2009年12月31日木曜日

大晦日

寒い、いやはや寒い。
温度が低い上に風が強い。
モーも寒いと言って昼頃帰って来て、今ソファの上で丸くなっている。

一年経ってみれば、あっと言う間だ。
今年を振り返って見れば、昨年までの事の継続、また新しい事への挑戦といろいろある。
改めて継続する事の大切さ、そして挑戦する事の大切さ、両方を感じながらの年越えになりそうだ。



今年お世話になった皆様方、日記を読んで戴いた皆様方有難うございました。
来年もよろしくお願い致します。

良い年をお迎え下さい。

2009年12月29日火曜日

年の瀬

すべての教室の打ち収め、そして道場の大掃除を終えた。
ほっと一息という処だが、働き者の私は朝から家の掃除機かけをする。

午後、車を一車洗車する為にガソリンスタンドに行ったら満車だった。
普段私は車は自分で洗い、ワックスもかける。
ところが、今年は何かとばたばたしてて、ワックスをかける事が出来なかった。
で年の瀬でもあるし、かけようかなと思った。

しかし楽器車であるハイエースは車高がハイである。
でいつも脚立を2つ用意し、そこにバタ板を渡し、屋根にかけるのである。
今度もそうすれば良かったが、屋根にかけている間に凍死したら困るので、スタンドに行ったのである。
スタンドでは洗車と同時にかけるFK2とかいうインスタントワックスを頼んだ。
果たして効能があるのかどうかわからないが、春まではもってくれるだろう、たぶん。
先客も多く、1時間ちょっと待った。

スタンドのスタッフは本当に忙しそうだった。
私がオーナーなら、お年玉で金一封という処だが、果たして?

2009年12月27日日曜日

犬のふり見て

今朝は自閉症の子供達の教室を終え、昼食を摂り、テレビを付けると、たかじんの討論番組をしていた。
私はこのような討論番組が好きで目が無い。 鼻も無い、口も無い。
で見ていると、いつの間にやら寝てしまう。
よくあるパターンだ。

目が覚めると番組が変わり、鉄腕DASHをしている。
テーマは犬のしつけ。
いろんな犬が出てくる。 
その中一匹のデブ犬
太っていて、おすわりも出来ないし、ソファにも登れない。
毎日飯を食べては、冬以外は扇風機の前でゴロン。
主が餌を与え過ぎた事に起因する。

ウチのモーにも当てはまるなぁと思う。
私の場合出歩く事が多いので、いない間に腹が減っては可哀想だなぁと思い、ついつい多めに餌を入れてしまう。
それに食べた後でも、私の顔を見ると、まだ食べてないよという顔をして要求してくる。
そんなこんなで、ますますデブ猫になってくる。
もともとホルスタインだからいいか。 (黒白模様)

先程の犬は訓練師の指導のもとに、食事を減らし運動をさせて、一月後には5kg体重を落とした。
すると軽快に走るようになり、前は登る前から諦めていた、階段も走って上がれるようになった。

私はこのテレビを見て、ホットカーペットから身をはがし、公園に行く。

犬のふり見て我がふり直せである。

2009年12月25日金曜日

サンタ

昨日の昼の稽古9歳と4歳の兄弟も練習に来た。
二人とも、うだうだ言う事もあるが、太鼓は好きである。
上の子は5歳の時、家で箸を持って何でも叩きまくるので、母が同じ叩くなら太鼓をと、道場に連れて来た。

下の子はその時、生まれたてのホヤホヤ、放っておくわけにも行かず、一緒に来た。
しかし半年が過ぎ、ハイハイが出来るか出来ない内からバチを持ち、見よう見まねに太鼓を叩くようになった。
下の子には何も教えるでなく、好きに叩かしていたのだが、手勝手はいろいろだが、リズムは合わせて来る。
将来楽しみだ。
と思いながらも、最近二人とも口が立つようになった。
あまりふざけた事を言うと投げ飛ばしてやる。

練習が終わると二人とキャッチボールをしたり、サッカーボールを蹴る。
遊び場の前の池には龍がいると小さい頃から教えている。

昨日、サンタクロースの話になって、私はサンタさんから連絡があった旨を伝えた。

「今年は雪が多過ぎて、行けそうに無いよ。来年は必ず行くから今年は我慢して!」と

上の子「えっー ほんと?」
下の子 ポカン

面白い奴らだ。

2009年12月23日水曜日

S.G

今日は寒さも緩み、師走日和(先生が外を走り回るのに適した日和)かと思っていたら、朝から雨が降ったり止んだり。
で私としては、仕方なくボケテレ(ボケーとテレビを観るの意)をするしかなかった。

しかしながら3時頃、雨も上がったので、早速、吉井川の河川敷の我が公園に行った。
雨が降ったせいか人っ子一人いない、人っ親もいない。

だが、公園の芝生には2つの団体が。
100羽ちょっとの鴨の団体と30羽のカラスの団体。
お互い喧嘩するわけでなく、それぞれに過ごしている。

主の私がいない間にリラックスしている。
せめて「お邪魔しています」の一言でも言えばいいのに何も言わない、無礼な奴等だ。
S.G (私が作った、サッカーゴルフというゲーム)をしながら近付いて行くと、まずカラスがギャーギャーと騒いで空に飛んで行く。
それから鴨がいつも通り一斉に飛び立ち、川に飛び込む。
そして何も無かった顔をしてスイスイ泳ぐ。

馬鹿にしてるなと思うが、私はS.Gを続ける。
端っこまで行き、引き返すと、なんと鴨が全部元の芝生に帰っている。
私は理解した。
鴨は表面上は川の中をスイスイと泳いでいるが、やっぱり寒いんだ。
出来たら陸の上で過ごしたいと思っている。
それならそうと言えばいいのに。

で私は確かめるが如く、再度鴨に近付くとやはり同じ、川に飛び込む。
私はシカとして、S.Gを続ける。
またまた私が遠くに行った頃、芝生に戻って来る。

私が何度も繰り返すと、どうなるんだろうか?
何度も川に飛び込み、何度も上がってくるのか?
終いに面倒臭くなって、怒りだす鴨。

私もまだまだ試してみたかったが、陽も落ちて来たので、今日は止めといてやった。
またの機会に。

2009年12月22日火曜日

くれ

くれと言えば、広島の呉に行っていた。
焼山という処の夏祭りに呼ばれてだ。
4年程続けて、行かせて貰ったような気がする。
またそれが縁で呉のポートピアパークでの年越しイベントにも参加させてもらった。

呉は山陽道のインターからもかなり離れていて意外に時間がかかる。
4時間はゆうにかかったように思う
一度は山陽道で乗ってた車が故障し、慌ててレンタカーを手配し、太鼓を載せ変え、ぶっ飛ばして行った事もある。
夏祭り開始ぎりぎりにたどり着いた。
今からすれば、いい思い出だ。

その後私達を呼んでくれてた人が、東京に引っ越した事もあって、行かなくなった。
皆さん、今どうされてるんだろう。
時々、あの夏祭りの情景が思い出される。

2009年12月20日日曜日

難民

昨日はなかなか忙しい日だった。

朝 富山天龍太鼓に行き、その足で (右足)ルネスホールで打ち合わせに行き、そしてその足で (左足)ヨカに行った。
ヨカでは そ・さ・すの原則を守った。(初めての方に! そーと入り、さーとして、すーと帰るの意)
教室は少し寒いからか、いつもより生徒は少なかった。
木のポーズ、飛行機のポーズも、上手く出来た。
バランスのポーズは昼からの方がいいみたいである。
朝は酒が残っている事もあるので。

終わると急いで、両足で帰る。
さーと風呂に入ると、準備し一路(何本も道はあるが・・) 鼓空の忘年会に行く。
今年は来れない人も多く、7人での会となった。
焼肉ともつ鍋の店だった。
もつ鍋は白味噌スープとチゲ風の鍋。
どういうわけか肉の駄目な人、もつが駄目な人が3人。
でも肉の代わりにイカ、野菜、麺などを追加してOK。

ドリンクは飲み放題、3000円ちょいのセットなので安いと言えば安い。
店はお客で一杯だった。

忘年会が終わってから、皆で軽く某ファミレスでデザートを頬張る。
私はまだ飲み足りてなかったので、ワインを飲む。
ビンの銘柄をみると、カルロ、ロッシーニ、カリフォルニアワインだった。
向こうにいた時よく飲んでいたワインだったので懐かしかった。

2次会も終わり解散となったわけだが、私は予定通り、楽しみにしてた、ネットカフェに行った。
カプセルホテルは過去幾度か体験しているが、ネットカフェは今まで入った事がない。
一度入り、多少なりとも、ネット難民と呼ばれる方々の気持ちを体感してみたかった。

中に入り、受付で泊まりの手続きをする。
言われた場所に行ってみると、そこは薄きパネルで囲った、仕切りがあるのみ。
個室の天井というものはなく、上からは普通に大部屋の照明が入って来る。
中に布団はなく、黒のビニールマットと座椅子そしてテレビがあるだけ。
比較するのも何だが、カプセルホテルをきつねうどんとすると、ネットカフェは素うどんてな感じ。

まあ本来ネットカフェは寝る処ではなく、ネットを見たり、漫画を見たりする所だから仕方ないとも思うが。
そんな中、私も酒が入っているで、朝まで沈没。
寝れたから、まずはいいか。

シャワーや朝食のパン、ドリンク類もあったが、とりあえずスルー (しないの意)

受付で2230円を払って、カフェを出た。

2009年12月18日金曜日

温泉

今 湯郷温泉に来ている。湯に浸り 鼻唄でも唄い、熱燗でもといきたい処だが、残念ながら仕事。
7時にグランドホテルに入る事になっている。
今日も朝から寒かった。
明日はもっと冷え込むという。
辛いなぁと思うが、しかしテレビに映し出される北陸や北海道の映像を見ると、我ながら何を言ってるんだと思う。
零下20〜30度の世界から見れば、ここは南国か。

ヒートテックの上にアロハシャツ。

馬鹿な事言ってないで、仕事 仕事。

2009年12月17日木曜日

someday

Someday I’ll be there.

と思いし処は多数あれど、
今日は寒day、家から一歩出るも憚られる。
吐く息は白く、外は霜が降り立つ。
今年は暖かきと思いしが、少し意地を見せたか、さにあらず。

我、某ユニシロの自信作ヒートテックを下半身に身に着けるも、何故か底冷えがする。
まだ改良の余地有きか。

師走も半ばに入り、世話になった方々に礼状を書き、また道場の小掃除を始めたりする今日この頃。
合間にテレビを付けると、朝から笑点。
夕方から始まりし筈、何故に。
で見るに、タイムマシーンに乗りし気分。

時の中で出る総理は安部氏。
スポーツでは荒川静香のイナバウワー。

我も金無きしが、テレビ局もリサイクルか。
来年、我贅沢言う気は有らずとも、より良き年を願う。

Someday we will be there.


暖かき場所か?

2009年12月15日火曜日

津山店

昨日は小学校の練習に行ってから、加茂に行ったのだが、その途中000フルの津山店に寄った。
仕事と仕事の間にまた仕事を入れるのだから、我ながら見上げたものだ。

店内に入ると、やはりお客さんが少ない。
不況で外食産業も少し売り上げが落ちていると言う話は聞いてたが、やはりそうなのか。
空きテーブルが目立つ。

いつもながら、喫煙席か禁煙席かと尋ねられる。
自分処の社員に何度聞いたらわかるんだと思うが、まあ正体を明かさないのが我が仕事、仕方ない。
いつもながら禁煙席に入るのだが、常々おかしいんではと思っている。
どこの店舗でも喫煙席のスペース方が禁煙席のスペースより広いのである。
私も過去煙草を吸っていたから、吸う吸わないでなく、今は圧倒的に吸わない人の方が多いのに、そのスペースが狭いとは如何なる事かと思うのである。
今度会議に出たら提言してみよう。
まあ私も忙しく、なかなか会議には出られないのだが。

席に座りメニューを見る。
昨日は岡山南部は雨が降ってなかったのだが、津山に入ると雨が降っていた。
気温も低かったので、氷雨という感じだ。 
でメニューの一つに、「あったかフェアー」というのがあったので取り出す。
そこには、すきやき鍋セット、チゲ豚汁鍋セット、もつ鍋セットと3つ並んでいる。
この企画は誰が出したか知らないが、いいアイデアだ。
会ったら褒めといてやろう。

私はチゲ豚汁鍋セットを頼む。
少し時間がかかったが、鉄鍋のチゲ豚汁、ご飯、キムチ、漬物が出てきた。
漬物はごぼうの笹がきを醤油とみりんと唐辛子で甘辛く煮込んだもの。
チゲ豚汁は中にやはりごぼう、にんじん、里芋、しいたけ、大根、そしてうどんが入っている。
なかなかのボリュームだ、良い。
ただ豚を探してみたが、殆ど入ってない。
よく見ると豚のミンチ肉みたいなのが、申し分けなく入っている。
これで豚汁と銘打っていいのだろうか。
一応報告だけは入れておかねば。
まあ私としては別に豚が食べたかったわけでなく、温かい物を食べたかっただけなのでいいのだが、職務は職務だ。

で気になるのは隣のキムチの小鉢、この正体が判らなかった。
普通チゲ鍋に添えてキムチを出す?
私は発案者の頭を疑った。

しかしながら食べている内に気付いた。
鍋自体は多少赤くなっているが、そんなに辛くしていなかった。
おそらく万人が食べれるように。
でもっと辛いのを食べたいのなら、このキムチを入れておくれという事ではなかろうか。
おそらくチゲーねえー。

体も温まり、チゲ豚汁セット599円、それにドリンクバー規定の梅昆布茶130円、計729円を払い、店を出た。

外はやはり雨  ヒー さめー  (ちょっと無理があるか・・・・)

2009年12月14日月曜日

観客

一昨日夜、和太鼓連盟の会議があり、その後岡山の千日前にある、ブルーブルースというライブハウスに行った。
以前からの知り合いのディジュリドーと唄のユニット、アフリカンの演奏とダンス、ベリーダンス等の人達による民族ぽいライブだった。
7時頃から始まっていて、私が到着したのは9時30分を回っていたので、そんなに観ることはできなかったが、久しぶりの友達とも会え、また集まっている観客を見るだけで楽しかった。
イベントがあると、やはりそれ風なファッションの人達が集まってくる。
いつもあれっと感じるのはアフリカンを演奏する日本人はニット帽が好きである。
何故か?

イベントとお客さんとの関係で印象に残っているのは、シスコを拠点としている、グレートフル・デッドのコンサートに観に行った時である。
80年代だったから、時代はヒッピーからヤッピーに代わって行っていた。
ヤッピーと言うのはヒッピーカルチャーを存分に受けていながらも、経済的にもしっかりして行こうという若者達だ。
シスコにヘイト・アシュベリーというヒッピーにとっては憧れの場所があるのだが、そこも序所に小綺麗になって行き、ヒッピー達も経済的に追い出せれている感があった。

その様な時にヒッピーカルチャーの代表バンドのデッドのコンサート、野外音楽堂であったのだが、その音楽堂の周りに長い観客の行列ができた。
みんなサイケデリックな色合いの衣服を身に付けていた。
私は大きな声で「みんなどこに隠れていたんだい」と言いたくなった。

私達もいろんなイベントに出させて貰っているが、そこの主催者によってお客さんの雰囲気が決まってくる。
固いイベントもあれば、ゆるゆるのイベントもある。
私達が主催するイベントはどちらかと言えば後者に属する。
当たり前か、こちらの頭がゆるゆるなのだから。

世の中いろんな流れがあるが、いろんなカルチャーがあればより楽しく生きていけそうである。

2009年12月12日土曜日

モー飯

牛の子モーに毎日朝晩、猫飯をやっている。
以前はずっとドライフードをやっていた。
内容はかつおやまぐろ等の魚、そして野菜の粒が入っている。
まあ栄養素のバランスも良いとなっているし、兎に角手軽でいい。
私は通常これをパラパラ菓子と呼んでいる。

ずっとこのパラパラ菓子をやっていたのだが、病気をして物が食べにくくなった時に流動食の缶詰をやった。
序所に回復してからも、魚の缶詰を食べる時に嬉しそうな顔をするので、ずっとやるようになった。
今、朝夕と2缶そしてパラパラ菓子を少しやっている。
おかげで今ではやや太り気味だ。

こうして日々過ごしてたわけだが、数日前に私はふと考えてしまった。
毎日魚は一杯食べているが、野菜が少ないのではと。
確かにパラパラ菓子の中に野菜は入っているが、魚缶には入ってない。
比率を考えるとほんの僅かだ。

考えている内にある事に気付いた。
牛の子モーは今までパラパラ菓子と缶詰しか食べてない。
これは今まで猫達の長い歴史から考えても不自然な事ではないかと。

私が20代の時に6人で共同生活をしていたのだが、その時最初は1~2匹の猫だったのが、いろんな事情と、春秋の出産とかで、仕舞いには35匹の猫の世話をするようになった。
場所は今や華やかなディズニーランドの近くだったが、昔は埋立地で辺り一面草原が多く、人家も少なかったので、なんとかなっていた。
しかしながら猫飯の量は多かった。
その時は古米を買って来て、それに残り物の味噌汁や、キャットフードを混ぜてやっていた。

私はやはり猫飯の原点はご飯に味噌汁をかけた猫まんまと呼ばれるべき物ではと思った。
過去先猫達はこれで生きて来た。

思ったら実行、私の良い処である。
朝、早速、飯に味噌汁をかけ、その上に鰹節をひらひら泳がしたのである。
モーの食卓に持って行く。

さすれば、モーはいきなり猫まんまに飛び付いた。
まずは鰹節をほお張り、味噌汁をすすり出し、ご飯を食べた。
生まれて初めての食事だ。
モーの顔からは笑みがこぼれた。

まあ最近読んでだ本には犬は完全な雑食であるのに対し、猫は動物性の物から栄養素を摂ると書かれていた。
まあ牛だからどうでもいいだろう。
喜んで食えば身に付くというものだ。

ウッシッシ ・・・・(牛の子)

これからも時々作ってやろう。

2009年12月10日木曜日

暖国

我欲訪暖国

去年此期 我等訪台湾 為打鼓中祭

我再欲 暖国呼我等

我叩鼓 懸命

2009年12月8日火曜日

H.S.G.I

久しぶりにサッカーゴルフに行った。
天気も良く、ウインドブレーカーも持っていっていたのだが、全く必要なし。
高い土手相手に何度も蹴る。
誠にもって気持ちいい。

ボールを蹴りながら、進んでいると、川岸の芝生の上で鴨が日向ぼっこをしている。
私も仲間に入ろうと近づいて行くと、一斉に飛び立ち、川の中に飛び込んだ。
襲われると思ったのか。
川の中に入ると、ここまでは来れないだろうという顔をして、すいすい泳いでいる。
舐めた奴らだ。
私が泳げる事を知らないのだ。
しかしながら、水の中は冷たそうなので、深追いはやめた。
あまりに数が多かったので、数えてみる。
115羽だった。
飛んでいる鳥は数えにくいが、泳いでいる鳥は数え易い。
でも時々まだ数えてない鳥が数えたエリアに入って来る事がある。
あいつ何やってるんだと思う。
几帳面な私はもう一度数え直す。
115羽間違いない。

もしこれを全部捕まえると、どのくらいの葱がいるんだろうと思う。
4人で1羽を入れた鍋を囲む。
115個の鍋がいる。
葱農家に買出しに行った方がいい鴨。

しばらくのんびりする。
家を出る時モーが「猫缶買って来てくれ」と言ってたので帰りに買って帰る。

2009年12月7日月曜日

楽屋

今岡山のメルパルクの楽屋にいる。
楽屋と言っても宿泊部屋の一室を使っている。
どういう訳か、コンパニオンさん20名と同室だ。

今日は建築関係の会社が集まっての忘年会だそうだ。
来賓も銀行関係、マスコミ関係と多種多彩。
今日は作州武蔵太鼓で来ている。

先程宴会が始まり、コンパニオンさん達も出て行った。
私達の出番は8時、食事もよばれ、する事もなく書いている。

ちょっと眠たくなってきた。

2009年12月6日日曜日

草刈

今日は朝8時より、部落の草刈があった。
これは年間の作業の中でも一番大変だ。
草刈の場所は、私の家の前の大きな池そしてその上流にある2つの池の土手と、池を結ぶ林道だ。

前にも言ったが、私は部落の仕事は、積極的にする事にしている。
普段、道場に多少防音はしているが、やはり太鼓の音は漏れている。
それを我慢してもらっているのだから、せめてものお詫びという事もあるし、田舎の人は元気だと言えども、やはり高齢化が進んでいる。
私などはまだ若造だ。

で今日も率先して動く、まずは池の土手の急斜面を縦に、草払い機をかけながら降りて行く。
斜面は下から刈る方がやり易いので。
降りて行く時は足場も悪いし、かずらの蔦が、草払い機に絡まる。
途中笹が2m以上あって先が見えなくなった時は、私はこのまま遭難するのではと思った。
皆で協力し合い、まずは最初の大きな池の草刈りを終える。

林道を登って行く時に、部落の人が、これは猪が掘った跡だと教えてくれる。
しかし私には実感がまるでない。
まだ一度も見た事がないのだから。
偶然出くわし、鼻と鼻を突き合わせば、実感も沸くのだろうが。

まあ無事に3つの池そして林道の草刈を終えた。
11時30分になっていた。

昼食を摂り、心地よい疲れの中テレビを観ていると寝てしまう。
午後からはダレダレの一日だった。

2009年12月5日土曜日

泡が正しい

今日は慌ただしかったが、充実した一日だった。
まず朝は富山天龍太鼓の練習に行った。
いつもより少し難しい事を教えたら、子供はポカンと口を開けていた。
やはり少しづつレベルを上げないとね。

練習が終わり、食事を取ってから、米田さんの処に行く。
鼓空の二人が、自然農法で育てた米の稲刈りをし、それを約ひと月間天日干しにしていた。
今日はその稲の脱穀をした。
昔ながらの、足こぎの脱穀機で行う。
気を抜くと逆に回りそうだ。
まあ今回は作付け面積も小さいので収穫量も少なかったが、それでも稲の一本一本にはしっかり穂が付いていた。
まずまずの成果だったと言えよう。
脱穀が終わり、片付けをする。
米田さんからいつもながら野菜を一杯頂く。

そして米田さん夫妻を含め5人で倉敷芸文館に行った。
私達の主催する「龍物語」に出演してくれた劇団転起与砲が大きく関わっている倉敷市民ステージ「STAR」を観る為だ。
倉敷市が後押ししているだけに、大掛りな舞台だった。
内容は簡単に言えば地球にいい宇宙人と、怪獣を操る悪い宇宙人が降りてきて、最後は心良き人間といい宇宙人が手を結び、悪い宇宙人をやっつけるというもの。
いい俳優さん達、そしてたくさんの市民による合同作品だった。

倉敷市は毎年このような催しをしている。
3年前に私も和洋音楽祭と題したものに出演した。

芸術に力を注いでいる市や町はやはり魅力的である。

2009年12月4日金曜日

視察

今朝は農大に行った。
最近はヨカと間違える事なく、確実に行っている。
私には学習能力があるのだ。

昼に授業が終わり、働き者の私は次の仕事に入る。
そう000フルの視察だ。
今日は平島の店に入った。
12時過ぎだというのに客が少ない。
この店の近くは学校も会社もあるのに。
何故だ?

まあとりあえず、テーブルに着く。
メニューを拡げる。
またまた日替わりの昼膳が目に入る。
金曜日の処を見ると、照り焼きハンバーグ&あじフライだ。
前回と同じ、まだこんなへんてこなメニューを出している。
仕入れ部はどれだけ大量にあじを仕入れたのか?
今度会議で聞いてみよう。

ともかく、あじを無くさないと話にならない。
重役の私とすれば、やはりここは協力すべきだろう。
照り焼きハンバーグ&あじフライを頼む。
ドリンクバーは言わずと知れた梅こぶ茶。

ウエイトレスはてきぱきと動いていた。
これも報告しておこう。

今日のあじフライは揚げ方もよく旨かった。
まあずっと揚げているのだからね。

さもありなん。

2009年12月3日木曜日

かき食えば・・・・

海の香薫る 初冬かな

念じていれば叶う まさにその通り。
うちの宮さんが一杯牡蠣を持って来てくれた。
先日来、婦人部隊では牡蠣の話で盛り上がっていた。

その何日か前、私は日生の漁港を車で走った時、牡蠣おこの看板が一杯立っているのを見た。
そしてその看板を揚げているどの店も行列ができていた。
牡蠣おこ、牡蠣の入ったお好み焼きである。
2~3年前から、日生町は町起こしで、これに力を入れている。
私は一度その牡蠣おこなる物を食べてみたかった。
そんな処から話は始まった。

皆で食べに行こうとの話にもなったが、実は宮さん数十年前、牡蠣に当たり大変な目にあったらしい。
それ以後ずっと食べずに我慢していると言う。

昨日その宮さんの処に、お歳暮で牡蠣が一杯送られて来た。
旦那さんは一杯食したのだが、それでもかなり余った。
で食べられない宮さんは、余った牡蠣は目に毒なので、仕方なく私の処に持って来てくれたのである。

どう言う事情があるにせよ、牡蠣好きな私は練習後すぐに、生の牡蠣を2つ食べた・・・・・旨い。
海の香りが口充に拡がる。
続いて殻付きの牡蠣をフライパンに載せ、少し湯を入れ茹でる。
牡蠣のふたが開く。
身を取り出し、少し醤油をかけ食べる・・・・・これまた旨い。
サザエも蛤も旨いが、牡蠣は格別である。
熱燗を片手に堪能する。

宮さんの牡蠣に対する思いはどんどん拡がっているようである。
明日死ぬと判れば、その日は牡蠣を食べ尽くしたいとも言っている。

当面言われているのは、2012年12月21日だ。
とすると宮さんは12月20日の夜に、たら腹牡蠣を食べる事になるのか?

でも私が推察するに12月21日には何も起こらないような気がする。
だとすると宮さんはその日は一日中、トイレの中。

可哀想に!

2009年12月2日水曜日

ジーンズ

私も数年前まではずっとジーンズを履いていた。
最近はもっと楽な物がいいと感じ、履かなくなった。

ジーンズの魅力は過酷な労働にも耐えうる頑強さにあると思う。
もともとはアメリカの開拓者達が幌馬車の幌の生地を使って作ったと言う。
そんなジーンズであるが昨今の風潮を見ると、明らかにおかしいんじゃないと思う。

もともと丈夫な物をわざと薬品を付けて脱色したり、表面をバーナーで焼いたり、やすりで傷付けたり、切ったり、貼ったりと分けがわからない。
勿論私も膝が擦り切れたジーンズや当て布をした物も履いていた。
しかし意味が全く違うのである。

最初インディゴブルーだった物を身に付け、作業し履いていく内に、序所に色も抜け、ほころびもし、膝が切れたりして行くのである。
謂わば、ジーンズには1本1本歴史がある。
だから他人のジーンズを見ても楽しいし、「よくそこまで履いたなぁ~」と言う事にもなるのである。
新しい物に敢えて傷付け販売し、それを喜んで買うという心理は理解できない。
物を大切にという精神からも反していると思う。

如何であろう?

2009年12月1日火曜日

師走

今日から師走
私も先生の端くれ
走らなくては
まずは私の公園からか