なかったが、それでも稲の一本一本にはしっかり穂が付いていた。
まずまずの成果だったと言えよう。
脱穀が終わり、片付けをする。
米田さんからいつもながら野菜を一杯頂く。

そして米田さん夫妻を含め5人で倉敷芸文館に行った。
私達の主催する「龍物語」に出演してくれた劇団転起与砲が大きく関わっている倉敷市民ステージ「STAR」を観る為だ。
倉敷市が後押ししているだけに、大掛りな舞台だった。
内容は簡単に言えば地球にいい宇宙人と、怪獣を操る悪い宇宙人が降りてきて、最後は心良き人間といい宇宙人が手を結び、悪い宇宙人をやっつけるというもの。
いい俳優さん達、そしてたくさんの市民による合同作品だった。

倉敷市は毎年このような催しをしている。
3年前に私も和洋音楽祭と題したものに出演した。

芸術に力を注いでいる市や町はやはり魅力的である。

2009年12月4日金曜日

視察

今朝は農大に行った。
最近はヨカと間違える事なく、確実に行っている。
私には学習能力があるのだ。

昼に授業が終わり、働き者の私は次の仕事に入る。
そう000フルの視察だ。
今日は平島の店に入った。
12時過ぎだというのに客が少ない。
この店の近くは学校も会社もあるのに。
何故だ?

まあとりあえず、テーブルに着く。
メニューを拡げる。
またまた日替わりの昼膳が目に入る。
金曜日の処を見ると、照り焼きハンバーグ&あじフライだ。
前回と同じ、まだこんなへんてこなメニューを出している。
仕入れ部はどれだけ大量にあじを仕入れたのか?
今度会議で聞いてみよう。

ともかく、あじを無くさないと話にならない。
重役の私とすれば、やはりここは協力すべきだろう。
照り焼きハンバーグ&あじフライを頼む。
ドリンクバーは言わずと知れた梅こぶ茶。

ウエイトレスはてきぱきと動いていた。
これも報告しておこう。

今日のあじフライは揚げ方もよく旨かった。
まあずっと揚げているのだからね。

さもありなん。

2009年12月3日木曜日

かき食えば・・・・

海の香薫る 初冬かな

念じていれば叶う まさにその通り。
うちの宮さんが一杯牡蠣を持って来てくれた。
先日来、婦人部隊では牡蠣の話で盛り上がっていた。

その何日か前、私は日生の漁港を車で走った時、牡蠣おこの看板が一杯立っているのを見た。
そしてその看板を揚げているどの店も行列ができていた。
牡蠣おこ、牡蠣の入ったお好み焼きである。
2~3年前から、日生町は町起こしで、これに力を入れている。
私は一度その牡蠣おこなる物を食べてみたかった。
そんな処から話は始まった。

皆で食べに行こうとの話にもなったが、実は宮さん数十年前、牡蠣に当たり大変な目にあったらしい。
それ以後ずっと食べずに我慢していると言う。

昨日その宮さんの処に、お歳暮で牡蠣が一杯送られて来た。
旦那さんは一杯食したのだが、それでもかなり余った。
で食べられない宮さんは、余った牡蠣は目に毒なので、仕方なく私の処に持って来てくれたのである。

どう言う事情があるにせよ、牡蠣好きな私は練習後すぐに、生の牡蠣を2つ食べた・・・・・旨い。
海の香りが口充に拡がる。
続いて殻付きの牡蠣をフライパンに載せ、少し湯を入れ茹でる。
牡蠣のふたが開く。
身を取り出し、少し醤油をかけ食べる・・・・・これまた旨い。
サザエも蛤も旨いが、牡蠣は格別である。
熱燗を片手に堪能する。

宮さんの牡蠣に対する思いはどんどん拡がっているようである。
明日死ぬと判れば、その日は牡蠣を食べ尽くしたいとも言っている。

当面言われているのは、2012年12月21日だ。
とすると宮さんは12月20日の夜に、たら腹牡蠣を食べる事になるのか?

でも私が推察するに12月21日には何も起こらないような気がする。
だとすると宮さんはその日は一日中、トイレの中。

可哀想に!

2009年12月2日水曜日

ジーンズ

私も数年前まではずっとジーンズを履いていた。
最近はもっと楽な物がいいと感じ、履かなくなった。

ジーンズの魅力は過酷な労働にも耐えうる頑強さにあると思う。
もともとはアメリカの開拓者達が幌馬車の幌の生地を使って作ったと言う。
そんなジーンズであるが昨今の風潮を見ると、明らかにおかしいんじゃないと思う。

もともと丈夫な物をわざと薬品を付けて脱色したり、表面をバーナーで焼いたり、やすりで傷付けたり、切ったり、貼ったりと分けがわからない。
勿論私も膝が擦り切れたジーンズや当て布をした物も履いていた。
しかし意味が全く違うのである。

最初インディゴブルーだった物を身に付け、作業し履いていく内に、序所に色も抜け、ほころびもし、膝が切れたりして行くのである。
謂わば、ジーンズには1本1本歴史がある。
だから他人のジーンズを見ても楽しいし、「よくそこまで履いたなぁ~」と言う事にもなるのである。
新しい物に敢えて傷付け販売し、それを喜んで買うという心理は理解できない。
物を大切にという精神からも反していると思う。

如何であろう?

2009年12月1日火曜日

師走

今日から師走
私も先生の端くれ
走らなくては
まずは私の公園からか

2009年11月29日日曜日

格闘技

私は格闘技が大好きである。
最近は見るだけであるが、学生時代には柔道をしたり、空手をしたりしていた。
それも一生懸命していた。
私の場合格闘技が好きなのは、決して相手を傷つけたり、倒したりする事ではない。
やるかやられるかの中で起きる緊張感が好きなのである。
この感覚は理解して頂ける方も多いと思う。

格闘技に限らず、瞬間の緊張感のある物は多々あると思う。
アートの世界もそうだろう。
瞬間瞬間で決まっていく。
この緊張感は非日常に連れて行ってくれる。

今日はボクシングのタイトルマッチがあった。
ご存知、内藤大助と亀田興毅の世界フライ級をかけての戦いだった。
結果亀田興毅が勝ったのだが、私が見る範囲、内藤が負けたという印象はなかった。
内藤は最後まで攻め続けていた。
おそらく3人の審判ミスだろう。

まあ結果は仕方ないにしても、今日の亀田はパーフォーマンスはあったが、謙虚だったと思う。
内藤の力も充分知っていたのだろう。
リングに上がる前に神に祈るが如く手を合わせていたのも印象的だった。
内藤も一杯思いがあったのだろう。
決してひるむ事はなかった。
いい試合だった。

今後どう展開していくのかわからないが、見守っていきたい。

2009年11月28日土曜日

眠き一日

昨晩寝ようとしたら、またまた捕まってしまった。
田原総一郎氏の「朝まで生テレビ」だ。
本当になぜ真夜中にするんだと思う。
迷惑な話だ。
仕方なく眠い目を擦って見る。

今回のテーマは今政府がやっている予算についての各省、独立行政法人等の仕分け。
やはり良い処、悪い処いろいろ意見が出る。
意見が出れば聞くしかない。
いつも通り最後まで見る。

4時30分布団に入る。
朝9時過ぎに何故か起きてしまう。
仕方なく雑務をする。

昼食を摂り、テレビを見ていると、睡魔が襲って来る。
しかし今日は寝れない。
夜福山のホテルで瀬戸内源平太鼓の仕事が入っていて、夕方4時には倉敷のプロダクションに入る事になっていた。

途中岡山で大掛りの道路工事をしてて、5kmに渡る渋滞。
遅々として進まない。
15分遅れで事務所に到着。
太鼓を積み替え、一路福山に向けて走る。
やはり15分遅れでホテルに到着、申し分けない話だ。

まあ私達の出番は後の方だったので、問題はなかったのだが。
今日は書道家の集まりだった。
面白そうな方々がたくさんおられた。
私もお客さんのテーブルに付き、一杯やりたかった。
しかしながら、仕事は仕事
真面目に職務を果たした。

先程帰って来た。
今日は早く寝ようと思う。

2009年11月27日金曜日

ヨカ

今日もポカポカ、大春日和だ。

しかしながら、我が頭は曇っていた。
いつもながら、一人二日酔いになってしまった。
なぜか金曜日に多い。
理由は木曜日は稽古が夕方で終わり、夜は全くのオフになるからだ。
でテレビを見ながら、飲んでいる。
何も二日酔いになる程、飲まなくてはいいようなものだが、飲んでいる時は二日酔いの事など考えていないのである。
馬鹿である。

でも今朝は7時20分には携帯の目覚ましで起きた。
ヨカの日だからだ。
この処忙しく2ヶ月程行けなかった。
だから今日は是非行こうと、飲む前に決めていたのだ。
決めた事は守る、偉いのである。

で用意をしてジムに行く。
受付で「都度利用者カード」をいつものように出していると、横からおばさんが、
「太鼓を叩く方じゃあない?あのお祭りの時に・・・後ろ姿がどうも似てると思って・・・・」
私「はぁーまぁーそうです。」
どこの祭りの時かなぁと思いつつも、二日酔いの頭は回らない。
まぁいいかと思いつつも、面が割れてしまったなぁと思う。
私はここでは、スーと入り、サーとヨカを済ませ、ソーと帰るのを常としているのである。
空気の如く振舞うのだ。

「あれーヨガしている」とか言われるの嫌なのである。
で始まると予想通りきつい、きつい。
2ヶ月ぶりで二日酔い、きつくない訳がない。
ちょっとでもリラックスポーズが入ると、このまま寝ようと思う。
先生も「自分のペースでやって下さい」と言ってるし。
でもポーズのまま熟睡するわけにもいかず・・・・

今日もいつものように新手の技が入った。
ディズニーランドの様である。
絶えず何かが変化してて、お客さんを飽きさせないと言うの。

今日の新技(・・荒業・・)

① 右手の手の平を鼻の前に持ってくる。
② 左手を右手の前から回し、ねじった状態で手の平を合わせる。
③ 右足だけで立ち、左足を前から右足に巻きつけ、左足の甲を右足のふくらはぎに付ける。
④ その状態で体を倒し、前かがみになる。

⑤ その逆をする。

お判り頂けただろうか。
要は体全体ねじり切った状態にするのである。
パン屋によくこんなパンが置かれている。
このパンを見て、人間もこんなにしたら面白いのではと、誰かが考えたのか?
それにしても次から次へとヨーギは考えるものである。

1時間の過酷なレッスンを上、スタジオから出ると、そこに見慣れた顔が、やばい・・。
世を忍ぶ仮の姿が、またまたばれてしまった。
てらこやの0君だった。
マシーンを使ったトレーニングに来ているらしい。
軽く頑張ってと励まし、ソーとジムから出る。

頭は体を使った事もあり、ちょっとスッキリ。
良かった良かった。

2009年11月26日木曜日

またまた

今日もポカポカ日和だった。
確実に春に向かっている。
大きくは間違っていないかな。

子牛のモーは昨日夕方腹が減ったと帰って来た。
今私はパソコンに向かっているが、モーは私の膝の上で寝ている。
彼は基本的に外部社会をすべてだと思ってはないみたいだ。
温かく、そして食事が取れれば、それですべては完結している模様。

私も自分が納得できる状態がどのくらいの物か考えてみたい。

2009年11月25日水曜日

ポカポカ

昨晩、牛の子モーに飯をやろうと思ったらいなかった。
また夜遊びかなと思った。
朝 モーの部屋に行ってみるとまだ帰ってない。
午前中、婦人部隊の練習があり、終わってから、また部屋を覗いて見たが、まだ帰ってない。
まあ今日は少し気温が高いので、そう心配はしてないが。

昼に久しぶりに婦人部隊の二人と食事に行った。
隣の邑久町だったが、私は知らない店だった。

地産地消の材料を使っている店だ。
日替わり定食を頼んだら、豚の生姜焼き、野菜天婦羅、サラダ、味噌汁、ご飯、デザートにチーズケーキ、抹茶プリンと粒あん、最後にコーヒーが出てきた。
締めて850円、良心的な店である。

食事後世間話をしてから、帰途に。
帰り道、一人がうちの近くにある美和神社に行きたいと言い、行く事にした。
ポカポカの昼下がり、ちょっともやがかかっていたが、小豆島をはじめ瀬戸の島々、遠くに四国を眺める。
やはり高い処は気持ちがいい。
しばらく堪能してから、先程帰って来た。

私は帰って来たが、モーはまだ帰って来てない。
何を堪能してるのやら。

2009年11月23日月曜日

楽しいコンサート

鼓空で太鼓を叩いている節ちゃんは、実はエレクトーン、ピアノの先生である。
彼女は同じくエレクトーン、ピアノを教えている京子さんと一緒に毎年この時期に合同発表会を開く。
その発表会の名前が「楽しいコンサート」だ。
実にシンプルでわかり易い。

ではどう楽しいかであるが、ここの発表会は生徒がキーボードを弾くだけに留まらない。
歌は勿論、必ず他の楽器もする事になっている。
今回もオカリナやドラム、サックス、トランペットそして和太鼓が入っていた。
子供達の和太鼓は踊りと一緒に「うらじゃ」の演奏をした。
みんな元気に叩き踊っていた。
鼓空はその後ゲスト出演したのである。

実はこの「楽しいコンサート」も今年20周年を迎えたそうだ。
親子2代にまたがっている生徒達もいる。
凄いなぁと思う。

6年前の夏休みにここの子供達が、うちの道場に来て、太鼓の特訓をし発表会で披露した。
それがすべての始まりだった。
その頃小学生だった子供達も、もう高校生になっているから驚きだ。

この会が終わった後も、節ちゃん、京子さん共に続けて太鼓の練習に来るようになった。
京子さんは前から肩を痛めていた事もあり最近は来てないが、節ちゃんはずっと続けている。

キーボードでも太鼓でも、ずっと続けていると、見えてくる事も一杯あると思うので是非皆さん続けて欲しいものである。

2009年11月22日日曜日

安価

昨日、有名衣料品店ユ0シロが安売りをする日だと聞いたので行った。
別におしゃれ着を買うつもりではない。
冬に備えて、どちらかというとアンダーウエアーの物を中心に買った。
その中、靴下が6足990円だった。
別に6足もいらなかったのだが、綿の比率が高かったので買った。
1足165円の計算になる。
安いのは有り難いのだが、同時にこれでいいのかとも思ってしまう。
おそらく中国製の物だと思うが、日本で作った物が価格的に折り合いがつかないのはわかる。

衣料ばかりでなく、食料、そして住の材料までそうである。
グローバル化自体は悪い事ばかりではないと思うが、日本の職人さんが消えていっているのも事実である。
今に始まった事ではないが、空洞化だ。

少し観点が違うが、数日前政治家が、デフレスパイラルの状況にあると言っていた。
確かに、ジーンズが660円だったり、スーツが1万円を切ったり、ボジョレーヌボーが6~700円だったりと聞くとそうかなとも思う。
(私自身はジーンズもスーツもボジョレーも関係ないが・・・)

もう少し余裕があったら、本当の物を見極めて生活できればと思う。

2009年11月20日金曜日

モー

さっきまでいた、遊び猫モーがいない。
どこに行ったのやら。
入れば入たで、私のパソコンのキーボードを踏んで勝手に入力するし、この間は文章を消してしまった。
部屋も汚すだけ汚して片付けもしない。
百害あって一利なしの猫である。

そのモーもちょっと前風邪をひいていた。
変なせきををし、目鼻がぐしゅんぐしゅんになっていた。
私もその頃風邪をひいていた。
激しい時は夜中咳き込んだりしてた。

どういう事か、同じ時期に?
共通点は?
それは風邪をひいているのに、お互い食欲はあった。
私も寒いから熱い物を飲んだり食べたりしてた。
モーはモーでこれから寒い冬が来るからか、皮下脂肪を蓄えるべく、食べ続けていた。
その甲斐あってか、重いのなんの。
私の膝の上ででれぇーと横になっていると、私の足がしびれて来る程である。

同じ症状という事は、モーの風邪が私にうつったのか、私の風邪がモーにうつったのか?
いずれにしろ、同じレベルという事か??

まあ両方とも、ほとんど回復したから良かったが。


私は汚したら片付ける。
ちょっと違うのだ。

2009年11月19日木曜日

野菜

今朝は久しぶりに畑の世話をした。
まだ茄子、ピーマン、ししとうができている。
秋に植えた大根も葉が大きく広がっている、根の部分はこれからだが。
キャベツは8つの内1つが結球し始めた。

白菜が大きくなっていた。
親が無くても子は育つと言うが、まさにその通り。
なんか嬉しい。
外の葉っぱを上に手繰り上げ、真上で紐で縛った。
何故かと言うと、近所の人もしているからである。
多分、虫よけ、霜よけだと思う。
中の葉っぱが詰まる事もあるだろう。

結べなかった外葉を少し取った。
早速茹でて、ポン酢を付けて食べた。
美味い。
元気がいいのか、味もしっかりしている。
ポカポカと温かくなり、風邪などどこかに飛んで行ってしまいそうだ。

これからはやはり鍋の季節だろう。
うちから比較的近い処に虫明という漁港がある。
牡蠣の産地だ。
これから収穫時期に入る。

楽しみだ。

2009年11月18日水曜日

眠 眠 眠

昨夜は風邪薬を2種類飲んで寝る。
そのせいか、いつもなら8時前には起きるのだが、今朝目が覚めると9時20分。
慌てて起きる。
10時から婦人部隊の練習。
みんなは「寝とればええがぁーん」と岡山弁で言ってくれるが、
私は「大丈夫じゃー」と答える。
昨日よりは楽になった感じがしたから。

12時に練習が終わり、ラーメンとカレーを作って食べる。
どういうわけか、食欲はある。
食べ終わり、テレビを見ているとまた寝てしまう。
体が床に張り付いたように寝る。
このまま冬眠しそうな感じだったので、無理して起きる。

これから夜の稽古。
終わったらまた薬を飲んで寝よう。
寝るのが一番。

寝る子は育つ。

2009年11月17日火曜日

風邪

今日は朝から雨が降り続き、肌寒い一日だった。
今年の11月は例年に比べて温かいなぁと思っていた処だったが。
ちょっと風邪の予感はあったのだが、夕方のレッスンの時、妙に体がだるく、夜の自主練習も休む事にした。
皆さんも寒暖の差が大きいので、充分気を付けて下さい。
私も今日は早く休みます。

2009年11月16日月曜日

This is it

映画館に観に行った。
やはり凄かった。

もう皆さんご存知と思うが、マイケル・ジャクソンのロンドン公演を前にしたリハーサルである。
リハーサルと言えどもぜんぜん手を抜いていない。
細かい感情表現まで突き詰めていくので、ベストの状態に持っていってから、修正して行くからであろう。
本番と違うのは、出演者の衣装ぐらいだ。
皆練習用の物を身に付けている。

マイケルを初めて観たのはやはりジャクソン・ファイブの頃だ。
子供なのに全身リズムで溢れていた。
その後、印象的だったのは、やはり「スリラー」だろう。
この頃私はサンフランシスコにいた。
大家さん(・・・と言っても私より少し年上のヤッピーだったが・・・)が好きでよく聴いていた。
私もダビングさせて貰ったような気がする。

それ以後は音楽よりもスキャンダラスな事が先行して来たように思える。
本当に残念な事だ。

彼のパーフォーマンスの凄さはやはり歌と踊りの絶妙なバランスだろう。
曲が始まると、ずっと体が動いていて、止まる事がない。
1拍1拍が強烈だ。
声と体とで押し出してくる。

本当にもっともっと歌っていて欲しかった。
帰りにCDを買った。

まだまだ彼の世界に浸っていたい。

2009年11月15日日曜日

外 武蔵

今日は朝から新見に向かった。
今年これで3回目だ。
いつもながら新見は遠い。

前回、前々回は鼓空で行ったが、今日は作州武蔵太鼓の助っ人としてである。
作州武蔵太鼓は湯郷温泉や有馬温泉の仕事が多い。
津山や岡山や倉敷のホテルに呼ばれることもある、また時々イベントにも出演する。

曲目は武蔵太鼓、祝い太鼓、鬼面太鼓の3曲である。
鬼面太鼓は真っ暗の中、ブラックライトで鬼の面と、バチの前後に付けている白い房を照らしながら演奏する。妖艶な世界だ。
だから屋内での演奏がほとんど。

だが今日はサンパーク新見というショッピングタウンで昼1時と3時屋外でした。
リーダーの0田さんも私も袴を着ての演奏だ。
始まる前はちょっと気恥ずかしさもあったが、演奏が始まるともう行き着く処に行くという感じだった。

昼太陽の日差しが当たる時はそうでもなかったが、少し曇るとやや寒い感じだった。
お客さんもその中、最後まで聞いてくれた。
鼓空の時に聴いてくれてたお客さんもいた。
同じ処に何回か行ってると、顔なじみもできるのでそれはそれで楽しい。

鼓空の時も勿論そうだが、他の場面に呼ばれている時も、私が叩いている事に変わりないので、これからも全力で臨みたいと思う。

2009年11月13日金曜日

視察

今日は昼間ちょっとした待ち時間があったので、000フルの東川原店に入った。

この店は1階が駐車場で2階で営業している珍しい店だ。
中に入ってしばらくメニューを見る。
最初に目に入ったのが、日替わりランチ、今日はトマトハンバーグ&チキンステーキだ。
値段は399円と安い。
どうしてこんなに安いのか。
今度、会議で聞いてみよう。

私は今日はあまり肉&肉って感じでもなかったので、次を見る。
今度は日替わり昼膳というのが目に入った。
ランチと昼膳とは違うのか?
微妙である。

今日の日替わり昼膳を見ると、照り焼きハンバーグ&あじフライとなっている。
こんな組み合わせがあっていいのか?
今まで見た事がない。

おそらくあじが安い時に、うちの仕入れ班が大量に買ったに違いない。
そして残ってしまったのだ。
それでハンバーグでも何でもいいから付けて出してしまおうとなった。

いやはや、だが私は試しに頼んでみた。
まあハンバーグは普通、あじフライにはタルタルソースが付いてきた。
私としてはあじフライは醤油かソースであって欲しかった。

ただ最近000フルは割り箸を止めて、普通の箸を洗って使っている。
私も社長に進言しようとする矢先だったので、嬉しい。

ドリンクバーはやはり濃い目の梅こぶ茶にする。
券があるので130円、トータル629円を払って店を出た。

今日も無事仕事を済ませた。


PS 昨日の西市の件 友より連絡が入り、北区と南区にまたがっているのだそうだ。
かくして産地直送の夢は水泡の如く消えてしまったのである。

2009年11月12日木曜日

アドレス帳

11月も半ばになってくると、ぼちぼち気になってくるのが年賀状。
個人的なものもあるが、やはり鼓空関係のものが多い。
パソコンにアドレス帳を作っているので、それに今年お世話になった方を付け加えればいいのだが、それだけでは終わらない。

岡山市が政令都市になって、区がつくようになったのである。
これを挿入の形で出来ればいいのだが、我知識ではそうはいかない。
前の住所を一端消してそれに区を入れ、再度元の住所を入れなければならない。
なかなか面倒な作業である。
中にはややこしい住所もある。

北区の 岡南町、西市、西崎、西古松、南方
東区の 西祖、西片岡、西平島、南古都 南水門町
南区の 北浦、西畝、西市


あれ~ 西市が北区と南区にある。
どっちなんだろう?
郵便番号は北区は700-0953 南区は700-0953
同じである。
これは郵便局のミスなのか、それとも西市が2つに分かれているのか、それとも適当でいいよという事なのか?

郵便局に問い合わせてみよう!

「よく気付いて頂きましたね。お礼に向こう1年産地直送の品を送り続けさせて貰いますので・・・」
という事にならないだろうか?

まずは我友に郵便局に勤務している方がいるので、ここに書けばきっと返事を頂けるだろう。
産地直送はその後でいいから


よろしく~~

2009年11月11日水曜日

カプセル

昨日、風邪を軽くひき、夕方漢方系カプセル錠を飲んだ。

夜、玉井宮東照宮の「龍神祭」の打ち上げ、そして反省会があった。
最初電車で行こうと思ったが、体がだるかったのと、雨が降っていたので結局、車で行った。

西大寺町のお店に着くと、他の3人の方も来られていた。
昨年もこの店で、打ち上げをし、今年の龍神祭をどうするかを話し合った。
で今年のプレイベントとしてルネスホールの「龍物語」の企画が決まった。
酒が入りながらの楽しい雰囲気の中、大きな事も決まるので酔っていいものかどうか躊躇する。

2012年に、世間では何か起きると騒がれている。
良い事ならいいのだが、そうではないらしい。
この年は偶然にも龍年である。
で集まっている皆さんは、龍の力でその悪しき事を沈めるべく、これからの龍神祭を盛り上げ、位置付けようとしている。

大まかな事を決めて、会は終わった。
私は車で来ているので帰れない。
この数年続いている、いつものコース。
歩いて5分、カプセルホテルへ。

さっきは飲んだが、今度は飲まれた。

2009年11月9日月曜日

大阪

昨日は朝6時30分に皆集まり、太鼓を積んで一路大阪は服部緑地公園の野外音楽堂へ。
「風人の祭り」に出演する為だ。
今回で11回目になる。
私達も殆ど毎年行かさせてもらっている。

主催は沖縄の音楽を演奏するまーちゃんバンドとスタッフの皆さんである。
このスタッフが実に凄い。
人数も多いが、仕事分担がきっちり出来ていて、細かい処まで配慮が行き渡っている。

出演者は今回は私達以外はみんな沖縄音楽の方々、そして強力なエイサーチームであった。
大阪も天気が良く、会場はお客さんで一杯になった。

鼓空の出番は比較的早かったので、後はゆっくり沖縄音楽に浸る事が出来た。
最後はまーちゃんバンドだが、終わり数曲は私も和太鼓で入った。
お客さんも最後まで盛り上がっていた。

終演後は今度まーちゃん達が始める沖縄レストランで打ち上げ。
道場に帰って来たのは夜中2時半。
今日はみんな眠かったのではと思う。

まあ、たまにはいいか。

2009年11月7日土曜日

たぬき

さっき、うちの庭でたぬきを見た。
向こうもこっちを見たのか、腹を右左に振りながら走って逃げた。
久しぶりだ。
以前は毎日何匹ものたぬきを見た。
畑や田んぼの中を走り回っていた。
あまりに多いので、うちの近くの峠に、たぬき汁の店を出そうかと思ったぐらいである。
「は~いたぬき汁3丁入りました。よろしく~~」
の掛け声のもと、きっと一財産築けたに違いない。

しかし近年あまり見ない。
何かあったのだろうか?
出ないとやっぱり寂しい。
出たらたぬき汁にしようとするのだから、どうなっているのか我頭。

たぬきと言えばやっぱり近所のお婆さんの話。
たぬきが両手ですいかを抱えて、走って逃げたそうな。
私も見てみたい。

2009年11月6日金曜日

K.S.G.I

今日はサッカーゴルフに行った。

ばたばたしてて、なかなか行けなかったのだが、
天気も良く久しぶりにボールを蹴ってみたくなった。
いつも通り、私の公園の端から端まで3往復。
誰もいないので、のんびり蹴りながら進む。
さぼっていた分、変な所に飛ぶこともあるが、まあまずまずといった感じ。

今日は部屋の片付けも少しした。
忙しい時はほんと散らかしっぱなしになる。
少しは普段の日常に戻り出したということだろう。

ヨカもしばらく行っていない。
来週ぐらいからまた行こうと思う。

2009年11月5日木曜日

エトセトラ

備前の香登小学校の音楽鑑賞会に行った。
体育館に小学1年生から6年生の子供達、先生、父兄の皆さんが集まれる中で鼓空の演奏をした。
1時間30分の催しだ。
通常イベントに呼んで戴く時は持ち時間30分ぐらいが多い。
1時間30分の内20分ぐらいは子供達に和太鼓に触れてもらう時間を作った。
であるから私達の演奏は1時間ちょっと。
というわけで、最近あまりしてない曲を掘り起こす事になった。

一つは「さ遊」、うちのさゆりさんが作った曲だ。
さあ遊ぼうという意味らしいが、遊ぶ処の話ではない。
右手で始まるフレーズを左手で返すという裏技がいる、まさしく左右である。
元来打楽器奏者の中で言われる言葉に「左手を制する者は世界を制する」というのがある。
簡単に言えば左手が右手と同様に使えれば、あなたは一流のプレーヤーに成れますよ、という事である。
私達も練習の時はよくするが、これを曲にしたのは始めてだ。
この曲は難しさをカモフラージュする為に、始まりと途中と最後に、3・3・7拍子が入る。
お客さんは乗って、手拍子で入ってくれる。
私もわかり易さと、難しさが同居する曲は好きである。

2曲目は「エトセトラ」という曲である。
5年程前に作った曲だ。
基本のリズムはレゲエである。
カリブ海ではなく瀬戸内海でのレゲエの曲を作りたかった。
この曲は太鼓でビートを作り、それにキーボードが乗っかり、その上にさらに私の下手な唄が乗っかるというもの。
今回はサックスの赤田さんにも応援してもらって演奏した。
私より他に誰か唄ってくれればいいのだが、内のメンバー曰く、その下手さが、素朴でいいのだと言う。
妙な褒められ方をするものである。
最近メンバーはこの曲を対外的に売り出そうと言っている。

今ここで曲は聴いてもらう事は出来ないので詩だけ載せてみよう。

エ ト セ ト ラ  (えっと瀬戸ら・・・)

どこに落ちても 平気な海
海の中には ままかり さわらに かき
空には とんびが くるくるくーるくる
お山はなだらか 果物一杯

おだやか天気の 瀬戸内は 人の心も ハッピー ハッピー
おだやか天気の 瀬戸内は 人の心も ピースフル ピースフル

白い砂に青い松
白い桃に ピオーネ 巨峰に マスカット
青いお空に 青い海
白鷺飛んで どこへ行く

おだやか天気の瀬戸内は 人の心も ハッピー ハッピー
おだやか天気の瀬戸内は 人の心もフローティン フローティン

フローティン フローティン のんびり ゆったり フローティン フローティン 瀬戸内
フローティン フローティン のんびり ゆったり フローティン フローティン 瀬戸内

フローティン フローティン フローティン フローティン  エトセトラ~~  瀬戸内
フローティン フローティン フローティン フローティン  エトセトラ~~  瀬戸内

瀬戸内 チャチャチャン 瀬戸内 チャチャチャン 瀬戸内チャチャチャン エトセトラ~~~瀬戸内~


と最後はハモッて終わるという曲である。
いいんぁと思われた方は連絡下され。
表に出るか埋没するかの瀬戸際でござる。

音楽鑑賞会の方は子供達も先生も乗って戴き、楽しい内に、無事勤めを果たす事が出来た。
皆さんに感謝である。

2009年11月2日月曜日

風人の祭

今年も来週の日曜日(11月8日)に大阪の服部緑地公園の野外音楽堂で「風人の祭」が開かれます。
今回で11回目になります。
私達もほとんど毎年参加させてもらっています。
この日しか会えない仲間達もいて、本当に楽しみです。
沖縄音楽も一杯流れる楽しい祭りなので、時間のある方は是非お越し下さい。
きっと行って良かったと思われると思います。

「風人の祭2009・結の唄」

開場 13時 開演13時半~18時半
雨天決行  入場無料

出演 まーちゃんバンド 上間綾乃 NOSE WATERS やなわらばー beZen 鼓空 等々
企画 「200人エイサー&100人三線」

詳しくは 
http://www.painukaji.com/09yui/

を開いて見て下さい。

2009年11月1日日曜日

音響

最近うちで使っているPA(音響)機材の調子が良くなかった。
どういう事かというと、たとえばマイクでしゃべっても声がスピーカーから出なかったり、音量が上がらなかったり、ノイズが入ったりするのである。

特に私達は唄用にはヘッドマイクで無線で飛ばし、受信機で受けて、それをミキサーに入れているので、よりややこしい。
有線なら音響的には楽なのだが、和太鼓を叩きながら唄い、なおかつ舞もあったりするので、出来ればラインがない方が動き易いのである。

本番の前に声が出ないと、いやはや焦る。
音響の詳しい人なら、すぐどこが悪いのか原因究明し対処するのだが、疎い私達はただいろんな箇所をつつくだけである。

今回ミキサーの調子もすこぶる悪かったのでとうとう8チャンネルだが、新しいミキサーを買った。
また音響屋さんにヘッドマイク、送信機、受信機の点検をしてもらった。
特に問題はなかったが、無線は使う現場の状況でも、かなり左右されるので実際その場で使ってみないとわからない。

いやぁやっぱりうち専属のオペレーターの方が欲しい。

誰かいませんか? 楽しいよー!!

2009年10月30日金曜日

目が

覚めた。
何故かは後程。

今朝は7時過ぎに出て,津山のイ0ンに9時に入る。
11時、1時、3時と3回太鼓演奏をする。
それも作州武蔵太鼓で。
それも武蔵不在で。
こんなの有りかなと思う。

事の成り行きはこうである。
あるプロダクションさんがイ0ン創立2年目を祝したイベントの一つとして、武蔵太鼓の代表の岡0さんに出演依頼をした。
しかし、スケジュールの都合上無理と判明。
岡0さんは鼓空に変わりに行ってくれないかと要請。
私はお受けする。
そしてその旨、プロダクションに伝えると、津山の近郊のグループでとの決まりになっていると言う。
で湯郷を拠点とする作州武蔵太鼓として、出てくれないかと言われた。
私は岡0さんがいない武蔵太鼓はありえないし、岡0さんの許可なくして、武蔵太鼓の名前は使えないと説明する。
(おそらく岡0さんはOKしないと思ってである。)

ところがである。
岡0さんは簡単に「ええよ~」と言ったのだ。
そんな。聞けば昔世話になったプロダクションらしい。
武蔵太鼓と名乗るも良し、必要な鬼の面やはっぴも貸すからと言うのである。
岡0さんがそう言うなら、私はもはや断る術を知らない。
受ける事になったのである。

でも武蔵と言えば二刀流。
私は普段小次郎なのだが、剣を抜いたのは何故かただの一度だけ。
それがさらに2本の刀など、到底及びもしない。
しかし受けた以上なんとかしないといけない。
私は無理やり、今日は小次郎ではなくて、武蔵だと頭に言い聞かせる。
刀は?
ばちが刀だと思おう。
てわけで舞台に臨んだ。

実際始まると人が集まってくるが、誰一人疑問を持つ人は無かった。
皆さん熱心に私達の演奏を聴いてくれ、拍手も一杯戴いた。
良かった、良かった。
無事勤めを果たした。

荷物を片付けてから、勝山に向かった。
「龍物語」でお借りしてた衣装と、模造刀を返しに行く為だ。
私は電話しなければいけない用件があり、しながら中国道の津山インターから入った。
するとスーと覆面パトカーが来て、私の車を止め、あのう携帯電話をされてましたね・・・・・
と相成ったのである。

私はここで目が覚めた。
減点1、罰金6000円。

あ~あ~
なんのことやら~~

2009年10月29日木曜日

まだぼう

まだ頭がぼうーとしている。
先週土曜日に、ぼさつの面々5人と昔同時期千葉で活動してたキャンディータイムの2人茂木兄弟が来た。
ぼさつのまーちんはサンフランシスコ、隆ちゃんはシアトル、龍一ちゃんは愛媛からだ。
またマネージャーの信ちゃんと息子のさとるそして茂木兄弟は千葉と神奈川からで、ハイエースに楽器、PAシステムを一杯詰めて来てくれた。
これが実に助かった。
日曜日の「いわとわけ音楽祭」でうちのPAを貸す事になっていたが、調子が悪く、急遽持って来て貰ったPAで対応する事になったのだ。
有り難かった。

その日はうちのメンバーに先に石門別神社に入って貰い、ぼさつと茂木兄弟は午前中、道場で音出し。
まーちん、隆ちゃんが最近作った曲、そして昔からの曲をする。
ノリはすぐ決まるのだが、エンディングなどの決めに時間を取る。

昼から「いわとわけ音楽祭」に向かう。
今回はデュオ、トリオ等の小編成のグループが多かった。

夕方になって、まずは鼓空が30分演奏し、ぼさつがその後30分ちょっとした。
ヒッピーバンド的要素の強い音楽に、お客さんも横揺れして踊る。
楽しい雰囲気の中終わった。
音楽祭の最後演劇で天の岩戸を開け、平和を願う。
神社で打ち上げをして帰る。

翌月曜日は昼間、みんなで牛窓の方に遊びに行ったりしてのんびり。
夜は道場で簡単なコンサート。
慧のバンドが前座をしてから、ぼさつのリラックスした中、演奏。
最後にみんなでセッション。
慧とツインドラムスでも遊んだ。
楽しいひと時だった。
夜中、茂木兄弟と龍一ちゃんは長距離の帰途に着く。
翌日朝、まーちん、隆ちゃん、信ちゃん、さとるが新幹線でとりあえず、千葉に向けて帰った。

またみんな集まれる機会が出来たらと思う。

昨日は鼓空のメンバー4人で全日空ホテルで、高梁の学校の同窓会に行った。
同窓会と言っても、皆さん古希に成られる年齢。
しかし皆さん若々しかった。
こちらが元気を貰ったようだった。

私もいつまでもぼうーとしないで頑張ろう。

2009年10月27日火曜日

あたぼう

頭がぼうっとしている。
回路がはずれているのか、何も考えられない。
書いていると、少しは戻るのか。
4日間走り抜けた感じ。

順を追って書くと、
先週木曜日、玉井宮さんに行き、竹を大小25本程切り、ルネスに運ぶ。
金曜日、「龍物語」の本番、午前中仕込みと鼓空のリハ。
午後からことさん、美咲さんのリハをする。
3時から、物語のリハ、何しろ全員集まるのは初めてなので、場面場面でのタイミングの取り方を決める。劇団転起与砲の面々、備中神楽、ことさん、美咲さん、私、音響、照明、みんな大変。
特に本物の龍が影絵のスクリーンを破って飛び出す処、龍が舞い終わった後、飛び上がり、2階にいる龍に摩り替わる場面が難しいが、大事な処だ。

物語のリハの後、美咲さんの「ありがとう」をことさん、鼓空で練習する。
そしてすぐゲネプロに入る。

6時30分開場、7時開演
本番 物語やはり多少タイミングの悪さもあったが、まずまず無事に終える。
2部はことさん、美咲さん、鼓空の順に演奏。
お二人とも優れたアーティストなので、何の心配もない。
鼓空の演奏でもお客さんが乗ってくれ、大勢踊ってくれた。
最後に「ありがとう」をみんなで唄い演奏して終わった。
半年間関わって来ただけにほっとした。


翌日土曜日は玉井宮東照宮での宵祭り、大勢の方が参拝に来られる。
上がり口の公園には出店が並ぶ。
境内には一杯龍が飾られている。

5時より鼓空そして、獅子舞、ことさん、美咲さんの順に
最後にことさん、美咲さん、私で即興演奏をした。
2日間無事に終わった。

後2日間はまた明日にでも。

2009年10月22日木曜日

とうとう

明日23日夜7時から、岡山のルネス・ホールにて「龍物語 in ルネス」が開かれます。
面白いイベントです。
お時間のある方は是非お越し下さい。
秋の夜長、みんなで楽しみましょう。

2009年10月21日水曜日

もう

間近になりました。
明後日です。
「龍物語 in ルネス」は。
焦らなければ。
何を?
わかるようでわからない。
これこそ人生か?

人事を尽くして天命を待つ。
まずは人事を尽くす事か!

2009年10月20日火曜日

ますます

「龍物語 in ルネス」が近くなった。
間違いなく、昨日より1日少なくなった。
当たり前か。
大場先生とも細かい連絡を取り合う。
今日も秘密の練習をする。
ここで言えないのが残念だ。

今心配なのは、入場券の事である。
前売り券については大体把握できるのだが、当日券がどうなるかだ。
前回鼓空祭の時は後半かなりチケットが売れ、お客さんに窮屈な思いをさせてしまった。
今回それは避けたい処だが、こればかりは当日券で入られる方によっても大きく左右される。
いい状態に収まる事を祈るのみである。

後残り2日、やれるべき事はやっておきたい。

いよいよ

「龍物語 イン ルネス」がいよいよ今週金曜日に開かれる。
竹を30本程ルネスホールに入れる事になっているのだが、やっと皆さんの御協力で、車の手配が付いた。

昨日朝はサプライズ企画の打ち合わせ。
午後からは、日常、御安小学校と、夜は加茂に練習に行く。
車の移動中に劇の中の音楽について、細部を考える。
まだそんな事をしてるのかと怒られそうだが。
念には念をという事で。

お客さんがきっと喜んで戴けるような内容となっています。
お時間のある方是非来て下さい。

「龍物語 in ルネス」

日時   10月23日(金) 19時より
場所   ルネスホール(岡山市)
出演者 美咲さん(唄) ことさん(篠笛) 備中神楽保存振興会、転起与砲(劇団) beZen鼓空(和太鼓)

1部 龍物語 2部 コンサート
入場料 前売り 2000円 当日2500円 高校生以下1000円

です。

2009年10月18日日曜日

稲刈り 2

今日も朝から天気が良かった。
朝一番は太鼓の練習があり、11時頃から、田んぼに行った。

鼓空から6人と友達が2人での稲刈りだった。
稲を刈ると、6株づつに束ねる。
そしてそれを田んぼの中に組んだ干し台に掛けていく。

稲は順調に刈っていけるが、束を作るのが、慣れるまでは少し時間がかかる。
でも皆だんだんと早くなってくる。

掛け稲は、先程の束を1対5に分け掛ける。
そして次の束は5対1という具合に変わり交代に掛ける。
こうすると一つの横棒にたくさん掛けれるとの事。

すべて掛け終わると、その上にネットを被す。
最近天日干しをしている処は少ないので、雀が喜んで狙ってくるのだそうだ。

今日は途中で米田さんの撮影会がある。
その時は田んぼの中、みんなの位置が決められる。
それはそれで面白かった。
私は途中、桶太鼓を叩く。

3時過ぎにはすべて作業が終わった。
楽しい秋の一日だった。

2009年10月17日土曜日

稲刈り

今日は午前中、富山天龍太鼓の練習に行き、3時頃から今年鼓空の面々と友達とで一緒に田植えをした田んぼに行き、稲刈りをした。

明日みんな揃って稲刈りをする事になっているが、予行演習の意味もあり、今日は鼓空から3人と、田んぼを借りている米田夫妻とで4分の1ぐらいの稲刈りをし、天日干しする為の柱に、刈った稲を掛けていった。
最近では鎌で稲を刈るのも、天日干しもなかなか見られない。

秋の夕暮れ、稲を干している光景は、なんだか懐かしくていい。
明日は昼前から、みんなで稲刈りをする事になっている。

収穫の太鼓も叩こう。

2009年10月16日金曜日

農大

今朝は農大に行った。

この処、金曜日は何かあり、ヨカに行けてない。
来週も忙しく行けないだろう。
私達が忙しい時は肉体労働が続いているという事である。
演奏が肉体労働というわけではない。
太鼓の持ち運びが大変なのである。

演奏がある日は、まず太鼓の梱包、楽器車に載せる。
現地で降ろしセッティング。
演奏後に梱包、楽器車に載せる。
帰って、道場にいれ、梱包を解き、セッティング。
とまあ、太鼓が重いだけに、なかなかの仕事量だ。
それに、うちからPA機材も持って行く事も多々ある。
昨日もお客さんから、4人でこんなに機材持って来るのと驚かれた。

で話を元に戻すと、肉体労働の後は、特にまた違う意味できついヨカをして体のバランスを整える必要がある。

でもう一つ話しを元に戻すと、しかしながら今日はヨカでなく、農大に行ったのだ。
どこまで脱線するのか?

来週の土曜日、農大では一番のイベント「収穫祭」がある。
この日はたくさんの来賓、そして収穫した物を買いに来る人達で賑わう。
農大の太鼓チームはオープニングで叩く、また午後、イベント広場でも叩く。
収穫祭に太鼓はよく合う。

私も毎年オープニングには立ち会う事にしている。
だが、今年は龍物語の翌日、そして龍神祭の宵祭りの日だ。

まあこの際多少重なっても一気に乗り切ろうと思う。

2009年10月15日木曜日

大名行列

今日は朝7時にメンバー3人が道場に来て、4人で岡山県の北西にある新見市に行った。
私達の道場は岡山県の南東の瀬戸内市にあるので、遠いと言えば遠い。言わなくても遠い。
前回、新見に行った時は2時間30分と予定してたのに、3時間かかってしまい、大慌てした。

だが、私達には学習能力があるので、入り時間が10時30分だったが、道場を7時30分に出発。
そして尚且つ、山陽町から総社まで高速に乗り、岡山市内の通勤ラッシュを避けるという技に出た。
おかげで10時には新見の目的地に着いた。

今日の催しは新見に300年以上続くという大名行列。
正式には「御神幸武器行列」、また一般には「土下座祭り」と言われている。

古き町並みを「下に~ 下に~ 」と侍が列を成して通る。
槍を高々と上げた侍達が通る。
また祭事であるらしく、御神輿も5~6台出る。
獅子舞も練り歩く。

庶民の人々は道の端にござを敷いて、座って見物する。
見物するのだから、頭は低くはなかった。
酒を差し出す人もいる。

こんな伝統が有り、由緒ある祭りがまだあるんだなぁと思う。
今日も全くの平日、木曜日である。
昔から毎年10月15日と決まっていて、動かさないのだ。
その一途さも凄い。

処でなぜこの祭りに私達が呼ばれたかであるが、以前新見市で仕事で来た時に、たまたまこの祭りの主催者のお一人が聞かれていて、呼んで下さったのである。

ただ、この時も演奏の後半はドラムスやジャンベを使い、賑やかにしていたのだが、この主催者の方はそれが気に入ってくれたのだそうだ。
で一応ドラムス、ジャンベを持って行ったのだが、現地に着き、あちこちの軒先に御神幸と書かれた提灯を見ると、いささか不安になる。
何しろ300年以上の歴史だ。

私達を呼んでくれた主催者の方が良しとしてくれても、他の大多数の方が納得してくれなくては困る。
急遽、1回目ステージの曲目を変更する。
前半の3分の2は渋く和太鼓らしい曲を続ける、そして後半3分の1をビートのある曲と比率を変えたのだ。

たくさんのお客さんが聞いてくれていた。
私達の演奏の後、しばらくして長い行列が通る。

そしてその後2回目のステージ、お客さんの変動があまりないように思われたので、曲目を変える事にした。
今度は前半3分の1が和太鼓らしい曲、そしてちょっと冒険だったが、ドラムスを使った曲のメドレーをした。
お客さんは結構乗ってくれた。
後主催者の方々の顔を拝見したら、皆さんも喜んでくれていた。
また是非来て下さいとのお言葉も戴いた。
ほっとする。


皆さんにお礼を言って、新見を後にした。

2009年10月14日水曜日

ルネス

今日夕方からルネスホールに行った。

10月23日に行われる「龍物語」のリハーサルである。
劇団、備中神楽、照明、音響、スタッフそして鼓空のメンバーが揃った。
だいたいの感じでは上手く行きそうだ。
細部の詰めがもう少し。
各場面場面での時間を計る。

再度台本の更生をする。
後9日間で本番。

美咲さん、ことさんとも細かい打ち合わせが必要だ。
いいイベントにしたい。

2009年10月13日火曜日

秋だれ

昨日まで4ステージ続けてあった。
毎朝早く起き、出勤してたが、今日の昼は全くのオフ。
だれーと過ごす。

テレビを見ながら昼寝をする。
体が畳に溶けそうになる。

パソコンを開いていると、猫のモーが膝の上に乗ってくる。
モーは多少風邪をひいている。
移すなよ思う。
猫の風邪は人にも移るのか、定かではないが。
今毛づくろいを始めた。
時々体勢を入れ替える。
私が書いている事など、全くお構いない。
自分勝手な奴だ。

モーの頭を上に向け、耳を両手で押さえ、オットセイにしてやる。
もともと猫とオットセイは同じ仲間だ。


嘘である。

夜の練習まで、もう少しだれーとしておこう。

2009年10月12日月曜日

春日神社

今日も私の平生の行いがいいのか、気持ちのいい秋晴れだった。
これで秋祭りの3日間すべて快晴。
これは平生の行いどころか人徳の成せる業か。

今日は西大寺の西阿知の山の上にある春日神社の秋祭りに行った。
こちらには大分前から来ているが、いつから来てるんだろうと鼓空の履歴を見る。
すると最初に来たのは2000年だった。
今回で9回目になる。
こんなに呼んで戴けるのは、本当に有り難い事だ。

子供達の相撲大会から始まり、祭事が行われる。
その後鼓空の演奏。
持ち時間は50分、祭りにしては長い。
いつもの様に大太鼓ソロ、清流、華、渓谷鼓から始める。
後半は祭りなのでのる曲ばかりで通す。

お客さんも楽しんでくれたみたいで、まずは役目を果たした感じ。
太鼓の後は毎年恒例の餅投げ。
餅に混じって袋菓子も一杯投げられる。
大人も子供も一生懸命拾う。
楽しいひと時である。
私もかなり拾ったが、あまりに私は心優しいので、取り損ねたお婆さんにもあげる。
お婆さんもにっこり。
幸せな気分になる。

弁当、お菓子、飲み物、お神酒など一杯戴いた。

また来年も!

2009年10月11日日曜日

秋晴れ

今日も青空で清清しく、祭りには最高の日だった。

今朝は岡山市のやや西に位置する福田地区という処の秋祭りに行った。
八幡様を祀ってある神社で、4町の氏子さん達が集まっている。

長らく祭りがされてなかったが、昨年これでは駄目だと長老達が立ち上がり祭りを復活させた。
この長老の中に、うちのメンバーがお世話になっていた方がおられ、初っ端に依頼を受けた。
そして今年も呼んで戴いた。
今年は去年より多くの人達が来られた。
これからも徐々に盛り上がって行きそうなエネルギーを感じる。
今年は特に子供達の参加が多かった。
子供達は手作りの御神輿を作って、各町に持ち帰りうねってから、また神社に戻って来る。
御神輿が4つ帰って来た処で鼓空の演奏になる。
皆真剣に聞いてくれる。
真剣なばかりでは悪いので、後半はのる曲を演奏する。
大人も子供も皆さん喜んでくれた。
また来年もお邪魔する事になりそうだ。

今日は演奏が終わると、すぐに片付けて祭りの途中だったが失礼する。
道場に戻り、太鼓を入れ替えて、私は倉敷市の真備町に行く。
真備町の竹林で囲まれた古墳で開かれる「竹林音楽祭」に出演する為だ。
これは瀬戸内源平太鼓として受けた仕事だ。
昨年も呼んで戴いて、今回もまた呼んで戴く。
有り難い事だ。

始まりは地元の子供達の、竹のオーケストラの演奏、そしてミュージカル、女性ボーカル2人とキーボードの演奏などが続く。

ゲストは昨年も青森から来られた津軽三味線の山上進さん、そして倉敷のソプラノ歌手の河口めぐみさんだ。
山上さんは三味線意外にも、尺八や横笛も吹かれる。
心に響く音を出される。

昨年は音楽祭の最後に一緒にコラボをさせてもらった。
そして今年も2曲程ご一緒した。
全くの即興演奏で緊張感がある。
しかしながら一年ぶりに会ってまた一緒に音を出すというのは嬉しい。
またご一緒出来る機会があればなぁと思う。

竹林が照明に照らされ素敵な雰囲気での音楽祭は無事に終わった。
この音楽祭もずっと続いて行けばなぁと思う。

2009年10月10日土曜日

泉学園

今日は泉学園という知的障害者更生施設の祭りに行った。
ここはもう7年ぐらい前だろうか、一度行かさせて貰っている。

到着するとすぐ、一人の障害者の方の出迎えを受ける。
いろいろ園内の事、職員さんの事、私達が知らなくてはいい情報を一杯教えてくれる。
すこぶる元気で、かつ大変優しい人だった。

今日はうちから3人で来た。
さっそく、太鼓のセッティングにかかる。
外のイベントだったので、大太鼓も持って来た。
まず台を組み立て、その上に大太鼓を載せる。
3人では持ち上げるのも、心もとないので、スタッフの方々にも手伝ってもらう。

今日は金管楽器のコンボのチームも来ていた。
トランペット2本、ホルン、チューバ、トロンボーンの編成。
普段なかなか聞けない音なので、楽しみ。

祭りは彼等によるファンファーレから始まり、すぐオープニング鼓空だった。
大太鼓ソロから始め、3人で30分演奏した。
鼓空で3人での演奏も時々はするが、なかなか緊張感がある。

演奏後はゆっくり、食券を戴いてたので、やきそばを食べたり、ラムネを飲んだりして過ごす。
先程の金管楽器のチームはアニメのトトロなど、なじみのある曲を演奏してた。
ホルンやチューバの音が面白い。

大道芸の人も来られていた。
この方は以前スマトラ沖地震のチャリティーイベントでも、ご一緒していた。
大きな体格の方だが、その割に高い声を出す。
子供達には低い声よりも高い声の方がいいかもね。


今日も天気に恵まれ、いい祭りになった。

2009年10月9日金曜日

菜の花

今朝、農大に行った。
「菜の花を植える集い」なるものが催されたからだ。
式のオープニングで農大の和太鼓チームが演奏する事になっていて、私はリハーサルから立会い最終的な調整をする事になっていた。

この催しには岡山県知事の石井さんも来られた。
普段、県知事も忙しく、農大の卒業式の時も大抵代理の方が来られ祝辞を述べられる。
でも今日、来られたという事は、県がこの事業にいかに力を入れようとしているかの現われだ。
テレビ局も取材に来ている。

式は10時から始まり、農大の近くの3つの保育園からも可愛い園児達が集まって来る。

この催しの意味は、皆で菜種を植え、春に収穫し、菜種油を摂り、食事で揚げ物等に使い、その後、精製してバイオエネルギーとして車の燃料等とし、二酸化炭素の排出量を抑えようという壮大なる計画だ。
昨年は県下で5h植えたらしい、今年は20h植えるそうである。

確かに、昨今田舎で農業を生活の糧としている方々は老齢化している。
休耕田も、致し方なく拡がっている。
そんな土地に菜の花を植えて行く事はそれなりに意味があるような気がする。

式典の後、保育園児や親御さん、農大生、そして知事も参加して菜の花を植える。

秋の清清しい青空の下、気持ち良い催しだった。

2009年10月8日木曜日

頭が

軽くパニックになりそうだ。

先程、来年の国民文化祭でのクラシックバレエの曲の練習用のCDの取り直しをした。
寸法を少し長くするように頼まれたからだ。
1つは済んだ。

そして今一番に気になっているのが、龍物語。
1部は劇と音のすり合わせ。
2部のコンサートのもって行き方。

10月の残り11本の仕事のメンバーと曲の組み合わせ。
11月には1時間30分の小学校での音楽鑑賞会もある。
新しい事もやりたいが、練習時間が取れるかどうか。

まずは今週土曜日から月曜日までの4本の仕事を無事にこなさなくては。
土曜日の夜は真備の竹林音楽祭で、津軽三味線とピアノの方々とのコラボもある。
はたしてどんな感じになるのか?

とりあえずは一つ一つという事で。
今日はもう何も考えず、軽く酒でも飲んで寝よう。

2009年10月7日水曜日

嵐の前

の静けさであろうか、少し雨は降っているが差ほどではない。
大型台風という事であるが、今全くその感じが無いだけにいささか不気味である。
ゴジラかはたまたジョーズか。
天気予報では、今四国沖で進路は紀伊半島の方に向いている。

台風と言えば、もう10何年も前に19号台風と言って大型の台風が瀬戸内海に入って来た事がある。
その夜はかなりの雨風だったが、朝起きるともう過ぎ去っていた。
私が何げなく、テレビのスイッチを入れると、台風の被害状況をが映し出されている。
そして洪水で田園地帯が浸かっている場面が映った。
凄いなぁと思っていると、アナウンサーが長船と言った。
エーと思いながら、2階に上がり窓を開け外を見る。
私の家はちょっと高台にあるのだが、眼下に海が広がり朝日でキラキラ輝いていた。

長船はもともとは海で、入り江だった。
そこを埋め立て農地にしたのだ。
この時、昔の入り江の状態がはっきりわかった。

殆どの道が大水に浸かり寸断されている。
1日2日は食料も買いに行けなかった。
水道も止まり、大きなタンクに水を入れたトラックが来て、配給をしていた。
田んぼの稲はほとんど全滅、床上浸水の家もたくさんあり、甚大な被害がでた。
やはり天災は凄いと実感。

今回の台風も注意しなければ!!

2009年10月6日火曜日

風邪

ちょっと風邪気味。
太鼓の練習で汗をかいて、すぐ着替えれば良かったのだが、その後他の事をしてて体を冷やしたからだろう。
今日は早く寝ることにします。
済みませぬ。

2009年10月5日月曜日

石門別神社

先程まで「いわとわけ音楽祭」の打ち合わせに行っていた。
私達も今年で8回目ぐらいになろうか、ずっと出演している。

もともとは岡山のミュージシャン達が集まって始まった音楽祭だ。
ここが各お宮の祭りとは違った処である。
今は音楽以外にも演劇や朗読の方々も出演されていて、祭りを盛り上げている。

私達は年間いろんな祭りに参加させて貰っている。
昔は祭りの時は、その何週間前から、そのお宮のある集落の大人も子供も集まって、笛や太鼓の練習をしたものだ。
だけど今は人々の生活が忙しくなり、そんな時間は取れなくなった。
それで、各お宮の氏子さん達から、祭りを盛り上げるように依頼されて私達は行かさせて貰っているのである。

私は今日始めて今年の「いわとわけ音楽祭」打ち合わせに参加した。
うちに関係する事は、うちからPA機材を出すことになった事、それと鼓空の持ち時間と、ぼさつの持ち時間が各々30分づつとなった事である。

ルネス、玉井宮東照宮、石門別神社と3日続くが充実した秋の日々にしたい。

2009年10月4日日曜日

WAの会

今朝は自閉症の子供達のWAの会の練習があった。
最初小学生だった子供達も高校生になっている。

小さい時は一つ一つの曲も彼等用に簡単にわかり安くしていたが、最近は原曲をそのままを教えている。
難しい難しいと言いつつも、序所に覚えて叩けるようになってくる。
見ているご両親達も嬉しそうだ。
最初私も自閉症の人と接した事がなくて、どのように接して行けばいいのか迷ったが、時と共に別にどうでもいいんだと思うようになった。

自閉症がうんぬんではなく、その子その子のパーソナリティーだと考えれば、全く問題は無いのである。
ずっと彼等を見ていると、あっと驚く程優しかったり、他人と自分との間に変な境界線を設けなかったりと、実にPeacefulである。
彼等ばかりだと、きっとこの世に戦争など全く起きないのではと思う。

これからも、ずっと彼等の生き方を見て行きたい。

2009年10月3日土曜日

御休の集い

今日は御休宮池公園というちょっと山に入った処での祭りに参加した。
山々に囲まれた中に、宮池という大きな池がある。
池の淵から池の中央まで朱色の橋がかかっていて、なかなか風情がある。

池のほとりに鐘つき堂がある。
今日の祭りは、町の何人かの挨拶の後、子供達がこの鐘をつく処から始まった。
最初のアトラクションとして、私達が普段教えている御休小学校の和太鼓クラブの演奏だ。
子供達は普段の練習の時はだらだらでも本番の時は多少緊張感のある演奏をする。
たぶん緊張しているのだろう。

この後、地元の方々によるハワイアンの踊り、うたごえ、銭太鼓、傘踊りなどがあった。
私達も皆さんの手作りの山菜おこわや、豚汁を頂きながら、楽しく過ごした。
最後のアトラクションとして鼓空が出演する。
最初、私の大太鼓ソロ、そして清流、華をする。
それからは、せっかくの祭りなのでジャンベと和太鼓による、アフリカンの3曲メドレーをした。
途中から非常にノリのいいおばさんがいて、最初後ろで踊っていたのだが、あまりに踊りが上手いので、メンバーが舞台前までに引っ張り出した。
お客さんもそれを見て多いに盛り上がり、後に続いて何人かが踊り出した。

アフリカンの後はドラムスを使って紫の光、舞、仲間のメドレー、最後まで皆さん踊ってくれた。
無事に役目を果たしたかなと思ったら、アンコールがかかった。
御休の子供達も一杯残っていたので、せっかくだから、渓谷鼓をみんなで一緒に叩いた。
子供達は先程よりもまだ緊張してた。
たまには緊張もしないとね。

今日は地元の皆さん、本当によく動かれていた。
そのお陰で私達も楽しませて貰った。

また皆さんと御一緒できればと思う。

2009年10月2日金曜日

ヨカ

雨にも負けず、車でヨカに行った。
今日は2日酔いではなく、1日ちょっと酔いぐらいだった。
ジムも雨の為か、多少人も少なかった。
改めて、私は偉いと思った。

最初はいつも通りスローから始まる。
四つんばいから展開する技、そして犬のポーズを起点とした技とだんだんきつくなってくる。
そのきついポーズの時に先生は言う「深い呼吸をしましょう。」
自分の体を根限りねじっている時に、深い呼吸など出来るわけがない。
無理を言う先生だ。

だが先生が偉いのは、先生もきついポーズをしてるのに、ごく自然に次の事を指示するのである。
本当はきついんだけど、無理して普通のしゃべり方をしてるのだろうか?
今度注意して見てみよう。

とは言うものの、そんな余裕が私にあるわけがない。

今日死ぬかと思ったポーズを紹介しよう。
簡単なので皆さんやって下され。

と矛盾した事を言う。
いや、簡単なのはポーズでなくて、説明が簡単だと言うことである。

1 仰向けになる。
2 両手を頭の後ろで組む。
3 左足を天に向けて上げ、右足は床についたまま、真っ直ぐ前方に伸ばす。
  (ここまでで、私は簡単簡単と思う)
4 次に右足のかかとを少し浮かして伸ばす。
5 その姿勢をキープしたまま、ゆっくり10カウントを数える。

腹筋が悲鳴をあげる。

その逆をする。

腹筋が悲鳴をあげる。

私は何度も言うが、こんな事一人では絶対しない。
皆がいるから、一人でボケーともしてられないので、仕方なくするのである。

厳しきヨカの道である。

2009年10月1日木曜日

ぼさつ

私は以前「ぼさつ」というバンドにいた。
このバンドは、一言で言えばヒッピーバンドだ。

私が最初に「ぼさつ」を知ったのは、ある大晦日の夜に千葉のマザースというライブハウスでの年越しライブでである。
その当時私は「K.B.B」というブルースバンドにいて、この時に一緒になった。
初めて「ぼさつ」の演奏を聴き、あまりに自由で懐の広さを感じ、こんなバンドなら一緒にやってみたいなぁと思っていたら、その後1年ぐらい経った時、その機会が訪れた。

ある企画で、龍一ちゃんとバンドを組み、出演する事になった。
そしてその練習場所として、連れて行かれた処が「ぼさつ」のメンバーが共同生活をしてた農家の一軒家だった。
そこの蔵がスタジオに改良されてたのである。

そこに訪れる度に、「ぼさつ」のメンバーと終わる事の無いセッションをするようになった。
そして前任のドラムスの方が都合が悪くなった事もあり、私が参加するようになった。
「ぼさつ」はそもそもはアメリカのカンサス大学で生まれていた。
その頃はアメリカもヒッピーカルチャーの真っ只中で、彼等もその流れを汲んでいた。

1年程、活動を共にしたが、皆根っこがヒッピーであるので、ばらばらに旅に出ることになった。
まずはインドに行き、ヨーロッパを回り、南米に行ったりしながら、最終的に、アメリカはサンフランシスコに集まり出した。
私もここで皆と合流して、再度「ぼさつ」として活動するようになった。

5年程シスコ近辺のベイエリアでバンド活動をしながら、共に過ごしたが、各自いろんな状況の中、生活の場所を変えらざるを得なくなった。
私も父が倒れ、母が一人になったので、岡山に帰ることになった。

そんな皆ばらばらになった「ぼさつ」が2003年の秋に、私達の道場に集まり、コンサートをした。
アメリカはシアトル、バークレー、ハワイ、そして千葉と愛媛からである。

その後、皆揃う事はなかったが、各自帰国する度に岡山に来てくれ、一緒に音を出した。
が今年メンバー2人が帰国、5人揃う事になった。
また昔千葉で同時期共にしたキャンディータイムというバンドの茂木兄弟も来てくれる。

せっかくの機会なので、10月25日(日)に岡山で開かれる「いわとわけ音楽祭」に鼓空と共に出演することになった。
また翌日26日(月)に私達の道場でコンサート兼セッション大会を開くことにした。
また熱い夜になりそうである。

今から楽しみである。

2009年9月30日水曜日

稽古

今日も朝と夜、稽古があった。
まだ叩き込んでると大汗をかく。
10月のライブとうとう12本になった。
私達に声をかけて戴き、有り難いと思う。

いつも思う事だが、お客さんから直に仕事を戴いたり、またプロダクションから仕事を戴いたりするわけだが、すべてイベントを企画する人達は半年ぐらい前から企画している。
そして皆さん鼓空に頼べば、なんとかイベントを盛り上げてくれるのではないかと言う思いで、私達に発注してくれる。
私達はその期待に必ず応えなくてはいけない。

単なる学習発表会レベルでは納得して貰えない。
ギャラも発生している以上当然だ。

毎日練習を繰り返す忍耐力と、ここ一番全力でぶつかって行く集中力が要求される。
やはりそのモチベーションを維持する為の意識が不可欠だ。

今日はちょっと真面目な話になった。

2009年9月29日火曜日

ROCK

I was a Rock musician.
But sometimes I play Rock music still now.

ではなくて、龍物語で使う岩である。
今日、できたとの知らせを受け、玉野の高島さん処の工房に取りに行った。
重厚さがあって、なかなかいい感じだ。
発注して、あっと言う間に作って戴き、感謝である。
この岩は、ある青年が悟りを求め続ける時に座る岩で、物語の中で大きな役割を果たす。
2分割できるように作って戴いたので、私のハイエースにも積み込むことが出来、道場まで持って帰った。
今日は出演をお願いしてる美咲さんとも打ち合わせをした。
だんだん近づくに従い、細かい部分まできっちり考えていかなくてはならない。
本当に出来るのかとの不安が横切る事もあるが、ここまで来た以上、最高の状態に持って行かなくては。

私もこれから自分でやれる事はやり、人に頼める事は任せて行こうと思う。

2009年9月28日月曜日

クリスマズ

もうかれこれ1週間になると思うが、私は毎日栗拾いをしているが、未だに終わらない。
先程も小雨の間に栗を拾った。
私はと言うと未だ10粒程しか食べてない。
来てる人皆にあげている。欲しい人は来ておくれ。

以前ブログで栗の食べ方のいろんなバリエーションを考えてみたが、結局面倒くさいのでやってない。
やはり一番には栗の皮むき。
それようの鋏もあるが、力もいる。

世の中一杯発明家なる人がいるのだから、是非簡単な皮むき機を作って戴きたい。
少なくとも私は買わさせて頂くので。

(と言って、遠心分離機の改良型みたいな奴で、一台100万円以上するなら、あらかじめ連絡戴きたい。お断りすると思うので。まーでも10万円でもお断りするか。3万円ぐらいだったら、私も営業マンに成ろう。)

でもし大量に栗の実が取れたとしたら、これは何でも出来そうだ。
かぼちゃ料理のすべてOKかも。

熊などはどんぐりが好きだから、栗など何の苦もなく食べるのかな。
いや、あのいがを手足で取るのは流石に嫌だろう。
私は長靴でいがを踏みながら、炭をはさむ奴(何と言ったかな?)で取るから簡単。
私がいがを取った処で、熊に中の皮を取ってもらうと言うのはどうだろう。
流れ作業だ。

うちのモーにも手伝わすか。
虫が入っている栗を払い除けるぐらいは出来るかも。

2009年9月27日日曜日

部落

部落というと差別用語的感じを覚える方もおられようが、そうではない。
村よりもずっと小さい集落の単位である。

私の住んでいる部落で今朝8時より、草刈と溝掃除があった。
以前にも書いたが、私は部落の行事には、本番が重なってない限りは、積極的に参加している。

普段、道場には一応簡単な防音設備はしているが、やはり多少なりとも音が漏れている。
部落の人々に迷惑をかけているのは間違いないので、こう言った部落の行事には、お詫びも込めて、一番になって体を動かすようにしている。

今朝はあぜ道、農道の草刈から始まり、生活用水路の溝さらえをした。
なかなかきつかったが、いい汗をかいた。

お宮の世話人の方から、さ来年のうちの部落が当家になっている年の祭りで、太鼓を叩いてくれないかとの依頼を受けた。

私は出演料は発生しないだろうと思うが、快くお受けした。
うちの道場で、練習出来て初めて、鼓空として演奏活動出来るのだから。

午後からはのんびりさせて貰ったが、夕方から、うちのモーが汚しまくっている、事務所をさゆりさん、篠ちゃんに手伝って貰いながら、片付けをした。
部屋はすっきりした。

今モーは遊びに出ているが、帰った途端、感嘆の声をあげるに違いない。

と書いている内に、外からモーがニャーニャーと言いながら、帰って来た。

果たして?

全く普段と変わらず、床の上でゴロンとして、その後飯を食べ出した。
デリカシーの無い奴だ。

私は主として恥ずかしい。

2009年9月26日土曜日

龍物語

今日は朝から10月23日にルネスホールで開かれる「龍物語 in ルネス」の案内状を作る。
前回同じルネスで開いた「鼓空祭」では開場のキャパ以上のお客さんが来てくれ、急遽他から椅子を50脚借りて、開催したが、ちょっとお客さんには窮屈な思いをさせてしまった。

今回はその反省も含めチケットの売れ行きには注意を払って行こうと思うが、経費もトータルかなりかかるので、そこの、バランスが非常に難しい。
普段鼓空を応援している方々には当然お知らせしなければならないので、案内状とチラシを封筒に詰めていく。

今回のイベントは、はっきり言って面白い、
多分来てくれたお客さんは、あっと言われると思う。

ゲストの方々も素晴らしいし、きっとお客さんも満足されるだろう。
すべての企画が上手くいくとではあるが。
これから、細かい点まで検討していき、いい舞台になるよう、最善を尽くそうと思う。

時間のある方は是非来て下さい。
決して損はさせませんから。


日時    10月23日(金) 19時から
場所    ルネスホール
入場料   前売り 2000円 当日券2500円 高校生以下1000円

席に限りがあるので、もしお越し来て頂ける方は早めにご一報下さい。

メール    bezenkokuu@ezweb.ne.jp
TEL     090-8066-0727  乙倉です。

秋の夜長を一緒に楽しみましょう。

2009年9月25日金曜日

昨晩一人で酒を飲んでいて、二日酔いになってしまった。
時々こんな事になる。本当に馬鹿みたいである。

で寝る時は今朝のヨカは無理だろうと思っていた。
だが、なんと朝7時過ぎには目が覚めてしまった。
頭が痛かったが、体を動かせば治るかなと思い、ヨカに行く事にした。

で始まるときついきつい。
ラウンドドッグ(基本の犬のポーズ)さえ息が上がる。
始まりと終わりはスローになり仰向けになってリラックスするのだが、このまま寝たいと思う。
やっと1時間のレッスンが終わり、家に帰ってテレビを見ていると寝てしまう。

夕方3時30分からの富山天龍太鼓の練習に行く。
ここでも、まだ酒が抜け切れてなく、きつい。
でもなんとか2時間のレッスンを終え、家に帰る。
テレビを見ているとまた寝てしまう。

7時30分頃から、鼓空の練習。
この頃になると、殆ど酒も抜け、大太鼓を根限り叩く。
9時30分まで基本と、10月からのステージに合わせての稽古をする。

来月は私も本番が10本ある、酒もほどほどに体調を整えて頑張ろう。

2009年9月24日木曜日

意識

急にへんてこなタイトルで書き始めたが、何かをしようとする時、その人の意識がどれほど、その事に傾注しているかよってすべてが決まるような気がする。

私が太鼓やドラムスの道場をここで初めて、もう15年程経つと思うが、その中たくさんの人がここに通って来た。
また現在でも80人ぐらいの人達に太鼓を教えている。
それで思う事はやっぱりその人の意識がすべてを決めると言う事である。

技術は練習を重ねていれば、遅かれ早かれついてくる。
しかし意識について言えば、なかなか難しい。
口でしゃべっても伝わらない。
その人の心の中に目覚めないとわからないものである。

私は舞台に立つ人間として、今下手でも本気で頑張ろうとしている人間なら、舞台に一緒に立つ事も良しとしている。しかしながら、下手で尚且つ、練習も怠る人と一緒には同じ舞台には立ちたくない。
自分のしている事に疑問が生じるからである。

私は一生懸命、必死で頑張っている人が好きだ。

2009年9月23日水曜日

以前 私はさほど秋が好きではなかった。
好きな夏が終わる物悲しさと、嫌いな冬を待つ嫌な感じが同居してたのだろう。
反対に春は嫌な冬が終わる嬉しさと、好きな夏を待つ感じが同居して、今も昔も大好きだ。

しかし秋に対する感じが変わって来た。
一つは冬に対する感じが変わった事による。
先程も嫌いな冬と書いたが、これまたさほどではなくなった。

理由はいくつか考えられる。
1 私はほんの5~6年前までは体重が55kgしかなかった。身長が172cmだから、どちらかというと痩せてた方であろう。ゆえに寒さが骨身に応えた。が今は体重が60kgを超えて、骨身までは応えなくなった。

2 いい事と言うことは出来ないが、冬の寒さが昔程きつくなくなった。私は保育園に通っていた頃の事をよく覚えている。
通い道、霜があり、歩く度にザクザク音がした。水溜りは、全部氷が張っていた。建物の屋根からは、つららがぶら下がっていた。
が今ではそんな光景はあまり見ない。

3 勿論たまに窓の外が景色が凍ったように見える時もあるが、それはそれとして楽しめるようになった。嫌がってもしようがなく、多少大人になったのか。

で冬がこんなであるから、秋も楽しめるようになった。
今、空も晴れ渡り、コスモスが咲き、さざんかが咲いている。虫達も鳴いている。田舎の景色はのどかでいい。
食べ物も旨い。

四季すべてが楽しい。
日本に生まれて幸せだ。

2009年9月22日火曜日

今朝もゆっくり、コーヒーを飲んでから、畑に出る。
昨日買った、白菜ときゃべつの苗を植える。
あと貰っていた、にんにくも植えた。

栗の実は今日もバケツ一杯取れた。
いくら、スプーンでほじって食べても追いつかない。
アルバイトでも雇おうかな。
まあ今日から、夜練習もあるので、来た人に分けてあげよう。
先程から雨がポツポツ降り出した。

今猫のモーが側にいる。
一緒にヨガでもしようかな。
犬のポーズから。

いや、借りているDVDが一杯あるので、見る事にしよう。

2009年9月21日月曜日

今日ものんびり、普通我々の仕事は人が休んでいる時にするものであるが、どういう訳か無いみたいだ。
まあ来月から、かなりハードになりそうなので、今の内に英気を養っておけという事かも知れない。

で朝もゆっくり起きてから、畑に行く。
春に買ってた時なし大根の種があったので一畝蒔いた。
昼間暑い時にしたので、しばし休憩。

その後、にんじんの種を蒔こうと思い、また一畝草を刈った。
畑の草を刈るのだから、普通の農家の方々は驚くかも知れない。
刈った処で、ここはにんじんより白菜がいいのではと思う。

さて白菜は苗から育てるのか、種を蒔くのかしばし迷った。
種だったら固定種にしようと思ったが、今売れきれて無いとの事。
でホームセンターに行って苗を買う事にした。
ついでに横にあった、きゃべつの苗も買った。

白菜はまあ上手く作れるのではと思うが、、きゃべつはなかなか巻かず、いいのが出来た事がない。
再度の試みだ。

帰ると、日も暮れそうだったので、明日植えようと思う。

また楽しみが増えそうだ。

2009年9月20日日曜日

収穫

今日は一日のんびり。
世間ではシルバーウィークとかで、皆さんいろんな計画を立てておられるみたいだが、普段仕事日も休みの日も決まってない私にはあまり関係ないみたいだ。

で、今日は放散らかしてた畑に行った。
まず、とうもろこしの収穫。
紫色のとうもろこしで、ある処から貰った固定種だ。
髭も最初は紫色をしていたが、葉も茎も序所に茶色になり髭の部分も子馬の立髪のような栗毛色になった。
ほんの6本程の収穫だったが嬉しかった。
固定種なので10粒程、来春に備え、後は茹でた。
少しかじったが、甘味があり、なお且つ、しっかりとした味がした。
流石に力強い感じだ。

トマトも終わったので、そこの草も刈り、冬野菜を植える準備をする。
畑を見て周っていたら。
大きな栗がいくつか転がっていた。

畑の隣に栗林があるのだが、まだ全体的に実も小さいと思っていたのだが、落ちている栗を見ると、かなり大きい。
で栗林の中に入り栗を拾う。
毎年の事であるが、栗拾いは面白い。
しかしながら、藪蚊が一杯いるので、短時間勝負で頑張る。
あっと言う間にバケツ3分の2ぐらいになる。

これもすぐ茹でることにした。
栗はいつも思うのだが、一杯取れても、なかなか料理法が無い。
マロンと呼ばれる方向に行けば多少範囲も広がると思うが、通常、包丁で2つに切り、スプーンでほじるとか、栗ご飯を作るしかない。
でウチに来てる人皆にあげるようにしている。

台所に立ってとうもろこしや栗を茹でている内に、今年梅雨時に摂ったじゃが芋が目に入る。
触ってみるとちょっと柔らかい。
ついでに、これも皮をむぎ茹でることにした。
今日は茹で日だ。

醤油、みりん等を入れる。
どんな味になるのやら。

秋はなかなか楽しい。

2009年9月19日土曜日

秋の空

暑くなく寒くなく、空は青空、すすきは伸び、さざんかが咲いている。
この上何がいるのかと思うぐらい、いい気候だ。

朝、富山天龍太鼓に行く。
ここチームもしょちゅう、いろんなイベントに出させて貰っている。
今月もまだあるそうである。
若い子達はイベントがあると、それに向けて頑張るので腕を上げるにはチャンスである。
2時間練習する。

帰って、しばらく休んでから、鼓空のメンバーがしている自然農法の田んぼと畑を見に行く。
2人のSさんが頑張って冬野菜の種を蒔いている。
田んぼは稲が真っ直ぐ上に伸び、稲穂が付いている。
まだ頭を垂れるとまでは行かないが、後1月ちょっと経てばいい感じに実るのだはなかろうか。

夕方農作業も終え、3人で米田さんから安く分けて頂いたチケットを持ち映画を見に行く。
題名は「火天の城」、織田信長の命によって、西田敏行扮する宮大工の棟梁が安土城を建てる話である。
上部5階建てで地下があり、大きな城だ。
見ていて、改めて、昔の宮大工さんの凄さを知った。

時々宮大工さんをテーマにしている特番があるが、是非若い人達の中から、継承する人が一杯出て来て欲しいと思う。

昔の人の技術は財産だから。

2009年9月18日金曜日

ヨカ

今日は金曜日、朝ヨカに行く。
先週は農大ともろもろあって行けなかった。
体の各場所を伸ばしていると、やはり気持ちいい。
自分一人では絶対しないだろうなと思いつつ、各ポーズをして行く。

今日も先生は新しい技を出して来た。
到底私には無理というポーズだ。
お教えしよう。
1 まず左手を後ろから、右腹横に付ける。
2 右手を右足の内側から後ろに通す。
3 右手、左手をつなぐ。
4 右足を天に向かって伸ばす。

こんな事が私に出来るはずがない。
笑うしか無い。

「先生、初心者にさせる技じゃない。」と言いたいが言えない。
でもこんな事は私もしょちゅうしてるかも知れない。
初心者にわけのわからない技を教えるの。
気を付けよう。他の先生見て我ふり直せ。
いい言葉だ。

午前中には帰って来て、昼食を摂り、テレビを見てると寝てしまう。
起きてから、今日は事務所を片付けようと思った。
事務所には猫のモーが住んでいて、汚す事限り無しだ。
棚の上を歩いていて、足を物に引っ掛けて、下に落としても、チラッと落ちた物を見るだけで、そのまま前に進むのだから、いい加減だ。
決してそれを拾って元に戻す事は無い。
              
埃もたまっていたので、まずは拭き掃除。
モーにも手伝わすか!

2009年9月17日木曜日

H.S.G

タイトルからもお判りだろうが、久しぶりにサッカーゴルフに行った。
前来た時、芝生もグランドも大水にさらされ、荒れていたが、今日は茶色になっていた芝生からも緑の草が生えだし自然の回復力はすごいなぁと思った。

余談だが、昔洪水などが処中あったが、洪水と言うのは、土地を豊かにするらしい。
良いか悪いか一概に言えぬ処もあるという事である。
確かに雨の多い年は海で取れる海草も栄養を一杯摂り、発育が良く、いいのりが出来ると聞く。
田畑も甦るのかも知れない。


天気も良くボールを蹴っていると気持ちいい。
休んでいた割りには、思っている所の近くに飛ぶ。

秋になり、多少涼しくなったのだから、もっと来るようにしよう。
何しろ、創始者なのだから、社会により広める義務がある。
こんな面白いゲームを世に伝える事が出来ないのは、もはや犯罪だ。
(ゲームの内容については、以前書いたので、ここでは省く事にする。)

しかしながら、かれこれ2年近くしているのだから、そろそろメンバーも集まって来てもいいのではないかと思う。
皆恥ずかしいのだろうか?
世の中恥ずかしがってては何も出来ないよ、たぶん。

いつも通り、公園の端から端までを3往復する。
スカットさわやかである。。

帰って、冷蔵庫を開ける。
ビールがない。

まあいいか、朝だから。

2009年9月16日水曜日

今朝は婦人部隊の稽古。

練習をしてると汗をかくが、冷房は使いたくない今日この頃である。
ルネスでの龍物語のチラシやチケットが届いていたので、来ていた人に渡す。
チケットは前売り2000円であるが、ゲストも素晴らしいし、龍物語が上手く行けば、きっと来て戴いたお客さんは満足すると思うし、チケット代も安いと思われるだろう。

午後0場先生と会い、玉野に行く。
物語で修行している青年が岩の上で座禅を組むシーンがあるのだが、その岩を作って貰うよう、お願いに行ったのである。

高島さんと言う方で、発泡スチロールを使っていろんな物を作る造形作家だ。
今までも龍や、干支のねずみを作って玉井宮に奉納されたりしている。
ねずみは焼き物で作ったような重い質感がある。
子供がそのねずみの尻尾を触っていると、取れて大泣きしたそうである。
それ程見た目リアルである。
すぐ接着剤で直して大した事にはならなかったそうだが。

以前私もこの玉野にある高島さんの工房にお邪魔した事があったのだが、大きなカブト虫やかまきりが置いてあり、この時もあまりのリアルさに驚いた。

今演劇の関係者からも舞台で使う物の発注がかかっているらしい。
何しろ発泡スチロールなので軽いし、おまけに見た目質感もあるから、舞台で使うのには最適だろう。
これからどんどん舞台人から注文が入ってくるのでは思う。

岩については快く引き受けて下さり、サイズ等をお伝えした。
今度10月の初めの演劇のリハーサルには間に合わせて戴けるとの事、有り難い。
一つ一つ前に進んでいる気がする。

2009年9月15日火曜日

餃子

私は麺類が好きだ。
勿論、その中ラーメンも大好きだ。
いろんな店でも注文するし、家でもよく作る。

ラーメンを注文する時、いつももう一品欲しくなる。
そこで合うのがやはり餃子である。
まあ一口に餃子と言っても、野菜中心の餃子からひき肉たっぷりの餃子といろいろある。
たれも酢、しょうゆ、ラー油、またはからし醤油とある。

最近は作らないが、昔アメリカに住み始めて2件目に世話になったJapanese Restrantでどういうわけか餃子も出していて、よく大きなボール一杯の具を円形の皮に包んでいた。
結構時間のかかる大変な作業だった。
かなり早く作れるようになり、終いには自分の手さばきが見えなくなる程になった。

話が脱線したが、昨日県北の加茂に行ったのだが、いつもは私のSecond Jobそう000フルの視察があるのだが、すっぽかしてしまった。
と言うのも、テレビでダウンタウンの番組で王将の各店舗の餃子を食べ尽くして行くという企画があり、そしてその翌日には、宇都宮の餃子をテーマにした番組があった。
それで頭の中は餃子一色になってしまった。
誠に単純である。

仕事すべき津山の000フルには入らず、久しぶりに隣の大0領に入った。
餃子のセット・・ラーメン、餃子、ご飯、のセットを頼んだ。
ラーメンにはねぎを一杯入れた。

食べたい時、食べたい物を食べて、満足やっと落ち着いた。

2009年9月14日月曜日

チベット

今日は講演を聞きに行った。
半月程前にウチの村にあるお寺さんから案内を貰っていた。

お二人の講演で、一人は青木新門さんという方で、映画「おくりびと」の原作を書かれた方だ。

もう一方はバイマー ヤンジンさんという方でチベットで生まれた歌姫である。
名前は「蓮の花に乗った音楽の神様」と言う意味だそうだ。
厳しいチベットの大自然に育まれた力強い歌唱力と、みずみずしい感性で、中国国立四川音楽大学に入学しオペラを専攻するとプロフィールに書かれていた。
私は彼女の歌声が聴きたく申し込んでいた。

私は昔からチベットには興味を惹かれていた。
同じ仏教国だし密教である。
昔「チベットの死者の書」というヒッピーの人達に広く読まれた本を手にしてからかも知れない。
もう8年ぐらい前になるだろうか、ダライラマ14世が推奨する「世界聖なる音楽祭」というのが、広島の宮島で開かれる事になり、私達もそのプレイベントととして、日本側の受け皿の代表をしてた、トランペットの近藤等則さんとも共演させてもらったりしてた。
しかしちょうどこの時チベットと中国の関係が非常に悪く、日本政府が中国に遠慮して、ダライラマ14世は来日することが出来なかった。

しかしながら3年ぐらい前に、やはり宮島でダライラマ14世の講演が開かれると聞き行った。
ダライラマ14世はちょっとお茶目な処もある、優しく慈愛のある方だった。
法話をされている時はちょっと距離があったのだが、終わった後、私達の所に歩いて来られ、ほんの5mぐらいの所でお会いする事が出来た。

バイマー ヤンジンさんはおそらく日本語もしゃべれないだろうから、ずっと唄を聴かせてもらえるのかと勝手に思ったが、違っていた。
彼女は日本語がかなり上手だった。
ご主人が日本人で、すでに16年程大阪に住んでいるとの事。
で、そのご主人と最初中国で会った時の話から、全くわからない日本に住みだした時の話。
ご主人の両親とのコミュニケートが最初は難しかったのだが、序所にお互い理解し合えるようになっていく様子などを楽しく聞かせてくれた。
そして最後にチベットの民謡を1曲だけ歌ってくれた。
やはり高音が伸びる力強い歌声だった。
もっと聴きたかった。

青木さんの話もリアルで面白かった。
こうして朝8時30分から受付が始まり、読経、講演、昼にみんなで同じ弁当とお茶を頂き、また講演と続き、すべて終わったのは3時30分だった。

長時間に渡り、有意義な時を過ごさせてもらった。感謝である。
一度家に帰り、加茂町に作州矢筈太鼓の練習に行った。

先程帰って来た。
道中の話はまた後程。

2009年9月13日日曜日

二段落

今日は上道の祭りだ。
小鳥の森という山に囲まれ、広い芝生と、運動場のあるのどかでいい処であった。

子供達の太鼓演奏は午後一番だったのだが、私はそれより早く行ってのんびりした。
いつものように朝食も摂っていなかったので、美味いものを探した。
まず目に入った物は、冷やしそうめん。
しょうががのってて食欲を誘う。値段は100円と安い。
早速注文、期待に違わず旨かった。

しばらくすると、いか焼きの匂いがしてくる。
私は鮨でも刺身でも、いかがこの上も無く好きだ。
いかと貝があれば、魚は無くてもいい程だ。
早速注文300円、たれが服に付かないよう心して食べる。

外の芝生の中のステージでは、小さい子供達による鼓笛隊の演奏をしてた。
皆一生懸命叩いていて可愛い。
その後、やはり子供達による空手の型の披露がある。
ビシッとした処はなく、和気藹々。
まあ小さいから、こんな処かと思う。

また出店をぶらぶら、ホルモンうどんがある。
最近焼肉の店にはあまり行かないが、ホルモンは好きだ。
注文する、400円。
今日は食道楽か!
まあたまにはいいだろう。

昼前に子供達も楽屋に集まって来る。
畳の部屋で、バチも持たず、口でリズムを言いながらのリハーサル。

そして本番、いくつか失敗もあったが、まずまずの出来だった。
太鼓の搬出、学校への運搬を終え帰宅。

冷蔵庫を開ける。
ビールが美味い。
できたら、いか焼きとホルモンうどんと一緒に飲みたかった。

2009年9月12日土曜日

久しぶりに雨が降った。
適当ながらも畑をやっていると、雨については気になる。
今年は一時的には豪雨もあったが、春から今まで雨は少なかったように思う。
特に露時の雨も少なかった。

ウチも例年に比べて、かなり野菜のできが悪かったが、お百姓さん達は大変なのではないだろうか。

今日は午前中ゆっくりできた。
午後から小学校に行き、太鼓を車に載せ、上道の小鳥の森に行く。
明日はここで、この地区では大きな祭りがある。
教えている小学生達も出演する。

今日は太鼓の搬入と、リハーサルだった。
演奏で気になる部分は多々あるが、なにしろ明日本番なので、多少の事は目をつぶる。
(でも片目は開けていたかも・・・)

出番は明日は昼一番なので、少し早めに行ってのんびりしようかな。
年間、私達もかなり祭りには行くが、いつも出演の段取りに終われ、ばたばたしてるので、たまには何も考えず (いつもそれ程考えているわけではないけど・・) 出店とかを見て周りたい。

明日は晴れますように!

2009年9月11日金曜日

一段落

今日は朝、ヨカでなく農大に行く。
8月は休みだったので、久しぶりな感じだ。
みっちり3時間練習する。

そんなにみっちりでなくてもいいんだけど、10月に菜の花の種まきのイベント(私も始めてでどんなイベントかわからないが、知事も来るらしく、学校側から学生に太鼓を叩かせて欲しいとの依頼があった。)
と収穫祭がある。
特に1年生はまだ曲の構成も把握しきれてない処もあり、ついつい教えにも熱が入る。

和太鼓は授業なので、出来が悪いと私の教えを問われる。

・・・・ってことはなない。
まあ7年ぐらいしているので、そんなシリアス感はないんだけど、演奏はいいに越した事はない。

正午に終わり、すぐに中学校へ。
今日は「操南祭」といって、音楽、演劇、ダンス等の発表会がある。
夏暑い中ずっと太鼓の練習をしてきた子供達のお披露目の場である。

1曲目「山河」途中ちょっと走ったが、まずまず抑えてくれた。
2曲目、民謡「むぎや」これもなんとか、リズムも大きく崩れる事もなく、頑張ってくれた。

本当に良くやってくれたって感じ。

すべて終わり、校長先生をはじめ、いろんな先生から感謝の言葉をかけて戴く。
そして帰り際、参加した子供一人一人から大きな声で「ありがとうございました。」とのお礼の言葉をもらった。
本当に携わって良かった。

彼等も今回の事は一生覚えているだろう。
これからもたくましく育っていって欲しい。

2009年9月10日木曜日

龍物語

今日は久しぶりに朝ゆっくりできた。
ボケーとテレビを見ていた。

午後婦人部隊で2時間練習し、夜7時にルネスホールに行った。
鼓空から4人、劇団から4人、備中神楽から1人、それに大場先生とで打ち合わせである。

ホールの中でメジャーで各場所の距離を測ったり、必要な大道具、衣装、影絵に必要な物を確認したり、叩き台として書いた台本で、各場面場面での時間配分を考えたりした。
やはり専門の人が集まるとよりリアルになっていい。

台本も時間的な事や物理的な事を考え、もう少し膨らませる必要がある。
とりあえず、劇団の方に考えて貰うようお願いする。

舞台、影絵、客席については大まかな事も、その係りの方にお願いする。
後残りのこちらで造作する物等は、早めに係りを決めて作っていかなければならない。

まだまだ考える事は山程ある。
書き出して一つ一つクリアーにして行きたい。

2009年9月9日水曜日

月がで出ている。
満月から少し経ち、下弦の月になっている処だと思う、おそらく。

今朝は婦人部隊、コンサートの感想などを聞いていると、結構長くなった。
今日は曲の練習は止め、終始基本練習をした。

2時過ぎから湯郷温泉に向かう。
ここで作州武蔵太鼓の0田さんと合流し、有馬温泉に行く。
先日は私用で有馬に行ったが、今日は仕事だ。
ここでは武蔵の太鼓はしない。
代わりに六甲降ろしをテーマにした曲をする。

有馬には仕事で、もう4~5年来ている。
温泉のホテルも3ヶ所に行った。
最近多いのは今日行く向0閣だ。

3曲程演奏。
途中お客にも叩いてもらう。
まずは盛り上がって終わる。

今日は演奏の時、意識してた事がある。
8月に私用で来て、有馬の他の温泉だったが泊まった。
食事をやはり大広間でしたのが、流石に舞台に目が行った。
その日は何の出し物も無かったが、なんとなく客の立場で太鼓を聴いたら、どうなんだろうと考えた。
その経験が大変良かったように思う。
特に音量は出す時は出してもいいが、大きいままでずっと続けず、柔らかい部分も大事にした方がいいという事である。
やはり、聴く側に立って物事を考えるのも大事だ。

明日朝はゆっくりできそうだ。
のんびりしよう。

2009年9月8日火曜日

ほっと二息

今日ものんびり。

放散らかしてた畑を見に行く。
トマトはもうお終いだ。
きゅうりはもう少し取れそう。
なす、ピーマン、ししとうはまだまだ元気。
とうもろこしも何本かはできている、楽しみだ。

午前中はゆっくり、昼は今朝取った野菜で野菜炒めを作る。
なかなか美味かった。
午後に中学校に行く。
こちらも今週金曜日が音楽発表会だ。
今日は体育館で太鼓の曲と合唱、ピアノと太鼓でする民謡の練習をした。
太鼓の演奏はまずまずだが、民謡はまだ練習不足、もう少し詰めなくてはいけない。

子供達も夏よく頑張ったから、いい演奏して貰いたい。
やはりこちらも力が入る。
いつも思うが、自分の本番の方がよっぽど気が楽だ。

練習を終えて帰ってから、まずは冷蔵庫へ。
冷たいビールをグッと飲むスッキリ。

テレビを見てると、また寝てしまった。

今日もこれから練習だが、皆来るのかなぁ!

2009年9月7日月曜日

ほっと一息

今朝は意味もなく6時過ぎに目が覚めた。
慣れというのは凄いものだ。
私も総社市民会館の道向かいの市役所にでも勤めようかな。
こう書くといろんな処からクレームが来そうだ。
まあ時間的な事だけなので、御容赦を。

朝早く起きたし、無事コンサートも終わったしで、まずは御褒美。
冷蔵庫から、ビールを出す。
美味い。
テレビを見てたら、また寝てしまう。
これも変わらないか。

昼2時過ぎまでのんびりして、小学校に行く。
来週の日曜日には子供達も本番がある。
ついつい教えにも熱が入る。

終わってから岡山のルネスホールに行く。
またもや「龍伝説」のチラシ等の校正をする。
明日には発注できそうだ。

ちょっと気を抜きつつも、また新たに軌道に乗せて行きたい。

本番

とうとう「たいこ、タイコ、太鼓コンサート」の当日を迎えた。
朝やはり6時に目覚ましで起きる。
流石に当日ともなると違和感はなかった。
鼓空のメンバーも集まり、総社へ向かう。
たくさんの打ち手が揃った。

10時開会の挨拶そして地元備中温羅太鼓の演奏から始まった。
鼓空は7番目。
今回は出演チームが25と多い為、各チームできるだけ同じ太鼓を使う事になっていた。
で、本番が初めての太鼓で初めての音出しとなった。
私達の演奏については、音のバランスを含め、客観的にわからない状態だ。
今度来て下さったお客さんに会ったら感想を聞いてみよう。
まあとりあえずは終わった。

その後も各団体の演奏が続く。
しばらく聴いてないチームの演奏も聴けて楽しかった。
ゲストのガナの演奏はマリンバのメロディーに和太鼓が入っていたり、ラテン系のリズムで遊んだりと面白い。
ステージ作りもうまい。

今年のトリは津山鶴丸太鼓 迫力のある演奏でコンサートを締めた感じ。
最後合同曲の「飛天」はみんな気持ちが入り過ぎて、テンポが上がり、リズムの乱れが生じた。
でも来年に向けて、繰り返し練習する事で修正して行けるのではと思う。

ともかくも1年以上かけて構想を練り、練習してきたコンサートが無事終わった。
私も一応理事になっているが、理事長をはじめ、事務局長、その他役員、スタッフ皆さん大変だった。
改めて皆さんに感謝である。

打ち上げでは、いつもながらグループのメンバーがばらばらになり、他のグループの人達とテーブルを囲むが、どのテーブルも盛り上がっていた。

やはり太鼓打ちは皆ストレートで気持ちがいい。

またこの仲間達と共に、来年の国民文化祭に向けて頑張ろう。

2009年9月5日土曜日

リハーサル

今朝も6時過ぎに 目覚ましがなった。
またもや何が起きたんだろうと思った。
しかしすぐに理解した。
総社に行かなくては。7時に篠ちゃんとさゆりさんが来る。出発。
土曜日なのでラッシュもなく、無事到着。
午前中 各部所に分かれて 打ち合わせ。
昼からリハーサル。
今回出演団体は国民文化祭のプレイベント的な意味もあって、25チームと多い。
リハーサルと言っても、太鼓の位置決めと照明、音響との合わせで、精一杯だった。

今回は朝10時から、夕方5時までの7時間と長いイベントだ。

各団体のリハも終わり、最後の合同曲「飛天」の出入り、曲の練習を繰り返ししている。
私は今この会場で一番暇みたい。

曲は、かなりまとまって来た感じだ。

この後、ゲストのガナさんのリハがある。

明日はなかなか聴けないので、ゆっくり聴かせて貰おう。

2009年9月4日金曜日

ステージ作り

今朝、6時に起きた。
目覚ましがなったからである。
一瞬何かの間違いではと思った。
しかし、いや間違いではない、起きなくてはと思い直した。
エライ! 流石だ。

責任感のある私は出かける準備をする。
軍手、巻尺、雨合羽、帽子 完璧だ。
7時に家を出る。
岡山の何箇所かで、朝の通勤ラッシュに巻き込まれるも、総社市民会館に8時20分に着いた。
開始10分前だ。
またまたエライ!。

ミーティングが始まる。
私は市民会館の外に併設される「神が辻野外ステージ」の全体の総括する係りだった。
ここで子供達の和太鼓チームが演奏する。

午前中は業者の人達も他の作業をしてたので、暇。
しかし暇にしてない処が私のいい処だ。

一緒に行った宮さんと会場内のロビー係りの手伝いをする。
至る処にスケジュール表、立ち入り禁止、トイレの案内、受付、報道、ポスター等を貼って行く。
プログラムの用意をする。
そうこうしている内に昼になる。
弁当を食べながら打つ合わせ。

午後から、久しぶりのもろ肉体労働。
「神が辻野外ステージ」を作る。
倉庫から垂木、金物の足、山台を取り出す。
軽トラで運び、ステージ作り。
業者の人達と私達の共同作業。
下が砂利みたいなので、平面を出すのが難しい。

組み立てが終わり、舞台の前面と横にスカートを履かせる。
舞台のカーペットを敷く。
ここまでしたら、もう夕方。
夜の弁当を頂き、また打ち合わせ。

少し野外舞台の場ミリ等を手伝ってから、失礼する事にした。
夜7時半頃から鼓空の稽古があり、8時過ぎには帰りたかった。
今度の演奏曲、清流と華の詰めの練習、合同曲の練習。

最後に太鼓を車に積んで解散となった。
明日スタッフは朝7時集合、出発する。
昼からはリハーサルもある。

今日も飲み過ぎず、テレビに捕まらず、早めに寝る事にしよう。

2009年9月3日木曜日

パネル作り

6日にある和太鼓連盟のコンサートで各団体の活動状況などを90cmx90cmのパネルして展示する事になった。

私も最初コルクボードでパネルを作ろうと思ったが、なかなかこのサイズが無い。
結局厚手のダンボール2枚を切ったり、張ったりしながら、この大きさの物を作った。
ここからさゆりさんも来て、ダンボールの切り口をテープを巻いて隠したり、表面に模造紙を張ったりして、なんとかパネルが出来た。
次は写真を引っ張り出してきて、どれを使うか検討する。
過去12年の写真を見ていると、どれもこれも懐かしい。
どの写真も見ればすぐ、いつ、どこでの物かわかる。
一つ一つが私達の歴史だなぁと感じる。

昼から、てらこやおひさまの練習があった。
今皆帰り、一段落した処だ。

これから写真の貼り付け。
それが済んだら、販売用のCDの準備。
細かい作業が続く。

明日から3日間は総社の会場に8時30分に入らなければならない。
7時には出発しなければ・・・・・・うーー誠にもって辛い。

夜は少しでも早く寝るようにしよう。
飲み過ぎはしないように。
テレビには捕まらないように。

ストイックな生活か。
出来るか、私に?

2009年9月2日水曜日

長い一日

今日はやはり長かった。
朝婦人部隊の練習。
終わってみんなで食事に。

帰ってテレビ見てたら寝てしまう。
(このくだりはコピーして貼り付けにしようかな。でも何でだろう寝てしまう。)

3時半に中学校に行く。
まずは音楽の先生と打ち合わせ、だいたいのリズムを決める。
子供にも一緒に叩かす。
ついつい走るので、リズムを出来るだけシンプルにする。
歌の子達がいないので、どうしようかなと言う事になった。

結局 職員室から先生6人程来てもらい、歌ってもらう事になった。
私は2つの事で不思議な感じがした。
まず、先生が揃って来てくれた事。
もう一つは先生方が歌える事である。

和太鼓の担当になっている先生もそうだが、皆さん熱心である。
先生方も、専攻は音楽ではないだろうに、音楽発表会で子供達と一緒に歌うらしい。
こんな先生ばかりだと、学級崩壊みたいな事はきっと起きないんだろうなぁと思う。

2時間の練習が終わって、ルネスホールに行き、「龍伝説」の打ち合わせ。
チラシ、ポスター、チケットの関係はなんとか、めどがたった。
後は来週から細かい点に入って行こう。

7時30分頃帰ってきて、早速鼓空の練習。
演奏と共に所作も決めて行く。

さっき皆帰った。
この金曜日からコンサートの準備に入る。
金、土、日と、3日間は大変そうだ。
だが頑張っていいコンサートにしたい。

2009年9月1日火曜日

むぎや

今日は午後から中学校に行く。
しかし、その前に課題曲の民謡に太鼓のリズムを付けておかねばならなかった。

この曲の名前は「むぎや」と言い、もんや爺さんが春が来て、山に向かい喜びの歌を唄う曲である。

少しアップテンポの曲で節回しも面白く、女の子が男の子の後を追いかける部分や、全員で盛り上げる部分があって楽しい曲だ。

前に先生の伴奏で子供達が唄ったのを録音して持って帰っていた。
テープの出来はと言うと、女の子達の声は凄く綺麗だ。
だが男の子達の声は、がなり上げているは、音程がはずれているは、リズムがずれているはと、ひどい。
多分変声期の子が多いのではなかろうか。
一生懸命唄っている処が、なんとも可哀想で愛苦しい。

このテープを何度も何度も聴きなおして、リズムを付ける。
子供達はまだ始めたばかりなので、そんなに難しいリズムは叩けない。
しかし、折角合唱と合わせるので、和太鼓のテイストも入れたい。
あれこれ、四苦八苦十苦している間に出かける時間となった。

今日は音楽の先生もおられず。
この曲については打ち合わせが出来なかった。

明日の午後、打ち合わせ兼、追加練習となった。
明日は朝と夜と練習が入っているし、忙しい日になりそうだ。

とりあえず、ビールを飲もう。

2009年8月31日月曜日

海の側

今朝は小学校に行き、また無駄に元気な子供達の相手をする。
とは言え、朝9時からのスタート時はなんとなく、調子が今一つ。
宮さんに前に立って欲しいと頼む。

理由を幾つか並べる。
① ちょっと風邪気味なのかな、少ししんどいんだけど。
② それにちょっと寝不足みたい。
③ それに昨晩ちょっと飲み過ぎたかなぁ。

宮さん即 お酒が一番じゃあないんですか?
我 否定できず。

まあ結局、宮さんに前に立って貰い、私は子供達の中に入って一緒に叩く。
やってみると、これはこれでいいもんだ。
まずは楽だし、子供の隣にいると、その子が出来ているかどうかよくわかる。
ずっとこれで行くかなぁ。

2時間の練習を終え、帰ってテレビを付けると、流石に選挙関係の報道ばかりである。

テレビを見ながら、また寝てしまった。
最近よくあるパターンだ。

でもずっと寝てるわけにも行かず、夜の仕事の準備をする。
夜の仕事と書くと何かいかがわしいなぁ。

今日は渋川海水浴場の横にある瀬戸内マ0ンホテルの仕事。
瀬戸内源平太鼓さんである。
内容は三0造船さんの進水式の前夜祭。
この関係の仕事には、どういう分けか良く呼ばれる。

メンバーは前回と同じ、ウチからさゆりさん、プロダクションから一人、そして私の3人だ。
曲はいつも通り、祝い太鼓と鬼面太鼓。
無事に終わったと思ったら、アンコールの嵐。
しかし悲しいかな、瀬戸内源平太鼓は2曲しか持ってない。
礼をしてはける。

今日で8月も終わり。
時間の経つのは早いなぁ。

9月も何かとバタバタしそうだ。
一つ一つ気を締めて行こう。

2009年8月30日日曜日

夜空を見上げると、上弦の月が出ている。
虫の声も聞こえ、序所に秋になっているのかなあと思う。
今朝は自閉症の子供達のWAの会の練習。

基本練習の後、アフリカンの音楽をした。
3つのパートに分かれ、複合させてリズムを作って行く。
子供達も結構のって練習していた。
今日はこの1曲だけだったが、2時間あっと言う間に経った。
終わってから、手伝ってくれていた茂さんと食事に行く。

帰ったらすぐ鼓空のメンバーと御休小学校へ。
今日は子供達の練習ではなく、9月6日の岡山県和太鼓連盟主催の「たいこ、タイコ、太鼓コンサート」の為の鼓空の練習だ。
当日は総社の市民会館で行われるのだが、舞台が結構広いので、小学校の体育館をお借りして、ステージの広さに合わせたセッティングでの練習をさせて貰った。
やはり普段の稽古とは、大きく感じが違う。
あらかじめ、この広さで練習出来て良かった。
小学校に感謝である。

また今日は国政選挙の日だった。
小学校の家庭科室がこの地区の投票場になっていたので、私達も体育館の出入り口の扉を閉め、太鼓の上に布を敷いての練習だった。
やはり、選挙妨害になったらまずいのではとの、高判断に基づいてである。
(誰でもそうするか・・・)

練習の途中、選挙の係りの人が、締め切って練習している私達に暑いでしょうと、お茶を持って来てくれた。
お茶は冷たく美味かった。
逆に気を使わせ、申し訳なかった。

今度は立候補し、当選してお礼をしよう。


(またいい加減な事を言ってしまった。信じないで戴きたい・・・・・・・)

2009年8月29日土曜日

ヨカ

今日も天気は良かったが、暑くはなかった。
午前中、富山天龍太鼓に行った。
2時間の練習の後、一端家に帰った。

昼食を摂って、テレビを見ていると寝てしまった。
まだ体調が戻ってないみたい。
1時間程寝るとちょっとスッキリし、ヨカに行く事にした。
昨日は行けなかったので、代わりである。

まだ体がだるい感じがしてたが、ヨカをしてると序所に体が戻ってくる感じがした。
やはり多少しんどくても、体のメンテナンスと思って、やった方がいいのかも。

今日も有り得ない業がでた。
以前紹介した、木のポーズの応用である。

木のポーズはたとえば左足の足裏を右の足の付け根に付け、合掌する処から始まる。
今日もここから始まったのだが、その応用編とは

① 立ったまま、左足のつま先を右足の付け根にあぐらを組むように付け、合掌。
② そのまま、体を前に倒し、腰から2つ折りにする。
③ 体を起こし、その状態で、右足のつま先を立てた状態で座る。
④ 立ち上がる

足を入れ替えて、同じ事をする。

皆さん、この説明でお判りであろうか。
たぶん頭で理解するのは難しいと思うので、実際やってみて頂きたい。

私が如何に過酷な状況に置かれているのか、お判りになって戴けると思う。

こうして、1時間のヨカを終え帰宅。

体調も少しは整ったので、冷蔵庫を開ける。

冷たいビールが美味い。

2009年8月28日金曜日

河川敷

今日は華の金曜日、そうヨカの日だ。

だがしかしながら、さぼってしまった。
多少夏ばてなのか、また昨日寝るのが遅かったからか、目覚ましで一度は起きたが、布団から立てなかった。
で久しぶりに2度寝、起きたら昼前だった。

起きて、ボケーとテレビを見たり、食事をしたりしてから、久しぶりに吉井川河川敷に行く事にした。
行ってみると河川敷の、我公園は一変していた。
主が来ないとここまで、荒れるものか。
芝の部分にはたくさんのゴミや枯れ草が散らばっている。
またグランドの部分はひび割れている。
どうした事か?
しばらく意味がわからなかった。

だがふと岩の側のパラソルを立てる為の縦に突き出したパイプを見ると、その周りに草やゴミが絡みついている。
我パソコンが如き頭は一気に回答を導き出した。

2週間程前の大雨のせいだ。
この時は山口県などで相当の被害がでた。
岡山県はさほどではなかったが、私は濁流で、川幅が異常に拡がった吉井川を見た。
その時に公園の場所も川の流れに覆われたに違いない。

川の側にある木々の上の方まで、枯れ草やゴミが付いていた。
この事から察すると、水面の高さはゆうに3メートルを超えたと思われる。

私は川に行けない間、気になっていた事がある。
公園と川の岸辺で拾って、1ヶ所に集めていたゴミの事だ。
今日はゴミ袋を余分に持って行き、分別して、持って帰ろうと思っていた。
が、置いてある場所に行くと全くゴミは無かった。
風に飛ばせれないように重しで置いていたレンガだけが数個あるだけだった。
みんな川の水に流されたのだ。
ゴミを置いている場所も普段の水位からすれば、2メートルは高い。
しかし3m以上高い流れが来たのだから、当然流される。

瀬戸内海を守ろうチームB (有りそうな名前なのであえてBを付けた)のリーダーの私としては、非常にショックだった。
私も多分皆さんと一緒だと思うが、紙や缶ぐらいだったら、まだ許せるのだが、プラスティック製品だけは、絶対川に流したら駄目だ。
プラスティックはどんどん細かくなって行くが決して無くなりはしない。
地球の海全体にこの細かい粒子が漂っていると言う。
魚も食べ、食物連鎖で人の口にも当然入る。

プラスティックは確かに便利であるが、出来れば使わないで、ビン等でリユースする方法を真剣に考える時期に来ているのだはなかろうか。

今日はあまりにショックでゴミ一つ拾えなかった。
また次回から、少しづつ公園を綺麗にしよう。

2009年8月27日木曜日

ホテル

今日は昼に牛窓のホテルリマーニに行った。

瀬戸内源平太鼓さんの助っ人。
(とは言うものの、だいぶ前からほぼメンバーとして動いているが)
結婚式の披露宴であった。

プロダクションから一人、ウチからさゆりさんが加わり計3人で太鼓を打った。
この仕事は以前ここでさせて貰った時、ホテル側が気に入ってくれ、お客さんに勧めてくれたらしい。
有り難い事だ。
やはり口伝えで紹介してくれるのが、一番いい。
こちらも余計な説明をする必要もないので。

演奏後、一杯拍手を戴いた。
仕事で行き、喜んで貰えたら、本当に嬉しい。

帰ってから、てらこやおひさまの練習。
最近、始めた人達もいるが、皆確実に伸びている。
これからが楽しみだ。

夏も終わりに差し掛かっているのか、朝晩涼しい。
ウチに来ている人の中に、何人か体調を崩している人がいる。
皆さん体には気を付けましょう。

2009年8月26日水曜日

打ち合わせ

今朝は婦人部隊の練習。
コンサートも近いので曲の細部に渡っての稽古をする。
これからはどれだけ丹田を意識するかにかかっている。

以前テレビで宮大工さんをテーマにした番組があったが、そこで棟梁は言っていた。
「10年もこの道で頑張っていると、ある程度の技術は身に付く。それからは魂を如何に載せるかが、作品の良し悪しを決める。」
私も今、そう思う。
みんなが丹田を意識できるようになれば・・・。

午後ルネスホールに打ち合わせに行った。
チラシ等作って戴くデザイナーの方々とも会う。
いろいろお願いをする。
舞台、客席の配置を相談する。
人の意見を聞きながら、安心出来た部分もあれば、まだ詰めなくてはいけない部分もある事がわかった。
これからトータルに如何に進めて行くか、各々のスケジュールを考えながら決めて行かなくてはならない。
協力してくれるスタッフも、もっともっと集める必要がある。

走り出した船はもう先に進むしかない。

楽しく前に進めたらいいなぁ。

2009年8月25日火曜日

夏休み ②

昨日は湯郷温泉の仕事の後、勝山の玉木さんの処に、龍伝説の衣装を借りに行った。

最初の話では今日玉木さんがうちの道場に持って来てくれる事になっていたが、あまりに申し訳ないので、急遽取りに行かせて貰う事にした。
勝山に着いたのは夜10時、衣装、刀を用意してくれていた。
有り難い。
明日午後、ルネスホールで打ち合わせがある。
すべき事が一杯あるような気がする。

今朝は操南中学校に行った。
子供達は私達が行ってない時も、学校の先生の指導のもとに練習している。
その甲斐もあって、音もだんだんとしっかりとしてきた。
山河はとりあえず完奏できるようになった。
あとは一つ一つ細かい処を合わせる練習となる。
子供達にも、これからが勝負だと伝える。

ここの子供達は、前にも書いたが、なんだかんだ素直だ。
だから、どんどん吸収して行く。
教えててもやり甲斐がある。
今日は山河の他に民謡のリズムの基礎練習をした。
後2回で仕上げる事になる。

子供達も夏休みなのに来て練習しているのだから、是非いい結果を出して貰いたい。

2009年8月24日月曜日

夏休み

今朝は久しぶりに御休小学校に行った。
夏休みも週一のペースで練習があったのだが、私はツアーに出てたりして行かれなかった。
留守の間はうちの宮さんに任せていた。

練習が始まると、子供達夏バテかなと思う程、覇気がない。
まあ最初の基本練習というのは、子供にとってみると楽しくないのかも知れないが。
基本が楽しくなってくると一人前なんだけどなぁ。
まあ子供だから半人前って処で・・・・
30分基本をして早めの休憩。

するとどうだろう。
今まで眠っていた子達は、走り回るは、ボールを取り出し、投げ合うは・・・・
なんてこった。
いつもの事だが、休憩になると、暴れ出す。
どういうこと?
子供にボールをぶつけてやる。

長めの休憩を取り、曲の練習に
またまたグデーとしている。
あきれた奴等だ。
先程の元気を見ているので、活を入れてやる。
序所に好くなる。
最初からやれよって感じだ。
まあ、しかしながら夏休みにわざわざ出て来ているのだから、ちょっと大目に見てやろう。
2時間の練習のあと、世話係をしてくれている高見さんが自分の処で作った黄色スイカを持って来てくれたので、みんなで食べる。
一人の小さい1年生の女の子は最初から最後まで次々にスイカをとっては、食べ続けていた。
何かこの子にあったのだろうか?
まあ腹を壊さなければ、いいんだけど。

昼前に帰って来て、昼食を取ると、睡魔が襲う。
2時間程昼寝 寝過ぎか

これから湯郷温泉 美春閣に行く。
武蔵さんが呼んでるので、小次郎もはせ参じなければ
温泉に浸かり、湯上りに冷たいビールをキュっといきたい処だが、ここは雇われ仕事なので無理だ。

帰ってゆっくり飲もう。

2009年8月23日日曜日

焦る

私、ちょっと焦り始めました。

10月23日(金)のルネスホールでの玉井宮東照宮の龍神祭のプレイベント。
「龍伝説」台本はなんとか出来たものの、具体的な話が全く進んでない。
ポスター、チラシの制作に入っているのにである。

早くスタッフを決め、動き出さねば。
午前中、出演者にメールを送ったり、電話で話したりとバタバタする。

3時から鼓空の練習。
9月6日(日)の岡山県和太鼓連盟主催の「たいこ、タイコ、太鼓コンサート」に向けてである。
ここでも、鼓空本来のステージをしたい。
普段練習時間が皆違うので、揃っての稽古をする。
また意識のもって行き方も揃える。

ただ演奏するだけなら出来るのだが、お客さんが本当に来て良かったと納得して貰えるような演奏をする為には、身を粉にして、もっと深い練習をする必要がある。

メンバーに、随所で苦言を呈する。
後2週間出来るだけの事はしておきたい。

平行していろいろある中、その時、その時、目の前の事に焦点を合わせ、確実に前に進んで行ければと思う。

今日はちょっと真面目。

ビールを飲んでリラックスしよう。

2009年8月22日土曜日

みのり園

今日は午前中、富山天龍太鼓に行った。
終わって、昼食を摂る、すぐに帰る。

太鼓を積み、吉備中央町に向かった。
「みのり園ふれあい夏祭り」に行く為だ。

途中岡山空港のそばを通り、山の中を走って行く。
結構高い処を通るので見晴らしがいい。

ロマン高原かよう総合会館 (名前が何かいい感じ・・・) に3時過ぎに着いた。
早速セッテイング、PAさんにヘッドマイクのチェックをして貰う。

5時20分空砲が2発上がる。
それと同時に呼び込み太鼓を叩く。
今日はアフリカンで呼び込み、5分程演奏をする。

開会宣言の後、挨拶がある。

そしてみのり園の子供達による日本舞踊の披露。
小さな子供達も着物を着せて貰い、化粧をし、菊の付いた花笠を回す。
とても可愛い。 2曲踊った。
みんなで拍手。

しばらくして鼓空の本番。
今日は持ち時間が短かったので、曲は
ソロ、清流、華、舞、仲間
ヘッドマイクの不調に戸惑うも、急遽スタンドマイクに切り替える。
この処、ヘッドマイクのトラブルが多い。
買ったお店に出し、徹底的にチェック、修理して貰う必要がありそうだ。
しかしながら、若者を中心にかなり乗ってくれたので、なんとか役目を果たした感じ。

演奏終了後、しばらく控え室で休み、子供達によるストゥリートダンスやうらじゃの踊りなどを拝見した。
みんな元気だった。
前にも書いたが、みのり園の子供達は孤児が多い。
元気で頑張っている姿を見ると、何か言いようの無い感動を覚える。
いい機会に呼んで戴いた。
また私達に出来る事があったら協力したいと思う。

帰って荷降ろしをする。
先程皆帰った。

汗をかいたのでビールを開ける。
美味い!!

2009年8月21日金曜日

ヨカ

今月初めてヨカに行く。
先生は幸いにも覚えていてくれた。

殆どの人はここの会員になっているが、私は「都度利用者」と呼ばれる立場である。
毎回思うが変な名前だ。
もう少しかっこ良く呼んで欲しい。

先生「今日は前半に陽ヨガ、後半に陰ヨガをやってみたいと思います。」

先生がやってみたければ、私もやるしかない。

しかしながら、料理でも陰陽があるが、ヨガでも陰陽あるとは。
前半の陽ヨガたる部分はいつものパワーヨガであった。
普通のヨガよりも筋肉を使うとの事。

久しぶりなので、きついきつい。

飛行機のポーズ。こんなのが何千年も前からあったとは思えない。
ひょっとしたら、先生が勝手に作ったのかも。

① まず右足を前に左足を後ろにして立つ。
② 重心を右足に乗せ、左足を床と平行に上げる。
   (右足のひざは軽く曲げたまま)
③ 両手を飛行機の翼の如く、斜め後ろに開く、手の平は下に

ここまではこれまで何回かしてたのだが、久しぶりなので、しばらくすると右足がぶるぶる震え出す。

今日はこれからが大変だった。というか先生気が触れたのかと思った。

④ 左手を真上に挙げ、右手を真下に下げる。
⑤ 出来る人は腰も左に開く、顔も左の方向を見る。

要は飛行機が旋回した感覚か。
私は別にこのような感覚にならずともよいのだが。

⑥ 右足を左足に変えて、この逆をする。

40分くらいこの動きのある陽ヨガをやって、後半、陰ヨガに
陰ヨガは一つのポーズを長くキープして、からだの内側の組織を活性化させるのだそうだ。

まずはバタフライのポーズ
座り、体の前で両方の足の裏を合わせ、体を前に倒す。(足の裏に顔が付くように。 ちなみに私は付かない)
この姿勢のまま5分間 
太もも辺りがじわじわ効いてくる。

次はスフィンクスのポーズ
うつ伏せの状態から、両手の肘を立てる。(スフィンクスの手のように)
足は後ろに伸ばせたまま。
この状態で5分間
腰の辺りに効いてくる。

これらのポーズは腎臓、膀胱の働きを良くさせるらしい。

この後はゆっくり仰向けになり、リラックス、脱力。

しばらく休んでから、序所に手足の先から動かし初め、起きてあぐらをくむ。

最後眉間の前で合掌し、ナマステと言ってお終い。

終わった後はやはり体のバランスが戻ったような気がする。

帰って、汗をかいたのでビールを飲む。

美味い!!

2009年8月20日木曜日

のんびりday

今朝は久しぶりに我が書斎の掃除。
カーペットをハイエースの屋根に載せ日干しにする。

野菜に水をあげる。
猫にちょっかいしてあげる。

昼から、てらこやおひさま8人での練習。
暑いゆえ、クーラーをつける。

今日は夜の練習はないので、ゆっくり。
何をして過ごそう。

と考えていると、そうそう中学校の音楽発表会で、太鼓演奏の後、民謡を唄いながら、太鼓を叩くという企画があるのを思い出す。
今晩はビールを飲みながら、民謡を聞き、太鼓のリズムを考えよう。

残暑はいつまで続くのだろう。
私はずっと続いて欲しい。

2009年8月19日水曜日

日常に

8月の関東へのツアー、愛媛でのライブ、有馬への探索の旅を終え、やっと日常に戻りつつある。
しかしながら、前半忙しい故に、後半に先送りした事もあり、リラックスとまではいかない。

畑を見ると、なす、トマト、きゅうり、ピーマン、ししとう、とうもろこしがなっている。
猫を見ると、主人に関係なくデレーとなっている。

今日は朝婦人部隊の練習、今この時のんびり、夜は鼓空の練習がある。

今週の土曜日は賀陽町での「みのり園夏祭り」に行く。
孤児の子供達が集まっている園だそうだ。
ライオンズクラブがバックアップしての夏祭り。
子供と楽しめればなぁと思う。

来週は牛窓のホテルリマーニの仕事が入っている。
来月は9月6日に岡山県和太鼓連盟の主催する「たいこ、タイコ、太鼓コンサート」がある。

私ものんびりしつつも、心身を整えていかねば。
今月になって、まだ一度もヨカに行ってない。
先生も心配しているかも!(そんな事は無いか)

今週は行こう。
あの逃げられない場所に。

2009年8月18日火曜日

遅ればせながら ②

1昨日から昨日まで有馬温泉に行った。
今回は仕事ではなく、お客さんとしてだ。
有馬ビューホテルに宿泊。

なぜに有馬温泉なのか?
まあじっくり聞いて下され。
実は我父は亡くなりしが、その兄弟を中心とし、毎年「乙倉会」なるものを開いているのでござる。
で今回は有馬温泉、私の従兄弟が企画した次第。

なぜか以前この従兄弟が、有馬温泉周辺の地図をパソコンで見ている時、偶然にも「乙倉橋」たるものを見つけたのでござる。
これを前回の「乙倉会」の時に発表したら、皆が見たい、行きたいと相成りし候。

乙倉なる性は非常に珍しく、私の父の代には岡山の君津、邑久郷に30件くらいしかなかった。
私の代になると、増えていると思うが、皆もとを正せばこの君津、邑久郷になる。
もともとは皆邑久郷に住んでいた。
津田永忠が江戸時代に岡山の南の海を干拓して、たくさんの農地を作った。
君津はその一地区だ。
この君津が出来てから、2年程して乙倉の何軒かが、邑久郷から移り住むようになった。
私の父も先祖を遡って、系図を作ったのだが、7代前、江戸時代中頃前までしか判らなかった。

しかしながら、25年程前に、親戚の一人が偶然にも淡路島に乙倉山金剛寺なる寺を見つけた。
乙倉家一族の中では大きく取り上げられ、皆でこの寺にお参りし、石碑まで建てた。
偶然かもしれないが、私の家も岡山の金剛寺というお寺の檀家である。

こんな事があって、私も一時期、図書館に通っては奈良、平安頃の古文書を調べていた。
結果、淡路島と乙倉の関係はかなり深くまで推測出来るようになったが、確実な証拠を見つける事は出来なかった。

それから数年経ち、今回「乙倉橋」の発見となった。
皆で見に行く。
有馬川にその橋は架かっていた。
昔、有馬温泉に人を呼ぶ為に、この橋の袂まで国鉄が来ていたそうだ。
比較的大きな橋だった。
橋を隅々まで見た後、この近くにある古い家を訪ねた。
橋の由来を聞く為だ。
が今一つはっきりしなかった。
ただこの近くに乙倉谷という谷があることがわかり、大きな収穫となった。
ホテルに泊まり翌日、有馬文庫なる処に行った。
地元の人から、ここの歴史等が書かれた本があると聞いたからだ。

ここでは所長さん事務のお姉さんが一生懸命調べてくれたが、該当する文献は見つからなかった。
ただお二人とも、乙倉性に感激し、わかる範囲で嬉々とし説明してくれるのが、楽しかった。

こうして2日間過ぎた。
有馬の乙倉橋と淡路島の乙倉山金剛寺、遠いと言えば遠いが近いと言えば近い。

謎が謎を呼ぶ旅となった。

2009年8月17日月曜日

遅ればせながら

まずは伊予の旅から
15日(土)の朝6時に道場に集合して、いざ伊予の国今治に向けて出発する。
メンバーは8人、久しぶりの四国でなんだかワクワク。
まずはブルーライン、山陽道を通って尾道へ。

途中福山のインターにより朝食を。
8時の朝食と言えば尾道ラーメン!
だが私の心は揺れていた。
朝はせいぜいうどんだろうと。
しかしながら、前回尾道に来た時、尾道ラーメンを食べ損ねている。
この借りは返さなくてはいけない。
メンバーの節ちゃんも、何か尾道ラーメンにこだわりがあったのか、二人でたのむ。
他のメンバーは皆焼きたてのパン。
これが本当の姿だろう。

尾道ラーメンは、いりこだしの印象が強かったが、さほどいりこの香りはしなかった。
店の人朝早かったのでいりこを入れるのを忘れたのか。
しかしまずまず美味しく頂いた。

しばし休憩してから、しまなみ街道へ。
本州を離れ、橋と島を代わり代わりに瀬戸内海を渡る。
四国に着くと、独身に戻った秀さんが、元気よく迎えてくれた。
この表現はまずいか。

揃って一路「タオル美術館」へ。
ここは今治でも田舎の朝倉という処にある。
田園風景、山の中に、おとぎの国風の建物が。
中は広大な敷地にハーブやら野菜やら植えられている。

勿論タオル美術館であるから、館内はたくさんのタオルが陳列されている。
またタオルで作ったでっかいぬいぐるみもある。
象、きりん、熊の類から、水族館まで、その発想に驚く。
またタオルが作られる工程も見せている。
これも一挙両得だ。
なんて頭がいいんだろう。
あやかりたいものだ。

私達の演奏は12時と3時の2回。
一足先に来ていたのぶちゃんと今治に住んでいる光江さんが来てくれる。
1回目のステージが終わり、みんなで昼食。
中華のバイキングを頂いたのだが、何を食べても美味い、絶品ばかり。
幸せを感じる。

食事後しばらく館内を見て周った後、2回目のステージ
お客さん達が集まってくる。
皆さんノリがいい。
拍手もくれるし、子供達は腰を振り出すし、四国のお客さん最高。

館長さんと副館長の秀さんのお父さんから、別々に日本酒を戴く。
私はますます四国今治が好きになった。

演奏後片付けをし、温泉に。
「竹庭」と言う竹に囲まれた、宿泊設備もある温泉だ。
風呂も竹の中、あちこちに何種類もあり、ゆっくり浸かっては、また違う風呂にと、違いを楽しむ。

風呂から出ると次に行く処は決まっていた。
焼き鳥と冷たいビールの店である。
焼き鳥が専門ではあるが、ラーメンやそば等もある。

冷たいビールが喉をこす。
仕事の後の風呂、そして酒は最高である。
瀬戸内海を渡った甲斐があった。

帰りはのぶちゃんが運転。
私は夢の中だった。

今度四国でツアーが出来ればなぁーと思う。
お遍路、温泉、酒

これじゃあ、ばちが当たるか。
ばちは叩かねば。

2009年8月16日日曜日

有馬温泉

昨日 今日と温泉三昧
そして酒 心身共に溶ける。
またまた お待ちあれ。
済みませぬ。

帰宅

今 伊予より帰りし候
が、明日朝早き故、後日報告し候 。しばし お待ち下され。

2009年8月14日金曜日

夕方まだ陽の高いうちから、畑の草刈をした。
汗ビショビショになる。
今ビールを飲みながら書いている。

今年は今まで畑をしてきた中でも、出来が最も悪い。
ケチャップ工場を作らねばと思っていたトマトは8割がた枯れてしまった。
きゅうりは4本のうち2本が枯れた。

なぜか? 理由を考えてみる。

①春、雨が少なく、私もあえて水をやろうとしなかった。(野菜の根を深く下に伸ばそうとして)
②今年も、露に入った頃から、忙しくなり畑の世話が出来なくなった。
 
 これにより、草が野菜の丈まで伸びてしまった。
 風通しが悪くなった。
 よって病気にかかり易くなった。

とまあ、こんな事が考えられる。

やはり野菜作りは毎日畑に出て、野菜と対話する事が一番かなと改めて思う。

しかしながら今までに採れた野菜もある。
じゃがいも、ピーマン、ししとう、多少なりともトマト、きゅうり少し、なす少し

今日、草刈もしたので、これからもピーマン、ししとう、トマト、きゅうり、なすはしばらくできると思う。

あと、唯一感動したのは、出来ないだろうと諦めていた、とうもろこしが実を付け始めた事だ。
赤目塾産の種からできたとうもろこしで、実の上に紫色の毛を生やしている。
茎もしっかりしているので、楽しみだ。

カラスに注意しながら、見守っていこう。

2009年8月13日木曜日

蒸し暑い

前にも書いたが、蒸し暑過ぎる。
まだ露が続いているのか?
暑くてもいいからスカット爽やかな夏は来ないのか?
木陰に入ったら涼しいとかいうの。

太鼓を叩いている事もあるが、Tシャツがすぐ汗びしょとなる。
Yシャツだったらいいのか?
たぶん同じだろう。

私としては夏暑いのは大歓迎だ。
以前冷夏の年があって、秋が来た時非常に虚しい感じがした。
だから夏は暑くあって欲しい。
問題は湿度。
とか言っても私の単なる我がままか?

今週土曜日には本州を離れ、海を越え、四国は今治に行く。
ライブが終わると温泉に入り、美味い焼き鳥とビールが待っていると言う。
これに賭けよう。


間違いないかな 秀さん?

2009年8月12日水曜日

いささか

頭が痛い日だった。
答は一つ。
飲みすぎ。

昨晩玉井宮さんでのBBQ。

久しぶりにゆっくりさせて貰ったのは良かったのだが、ついついビールから始まり、焼酎、ワインと進む。
別に進まなくてもいいんだけど、これが進むんだなぁ。
帰りの車の中で寝てしまう。
着いても降りられない状態。

今朝は10時から2時間婦人部隊。
夕方5時より子供達。
7時40分くらいから鼓空の練習。
さっき皆帰った。
つらい一日だった。

今、汗もかき、喉も渇いたので、ビールを飲み飲み、書いている。
いくら飲んでも頭痛のしないアルコール飲料は出来ないものか?
出来ればノーベル賞ものだ。

今日はこれから風呂にでも入り、ゆっくり寝よう。

2009年8月11日火曜日

中学校

今朝はのぶちゃんに付き合ってもらい、操南中学校へ行く。
宮さんも来てくれ、こちらは万全。

が子供が3人しかいない。
先生、済まなそうに、生徒の家に電話をかけに行く。
2人遅れてくる。
しっかり今日が練習日だという事を忘れていたらしい。
なんてこった。
練習日を忘れるなんて!
と大きく言えないのが、私の不甲斐ない処。
私も今年大きな失敗しているがゆえ、言えない。

少ない人数ではあったが、夏休みで気の抜けた生徒達にビシバシ叩きこむ。
どうにか「山河」の最後まで完奏する。
やれば出来るではないか。
やっと見込みがついて来た。

あと4回の練習で、この曲と、次の民謡曲に太鼓の伴奏付けをしなくてはならない。
まあせっかく関わっているのだから、いい音楽発表会の一端にしたい。

これから玉井宮東照宮へ「龍神祭」の打ち合わせに行く。
その後、宮司さんのお宅でBBQをする事になっている。
鼓空のメンバーも何人か参加できそうだ。
今日はのぶちゃんが運転手をしてくれるので、ゆっくり飲めそう。


夏の夕暮れ、美味し麦酒・・・・・か酒・・・・・アルコールなら何でも

2009年8月10日月曜日

外房ライブ

8日(土)の夕方、ブラウンズ・フィールドでライブをした。

ここは中島デコさん、エバレット ブラウンさんがおられる。
エバレットさんは写真家だ。
デコさんはマクロビを教えていて、その世界では有名な人だ。
その事もあって、以前より、多くの方がここを訪れる。
2年ぶりの再再会にお二人とも、喜んでくれた。

夕方までは、農園を見たり、山羊を相手したり、木々に掛けれているハンモックで寝たりとゆっくりした。
ライブでは友人も手伝いに来てくれた。
外国人のお客さんが多かった。
いつも通り「天魂」のライブとさゆりさんと二人での和太鼓演奏を交互にした。
スローな空間なので、クリスタル・ボウルの音で、よりリラックスした感じになる。

演奏が終わると、食事をよばれる。
玄米と野菜のかき揚げを中心とした料理だった。
ここで採れた物ばかりだろう。
おいしく戴く。

食事後、エバレットさんの過去の経験をもとに話が進む。
ヒッピーカルチャーの事、アジア、南米で体験した事と、話が拡がる。
殆ど同世代なので、時代背景、生きてきた状況等、大変興味深く伺う。

やはり少なくとも何年かに一度はお会いしたい人達だ。

昨日(日)は「風の谷ファーム」という古民家で演奏した。
今回は偶然にも3ヶ所が古民家だった。
窓を開け放し、外に田んぼが広がり、緑の稲が続く。

昨日ブラウンズ・フィールドを終え、さゆりさんは夜行バスで奈良の赤目塾に行ったので、この日は私達は二人だけ、それで、ゲストとしてグンデル(ガムランの小編成の形)の方々に来て戴く。

クリスタル・ボウルもグンデルの金属の音も、この古民家によく合って、非常に気持ちいい。
途中で寝そうになっているお客さんも結構いた。
私も演奏中でも寝ていたくなった。
のぶちゃんからも寝てたでしょう、と突っ込まれた。

グンデルの方々とのセッションもいい感じで出来た。
お客さん達からも気持ち良かったとの感想を多く戴いた。

演奏が終わって、少しゆっくりしてから片付けに。
夜の12時までに、東名高速に何が何でも乗らないといけない。
例の土、日割引だ。岡山、東京間を2600円程で行けるのだから、使わない手は無い。
九十九里海岸に来ているサーファーや海水浴客の帰りで、道が混み合うと心配していたが、その箇所はさほどではなかったが、千葉市に入って渋滞、首都高速でも渋滞、少し焦る。
どうにかShinさんの初台に着き、クリスタル・ボウルと荷物を降ろし、挨拶もそこそこに甲州街道、環八を進む。

東名に入ったのは夜11時15分、間に合った。
ほっと一息。

だが豪雨と事故による35kmという大渋滞、帰りはのぶちゃんと二人、代わり代わり運転、今日昼12時頃無事岡山に帰ってきた。

有意義な旅となった。

今回も手塚夫妻に大変お世話になった。
有り難い友を持って幸せである。

しばし

お待ち下され。

2009年8月8日土曜日

大原

一昨晩はコズミック・ソウルでのライブがあった。
感じのいい店で、水晶とかの石がいろんな処に飾られ、オーナーのこうじさんが民族音楽をしてて、一杯楽器が置かれてある。
知らない楽器も多々。
倍音楽器が多く、頭が溶ける。

せっかくなので、私達のライブにもジャンベや口琴で入って貰った。
また彼はホーミーもでき、楽しいコラボになった。
お客さんにも、喜んで貰えたみたいだ。

ライブ後、いろんな話しをしている内にまたもや新事実発覚。
この場所には竜脈が通っているんだって。
ワハハハ・・もう笑うしかない。

店を出て帰ったのも遅く、その後また話しをしていて、ますます遅く、3時過ぎに寝る。
朝は6時起床なんたる事か、酒も抜け切れてなく、きつい事この上無し。

幕張でのぶちゃんを拾って、そのままのぶちゃんに運転して貰う。一路外房へ。
昼にラーメン屋さんに入る。
こちらに来て、ずっとベジタリアンだったので、良い良いと思っていたら、3人とも、ベジタリアンラーメンを注文する。
私仕方なく付き合う。
大原に着くと、驚くなかれ、クルージングに。
手塚君が学校の生物の先生をしていて、子供達に山と海の関係を教える為 のクルージングに便乗させて貰う事になった。

ラッキーな事この上無し。ラッキスト (本当か・・ 嘘だろう)
海風が気持ち良かった。
終わってから、たべけんぞうさんのお宅へ。
彼は優れた造形作家だ鉄屑等を使って、面白い作品を一杯作っている。
ここで取れたての魚を頂きながら、奥さん、息子さん、仲間達によるガムラン演奏を聞かせて貰う。
またまた頭が溶ける。
日曜日に風の谷ファームでご一緒させて貰う事になったので、コラボさせて貰う事に。
打ち合わせして、演奏に参加する。
薩摩の芋焼酎が回る。
またまた溶ける。
昨晩はBTQ(バタンキュー) 熟睡。

これから中島デコさん、エバレットさんのいるブラウンズ・フィールドに行く。
どんなライブになるか楽しみだ。

2009年8月6日木曜日

共同生活

先週の土曜日から Shinさんの所で3人の共同生活が続いている。
そうなると自然と役割分担ができる。
さゆりさんは食事を作る。
マクロビ料理で頑張っている。
Shinさんは洗濯班毎日洗濯して干してくれている。
で私は布団をたたむのと、食器洗い まあ比較的簡単。
楽に過ごしている。
昨日はオフだったので、さゆりさんが前から行きたいと言っていた、あきる野市の秋川に3人で行った。
彼女が生まれてから、小学校3年生まで住んでいた処だ。

彼女が住んでいた頃は、あたり一面栗林や畑だったそうだ。

ここは東京では田舎の方だが、それでも大きな道ができたり、デパートが建ったり、駅前がロータリーになってたりと随分変わっていた。

最初もう住んでいた家も潰され無くなっているのではと思っていたのだが、番地を頼りに行ってみると、なんとあったのである。

空き家になっていて、家に蔦が絡まっていた。
周り近所の覚えていた方々のお宅もあった。
間違えなく彼女の住んでいた家だった。

そこから、通っていた保育園と小学校に行った。
周りの景色は非常にのどかだった。
こんな景色の中で育ったから、あんな性格になったのだろう。

今晩はコズミック・ソウルでライブをする。どんなお客さんが来られるのだろう。
今から楽しみだ。

2009年8月5日水曜日

竜泉

昨日は竜泉という所にある,Dragon Fountain´CUZNと言う店でライブがあった。

入り時間は4時だったが、早く着いたので、近くにある竜泉寺というお寺にお参りした。
ゆうどさんが竜穴で、今回が竜泉、本当に不思議である。

ライブはShinさんが7つのクリスタルボールの中に、ろうそくを灯し、始まった。

毎回 場所もお客さんも違い、雰囲気が変わるのが面白い、昨日は友達の母子も来てくれたが、他は初めてお会いする方々ばかりだった。

アンケートを拝見すると、クリスタル・ボウルと和太鼓の組み合わせが面白いとか、合うのに驚いたとか、概ねいい印象を持って頂いたみたいである。

演奏をする度に見えて来る事もあり、次のライブにいかして行きたい。

今日は初めてのオフ日、ちょっと町でも、ブラブラして気分転換しよう。

2009年8月4日火曜日

3日目

無事ライブ終りました。
お店で酒を飲んだので。明日書かせて貰います。
済みません。

2009年8月3日月曜日

2日目

昨晩はアランがベースを演奏する中野のライブハウスに行った。

女性ボーカルを中心とするグループだった。
曲はスタンダード、またロックの曲をを少し、ジャズ風にアレンジしたもの等 様々だった。
私もジントニックを飲みながら、楽しませてもらった。

今日は急遽 武蔵境にある「和の家 櫻井」で演奏した。

ここもかなり大きな古民家で ウィークデイは老人のデイケアー、週末(土 日)はいろんなパーフォーマンスをしている変わった処だ。

当初私達もここでも する事を考えていたのだが、週末は他のライブの日程と重なり、とりあえず没となった。
だがここの方より、デイケアーで1度やってもらえないかとの依頼を受け、お受けした次第だ。
演奏中は 他の老後施設でもそうだが、皆さん静かに聞いておられた。
だが終わると皆さんから話し掛けられた。
喜んで下さっていた。涙を流されている方もおられた。

初めて見るクルスタル・ボウルに興味を示された。

また年輩の方は、小さい時祭とかで、一杯太鼓の音を聞いてこられた。
ところが、最近はそのような機会が少なくなった。

それで久しぶりに太鼓の音を聞いて、懐かしかったのだろう。

少しは役に立ったのかなぁと嬉しかった。

帰り際 皆さんと握手し、また次回来させて貰いますとお約束し、帰途についた。

急な事ではあったが、いい経験をさせてもらった。

初日

無事 初日 目白の「ゆうど」さんのライブが終わった。

ゆうどさんは古民家で 庭もあり、趣きのある処だ。

朝10時に入り、準備をする。
そしてリハーサル。
12時30分開場、1時開演。
お客さんは ゆうどの人も入れ ざっと30人。
板間の部屋をステージにし、和室にお客さんに座って頂く。

初日と言う事もあり、何ヶ所か失敗もあったが、全員の方が、アンケート用紙に記入してくれ、ほとんどの方が良かった、感動したとの意見だった。
嬉しい、やった甲斐があった。

とは言えまだまだ、改善すべき点が多々あるので、1回1回のライブを大事に調整して行きたい。

今日 雨の中来て下さったお客さん、ゆうどの今井さん、スタッフのお兄さん、皆さん に感謝である。

2009年8月1日土曜日

打ち合わせ

予定通り 朝10時に初台のShinさん処についた。

11時にスタジオ入りすぐ練習に入った。

4時まで試行錯誤。
Shinさんは 新しい技を出して来た。
私も対応を考えねば。
いろいろ考える事が多い。

明日から本番が始まる。
今晩ゆっくり寝て、新鮮な気持ちで ライブに臨みたい。

お客さんが喜んで頂けるような、いいライブになればと思う。

2009年7月31日金曜日

バタバタ

バッタになりそう。

今晩東京に向けて立つのだが、それまでにする事が多い事、この上なし。

今朝はまず畑から。
トマトの茎が縦横無尽に飛び跳ねていたので、添え木に結び、わき芽などを摘む。

8月後半のライブの打ち合わせを進める。
頼まれていた物を発送する。

曲を覚える、忘れる、また覚える・・・・・・

持っていくものを整理する。
衣装、着替え、楽譜、太鼓6台・・・・・

ガソリンスタンドに行って、ガソリンを入れ、オイル交換をする。

曲を覚える、忘れる、また覚える・・・・・・

大太鼓の練習をしばらく出来ないのでする。

曲を覚える、忘れる、また覚える・・・・・・

今晩8時30分出発予定

朝、東京初台のShinさんの処へ行き、クリスタル・ボウルを積み、スタジオに入る。
練習時間は5時間。

あさっての「ゆうど」に備える。

かような予定になっておりまする。 (頭が壊れかけている)

読んだ方で何か質問等があれば、電話下され・・・・

2009年7月30日木曜日

ツアー

明日の夜から、ハイエースに太鼓を積み、東京ー外房のツアーに出る。

今回は「天魂」のライブなのだが、クリスタル・ボウルの演奏時間に制限がある事から、鼓空のさゆりさんに手伝ってもらう事になった。

「天魂」の演奏が45分前後、和太鼓演奏が40分くらいの構成だ。

「天魂」については、上京し次第、Shinさんとスタジオに篭って、最終打ち合わせをする事になっている。

今和太鼓演奏曲の構成を練っている。

鼓空の場合は通常6人から10人ぐらいで演奏するが、今回は2人だけなので、その形を作らなければならない。

なかなか覚える事が多い、必要のないデータはごみ箱に入れ、頭を軽くする必要がある。

全く、空っぽになったりして! まあそれはそれでいいか。

大変だが、せっかく来て下さるお客さんには、満足して帰って戴きたい。

集中して頑張らねば。



再度、ライブ日程を記しておこう。


東京
8月2日(日)  ゆうど                12時30分開場  1時00分開演
8月4日(火)  Dragon’s fountain CUZN   7時00分開場  7時30分開演
8月6日(木)   Cosmic Soul 7時00分開場    7時00分開場  7時30分開演

外房
8月8日(土)  ブラウンズ・フィールド        4時00分~
8月9日(日)  風の谷ファーム            2時00分~   


詳しくは知りたい方は私のホームページ
(http://shun-oto.net/)

か私の携帯に電話して下さい。
090-8066-0727 (乙倉です)

2009年7月29日水曜日

旧友 ②

昨晩 アランは来た。

ビールを飲みながら、シスコの事、東京の事、音楽の事、友達の事と、話に華が咲いた。

今朝は、その興奮もあったのか、早く目覚めた。
アランはまだ寝ていたので、久しぶりに畑の草刈をした。
この処、忙しくて、殆ど畑の世話をしていなかった。
その為か、きゅうり1本は枯れ、トマト、なすも葉が枯れたり、虫にやられたりしていた。
自然農法と言えども、放ったらかしていては駄目である。

毎年春先は小まめにするのに、露に入りだす頃から、目が行き届かなくなる。
やはりお百姓さんみたいには行かない。

一通り草刈をした頃、アランは起きてきたので、一緒に朝飯を食べた。
(私は普段朝は食べないのだが、お付き合い)

10時にウチの婦人部隊が練習に来る。
アランにも参加するよう勧め、一緒に稽古をする。
彼もミュージシャンなので、飲み込みが早い。
みんなで結構汗を流して、終了。

昼から牛窓へ、瀬戸内海を眺め、玄米菜食のお店楽土館に、昼飯を食べに行った。
ここの料理は美味いし、優しい味がする。
アランも気に入ったようだ。

食後、倉敷の美観地区、アイビースクェアー等を見て、阿智神社に参詣に行った。
山を降りてから、岡山は後楽園に、のんびりの様な、忙しい様な行程である。

1時間程、後楽園をぶらぶら、冷やされた抹茶と吉備団子を食べ、岡山城へ、。

5時半にタイムリミット、アークホテルに行く。
そう、夜は瀬戸内源平太鼓の本番があったのだ。

アランも太鼓の搬入、セッティングを手伝ってくれた。
本番はパテーションの裏から見てもらい、終わるとすぐに車で岡山駅へ。
彼は今日中に東京に帰らないといけなかったのだ。

アランにとっても忙しい岡山の旅だが、とても喜んでくれた。

来週日曜日には、また東京で会う。

See you nextweek.

と言って別れた。

2009年7月28日火曜日

旧友

今日は22年ぶりの友達が訪ねてくる。

名前はアランといい、私がサンフランシスコに初めて着いた直後に知り合った。
彼は広島の原爆をテーマにした漫画「はだしのゲン」を英語に翻訳し、海外に紹介した人だ。

私もシスコから、ウォールナッツクリークという白人の町に引越し、またその半年後オークランドという黒人の多い町 (野球の好きな方なら、お分かりになると思うが、オークランド アスレチックスの本拠地だ。) に引越した。
アランもその頃、オークランドに住んでいた。

彼は翻訳や通訳の仕事をしているが、音楽も好きでベーシストである。
私達はよくスタジオでセッションした。

その後、私は帰国することになったのだが、アランも数年前、再度日本に来て、東京に住みだした。
その事は前から、友を通じて知っていた。

今度、東京、千葉の「天魂」のツアーをする事になり、彼にも連絡を取った。
彼はシスコ時代はロックをしてたのだが、今はジャズにはまり、ウッドベースを弾いているとの事、
演奏活動もかなりしてるらしい。

今回、やはり先程紹介した「はだしのゲン」の関係で広島に呼ばれ、その帰りに寄ってくれる事になった。
22年ぶりの再会、積もる話も一杯あるし、彼の最近の演奏活動も聞いてみたい。


ビールは一杯冷やしている。

2009年7月27日月曜日

雨月

吉井川に沿って北上。
雨の為、水かさがかなり増していた。

さっき私のセカンド・ジョブ 〇〇〇フルの偵察に入った。
新しいスタッフが私の接客に当たった。
私はそんな報告は聞いていない。
しかし、きちんとした態度だったので、お咎めは無しにしよう。

メニューを見ると、夏のスタミナフェアが一杯並んでいる。
そんなにスタミナを付けてどうする。

私は豚キムチうどん(ファミレスには似合わない)をオーダーした。
それと6月末切れのドリンクバー券を出す。
またまたスルー。
あまり関係ないみたいだ。

豚キムチうどんは、皆さん想像どおりの味。
ドリンクは微炭酸入り白ぶどうジュース。
私の頭の中で、夏の飲み物として定着しつつある。
冬は梅こぶ茶 右に出る物はない。

これから作州矢筈太鼓の練習に行く。
近々 本番があるので、特別練習だ。

今日は車に傘を積むのを忘れている。
これ以上 どしゃぶりにならなければ いいんだけど・・・

2009年7月26日日曜日

終演

一月以上関わってきた演劇「葛の葉」が終わった。
役者さん達は今年3月から、練習に入っていたらしい。

今日は、昨日お願いしていたモニターも用意されていた。
本当に忙しい中、手配して戴き感謝である。

本番では、出演者の皆さん、それぞれにいい意味で気合が入っていて、緊張感のある芝居になった。

アンケート用紙、少し拝見したら、大方が良かったとの意見が書かれてあった。
私自身は反省点もいろいろあるが、一応役目は果たせ、ほっとしている。

今回のように他ジャンルの方と一緒にさせてもらうと、いろんな事がわかる。
意識のもって行き方の共通した処も感じる。

これからも、このような機会を大事にしていきたい。

改めて、今日来て戴いたお客さん、 脚本家の白神さん、舞台監督の釣田さんをはじめスタッフの方々、役者の皆さんに感謝である。

2009年7月25日土曜日

演劇 ④

明日はいよいよ、演劇「葛の葉」の本番である。
今日は「迷宮」の本番もあり、時間が押して「葛の葉」の通し練習は出来なかった。

ちくわ笛の住宅さんとの音合わせはかろうじて出来た。
ただ私は住宅さんとのデュエットだけでするのかと勝手に思っていたのだが、CDを使って、その上でちくわ笛と太鼓の演奏という事になった。

これはリズムセクションの人間には意外に難しいのである。
メロディー楽器なら上に乗せればいいのだが、リズム楽器はもとのリズムに合わせる事を一番に要求される。
という事はメトロノームに合わせて演奏しているようなものである。

ところが、今日の練習ではモニターが小さく、住宅さんの笛は聞こえるのだが、もとのCDが聞こえなくなる状態であった。

少し不安の残るリハであった。
一応、演出の白神さんには、大きいモニターにして貰えるよう連絡した。

演奏事態はどんな状況でもできるのだが、お客さんがいる限りはベストの状態で演奏したい。


明日の公演の内容をもう一度お知らせしよう。

場所は天神山文化プラザで


蚕神    PM1.00~

葛の葉   PM6.00~

である。
当日チケットは1公演につき 500円

もし御都合が良ければ、お出かけ下さい。 

2009年7月24日金曜日

新宿 ③

2時から、紀伊国屋ホールでの「円」の公演に入った。

題は「宙をつかむ!」である。
事実に基づいた話である。

太平洋戦争の末期、B29が本土襲来をしかけて来た。
B29は、上空1万メートル以上を飛ぶので日本の飛行機は上昇中に、迎撃され落とされ、全く歯が立たなかった。
そこで空軍でロケット戦闘機なるものを作り、瞬時に上空に到達させ、B29を撃破しようとする計画を立てた。
名前は「秋水」といい、事実作られ、発射実験も行われたが、実際に使用される前に、敗戦となった。

この話はこの研究者達と、軍人と、それを応援する人達の話である。
みんなはこのロケット開発に大きな夢を託す。
一番応援しているのが、もと海軍兵だった、橋爪功さん扮する海軍おじさんである。

遥は橋爪さん処で、世話になっているのだが、結核を患っている役だ。

私も橋爪さんの生の演劇を見たのは、初めてだったが、やはり凄い。
自然で、説得力があり、かつ面白い。
テレビでもそうだが、性格が全く違う役を、どれも完全にこなしてしまう。

遥は病気でもあり、大きな声でしゃべる処はなかったが、雰囲気が出ていた。
よく頑張ったと思う。
橋爪さんには楽屋でも可愛がってもらっているらしい。

私も終演後、挨拶に伺い、お礼を述べた。

紀伊国屋ホールを出てから、今度のツアーでお世話になる、目白の「ゆうど」さんに行った。
いろんな話をさせて貰っている間に、あっという間に2時間以上経った。

慌てて新宿のバス乗り場に帰り、東京を後にした。
楽しい旅であった。

2009年7月23日木曜日

新宿 ②

雨が上がったので、歩いて新宿御苑に行った。

私も永らく、東京近辺にいて、車で側はよく通っていたが、中に入るのは初めてかも知れない。
実際中に入ってみると、木々が雨で濡れ、しっとりとしている。
太く大きな木も一杯あり、鬱蒼と森になっている処も随所にある。
かと思えば、広い芝生もあるし、池もたくさんある。
日本庭園は勿論、英国庭園等もある。
実に落ち着けるいい処だ。
東京、それも新宿にこんな処があるとは、俄かに信じがたしである。

ただわからないのは、我行動だ。
田舎から出てきて、花の都東京に来て、なんで、また自然の多い処に来るのかである。
花の都をもっと謳歌すべきではないのか?

この答を一瞬で我パソコン如き頭は出した。
要するに都会で楽しもうと思えば金がいるという事である。
溢れるが如く、金があれば、毎日芸者をあげて(古い表現)、花の都を謳歌し尽くことが出来ようというものである。

もっと貯めることにしよう。

広場の真ん中の見晴らしのい処で、子供が30人程と先生らしき人がいた。
子供達は皆、紙サングラスを持っている。
何故か?
いち早く我コンピュウターは作動した。
今日は日食で、子供達は東京の中では見晴らしのいい、御苑に来ているのだ。
なかなかいい判断だ。

残念ながら天気は曇り、子供達はまちまちに遊んでいた。
しかしある子が「見える」と言ったら、全員紙サングラスを持ち、「見える、見える」と騒いでいる。
私も子供から紙サングラスを取り上げ、見ようと思った。
が、それはちょっと大人げないかなぁと思い直した。 (冷静)

で、片目を明け、空を見ると、確かに三日月状の太陽が見えた。
雲が適度にかぶっているので、裸眼でも大丈夫だった。
私はもっと世の中、暗くなるのではと思ったが、もともと曇り空だったので、大して変わらなかった。

こうして2時間程、木々を楽しんでから、紀伊国屋ホールに行った。

    ・・・・・ 続く ・・・・・

2009年7月22日水曜日

新宿 ①

バスは8時20分頃、無事新宿駅西口に着いた。

雨が降っていた。
用意周到な私はおもむろに折りたたみ傘を出す。
雨ゆえに行き場所に困る。
晴れてたら、渋谷、原宿をぶらぶらをしようと思ってたんだけど。
(お上りさんか!・・・・お上りさんです。)

とりあえず東口の方に行ってみる。
演劇の開演までは相当ある。

ALTAまで行き、一応守衛さんに昼の人気番組に、入れるか聞いてみた。
答えは、「葉書を持っている人しか入れないんですよ。」
まあ予想的中だった。こんな賑やかな新宿で誰でも簡単に入れたら、すぐ満杯になってしまう。

ALTAは諦めて、歌舞伎町に行く事にした。
新宿と言えば歌舞伎町、花の歓楽街である。
まあとは言うものの、朝9時 あまり歓楽してない。

しかしながら、開いてる歓楽店もいくつかはあった。

風俗案内と言う看板の灯りが付いている。
優良店 団体割引有りと書かれている。
どこがどう優良店なのだろう?

店の前には客引きのお兄さんが、何人か立っている。
しかしながら、私には声をかけてくれない。
何故だ。

Tシャツとつっかけが良くないのか?
声ぐらいかけてくれればいいのに。

昔はよく新宿にも遊びに来たものだ。

一見 何も変わってないような気がする。

雨が降ったり、止んだりしている。
私はその度に、折りたたみ傘を出したり、畳んだり。
めんどくさい事、この上ない。
便利なようで不便な傘だ。

雨が止むまで、デパートの中にでもいて、晴れたら、新宿御苑にでも行ってみよう。

2009年7月21日火曜日

夜行バス

今 岡山駅の側から夜行バスに乗った。
行き先は東京の新宿だ。
到着は明日の朝8時40分との事。

目的は娘の遥の演劇を見る為である。
明日の昼2時から紀伊国屋ホールである。

題は「宙をつかむ」で、主演は橋爪功さんだ。
娘も「円」の劇団員になってからは、まだ2年目であるが、よく使ってもらえたのだと思う。

バスがわりと揺れるので、続きはまた明日にでも。

2009年7月20日月曜日

カラス

先日、そんな馬鹿なって事が起きた。

朝6時頃、モー モー モー モー って女の人のような高い声がして、私は目覚めた。
誰かウチの猫のモーを呼んでいるかと思い、耳を澄ませていると、声は家の屋根から聞こえる。
カラスがモー モーと鳴いているのだ。

信じられる?

私は世の中どうなっているんだろうと思った。
しかし、眠いながらも沈着冷静な私は、起きている事の分析にかかった。

なぜカラスはモー モー と鳴いたのか?
私のパソコンが如き頭は、時間がかかったが、結論を出した。

実は私は猫のモーに餌をやる時や、暇でしょうがない時に、 モー モー と大声で彼を呼ぶ。
それをカラスは耳コピーをした、
それを密かに練習し、発表したのだろう。

ウチに来てるメンバーから も
「カラスはオウムのように口真似が出来るんですよ。」
と聞いた。
すべて合点がいった。

しかしカラスも他に覚える事は無いのか?

もし猫のモーが返事したら、一体どうなるのか?
またまた、頭が狂いそうである。

今朝早く、またこのカラスのモー モーを聞いた。
私の聞き違えではないかと冷静に聞いた。

間違いなく、モー モーと鳴いている。

世間にはカラスが嫌いな方も多い。
私はそうでもない。
以前からカラスに、よく声をかける。

特にソーラーシステムのガラスをコンコン突付いている時や (どういう訳かカラスはこれが好きだ)、
大勢集まってカァー カァー鳴いている時、

「うるさい~~・・・・」と怒鳴ってやる。

するとしばらくは沈黙が続くが、また騒ぎ出す。
懲りない奴等だ。

私は時々、空を飛んでいる鷺にも声をかける。
「お~い 元気かぁ~ 」
と言うと、一瞬止まって、

「何だ今のは?」って顔をする。

鳥は実に面白い。

2009年7月19日日曜日

イルカの家

ここには一杯イルカがいる。
芸達者なイルカばかりで、行けば笑顔で迎えてくれる。

と言うのは冗談で、私の高校時代の先輩が、経営している養護老人ホームである。
その隣の敷地に彼は、若い人を対象とするリハビリの学校も建てた。

場所は笠岡市の寄島、海に面している素敵な処である。

ここまで書いたことから 推察すれば、かなりのやり手と思われるかも知れない。
だが、私は高校時代の彼を知っている。

彼は同級生、下級生からも、漫画のキャラクターに似ていることから、だめちゃんと呼ばれていた。
あくまで、愛称としてである。

私は今でも二人きりの時は、だめちゃんと呼ぶ。
ただ、今は公にも立場のある人なので、人前では決して言わない。

彼はお父さんが、やはり医者で、寄島という小さな田舎町で町医者をしてた。
彼は小さい時から、その父親の姿を見て育った。
それゆえ、町医者の大切さをはっきり知っていた。

高校の時、私はだめちゃんから、幾度も聞いた。
「俺はいずれは寄島に帰って、親父の後を継いで、寄島の町医者になりたい。」

彼はほんとに医者になり、最初岡山で医者をしていたが、彼はある時、故郷に帰った。

お父さんの後を継いだ。

が、そればかりでなく、養護老人ホームを建て、リハビリの学校まで造った。
彼は決して営利だけを希求する人間ではない。
必要に迫られて造ったのだ。

勿論奥さんの応援も並大抵のものではなかった。

8年前、彼と近況を話している時、夏祭りに来てくれとの依頼を受けた。
それから毎年行かさせて貰っている。
いつも、喜んでくれ、一杯お土産まで持たしてくれる。
控え室には、毎年私の為に、冷たい恵比寿ビールを用意してくれる。

ところが、今回控え室には担当の方達が、冷たいおしぼりとソフトドリンクとお茶は用意してくれていたのだが、冷たい恵比寿ビールは無かった。

だめちゃんが担当の方に指示するのを忘れていたのだ。(おそらく・・・)
私は待ちに待ったが、冷たいビールは来なかった。

担当の方に言うのも気が引けるし、ましてだめちゃんはお客さんの接待もあり、忙しそうである。
結局最後までビールに有り付けなかった。

祭りも終わり、太鼓の片付けをしている時、だめちゃんが来たので、私はとうとう言った。
「あの、恵比寿ビールが無いんだけど」
だめちゃんはてっきり控え室にビールが出ているもんだと思っていたらしい。
でも後の祭り。

帰りにビール1ケースと高級ブラディーをくれた。(まあこれは毎回なんだけど)
やっぱり嬉しく、すべては水に流すことにした。

また来年もと依頼を受け、帰途についた。

有り難き先輩だ。

2009年7月18日土曜日

牛鬼祭り

今日は日本のエーゲ海牛窓の出島公園で開かれる「牛鬼祭り」に行った。

今年で連続9回出演させてもらっている。

この祭りは、私の友人と言うか、先輩の藤井さんという方が、牛窓に根付く祭りを作っていきたいとの意向で始まった。

牛窓音頭と牛窓節と2曲を作り、プロの民謡歌手の木島一清さんと、かわたり京子さんに唄ってもらい、レコーディングした。

お二人は毎年「牛鬼祭り」に来てくれる。
唄った戴き、それに合わせてみんなで踊る。

藤井さんとしては、この踊りが、牛窓の人々の中に根付き、これからも祭りがずっと続いていって欲しいと願っている。

踊りには牛窓のいろんな連が参加する。

保育園のチームから、企業のチーム年配の方々と様々だ。

今年は14チームが参加した。

祭りのメインは勿論この踊りである。

では鼓空の役目は何か。
祭りの最初のオープニング (言葉が重なっているが・・・)と、祭りの最後にみんなに踊って頂けるように、ノリのいい曲をして、賑やかに祭りの最後を飾る事である。

来年は10周年だ。

もっと賑やかな年にしたいみたいである。

鼓空も、出演依頼を改めて受けた。

よりパワーアップして臨みたい。

今日は終わって片付けをしている時、ブラジル人の母子が来られ、ウチの道場に来たいと言われた。

名刺を渡し、「いつでも来て下さい。」と申し上げた。

2009年7月17日金曜日

雨金 ②

こんなタイトルが付くとは思わなかった。
今日も雨だ。

雨にも負けず、予定通り、朝ヨカに行った。

先生は先週、研修に行っていた。

そこで今日はいくつか新技が出た。

前回もそうである。
研修後に荒業(?)が出た。

今回のポーズをお教えしよう。
背骨に自信のある方 (そんな人はいるのか?)は是非やってみて下され。

① 四つんばいになる。
② 左手と右足を床と平行に伸ばす。
③ そのまま右足を膝から足先を天に曲げる。
④ 左手で右足の親指をつかむ。
⑤ そのまま左手と右足を天に引き上げる。

先生は言う。一番きつい時に「深い呼吸をしましょう!」
何おか言わんや、無理である。

さっきの逆をする。
まあそれにしても、次から次によく技が作られてきたものだ。
ヨーギは偉い。

この処不規則な生活だったが、少しバランスを戻したかな。

これから、週末は特に忙しくなる。
何回かお休みしないといけない。
ちょっと残念だ。

家で空いてる時にすればと思われるかも知れないが、絶対無理である。
あのスタジオの中に入ってのみ出来るのである。
みんなもしてるから、私だけサボるわけにもいかないからだ。
この状況が大事だ。

なんとか半年続いた。
これからも行ける時は行くようにしよう。

2009年7月16日木曜日

龍 ④

今日は午後から、ルネスホールに行った。

照明のAll Lightsの熊本さん、大場先生、玉井宮の佐々木さん、そして私とで「龍伝説」と「龍神祭」の打ち合わせだ。

「龍伝説」の打ち合わせでは、熊さん (ウチのメンバーは熊さんと呼んでいる。本人は知らない。) に台本通りの演出可能かどうかチェックして貰う。

まあここだけの話にして戴きたいのだが、この「龍伝説」大きな天幕を張って、影絵を作る。
そして最後に本物の龍が飛び出して来て、地上をうねり、やがて、空に舞い上がる。
とまあ、大まかに言えば、こんな流れだ。

難しい処は、影絵の場面、光源と役者、そして天幕の距離がポイントとなる。

もう一つは大きな龍が空に舞い上がる場面、ここを光の演出で舞い上がらせたいのだ。

熊さんは、だいたい台本の内容を理解してくれた。

そして、殆ど行けそうなニュアンスを私は熊さんの顔から感じた。

流石は熊さん、だてに熊さんでは無い。(なんのことやら・・・)

今まで何回か、熊さんとは仕事させて貰っている。

いつも、あっと驚くような照明をする。
その場でのアドリブを効かせるのが実に上手いし、的を得てる。

これで、演出の半分は上手く行きそうだ。
後は、舞台の大道具とまではいかないが、何点か造作の必要がある。

そして、今回のテーマの、篠笛、唄、太鼓での、音楽的演出がある。
音楽的にはお二人とも、凄いアーティストなので、なんの心配も無いのだが、「龍伝説」の中での舞台の展開と曲の流れを決めなくてはならない。


お二人の意見も聞きながら、いい作品にしていきたい。

2009年7月15日水曜日

祭りに備え

今朝は婦人部隊の練習。

久しぶりにRちゃんが、二人の子供(5歳の女の子と3歳の男の子)を連れてきた。
Rちゃんも太鼓が好きなのだが、今は子育てに追われ、なかなか練習に来れない。
Rちゃんの旦那はTちゃんといい、やはりここに太鼓を習いに来ていた。
二人は太鼓が取り持つ縁だった。
私は縁結びの紙様。

Rちゃんも結局今日も、子供にかかり切りになり、大して太鼓が叩けなかったが、久しぶりに近況を聞く事が出来て楽しかった。


夜は4人で稽古をした。

この週末は土曜日に牛窓で「牛鬼祭り」に日曜日は「イルカの家夏祭り」に出演することになっている。

「牛鬼祭り」は今年で9回目、「イルカの家夏祭り」は今年で8回目になる。

毎年呼んで戴けるのは、本当に有り難いことだと思う。

それゆえ、スタッフの皆さんの期待に沿えるようにしなくては。

今日は昼も夜もアフリカンの練習をした。
熱い夏に一杯、お客さんに踊ってもらいたいからだ。
私達もビート感のある演奏をしたい。

これから、東京、千葉のツアーまで、かなり忙しい日が続きそうである。
体調を整え、頑張っていきたい。

また今週もヨカに行くべきか・・・

2009年7月14日火曜日

中学校

先日、富山天龍太鼓さんの練習の時、来られていた操南中学校の音楽の先生からの依頼で、今日初めて、学校に行った。

子供達に和太鼓を教える為である。

助手として、ウチのMさんに来て貰った。

内容は9月にある音楽発表会で、和太鼓を中学1年生に叩かそうという事である。

今日は10人ぐらい子供が集まっていた。
また先生も5人おられた。

とりあえず、基本の練習から始める。

先生も熱心にされていたが、子供達がなぜか素直、返事もハイと、でかい声で言う。

ちょっと意外だった。

今回全部で10時間30分で1曲仕上げる事になっている。
基本を1時間して、すぐ曲の練習に入る事にした。

曲は「山河」、私の曲の中では比較的簡単ではあるが、動きがある曲だ。

子供達は先程も書いたが、素直なので、音も初めてにしては揃っている。
少し、いい意味びっくり。

人間やはり、素直が一番か。
私も素直でいよう。(無理か・・・・)

曲の3分の1ぐらい、ざっとした処で時間が来た。
この後はまた次回にということで、今日の練習は終了。

先生に、ちょっとゆっくりしてと、勧められたが、今晩ライブの仕事が入ってた為、退散。

ライブはダイヤモンド・瀬戸内・マリンホテル、瀬戸内源平太鼓さんの仕事である。

今日はウチのSさんと一緒である。
無事、演奏を終了。

お客さんからビールを勧められ、断る訳にも行かず、一気に飲み干す。

帰りはSさんの運転。先程、帰って来た。

寝不足が続いている。

今日はゆっくり寝よう。

2009年7月13日月曜日

眠、眠、眠

ねむの木になったようだ。
昨晩は朝5時頃 布団に入った。
けど蒸し暑く、布団を跳ね退けた。
(これがほんとの羽布団か・・)
朝8時30分頃、仕事の電話が入る。
その後寝れず。

起きて、遅れている「天魂」のチラシの送り先を封筒に書いて行く。
午後から小学校。
いつもながら、無駄に元気な子供の相手をする。

そして北上。加茂へ。眠さの中、 仕事熱心な私は、津山の〇〇〇フルに。
いつものように視察である。
この店はよく私の標的にされる。
店長!気を付けた方がいい。

私は眠さの中、片目づつ交替に、観察する。スタッフの動きに問題はない。

私は夏のスタミナフェアのメニューを見る。肉料理が並んでいる。が、睡眠不足の私は、スルー(しないの意)
中に、すたみなうな丼550円というのがあり、これにした。
あとドリンクバーの券を出した。
期限が6月30日になっていたが、全く問題なし、スルー(通ったの意)

ドリンクバーはこの処ずっと梅こぶ茶にしてたが、暑い中では合わないことがわかった。
で白ぶどうの微炭酸入りジュース。すっきり
うな丼はうなぎの上に焼きのりの千切りが、うなぎが隠れる程のっている。
そしてその上に冷たい半熟玉子とねぎが。

実に美味かった。

寝不足には、すたみなうな丼という図式が私の頭に出来上がった。
もう一杯 白ぶどうジュースを飲んで、加茂に向かおう、後車で30分くらいかな。

2009年7月12日日曜日

忙、忙、忙

忙しい。全くもって忙しかった。

今日は岡山県の北西にある新見市のサンパーク新見という処で、ライブがあった。
ウチの道場は岡山県の南東にあるので、遠い事は遠い。

で、一応道中2時間と考えていたのだが、甘かった。
2時間30分かかってしまった。
この30分の誤差は、大きい。

通常私達は依頼を受けた仕事は、出演時間の2時間前に入る事にしている。
そして準備
① 太鼓、ドラムス等のセッティング。
② マイク、スピーカー、ラインのセッティング。
③ 音出し、簡単なリハーサル。
④ 衣装に着替え。
という次第。
だいたいこの工程に2時間程かかる。

今日は1時と3時に本番だったので、11時に入る予定だった。
しかしながら着いたのは11時30分。
慌ててセッティング。
で始めたら忘れ物に気付く。
ヴォーカル用の無線ヘッドマイクを忘れている。
(有り得ない )
仕方なく有線のマイクを使う。
セットしてマイクチェックした段階で、本番25分前、
急いで衣装に着替える。
舞台袖に入ったのは5分前。

呼吸を整えてから、まずは私の大太鼓ソロ。
そして曲、清流、渓谷鼓と続く。
中盤からアフリカンの曲。
最後にドラムを使った曲。
演奏時間35分。
とりあえず終わった。

昼食を摂ってから、2回目のステージ。

お客さんは喜んでくれたのだが、私達には課題が残るライブだった。

終わって、車2台に太鼓を載せ、挨拶をしてから、新見を後にする。

道場に帰ってから、片付けは、みんなに任せ、私は8時30分から始まる、演劇「葛の葉」の練習に行く。

10時に終わり、帰途に着く。


晩飯を食べてなかったので、開いてた回転寿司に入った。
時間は10時20分。
オーダーストップが10時30分との事。慌てて注文。

6皿食べたら時間となり、700円程払って店を出る。


まあ忙しい一日だった。

昨日、あまりに暇な顔をしてたのが、良くなかったのかなぁ。

2009年7月11日土曜日

暇、暇、暇

全くもって、暇だった。

今日は和太鼓連盟の合同曲の練習が総社の市民会館であった。
昼1時から6時までの練習。

1チームから平均4人出て計80人での演奏だ。

曲は前にも紹介したが「飛天」といい、大太鼓、据え置き太鼓、締め太鼓、全部竹バチを使う。
速度は初めは160、途中から加速する。170以上になる。

4拍子から始まるが、3拍子、5拍子も出て来る。
合わせるには難しい曲である。

まあ曲の説明はともかく、私は今回このエンディング曲には参加しない事にした。

理由は今連盟の役員でもあり、裏の仕事も多そうな事。

また来年の国民文化祭には、岡山バレエカンパニーのバック演奏もする事になっていて、結構バタバタする事が予想されたからである。

で、このエンディング曲は、鼓空の4人のメンバーに任せる事にした。

今回、練習は3回目でもあり、厳しさも増しているのだが、私は客席から、ただボケーと見ているだけ。
(人が忙しそうにしている時、何もする事がないのが、一番暇かも)

あまりに暇そうにしているので、ウチのメンバーからも他所のメンバーからも叩けばと言われた。

が、男は一度言った事を覆すべきではない。
武士に二言はないとも言う。
(まあ普段、二言、三言、当たり前なのではあるが・・・・)


とは言え、太鼓叩きは叩きたいんだよね。

帰って大太鼓を叩いた。少し、すっきりした。

2009年7月10日金曜日

雨金

朝から雨が降っている。
雨にも負けず、風にも負けず、車でヨカに行く。

今日はいつもの先生が研修に行った為、代わりの先生が来られた。
その先生、最初に「私のヨガはゆっくりで、きつくないですから・・・・」
私ちょっと笑みが浮かんだ。

始まると確かにゆっくりしている。
だがそれはきつくないという言葉には繋がらないという事がわかった。
ゆっくりという事は、1つのポーズでじっとしている時間が長いのである。
これはきつい。
私の顔から笑みは消え失せた。
先生嘘つきだった。

ともあれ修行を終え、帰宅。

家では、地味な作業が待っていた。
Shinさんとのユニット「天魂」の東京公演のチラシ、1ヶ所の曜日が違っていた。
火曜日が木曜日になっていた。
昨晩、手伝って貰って、郵便物に貼るアドレス用のシートに (火)(火)(火)・・・・・・・・・と印刷した。
今日は、それを(木)の上に1枚づつ切って貼る。
貼る時はピンセットを使う。
全部で80枚。
(まめ)(まめ)(まめ)・・・・・・・・である。
でも無事になんとか終了。
明日にでも東京の友人、知人に送ろうと思う。


午後「龍伝説」の打ち合わせに行った。
脚本を実行委員長(おそらく)の大場先生に読んで戴いた。
特に問題は無かったみたいで、すぐ演出の方法へと話が進んだ。(良かった、良かった)
演出面では、可能か、不可能かも、わからない事が多い。
早めに照明さんと、打ち合わせをしようという事になった。


大変な事も多そうだが、一歩一歩、前に進んでいる。

2009年7月9日木曜日

目から鱗

が落ちると言えども、俄かに信じ難し。
と思いしが、さもありなんことあるべし。

この処、演劇「葛の葉」で、ずっと台本を見ながら、朗読を聞いているので、ついつい古語となる。

今日は昼寝をしてない。 (エライ)
まあ実の処、出来なかったんだけどね。
今日は午後から、フリ-スペ-スてらこやの稽古。
総勢11名での稽古となった。
稽古場も暑く、クーラーを付けての練習。
他所のチームが見れば怒られそうだ。
見られないようにしよう。

なんだかんだ3時間の練習の後、いつも来ている小学生を相手にサッカーをしたり、キャッチボールをしていると、一人の青年が、池の前にある藤のつるを見つけ、おもむろに言った。

目から鱗が落ちる10秒前

「葛藤(かっとう) の葛はかずらで、藤のつると絡まって、にっちもさっちも行かない事を、葛藤と言うんですよね。」

私の体に衝撃が走る。

葛藤の字は知っていたが、かずらと藤とまでは意識してなかった。

私は何日か前の日記に、かずらと藤のつるを取るのに往生した (死にはしなかったが・・・) 話を書いたばかりである。

まさにあれこそ葛藤だったんだ。

昔の人と全く同じ経験をした。

なんだか、不思議な感じがする。


現代的用語で言うと、「目からコンタクトレンズが・・・・・。」

いや、見えなくってどうする。

目にコンタクトレンズが降って入る。

くっきり、さわやかだ!