2011年12月31日土曜日

大晦日

本当に1年経つのは早いものだ。
今年は2度目の台湾、同じく2度目の韓国公演と楽しい事もあったが、やはり大震災、原発事故による心理的影響もかなりあった。
私達に出来る事はと、チャリティーイベントに力を注いだりはしたが、まだまだ満たされない想いである。
起きた事は仕方ないとしても、起きてなお曖昧な情報、原発の再稼動の話、また原発のシステムを海外に売ろうとする話を聴くと、一体何を学んだのかと思う。
極端に聴こえるかも知れないが、人間は経済がどうあれ、衣、食、住が足りれば生きていける。
農業、漁業等の1次産業さえしっかりしていれば生を繋ぐ事が出来る。
少し腹をくくっても良い時期に来ているのではなかろうか。
来年はいよいよ龍の年。
大きな事が一杯起きそうな気がする。
どうでも対処出来るようにしておきたい。
まずは正月三が日私は獅子舞の太鼓を叩きに行く。
良き年となるよう祈りつつ叩きたい。
皆さんも祈って下さい。

2011年12月27日火曜日

肌水

年の瀬、寒い日が続いている。
そんな中私は部落の作業をしたり、外の用事に出たりとお肌が荒れる一方。
肌水なるものを付けてみたが、果たしてこんなもので効くのか?
内の牛猫モーはしばらく家から出なかったのが、最近少し調子も良くなったのか、結構出歩いている。
あいつは肌水はいらないのか?

2011年12月24日土曜日

宇摩さん

世間ではクリスマスとなっているが、私は栗は10月に済ませた。
昨夜は最近よく共演する事のある蝦名宇摩さんがお世話になっている方々を招いての忘年会が岡山のまきび会館であった。
彼女は震災後すぐに埼玉の秩父から二人の子供を連れ祖父のいる岡山に避難して来た。
それからほぼ9ヶ月彼女を取り巻く輪は拡がった。
あらゆる処で演奏を重ねて来た。
勿論彼女の津軽三味線、奄美大島の唄、三味線が人の心に響いているのは言うまでも無いが、そのあっけらかんとした明るさと人懐っこさが皆の共感を得、彼女を応援しようとする人達が増えてきたのだろう。
お陰で私も忘年会に出席して多くの文化活動に力を注いでいる方々とも会えて楽しかった。
一次会では蟹を中心としたバイキング。
ビール少しと日本酒で私も良い気分。
3時間半の一次会の後は二次会。
カラオケも出来るちょっとゆったりしたラウンジ。
私はジントニックを飲み始める。
2杯目を飲み終わった処で宇摩さんとジョイント。
津軽じょんがら節と奄美の民謡。
適度に酒が回りながらの演奏で気持ち良かった。
彼女は来年はみんなで協力して福島の子供達を一時的でも呼ぼうと考えている。
私も出来る事で協力して行きたいと思う。

2011年12月21日水曜日

GATE

昨日は吉備津彦神社にドキュメンタリー映画を観に行った。
タイトルは「GATE」
内容は日本の僧侶たちが広島に投下され60年間燃え続けてきた原爆の火をすべてが始まった原点に戻し、そこで消し去ることで、負の連鎖を絶ち永遠に眠らせようとするもの。
日本からまずはサンフランシスコに渡り、そこから25日間、灼熱の地を2500km歩く過酷な旅だった。
目的地はアメリカ・ニューメキシコの「トリニティサイト」世界最初の原発実験が行われた所だ。
砂漠あり山ありだが、途中立ち寄る街の人々は僧侶達の過酷な旅に驚き感銘を受け、ある時は共に歩き、ある時は援助の手を差し出す。
マスメディアも徐々に取り上げるようになる。
「GATE」とは最終目的地である「トリニティサイト」にある、ここから先は入れないと言う立ち入り禁止の門である。
今までは誰も入れなかったが僧侶達は祈りでそのGATEの通過を許される。
そしてアメリカでの実験による被爆者達、宗教宗派を越え集まった平和団体の人々と共に最初の原爆実験地に歩き進み、モニュメントの前で祈り、原爆の火を消す。
僧侶達の祈りながらの旅、謙虚さに感銘を覚えた。

この映画を紹介してくれたのはJunAmantoさん。
今やはり原爆の火のある星野村から火を持ってPeaceWalkしながら各地で上映会を開いている。
彼は舞踏家でもあり、原爆の火を持っての踊りを吉備津彦神社に奉納された。
もし皆さん機会があれば是非この映画御覧下さい。

2011年12月19日月曜日

岐路

今年は震災、原発事故が起きている事もあり、私の周りでも様々な動きが起きている。
直接支援のものも多いが、これからの人の生き方を暗示するものもある。
それらは深い処で繋がっている。
またその繋がりが加速度的に早くなっている。
人がどう選択するかの岐路か。

2011年12月14日水曜日

明け方

昼間はさほど寒くはないが、夜それも明け方頃は心底寒いことがある。
足先から股にかけて凍傷になってしまうのかと思う程だ。
別にタオルケット1枚で寝てるわけでもなく、家とてサッシがあり隙間風が入るわけでもない。
それなのにだ。
と文句を言った処でそれなら県北の人は?新潟の人は?北海道の人は?エスキモーの人は?
と聞かれればグーのねも出ない。
そう言えば数年前に湯たんぽを買ったが一度も使っていない。
今晩から使ってみよう。
解決!

2011年12月12日月曜日

忘年会

昨日は鼓空とお世話になった団体、個人をお招きして忘年会をした。
場所はガネーシャというネパールの人達がやっているカレー屋さん。
岡山市の雄町にある。
以前私達も来たことのある店だったが、今回ここでやる事になった発端は西大寺にここの支店ができ、覗いたらデブさん(太ってはいない、むしろ痩せ方)という青年とムンさんという年配の女性がやっていた。
お客は土曜日だと言うのに全く入ってない。
まあよくよく考えてみると西大寺とは言えここはメインの通りからかなり入った処で住宅街の一角。
決して一元さんが入るような処ではない。
しかしカレーを食べてみるとスパイシーの中にもこくが有りとても美味い。
また何より二人の人柄が良い。
まだ日本に来たばかりで、日本語も片言、英語も話すがかなり訛りがある。
しかしチベットの下で生まれ育ったからだろうか、笑顔でピュアーな感じ。
で半分はここを皆に知って貰いたいという思いもあり、ここで忘年会を開く事にした。
しかし皆さんに声をかけると思いの他たくさんの方が来て下さる事になり、40人までは入れると思っていたが、大幅に越し50人近くになった。
それでオーナーのパダムさんが本店の2階にしたらと言ってくれ雄町の本店と成ったのである。
鼓空のメンバー家族以外ではチームはるはるの皆さん、おいでんせぇー岡山の皆さん、ブギスタジオの関係の皆さん、富山天龍太鼓の皆さん、今年お世話になった方々等である。
皆さん気の合う人達ばかりなので、主催なのにリラックス出来る。
会はまずメンバーのハンドベルによる「もろびとこぞりて」そしてサンタが子供達にプレゼントを渡す。
乾杯の後しばし歓談、おつまみ、3種類のカレー、ナンを食べる。
ソフトドリンク、酒は飲み放題。
私はビールの乾杯の後次に何を飲もうか迷う。
あるのは各種サワー系に焼酎そしてネパールラムと称される物とインドウイスキー。
流石にインドウイスキーは頭がどっか変な処に飛ばされそうだし、ネパールラムを頼んだら意外とまろやか、口当たりはちょっとバーボンに似ていた。
結局最後までこれを飲み続ける。
小さきステージではメンバー3人が1週間前に買った篠笛の初披露。
曲は蛍。
来年いかに上手くなっているかが、見所だ。
この後蝦名宇摩さんの津軽三味線と奄美大島の民謡私も太鼓で入る。
今回音量の関係から太鼓も小さいのと、他はコンガ、ボンゴ、ジャンベ、バスタム等を用いる。
それらを使って鼓空の演奏、皆さんにも入って戴く。
続いておいでんせぇの二人によるギターの弾き語りとジャンベの演奏、
鼓空の初期メンバーの演奏、子供の演奏、富山天龍太鼓等が続く。
皆拍手一杯、盛り上がる。
こうしてあっと言う間に3時間30分が経った。
たまには忘年会でなくてもこんな集いを開くのも良いなぁ。

2011年12月9日金曜日

猫と私

綺麗だった紅葉も少しづつ落ち冬を迎えようとしている。
モーは怪我をしてからはずっと家にいてホットカーペットの上で丸くなっている事が多い。
寒いのもあるが、やはり調子が今一つなのだろう。
私はと言うとだいぶスケジュールも落ち着き昨日は久しぶりにヨカに行った。
暫くぶりだとやはりきついきつい。
ゆっくり体を整える事にしよう。
モーももう少し良くなったら猫背矯正からしてやろう。
姿勢が一番だから。

2011年12月7日水曜日

セッション

岡山芸術回廊も秋晴れと紅葉の中無事に終わった。
ここではサヌカイト本来はマリンバ奏者である臼杵美智代さんとの素敵なコラボだった。
最初は時間差がある為戸惑いもあったが、徐々にそのコツがわかって来た。
何でも試してみるものである。
今度またマリンバでも御一緒できる機会があったらなぁと思う。

また昨日は二人の方とセッションをした。
一人は津軽三味線の蝦名宇摩さんである。
彼女は奄美大島出身なのだが津軽三味線に出会い数々のコンクールで優勝するなど素晴らしい経歴の持ち主である。
そんな彼女との出会いはひょんな処にある。
私は今村で崇高なる福祉委員をしている。
で年6回ふれあいサロンなる催しを開いている。
これは老人や子供達を対象にふれあいの機会を作り、一緒に芸能を観たり、食事をしたりするのである。
今までも手品師やアコーディオンの方々に来て戴いた。
今回は偶然宇摩さんが二人の小さい娘と原発から逃れる為に岡山に来ていて、偶然村の人と知り合いになり、ふれあいサロンにも出てくれる事になったのだ。
そんな彼女は我が道場にも来てくれ一緒に音を出した。
初めてのセッションだったが呼吸もぴったり合った。
で結局昨日のふれあいサロンにも2曲共演した。
1曲は津軽じょんがら節、もう1曲は奄美大島の民謡だった。
村人の皆さんも大変喜んでくれ良い会となった。
また午後には北海道のアフリカン楽器の奏者の山北のりひこさんがチームはるはるのママと来てくれた。
彼はもう5~6年前になるだろうか彼のグループN’DANAを連れ西大寺呉服座に来た事がある。
その時観に行って、その後話をしている内に意気投合、翌日の私達のライブにもメンバー揃って来てくれ飛び入り参加もしてくれた。
今回は彼の単独のツアーだった。
彼はたくさんのアフリカンの太鼓やマリンバ、カホンを持っていたが、驚いたのは殆ど全部彼の手作りだった事だ。
固いけやきなどをくり貫いて作ったものだ。
どれも表情に独特の味があった。
ひとしきり話をした後、一緒に音を出す。
20分程の1本勝負だった。
もっといろんな曲もしてみたかったが、彼は夜西大寺で本番があったので、それまで。
私もちょうど空いてたので観に行った。
彼はいろんな楽器を操りつつ、唄った。
声も大らかな感じで気持ち良い。
1時間30分ぐらいの演奏だったが、飽きる事はなかった。
一人でその時間お客さんを楽しませるのだから大したものだ。
学ぶことも多かった。
実に良い日だった。

2011年12月3日土曜日

嬉しきかな

何を買うわけでもなく、諸々の突然の修理、猫の入院、スピード違反の罰金と予期せぬ金24万を支払った私。
偉いなあ~ 何故かは知らねど~
されど良き事もあった。
今使ってるパソコン、急に切れ一時は電源も入らなかった。
それをいつも世話になっている電気屋の0山さんに相談する。
彼は私の懐事情を知っているのか、何でもかなり安く収めてくれる。
デジタル放送になった時も安く新古品を回してくれた。
また水道工事をしてくれたり、サッシの鍵を付け替えてくれたりと電気関係以外でも気軽にしてくれる。
私の頭の中には困った時の0山さんという意識が定着しつつある。

今回も0山さんは早速パソコンのケースを開けてみる。
そしてわかった事が。
どうやらこのパソコンは個人で組み立てられた物らしい。
私もメンバーの知り合いの方に手配して貰ったので知らなかった。
ただ音が出ず、私も貰ったスピーカーを付けたりして、いろいろ試してみたが全く駄目だった。
0山さんは見るなり音の出る基板が入ってないですね、だって。
結局マザーボードなる箇所が不安定な状態になっていたらしい。
早速持ち帰って修理をしてくれる。
そして戻った時には素晴らしい音は出るは画面は綺麗だは、スピードはどんこから一気に新幹線になった感じ。
容量を100倍以上の600GBにしてくれていた。
そりゃあ新幹線にも成るわな。
おまけに画面も液晶のを持って来てくれ使って下さいとただでくれた。
結局思ったよりずっと安く、よりより良い状態にして戴いた。
有難きかなである。
今は猫部屋になっている事務室であるが、高級なソファーを入れワインでも飲みながら、いろんな音楽を楽しみたいものである。
高級なソファーを買おう!

いやいや、自重出来る処が私の偉い処である。

2011年12月2日金曜日

試練か!

いやはや先日この処やたらと出費が重なる話を書いたが、今日もその追い討ち。
我が家の前にある池の土手の草刈りをしようと草払い機のスターターの紐を引っ張ると紐は出るが元に戻らず。
とりあえずその部分を取り外し分解してみる。
最後のネジを外すと中のゼンマイ状のバネが溢れ返ったように飛び出す。
あ~ これがどうしても元に収まらない。
嫌だと言うのである。
結局そのパーツを取り寄せて貰う為にホームセンターへ。
まあせいぜい2000~3000円かと思いきや7300円だって。
私を何様だと思っているんだろう。
で仕方なくブログでも書こうかなと思ったらいきなりパソコンの電源が落ちた。
何故かはわからねど。
初めての事だ。
ただこの処ブログに入る時に暗証番号の変更をお勧めしますとの表示が出ていた。
関係あるのか?
助けてわかる人!
番組か
その後も電源入らず。
今携帯で書いている。
またもや出費の予感
あ~~

2011年11月26日土曜日

後楽園

今日は朝、空というグループの教えに行った。
その後、後楽園に真備町竹のオーケストラというグループを聴きに行った。
このグループとは以前真備町で竹林音楽祭と言うイベントがあり、御一緒したことがある。
学校の先生を中心に子供達が手作りの竹の木琴を叩く。
山とか川とか自然の中で演奏すると実に心地良い。
岡山芸術回廊の準備会議に出席した時、何か他に今回のイベントに合うグループは無いですかと聞かれこのグループを紹介した。
それで紹介した手前観に行った。
場所は私達が共演するサヌカイト(石琴)の方の処だ。
後ろに岡山城と旭川が見える絶好の場所でのんびりと竹の音楽を聴かせて貰った。
お客さんも楽しそうだったし、演奏者も良いロケーションで出来たことを喜んでおられた。
紹介して良かった。
竹の演奏の後は剣舞があった。
皆さん腰が落ちてて、動きも綺麗だし迫力があった。
バックに岡山城が見えるだけになお更だ。
やはり今回のような催しは出演するのも良いが、小春日和の中ゆっくり観るのもまた良い。
今度私達は12月4日だ。
お客さんの如く楽しめればなぁ~。

2011年11月22日火曜日

出費

年末だと言うわけだはないが、何かと出費が続く。
車の修理から始まり、猫の入院、コピー機のトナーの交換、そしてスピード違反で捕まる。
皆それぞれに悪しき意図があったわけでは無い。
スピード違反とて吉井川の土手を何台か並んで走っただけのこと。
別に飛ばしている感覚も無く、前の車について走っただけ。
それを土手の下で隠れて待ち伏せるなんて。
結局50kmの処を68km出し、18kmオーバーで12000円の罰金。
おかげで加茂に仕事で行ったのにパーになってしまった。
もう出費はお終いにしたい。
もうすぐ師走、先生の端くれでもある私、走らねば。

2011年11月21日月曜日

ほっと一息

10月11月と休み無く動いてきて、少し疲れもたまっていたが久しぶりに今朝はのんびり出来た。
昨日は和太鼓連盟の定期コンサートに行った。
鼓空は今年は出なかったが、他のグループの演奏やみんなでやる合同曲2曲を聴いたり楽しかった。
特に若い人達の嬉しそうに叩く姿が印象的だった。
今年ももう少し本番があるが、落ち着いたらまた和太鼓の新しいフレーズや新曲なども作れればと思う。

2011年11月17日木曜日

あほ猫

うちのあほ猫モーがまたまた大怪我をして帰って来た。
3日ほど帰って来なかったので、どうしたのかぁ、よその家でのんびりくつろいでいるのかなぁ?と思っていた矢先。
以前3ヶ月程帰って来ず、どこかで野垂れ死んでいるかもと思っていたらやはり大怪我をして帰って来た。
遊び猫のくせして怪我をしたら間違いなく帰って来る。
前回はあごの骨を折っていて下の牙も折れていた。
事故だとはわかるが何かは特定できず。
即手術6日間程入院。
動物は保険がないので8万円ぐらい払った。
今回もまたあごの骨を折っていて、またもや手術、4日間入院。
原因はまたもや特定できず。
しかし今朝とりあえず柔らかい食事なら摂れるようになったので帰って来た。
病院代、流動食を買って6万円が飛ぶ。
今暖かい部屋で小さいホットカーペットの上で御就寝。
個室だし1泊1万円程取ってやろうか。

2011年11月15日火曜日

宇宙・回廊

先週金曜日は朝岡山市の北の方にある龍泉寺に行った。
ガユーナ・セアロさんこと陽月院さんに再度会う為だった。
この日2011年11月11日11時11分から世界平和を祈る法要があり、信者さんの水行や火行も行われた。
私は水行に立ち会われる為に、大勢の人の中歩いて移動されている陽月院さんにお会いした。
目が合ったので気軽に「お早うございます。」と声をかけた。
陽月院さんも気付いてにこっと笑われた。
すると私の近くにいた人達が地面にひれ伏し頭を下げ合掌し始めるではないか。
私の気軽さは果たして赦されるのだろうか?
多くの人が龍の口から飛び出す山水で水行している時、陽月院さんはずっと印を結び、天を指し地を指しエネルギーを送っているようだった。
この後火行があったが、途中で「宇宙神楽」のリハもあるので龍泉寺を後にした。

「宇宙神楽」は造山古墳であった。
ちょうどこの日は満月、いにしえからの雰囲気が漂っている。
皆徐々に踊り、唄に熱が入って行き、御柱を立てて行く。
エネルギーを上昇させて行く感じはやはり非日常的だ。

「岡山芸術回廊」は初日岡山表町をパレード。
先頭は芸術回廊の旗。
2番手はひよこチンドン、3番手はでっかい恐竜、そして息子の作った像、鼓空の太鼓、龍の順。
なかなか珍しい組み合わせだった。
2日目はいよいよ後楽園と岡山城をサヌカイト(石琴)と和太鼓で繋ぐ催し。
この日も天気が良く秋晴れ、紅葉、旭川の水の青と願っても無い環境だった。
サヌカイトの音もきらきら輝いて心地良かった。
距離の時間差が問題になっていたが、基本私達が太鼓でビートを出し、それに臼杵美智代さんのサヌカイトに乗って戴くという手法を取った。
だからおそらく後楽園側ではある程度音を楽しめたんではないかと思う。
ただ私達は出している音と聴こえて来るサヌカイトの音にずれが生じているので、客観的にはわからない。
兎に角私達も始めての経験だったので難しい面も多かった。
だだ今回試してみて太鼓に出来る修正点も見つかったので、今度12月4日にはより良い状態で皆さんに聴いて戴けるのではないかと思う。

2011年11月10日木曜日

明日より

明日11日(金)には吉備路にある造山古墳で「宇宙神楽」がある。
内容は神楽であるから古事記的要素もあるが、今新たに人の心を地球そして宇宙の波動に合わせ、人の本来あるべき姿を実感しようとするものである。
皆で唄い踊りながら御柱を立てていく。
私達も太鼓で出演する。

明後日12日(土)から来月4日(日)まで「岡山芸術回廊」が開かれる。
主旨は「深まる秋に後楽園と岡山城という豊かな空間とそこに流れる素敵な時間を楽しんで戴く」というものである。
12日(土)の朝11時より恐竜や龍、象と共に岡山表町の千日前からシンフォニーホール、後楽園へとパレードをする。
ちなみに象は息子慧の作品だ。
13日(日)は昼1時から後楽園側にはサヌカイト(石琴)、岡山城側には和太鼓があり、旭川をはさみ呼応しながら演奏をしていく。
サヌカイトは臼杵美千代さん、和太鼓は鼓空が受け持つ。
距離による時間差をどう楽しむかがポイントになりそうだ。
途中和太鼓のワークショップもするので興味ある方は是非どうぞ。
同じ試みは12月4日(日)にも為される。
また他の日にも後楽園等で様々な催しがあるので、皆さん秋を楽しみつつ遊びに来て下さい。

2011年11月7日月曜日

菜の花舞台

この週末伊豆は土肥に行って来た。
名優橋爪功さんが毎年ここで開かれている「菜の花舞台」に出演させて戴く為だ。
私の娘遥が橋爪さんが代表をされている演劇集団「円」で役者をしている。
これが縁で橋爪さんから呼んで戴いた。
「菜の花舞台」は土肥に橋爪さんが20年前に別荘兼稽古場を建てられ、その頃から地元土肥の人達と一緒になって育んで来た舞台だ。
例年菜の花畑に囲まれた舞台で円の公演そして素晴らしいゲスト達の公演が催される。
今年は東北の大災害に配慮され今に延期となっていた。

金曜日の夜道場を出発いつものように名古屋の近く小牧の健康ランドで仮眠を取る。
土肥には土曜日2時前に入る。
今回は象牙美術宝庫の駐車場が会場となっていて、しっかりとした舞台が出来上がっていた。
準備をして即リハーサル。
しかしリハの後夕方頃からなんと雨が降り始める。
開演は5時過ぎからだったが、雨の収まる気配もなく象牙美術宝庫では中止。
舞台は橋爪さんの別荘兼稽古場になった。
1階が稽古場になっていて50坪ぐらいあろうかかなり広い。
最初に地元の粋鼓伝という和太鼓チームの演奏。
そして橋爪功さんの朗読夏目漱石の「杜子春」
目の前に主人公、仙人、閻魔さん等が飛び出してきそうな迫力だ。
横で吹かれてた村山二郎さんの篠笛も素晴らしかった。

この後鼓空の演奏。
時間も押していた為私のソロと2曲だけ披露した。
地元の方々は本当に暖かく一杯の拍手を戴く。
最後に「円」の公演。
「だまし絵・トロンブルイユ」という物語。
現実とあの世とが行き交う話だ。
遥は橋爪さんの娘役で出演していた。
私も円の作品は今まで何度も拝見しているがやはり見応えがある。
橋爪さんは今更言うまでもなく凄い役者であるが、他の若い役者さん達の演技も熱が入っている。
本当に別世界に引き込まれる。
演劇の後ろで音楽を担当されていた方々も素晴らしかった。
篠笛は朗読でも出演されていた村山二郎さん、太鼓は平沼仁一さん。
平沼さんは和太鼓グループ鬼太鼓座出身その後鼓童で10年ぐらい活動され今は東京打撃団の代表をされている。
村山さんも鼓童出身で今はやはり東京打撃団でも活躍されている。
もう一人役者としても参加されてたタップダンスのRONx2さんは北野武さんの「座頭市」にも関わっている方で演劇の中で踏まれるタップもやはり素晴らしい。
ジャンルは違っても皆さんの持つ緊張感、完成度は優れていてそれが共通項になる。
本当に良い場面に居合わせて戴いた。
打ち上げではいろんな方々と楽しく談笑したり、改めて皆さんの芸を拝見したり、鼓空も踊れる曲を数曲披露し皆さんに踊って戴いた。

橋爪さんの奥さんから内のメンバーに来年も来て下さいとお言葉を戴いたそうだが、もしそうなれば私達も今以上の緊張感と完成度を持って臨みたいと思う。

2011年11月4日金曜日

山寺にて

昨日は美作の本妙寺に行った。
ガユーナ・セアロさんこと陽月院さんの講話があった。
陽月院さんは長年に渡りミャンマーやカンボジアやスリランカの孤児達の為に学校や施設を造られている。
一見ダライ・ラマさんにも似た大らかな感じのする日本人のお坊さんだ。

私が最初に陽月院さんにお会いしたのはもうかれこれ7~8年ぐらい前だろうか。
吉備の庵のような処で一人一人に説法されるという機会があり、私もアジアを旅しておられるお坊さんという事で興味が湧き、行かせて戴いた。
一人45分間程の面談だった。
部屋に入ると優しいお顔を拝見する。
師 「君は何か悩みはあるかねぇ~」
   から始まる。
私 「今特に悩みはありませんが陽月院さんにお会いしたくて来ました。」
師 「仕事は何をしているのかねぇ~」
私 「和太鼓を叩いています。」
師 「そうか太鼓を叩いているのか、太鼓っていうのは良いねぇ~太鼓は最後は舞に繋がるなぁ~。処で君は太鼓を叩いて疲れるという事は無いかねぇ~」
私 「時には疲れる事もあります。」
師 「わしの知っている老僧はなぁ、普段は杖をついて歩くのもやっとなんだが、いざ修行で山に登る時はさっさと登り若い僧もついて行かれない程なんだよ。どうしてかわかるか?
老僧はなぁ山の木々からエネルギーを吸い取り登るんだよう~」
私 「へぇ~」
師 「君もなぁ太鼓を叩く時はなぁ、お客さんのエネルギーを全部吸い取ってしまうんだよ。そうすると疲れるどころかますます元気になって行くから」
私 「はぁ~!?」
そうこう話を聞いている内に時間が来る。
最後に
師 「わしも君の太鼓を是非聞いてみたいなぁ~。しかしわしがもし観に行ってもわしからはエネルギーを吸うなよ。」

これが前回の話
今回は講話で最初福島に行かれた話をされ、それから集まった人のいろんな悩みに応じられた。
悩みを聞くと即座に明確に応えられる。
流石だ。
1時間半程の楽しい講話だった。
しかし終わった後私はぐったりとなった。
車で帰るのもやっとだった。
師にしてやられた。

今度11日に龍泉寺というお寺で「平和の絆祈願祭」というのがある。
宇宙神楽の日だが、その前にちょっと行ってみようと思う。
今度は吸い取らせて貰おう。

2011年10月31日月曜日

祭が終わって

昨日は「風人の祭」が開催され、1年ぶりにまーちゃんを初めキーボードのRちゃん、パーカッションのAちゃん、ミキサーのK君に会えて楽しかった。
またゴスペルのOちゃんの歌は相変わらず素晴らしかった。
私も瀬戸内海のレゲエソング「エトセトラ」を久しぶりに人前で唄った。
私の唄は決して上手くないが、一度聴いたら皆耳から離れないと言う。
人の心の中に土足で踏み込んで、靴をそのまま置いて帰る感じか。
他の出演者、うらじゃ踊り、ブラスロック風なグループなど皆パワフルだ。
またたけちゃんの紙芝居は彼のピュアーな感じにいつも感動する。
出店ブースは結構ナチュラル系の食べ物屋さんが多く、いろんな物を一杯食べた。
スタッフの方々は何から何まで良く頑張っていた。
お疲れ様である。
また来年もこの祭りは開かれよう。
人の和がますます拡がればと思う。

2011年10月29日土曜日

風人の祭

25日に「ぼさつ」のメンバーと仲間が集まった。
酒を酌み交わし、しゃべり続け、そしてセッションを楽しんだ。
27日は我が道場でミニコンサートも開いた。
そして昨日また来年も集まろうと握手して皆帰って行った。
あっと言う間の4日間だった。
皆を送ってからは流石に何をする事も出来ず、ただボーと過ごした。

そして今日は「風人の祭」のリハーサルに行った。
昨年同様場所は空港側のレスパール藤ヶ鳴だ。
明日またまーちゃんを初め多くのミュージシャンとも会える。
楽しみである。
もし時間のある方は本当に良い祭なのでお出かけ下さい。

風人の祭

日時   10月30日(日)開場12時 開演13時
場所   レスパール藤ヶ鳴 岡山市菅野3399-1
入場料  無料
出演   南ぬ風人まーちゃんバンド
      コジスカオーケストラ
      the JOY 2011
      right Spirit
      留音
      beZen 鼓空

各種食べ物関係のブースも一杯出ます。

2011年10月26日水曜日

シアトルから

毎年この時期ベイエリアでも活動してた「ぼさつ」のメンバーのTちゃんがシアトルから帰国し、岡山にも遊びに来る。
今回はそれに伴ない愛媛からRちゃん、千葉からNちゃんそしてM兄弟と音楽仲間が5人揃った。
皆で酒を酌み交わしながら話が尽きない。
昨晩はアコースティックな感じでセッションをした。
今日はエレキで遊ぶだろう。
明日は道場でミニライブをする予定になっている。
まだ彼等には言ってないが、1曲是非して貰いたい曲がある。
「エトセトラ」と言う私が以前作った瀬戸内海をテーマにしたレゲエの曲だ。
実は今月30日に「風人の祭り」がありそこでどういうわけかこの曲がリクエストされている。
以前は和太鼓とギターとキーボードで演奏していたのだが、今来ている仲間ならギターの数も増えるし、ベースも入りよりレゲエぽくなるだろう。
これから頼んでみよう。
楽しみだ。

2011年10月23日日曜日

龍と雨

昨日は天気予報では雨だった。
私は朝一番に農業大学に向かった。
大学で一番大切な収穫祭の日だ。
学生は自分達が育てた野菜などを販売したり、模擬店を出したり、ステージで演奏等をする。
農大ならではの祭りだ。
だから私も雨の事が気になっていた。
幸い朝はぱらつきはしたが、なんとか持ちこたえた。
開会式では恒例になっている学生の和太鼓演奏もスムースに行った。
午後にも彼等の演奏があったが、私は夕方から玉井宮東照宮の龍神祭があったので彼等に任し帰った。
龍神祭の時は雨が降る事が多い。
やはり龍が雨を呼ぶのかも知れない。
祭りが始まろうとした時に雨が降り出した。
太鼓の演奏は一応拝殿の前で行われる事になっているが、雨の時は拝殿の中でする。
拝殿で音を出すと非常に心地よい。
がっしりとした木の佇まいの中だからか、神様の前だからか、おそらく両方であろう。
私達がまず演奏をし、それから獅子舞があり、その後もう一度演奏をした。
来年はいよいよ辰年、かなり大きな祭りになりそうだ。
どうか龍に大空を暴れまわって貰い、世の中の不幸を清めて欲しいものだ。

2011年10月20日木曜日

ヨカ

本当はヨガであるが、私の場合その域に及ばないのでヨカと呼んでいる。
この処本番も続いていてなかなか行けなかった。
今朝は久しぶりの余暇、メンバーでもないジムにビジターで行った。
ここはビジターの事を都度会員と、あるかないかわからない言語で呼んでいる。
まあ1時間490円なので、どう呼ばれても左程気にならないが。

ジムには何人かヨガの先生がおられる。
大体大まかな体の動かし方は同じだが、先生によってスタジオの雰囲気が違う。
それはしゃべり方の違いだ。
説明の多い先生、幻想的なしゃべりをする先生、言葉数の少ない先生とかである。
今日の先生は言葉数の少ない先生。
無言の時には注意が自分の体の中に行くので、良い先生と言えば良い先生だ。
ただあまり間が長くなると、こちらにも耐える限界と言うものがある。
手足がわなわな震える事もある。
まあしかし自分一人では決してやらないポーズばかりだから、終わった後は気持ち良い。
これからも出来るだけ続けようと思う。

2011年10月18日火曜日

楽園

昨日、一昨日と2人のSlowなSさんがしている畑の草刈をした。
場所は備前市鶴海で里村と山の中腹に畑を借りている。
私が草刈をしたのは山の中腹である。
通称「鹿と猪の楽園」と呼んでいる。
1反の畑が2枚ある。
名の通り彼等は夜な夜なここに来ては月見をしている。
前は水稲をしていたが、あまりに鹿と猪が荒らすので地主は土地を放棄していた。
私達は偶然地の人と車で走っている時見つけ、そこがあまりに景色が良い処だったので借りる事にした。
地元の人から「あそこは鹿と猪が出て大変だよ。」と何度も言われた。
だがそこは頭の良い私達、彼等のおそらく欲っさないような唐辛子、綿、ハーブを植えた。
結果はと言うと唐辛子は全滅。
綿は3分の2は壊滅。
ハーブは植えてたのも少しだったが、辛うじて残った。
綿については芽のある先をおそらく鹿が啄ばんだ後があった。
確かに畑には毎回鹿と猪が来た跡があったが、植物が出来なかったのはそれだけでは無い。
草の丈にも負けてしまった。
二人とも仕事を持った身週に一度行くのがやっとだった。
まして鼓空の本番が入ったらそれも無理。
麓の畑だけで手一杯、上の畑までなかなか手が回らない状態だった。
この秋も殆ど行けてない。
お陰で畑は1メートル程あるすすきの様な草が生い茂っていた。
これでは流石にお借りしている手前申し訳ない。
そこで働き者の私は2日間かけて草刈をしたのである。

なかなか大変だったが、途中老夫婦が散歩で山に登って来られた。
旦那さんと顔が会い「お早うございます」と挨拶。
遅れて奥さんが歩いて来られた。
また「お早うございます」の挨拶。
お二人は地元の人ではないらしい。
暫くして旦那さんが戻って来て、「久々井に抜ける山道はこちらですか?」と聞かれる。
私も途中までしか行った事がないが、「地元出身の作家柴田錬三郎がこよなく愛した山道ですよ。」と教えてあげる。
またして遅れて戻った来た奥さん唐突に私に「お幾つなんですか?」と聞かれる。
私、もごもご。
また奥さん「お肌の艶が良いですねぇ、またいつかお会いしましょう。」と手を振って行かれた。
初めて会った人にこんな事を言うのは余程飛んだ人なんだろう。
まあ言われた私は決して悪い気はしない。
うきうき残りの草刈を続けた。

2011年10月14日金曜日

秋祭り

この処いろんな処で秋祭りが開かれている。
今朝は農大の学生に教えに行ったのだが、彼等も毎年恒例の収穫祭があり太鼓も叩く。
ついつい学生にも教える私にも力が入る。
どうにか秋空に太鼓の音を響かせて欲しいものだ。

鼓空は今晩備前焼祭りの前夜祭に行く事になっている。
和気の清麻呂太鼓さんと日生甚九郎太鼓さんと御一緒する。
各団体の演奏が終わってから「疾走」という曲の合同演奏をする事になっている。
天気予報でこれから今夜にかけて雨脚が速くなると言っているのが気にかかる。
明日は和楽の家という福祉施設の秋祭りがある。
こちらは雨天の場合は屋内でするらしい。

果たしてどんな祭りになるんだろう。
とりあえずてるてる坊主でも作ってみようかな。

2011年10月11日火曜日

サルサ

昨日も秋晴れの気持ちの良い一日だった。
朝西大寺阿知の山の上になる春日神社の祭りに行った。
もう今年で8年目ぐらいになろうか、この時にしか会わない人達に会えてほっとする。
いつもの様に太鼓を叩いた後は餅投に老若男女の笑いが起る。

昼過ぎから岡山アイプラザの広場に行った。
ここでも岡山国際音楽祭が開かれていて昨年同様今年もサルサのオルケスタ・デ・ラ・ルスが来て心底楽しませて貰った。
編成はトロンボーン2本、トランペット2本、キーボード、ボンゴ、コンガ、テインパレス、それにヴォーカル2人が乗っかる。
リズムは小気味は良いしブラスは華やかだ。
それに何と言ってもヴォーカルのNORAさんのスペイン語の曲ばかり唄っているにも関わらず、話の感じは一見大阪のおばちゃんのようにざっくばらんで笑顔に満ちていて共感を呼ぶ。
1時間のステージだったが、満喫し帰りにベストアルバムの2枚組みCDを買った。
ドライブしながら聴こう。

2011年10月9日日曜日

リットシティー

秋、祭りのシーズンだ。
先週は私の教えている御休小学校の学区にある宮池公園で祭りがあり子供達と一緒に太鼓を叩いた。
今朝は岡山市の福田という処にある神社の祭りに行った。
両日とも秋晴れの中気持ちの良い時を過ごす事が出来た。

そして今日の午後、岡山国際音楽祭の一環であるジャズライブに出演して来た。
場所は岡山駅西口にあるリットシティー。
メンバーはボーカルコジマサナエさん、ピアノ中西隆さん、そして和太鼓の私の3人。
曲目は①Willow Weep for me  ② All of me ③ Secret song ④I think it's gonna rain today ⑤Afro blueの5曲。
曲を戴いてから2週間ちょっと、私は試行錯誤の連続だった。
どうしていいか解らないまま時間だけが過ぎて行った。
そして今日とりあえずサナエさん、中西さんに引っ張られながらも無事終える事が出来た。
お二人には大変感謝である。
良い経験をさせて貰った。

今回ジャズをするに当たって、わかって来た事そしてこれからの課題が多く見つかった。
有り難い。
とりあえずは一歩前に足を踏み出した。
もしまたこの様な機会が与えられるなら、少しかも知れないが更にもう一歩前に踏み出せそうだ。

これからも縁を大事にいろんな事に挑戦して行ければと思う。

2011年10月5日水曜日

現代音楽

この処栗農家の私は毎日栗を拾っている。
今年は全国的には台風の影響もあって不作らしいが内に関しては豊作だ。
一杯落ちていて、拾いながらこれがお金だったら楽しいだろうなぁと思う。
勿論売ってお金に換えるというのもあろうが、今の処販売ルートも知らないし、来た人にあげると皆喜んでくれるのでそうしている。

作日は栗拾いの合間に倉敷の作陽音大に行って来た。
今度開かれる「岡山芸術回廊」で共演する臼杵美智代先生と音合わせをする為だ。
本番では先生はサヌカイトを叩かれるのだが、本来はマリンバ奏者で大学でもマリンバを使って学生達にクラシックの現代音楽を教えておられる。
当日は先生は後楽園側におられ私達は岡山城側にいる。
お互いの呼応から始まり、徐々に時間差の曲に入って行く。
選曲に当たっては秋なので赤とんぼやふるさとをする事になったが実際先生のマリンバを聴きながら太鼓を叩いていると原曲からは考えられない世界に引き込まれてしまう。
怖るべし現代音楽である。
コードを分解して再構築しておられるらしい。

以前岡山国体の開会式でクラシックバレエの人達と「丹頂の舞」という曲で共演したが、この曲も現代音楽の方が作曲されていて9拍子3拍子や複合のリズムが入り混じっていて難解だった。
本当に皆さんの頭の中はどうなっているのだろう、覗いてみたい気がする。
幸い臼杵先生は現代音楽をするからと言って決して難しい人ではなく優しい感じの方なのでほっとしている。
今回も良い経験をさせて戴いている。

2011年10月3日月曜日

我が村にも彼岸花が咲きコスモスが咲いている。
内の栗も先日から殻がはじけ落ちて来ている。
私もあまり自慢できる事などはないが、栗だけは自信持ってお薦めできる。
何しろ粒が大きい。
普段下草払いしかやってなく、全く自然のままだ。
冬に葉っぱが落ちては腐葉土になって積み重なって行く。
だから土が柔らかく暖かい。
唯一自然農の為せる業である。

今日は昼から栗拾いをした。
バケツがすぐに一杯になる。
かがんで拾うので小1時間もすると腰が痛くなる。
今日はもう止め続きは明日にしよう。

先日内の婦人部隊がやはり栗拾いをして持って帰った。
そろそろマロングラッセやモンブランのケーキが来るかも知れない。
まああくまで希望の範疇だが。
でも願いは届くかも!?

2011年10月2日日曜日

初音合わせ

今日は朝和太鼓連盟の会議があり、その後清麻呂太鼓さんと日生甚九郎太鼓さんとの合同演奏のルハがあった。
実はこの10月14日の備前焼祭りの前夜祭があり、3団体がそれぞれに演奏した後、最後に合同で「疾走」という曲をする事になっているのだ。
2時間叩いた後帰宅。

3時から我が道場で問題のジャズトリオの初めての音合わせがあった。
ピアノの中西隆さんとは初めてお会いする。
優しそうな方で握手から始まる。
曲数は5つになった。
リズム的に言うとバラード、ミデイアム8ビート、4ビート2曲、アップの8分の6だ。
私はこの1週間曲は聴いてたものの太鼓で合わせる事はしなかった。
どうして良いのやら全くわからなかったからである。
ところが今日サナエさんの唄を聴き、中西さんのピアノを聴いていたら徐々に自分のすべき事が見えてきた。
まだまだ頭の中を整理しなければならないけど。
少しほっとした。

中西さんは本番前夜に広島から来てくれる事になった。
もう一度3人で音合わせが出来る。

頑張ろう、少し前向き。

2011年9月30日金曜日

闇の中

まだ見えて来ないジャズトリオ。
全くの闇の中。
このまま闇の中で眠りたい。
曲は良いのだが、聴くとやるでは大違い。
長いタイム感を保つのはこれしかないと思い、新品のブラシとマレットを購入。
だがよくよく考えてみるに、もともと和太鼓奏者の私に依頼されたのだ。
と言うことはやはりブラシとマレットは無いか。
スローバラードと和太鼓。
和太鼓とスローバラード
頭が痛くなって来る。
人間断る勇気も必要かとの思いに至る今日この頃。
登山家は頂上を目の前にしても引き戻す事がある。
これだ!
しかしまたよくよく考えてみると、私の場合頂上はおろか、まだ麓で上を見上げている状態だ。
首が疲れて来た。

2011年9月28日水曜日

揺れる

I think it’s gonna rain today.
という曲を聴いている。
女性ヴォーカルが唄うバラード風の素晴らしい曲だ。
平原綾香のジュピターを最初に聴いた時も何だこれはと思ったが、この曲にも共通する点がある。
何度聴いてもジ~ン来る。
聴いてジ~ンと来るのは良いのだが、演奏するのは辛い。
ヴォーカルのタイム感が揺れる。
ピアノが揺れる。
タイムをキープするのがドラマーだが、そうは行かない法華の太鼓だ。(本当はだんだん良くなる法華の太鼓)
辛い、どうして受けたのか?
いや考えても仕方無い。
こういう事はよくあることだ。
苦手な事を一時的には逃れる事は出来てもいつか克服しないといけない時が来る。
私もドラマーだという事を忘れて揺れよう。

2011年9月24日土曜日

女性シンガー

今度岡山国際音楽祭リットシティーで女性ヴォーカリストのコジマサナエさんと共演する事になった。
ジャズピアニストの中西隆さんと私のトリオである。
中西さんとはまだお会いしてないが、優れたピアニストであるとお聞きしている。
コジマサナエさんとは最初に会ってからはもう8年ぐらいになるだろうか、あるイベントで一緒になった。
その頃はもっぱらR&Bを唄っていた。
パンチのある声でお客さんを乗せていた。
その彼女がいつの間にかJazzを多く唄うようになった。
ギターリストの廣木光一さんの影響も大きかったのであろう。
それから彼女はニューヨークに行き音楽活動を続けていた。
4~5年は行ってたと思う。
その彼女が岡山に帰って来た。
そして会った時岡山音楽祭で共演する話が出た。

私は基本的にはジャンルを問わずお誘いを戴いたらお受けする事にしている。
他ジャンルの方と共演すると得るものが一杯あるからだ。

しかし受けた後で言うのも何だが、今までお受けしたコラボの中でもっとも苦手とする処かも知れない。

曲調はと言うとスローのジャズヴォーカルの隙間にピアノがバッキングだけを入るような感じである。
テヌートやリタルダントやフェルマータのようにリズムがゆったりして来る場面もある。
特にヴォーカルは感情表現からリズムのオンタイムをはずして来る。
ドラマー的感覚だけでは合わせにくい。
どうしたものかと考えてはみるが、多分考えるより踊り的な感覚で捕らえて行くのが良い気がする。
またしても挑戦だ。
もし掴めばノーリズムの中で漂う事が出来るだろう。

本番まで後2週間頑張ろう。

2011年9月21日水曜日

無事に

チャリティー和太鼓コンサートが無事に終わった。
両日とも二つの台風のお陰で降雨率80%に達していた。
特に台風15号は奇跡的な動きをし、まるでイベントの終わるのを待っていてくれたかのようだった。
朝から私の携帯には一般の方から「今日はコンサートあるんですか?」との問合わせが多くかかってきた。
皆さん楽しみにしておられたようだった。
楽しみにしてたのは勿論出演者のみんなもだ。
私が「決行します」と答えると皆喜んでいた。

初日に6団体そして2日目に5団体出てくれたのだが、どこの演奏も良かった。
何より叩いている姿が嬉しそうだった。
多分みんなに東北の為に少しでもという想いがあったからであろう。

お客さんは両日とも本当に太鼓が好きなんだなぁという方が多かった。
いろんなグループを熱心に聴かれ一杯の拍手を戴いた。
そして多くの義援金を募金箱に入れてくれた。

イベントに当たってはやるべき事は多かったが、鼓空のメンバーもよく動いてくれたし、当日は出演団体みんなが一生懸命手伝ってくれた。
本当に良いイベントになった。
義援金は翌日20日に日本赤十字社さんにお送りした。
これからも復興までには長い月日がかかるだろう。
私達も絶えず意識しながら活動して行きたいと思う。

2011年9月17日土曜日

決行

明日18日と明後日19日は「東日本大震災復興支援チャリティー和太鼓コンサート」の開催日である。
しかしこの1週間前には天気予報では晴れであったが、台風の発生その影響で両日雨の予報確率が徐々に上がり昨日は80%にまでになった。
流石に私もきついなぁと思った。
今朝もいろいろ考えていたが、結局これだけの太鼓打ちが集まるのだから、たとえ雨でも晴れるのを待ってやればいいのではという考えに達した。
そして昼にこの両日たとえ雨が降っても決行できればと思い、連盟の会長に相談し了解を戴いた。

ところが先程携帯の天気予報を見てびっくり。
「明日は絶好のお出かけ日和、暑さ対策を万全に」だった。
一体何の事やら、我が目を疑った。
80%雨からえらく変ったものだ。
多分叩き手みんなの気持ちがそうさせたのであろう。
明後日ももし大雨になってもやろう。
いくら降っても津波よりはましだ。
みんなが集まり東北の事を思って太鼓を叩くだけでも意味はある。


明日18日明後日19日 10時より
岡山サウスビレッジ(ファーマーズマーケット)

出演団体

  18日(日)
        ふじた傳三郎太鼓
        和太鼓風人
        小ざくら太鼓
        津山鶴丸太鼓
        備中太鼓
        清麻呂太鼓
        合同演奏

19日(月、祝日)
        水島灘源平太鼓
        創作和太鼓 和心
        早島イ草太鼓
        beZen 鼓空 
        備中温羅太鼓
        合同演奏    

皆さんのお越しをお待ちしています。

2011年9月15日木曜日

岡山芸術回廊

昨日は朝後楽園に行き、昼から岡山芸術回廊の会議に出て来た。

岡山芸術回廊とは県のホームページによると
「昨年の岡山国民文化祭の流れを受け、より県民の文化への関心を高め、伝統と魅力あふるる岡山文化を全国に向けて発信する為、後楽園、岡山城を中心とする岡山カルチャーゾーンにおいて、アート作品の展示、パーフォーミングアーツ、ワークショップを開催する。」
となっている。

私達も参加する事になった。
実際は来年が本番で今年はプレイベントになる。
私達は何をするかと言うと後楽園側にサヌカイト(石琴)の奏者の方がおられ、私達は岡山城側にいてお互いに呼応しながら演奏すると言うものである。
後楽園と岡山城の間には旭川が流れていて、幾分離れている。
ざっと100メートルぐらいはあろうか。
山びこ風に応答しあうのは問題ないが、同時に演奏する時は時間差が生じる、発した音が相手側に伝わり帰ってくるに約0.6秒ぐらいかかる。
この差をどう楽しむかがポイントになる。
ひょっとしたら弾んだリズムが生まれるかも知れない。

またサヌカイトから和太鼓の地点まで川の上を糸電話を通し、話ができるようにする案も出されている。
なかなか情緒ある話だ。
どんな感じになるか楽しみだ。

2011年9月13日火曜日

お日待ち

我が村で9月のお日待ちがあった。
お日待ちは1月5月9月と年3回ある神事で宮司さんに村がつつがなき様拝んで戴き、その後諸々の村の行事の取り決めをする。
昔はそれから日の出まで飲み明かしてたそうだ。
何しろ以前はバスも電車も無く、村人はどこに行くにも歩いて行ってたぐらいで、1年を通じてそんなには楽しい事も無かったのではと思う。
今はお日待ちも時代の流れか随分簡略化されている。
神事と取り決めが終わったらお開きとなる。

優秀な会計でもある私は今集めた町内会費を確かめ、かかった経費を計算して残高を明日農協に納める。
早くしないと次々行事があるのでわからなくなってしまうのだ。
ある時は優秀な会計、ある時は崇高な福祉委員、当分は休めそうに無い。

2011年9月12日月曜日

神楽

昨日我が道場で「宇宙神楽」のミーティングと練習があり私達も初めて参加した。
前々から皆さんは発声練習をしたり踊ったりと少しづつ準備をして来ていた。
今回の神楽へのアプローチはまず上から降りて来るものを大切にし、それを形に現して行くやり方だ。
表現者の本来あるべき姿と思うが、降りて来るものを待ってそれを皆で共有し、同じ意識の上で作り上げて行くというのは、かなり時間のかかる作業である。
春頃この話が持ち上がってやっと少しづつ動き始めた感じだ。
昨日は6人の方が来られ、鼓空から3人加わった。

初めに古事記の場面があり、最後に踊りながら御柱を感じて行くと言う流れだ。
今日本も天災人災を受け大変な時期だが、これからの人の在り様を垣間見る一助になれば良いと思う。

2011年9月10日土曜日

プルトーンの火

サンフランシスコの対岸バークレーに住む友人まあちんが制作に関わった映画を送ってきてくれたのでここでも紹介します。
アメリカのウラン採掘においてインディアンや動物、大地 多くのものが犠牲になった事をインタビューを通じて赤裸々に浮かび上がらせています。
是非観て戴きたいと思います。


まあちんより
1993年に衛星チャンネルの番組用に製作したものです。宮田さんが脚本・監督で、私も脚本の一部を手伝い、カメラを回しました。20年近くたっているのが、ちょっとしたショックでした。原発事故だけでなく核産業のあらゆる側面で被害者は昔からいたのです。




「プルトーンの火」(1993年)ドキュメンタリー 世界の核汚染と日本の原子力政策 採掘から廃棄場まで世界中で核燃料サイクルのそれぞれで被害をうけている人々の証言

1/2 http://www.youtube.com/watch?v=9hI_5Xwv4tc

2/2 http://www.youtube.com/watch?v=NpxTNSnz1js&feature=channel_video_title

2011年9月9日金曜日

手抜き

秋の気配が徐々にして来ている今日この頃である。
我が畑も夏草から秋の草に変りつつある。

今年も畑は今二つだった。
できたのは大根、じゃが芋、きゅうり、トマト、おくらぐらいだ。
まだ掘ってないが落花生も多少はできていると思う。
なすび、ピーマン等の片目をつむってても出来る野菜は全く駄目であった。
理由は今年これらの野菜は春に種から始めたのだが発芽せず。
6月の頭ぐらいに、店に残っていた細長い苗から再度始めたのだが遅かったみたいだ。
また例年そうであるが、収穫時前の大事な時期が結構忙しく目が行き届かなかったのも原因の一つだ。

こうして我が自然農の道も難航しているが、これは自然農の問題ではなく私の手抜きの問題だ。
以前ここから牛窓に行く途中に「てぬきうどん」と言う一見讃岐うどんと手打ちうどんを引っ掛けたようなうどん屋があったが、潰れてしまった。
やはり手抜きは駄目なのである。

2011年9月8日木曜日

Newspaper

まあ新聞とすれば良いのだが、前回Radioだったので流れで書いた。
これからはタイトルはみな英語にしようと思う。
・・・・・・・・嘘である。

昨日山陽新聞さんが「東日本大震災復興支援チャリティー和太鼓コンサート」を掲載して下さると言う事で取材を受けた。
場所はふじた傳三郎太鼓さんの稽古場。
記事にコンサートに向けての練習風景の写真が欲しいとのご要望を戴いた。
折角なら最後にする合同曲が良いだろうと、岡山周辺のグループに声をかけようとしたのだが、急な話でもあったので、結局ふじた傳三郎さんと鼓空の練習している様子をカメラに収めて貰った。
傳三郎さんと言えばその中の花みずきの3人と今年3月に台湾公演を共にしたので親しみ深い。
1時間の練習で一緒に音を出したり、聴かさせて貰ったりと有意義な時を過ごした。
感謝である。

また機会があれば内の道場に来て戴いたり、出かけたりして共に太鼓が叩ければと思う。

2011年9月7日水曜日

Radio

久しぶりにラジオ局に行った。
レディオモモさんだ。
「東日本大震災復興支援チャリティー和太鼓コンサート」を取り上げてくれることになった。
打ち合わせの後すぐに15分間の収録。
最初気を使ってくれたのか、私の過去を暴かれ、beZen 鼓空の名前の由来等を聞かれる。
由来については普段全く聞かれることが無いので、何となく恥ずかしいが喜んで話す。
そして本題コンサートの内容を細かく説明。
多くのお客さんに来て戴けるようお願いして終わった。
あっと言う間の時間だったが楽しかった。
アナウンサーの方は上手いので、どんどん喋ることを引っ張り出してくれる。
あんなに楽しいなら、ある事無い事見つけてまた行こう。

2011年9月5日月曜日

天災

台風が過ぎ去った後もニュースを見ていると、ますます被害の甚大さがわかってくる。
本当に被害を受けられた皆様には心よりお見舞い申し上げたい。
地震に台風と天災が続く。
何故にと思うが、地球も生き物として考える方が良いのかも知れない。
人は非力だ。
でも一生懸命生きよう。

2011年9月4日日曜日

台風の目

台風が過ぎ去った。
ゆっくりな大型台風で大雨を降らし、他県では河川の氾濫や地すべりで多くの被害があったらしい。
特に台風の進路の東側が被害が大きかったみたいだ。
で直撃された岡山県であるが、やはり雨量は多く大きな河まで水かさが増し、広い地域に避難勧告が出されたが、小さい被害はあったものの幸い大きな被害には至らなかった。

私はというと台風の威力を殆ど感じなかった。
不感症になったのか?
台風が四国に上陸した頃にいつもよりはちょっと風がきついかなと思ったが、後は雨は降ったものの風の強さは全く感じなかった。
おそらく台風の直撃でずっと大きな目の中にいたのだと思う。
まあ不幸中の幸いだ。

残念な事は楽しみにしてたイベントが1つ流れた事だ。
9月18日19日のチャリティーの時には台風もどうにか思い留まって欲しい。

2011年9月3日土曜日

家の中で

昨日夕方より牛窓から前島に行くフェリーが欠航しているらしい。
お陰で今日のMOONROADは中止になった。
まああまりにも台風のコースとタイミングがばっちりなので仕方無い処だ。
で私は今日、本来教えに行くことになっていた某グループにイベントが中止になったので行けますよと連絡したのだが、そこも警報が出ているので今日は休みにしますとのことだった。
まあそれはそうだなぁと私も納得。
こうして私は外に出て行くのも何だし、一挙に暇となった。
しかしながら台風の風と雨の中猫と家にいれるのは有り難いことだと感じる。
山にいる猪や鹿はどうしているのだろう?
びしょびしょになるは風はきついはで「もう嫌だぁ~」と言ってるのか?
折角暇になったし、今日は1人太鼓で遊ぶかな。

2011年9月2日金曜日

台風

今大型の台風が本州、四国に近付いている。
明日の朝には上陸とも。
あの私達明日の朝は牛窓から船に乗って前島に渡り、夜は月を眺めつつ波の音を聴きロマンティックな気分に浸る事になっているんですけど。
天気図を見てるとなんか狙い撃ちされているような。
鼓空は元来晴れグループで過去14年間でイベントが雨で流れたのは3回程だ。
だからまだわからない。
とは言うもののフェリーが止まったらどうしようもない。
泳いで渡るか。
着替えを持って行こう。

2011年8月31日水曜日

MOONROAD

MOONROAD月明かりの道とでも訳すのか、なんとなくロマンティックな名前である。
「USIMADO MOONROAD MUSIC FESTA 2011」が牛窓の前の前島で開かれる。
この3日(土)~4日(日)と2日間かけての祭りだ。
全国から素晴らしいミュージシャンが集まって来る。
もし時間がある人は泊まりがけで遊びに来て下さい。

場所は前島カリオンハウス
おおまかな予定は3日(土)の朝11時にオープン

鼓空はトップバッターで13時00分から30分の演奏。
続いてAjara、The Paaan、S-Qty、小池龍平、RojoRegaro、NAM YA BINGO、松本隆博、AFNICA、JUNN&小池龍平、天草、HIROSIMA CITY HEAD MUSIC、DJ ZEN ZIONTRAIN で深夜4時過ぎ

翌4日朝7時から木、一二三、のら犬、K-106、マーレーズ、LUVRAW&BTB、DACHAMBO、THE PEACHES&みんな で16時頃修了かな。

月明かりの下、波の音を聴きながらのイベントです。
詳しくはこのFESTAの名前で検索してみて下さい。
ではでは

2011年8月30日火曜日

蕎麦

私は蕎麦がこの上も無く好きである。
東京近郊に住んでいた頃は蕎麦屋さんが一杯あってよく入っていた。
然るに関西ではやはりうどん屋さんが主流で蕎麦屋さんは少ない。
またあってもかなり値段が高い。
そうした訳で常々鼓空畑で蕎麦を作り、美味い蕎麦屋を出し、一儲けしようという企みを持っていた。
まあ蕎麦屋は誰かにして貰い、私はカウンターに座り冷たいざる蕎麦を食べるだけだが。

先日津山の北の方で蕎麦作りを教えて戴ける集いがあって、鼓空の2Sさんと行ってきた。
先生の坂0さんの作業所で他の皆さんと合流し一杯お茶を飲んでから、4反程ある丘の上の畑に移動。
まずは種蒔きだ。
大きく畑を分割し、1人1人の種蒔きの持ち場を決める。
蒔き方は筋蒔きでも良いしバラ巻きでも良い。
私は最初でもあるし、筋蒔きをしようとまず鍬で畑に幅25cm間隔で筋を入れ、種と種の間隔を6cmぐらいで蒔いて行く。
とまあこう書いてもそんなにきちっと行く訳では無い。
だんだんフィーリングの世界に。
で調子に乗って種をごそっと袋からこぼしてしまう。
拾って袋の中に戻そうとするのだが、種だけ拾うのは難しい。
どうしても土が入ってしまう。
そうこうしてる内に鼓空の2Sさんは終わったと言って来る。
二人ともバラ蒔きだったらしい、性格が現れると言うものだ。

まあ私も偉そうな事は言える筈もなく手伝ってもらう。
天気の良い昼間だったので汗をかく。
1時間ちょっとで作業は終了。
坂0さんの作業所に帰り昼食を戴く。
料理はすべて雑穀米。
きび、大麦の飯にそれぞれカレー味や酢とてんさい糖で味付けしたものだ。
坂0さんはお弟子さんの花0さんとずっと大麦の研究をしていて、その効用の凄さを力説しておられた。
私も土産に少し買わせて貰ったが、それに輪をかけていろいろ戴いた。

帰りに無償で畑を提供して下さっている、なんと宮大工さんの工房にお邪魔をした。
工房の中にはいろんな機械が置かれていた。
私も少しの間木工をしていた経験があり、全て使った事のある物で懐かしかった。
ただそれらの機械は基本直線しか出来ない。
宮大工さんの世界もそこから始まるが、次元が違う。
釘を使わずほぞを咬ませ、幾種もの鉋やのみを使いわけて、曲線を作り上げるて行くのだ。
いろんな話を伺い楽しかったが、やはり後継者がいない事を嘆いておられた。
もしやってみたい方がおれば、持っている物全てを提供するとも仰っていた。
誰かいないかなぁ~。
仕事の斡旋料は取らないので私の処まで。

蕎麦の収穫までには何回か行かさせて戴くが、また熱い方々にお会いするのが楽しみだ。

2011年8月26日金曜日

古代吉備

今日は吉備津彦神社で悠0さんに会い、一緒に造山古墳に行った。
何故行ったかと言うと、11月11日にここで宇宙神楽なるものをするので下見をする為だ。
古墳の下で古代吉備を研究している0さんと合流した。

この古墳は前方後円墳で全国で4番目の大きさらしい。
あまりの大きさに吉備の首長であるとか、はたまた大和から来た権力者かとか学者の意見も分かれているそうだ。
ちなみにOさんは応神天皇の陵かも知れないと言っていたし、また悠0さんは卑弥呼の墓かもと言っていた。
いずれもロマンのある話だ。

私達はまずは方(四角)の部分に登った。
上には神社があった。
何故か阿蘇の石で作った石棺もあった。
次に前方なる場所から後円なる処に移動した。
円の方が高い位置にある。
登って見るとやはり上は広かった。
見晴らしの良い処で温羅が住んでいた鬼城や最上稲荷奥の院、他の古墳群が見える。
0さんが秀吉の高松城の水攻めの時各武将が陣取った山々を教えてくれる。

私は円の周りを歩いた。
しばらくして悠0さんの友達の絵描きさんが登って来た。
彼女は地元の方でやはり古代吉備についてもよく知っていて、温羅と吉備津彦の戦った場所やそれに纏わるゆかりの地名等を教えてくれた。
吉備の国は歴史から抹殺された部分が多く、今盛んに歴史の見直しをしているそうだ。

私も吉備の歴史に左程詳しくはなかったが、流石にこの巨大遺跡の上に立ち周りを見渡すとここでたくさんの事が起きてきたんだなぁとは容易に想像する事が出来る。
もう少し吉備の国の研究もしてみようかな。

2011年8月24日水曜日

サロン

サロンという言い方もなかなかレトロな感じだ。
ちなみに村人が集まる公民館のことはクラブと呼ぶ。
我が集落から車で10分ほど南に行けば、かの有名な竹下夢路の生家がある。
里の先祖達は時代を先取りしハイカラで、そしてそれが今に伝えられ、大正ロマン的な響きとして残っているのかも知れない。

まあそれはさて置き、サロンふれあいサロンの2回目をクラブで催した。
出し物はマジックショー、岡山市からマジシャンの石Oさんが来てくれた。
石Oさんはおそらく60歳代で、定年で好きな手品でボランティアをされている方だ。
自分ではほんの駆け出しであまり期待をしないようにと言われていた。
観客は20名程小さい子供達から百歳近いお婆ちゃんもいる。
手品はお馴染みのカードやひもを使ったもの、花の色を変えたり、新聞紙に水を注ぎ込むものだった。
しかし一番前列にいた子供達は目が点。
石0さんは燃えてきた。
途中種明かしも幾つかしてくれ、大人達もあっそうかと納得。
1時間のショーだったが楽しませて貰った。

マジックの後は皆で食事、そうめん、ゆで卵、いなり寿司、瓜と葡萄のデザートといった内容。
次は簡単にしよう簡単にしようと言いながらついつい凝ってしまうのがおばちゃん達だ。
おかげで楽しい催しになった。

次回は何にしようか、今検討中だ。

2011年8月21日日曜日

町内会

私は相変わらずばたばたした日々を送っている。
仕事のこと、母のこと、町内会のこと、そしてチャリティーの準備等である。

町内会のことだが、私は今年役員をしていて会計を任されている
なんで私が会計なのか私にも理解しかねる。
町内のお金を数えるより、我が財布を気にしなくてはいけない立場なのに。
まあそれでも町内会長を免れただけでも良しとしなくては。
前回の時は私よりも年配の方がおられたにも関わらず、町内会長に担ぎ上げられた。
私は人生の不条理を感じた。

私はまた福祉委員もしている。
任期は2年だ。
仕事としては老人特に1人暮らしの方や子供達が対象になる。
皆が孤立化しないようにする。
具体的には今年ふれあいサロンなるものを立ち上げた。
初回は皆で綾小路きみまろのDVDを観てその後トロピカルカレーライスを作って食べた。
なかなか好評だった。
2回目は今度の火曜日でマジシャンの方を呼んで観賞、その後トロピカルそうめんを食べることになっている。
皆でバスに乗って温泉旅行にも行く。
こうした行事を年6回する。

あの~私は言うまでもないが、和太鼓奏者である。
できるなら太鼓のことだけを考えていたい。
それなのに町内イベントの領収書とお金を見比べ、はたまた次のサロンについて頭を巡らす。
何とした事か?
しかし考えてみるに、おそらくどの和太鼓奏者もどこかの町民なんだろうから、接することは同じであろう。

こうしてどうどうと愚痴をブログに載せているのは私だけという事か.

2011年8月18日木曜日

阿波踊り

喪中ではあるが阿波踊りを観に行った。
阿波踊りは盆踊りでもあるのでたぶん母も許してくれるだろう。
私が大学の時に一緒にバンドをやっていたU君が鼓空のメンバー4人分の桟敷席を手配してくれていた。
朝仏壇に手を合わせてから4人でハイエースに乗り込み一路U君の住む鳴門市を目指した。
天気は晴れ渡っていたり、突如短時間ではあるが雨が降ったりと可笑しな感じ。
鳴門市に入ってから、私が昨年お遍路した時の一番札所霊山寺に寄った。
ここから始まるんだなぁ〜と感無量。
4人で参拝。
お寺の近くのうどん屋さんで昼食。
U君の家に2時頃着く。
U君と奥さんが出迎えてくれる。
広い敷地に部屋が幾つもある昔ながらの豪邸である。
ロックミュージシャンには一見そぐわない。
しかし流石1室には電子ドラム、ギター、アンプがセットされている。
早速2人で音を出す。
U君は何を弾くのかなぁと思ったら、DeepPurpleのHighwayStarいきなり早弾きの曲、嘘だろうと思う。
私達がいつもやっていた曲だった。
2曲目はCreamのSunshine of your love ハードロックの定番だ。
何十年ぶりの音合わせを楽しんだ。
夕方から5人で徳島市に向かう。
まずは通りすがら街の公園や商店街で地元の阿波踊りを観る。
みんな一生懸命、終わると周りの見物者の大拍手。
密着感が実に良い。
しばらく屋台で食べ物を摘んだり川の側でゆっくりしてから桟敷に行く。
6列ぐらいの階段状の桟敷が向かい合ってある。
その間を次々と各連が太鼓、三味線、笛の音に合わせて踊りながら来る。
これは圧巻だ。
太鼓は縦に担ぐ平太鼓、締め太鼓、そして桶。
リズムは各連によって皆違い、わざと早くなったり、遅くなったりする。
それは大きなチャンチキ(摺り鉦)の人が操っているみたいだ。
どの連もチャンチキの人が一番真剣な顔をしている。
チャンチキの速さが変ればすぐ太鼓、三味線、笛の速さが変り、踊りが変る。
実に見事だ。
踊りはやはり綺麗に揃った女踊り、腰を深く下げた男踊り、その対照が面白い。
特に有名連と称される処は呼吸もぴったしだ。
女の人も男の人も手の動きが綺麗だ。
大勢の踊り手、そして鳴り物、あれだけの人の呼吸が合うのはやはり、かなりの練習量そして、長い間の歴史に裏付けされているからであろう。

阿波の国挙げての阿波踊り本当に素晴らしかった。

2011年8月13日土曜日

ブログにも時々登場してた母が急逝しほぼ1週間が経った。
私は喪中真っ只中ではあるが、一昨日から昨日まで東京に行って来た。
娘の公演が新宿のスペース雑遊であったからだ。
私は前から娘も頑張っているので16公演の内どこかで観に行こうと決めていた。
今回母が亡くなり、娘は初日目前だったにも関わらず帰って来た。
娘は母が大好きだった。
通夜だけを一緒に過ごし、葬儀の朝早く東京に戻った。

今回は「automata」と言う演劇で1769年頃のヨーロッパの見世物小屋の話で、その中にチェスで人に勝つ自動人形と言うのがあり、これがお客を呼びアメリカにも渡ると言う話である。
娘は演劇集団「円」に属しているが、今回は円からは大先輩の方が1人、他は「俳優座」の方々ばかりであった。
話の内容には夢やユニークさもあるが、憂いもあった。
娘は腹話術をするピエロでシリアスな役柄だった。
周りの俳優人の演技は流石に凄く、どんどん惹き込まれて行く。
こんな人達に囲まれて演劇が出来る娘は幸せだと思った。

今回精神的にも肉体的にもきつかった娘だが楽日まで頑張って欲しい。

2011年8月11日木曜日

7日に母が亡くなった。
急な事だった、以前から持っていた持病が悪化した。
生前はよく口喧嘩もしたし、母の要求をすぐに聞いてやれない事も多かった。
もっと長生きをしてくれるのではと思っていただけに悔いが残る。
ただ寝顔は安らかだったので少しは痛みも和らぐ。
しばらくは母の事を想い過ごしていきたい。

2011年8月2日火曜日

みちのく音楽祭

いろいろバタバタしてる中ではあるが、2つの公演に行った。
1つは3年ぐらい前にお世話になった「くるみダンスファクトリー」さんの定期公演だ。
代表であったくるみさんは昨年残念ながら亡くなられて、今はお弟子さん達と娘さんが後を継いで頑張っておられる。
今回は60~70年代をテーマにした音楽、踊りのパーフォーマンスだった。
なかなか懐かしく楽しませて貰った。

もう1つは「みちのく音楽祭」というイベントだ。
青葉城恋歌で有名なさとう宗幸さんが仙台を中心に活動しているM’s Japan Orchestraを連れて来ての音楽祭だった。
さとう宗幸さんの声は相変わらず甘く優しさに満ちていた。
M’s Japanは和太鼓、津軽三味線、篠笛、キーボード、ベースで編成しているグループでなかなか聴き応えがあった。
特にキーボード、ピアノの榊原光祐さんはバークレー音楽院を出たジャズミュージシャンだが、曲にあった良い味を出していた。
ベースの黒瀬寛幸さんはチョッパーが上手く、和太鼓とのアンサンブルが面白かった。
メンバーは皆震災の直撃を受けたにも関わらず明るく東北を自分達から元気にして行こうという姿勢が感じられた。
これからもいろんな処で演奏をして行くと思うが頑張って欲しい。

私達も頑張ろう!

2011年7月31日日曜日

暑い中

今日ノースビレッジで「東日本大震災チャリティー和太鼓コンサート」が開かれた。
午後1時開演で天気は炎天下になったり、ちょっと曇ったりの繰り返しだった。
幸い湿度はそれほどまでは高くなかったようで、テントの下や木陰では過ごし易い。

演奏はあわくら太鼓さんが先発、子供達も元気良く叩いていた。
続いて備中かぐら太鼓さん年季と気合が入った演奏。
3番手は創作太鼓「和心」さん毎回変った所作を見せてくれる。
そして鼓空、今回はアフリカン、舞、仲間とお客さんに乗って貰うような選曲にした。
有り難い事に初めから終わりまでお客さんの手拍子を戴く。
最後は地元勝央金時太鼓さん熱の入った演奏だった。

あわくら太鼓さんの子供達が募金箱を持って、お客さんにお願いしているのが可愛いかった。
今回暑さのせいもあり、お客さんはそんなにも多く無かった。
しかし最後まで熱心に聴いて下さり、想いの他多額の募金をして戴いた。
有り難い。

また出演した各団体の皆さんは少しでも多く義援金をお送りしたいという思いから手弁当で駆けつけてくれた。
みんな想いは同じなんだなぁと再度実感した。

最後に勝央金時太鼓さんは勿論ノースビレッジの皆さん、勝央町役場さんの多大なる協力を得て開催に漕ぎ着ける事が出来た。
改めて感謝申し上げたい。

この流れを9月18日19日のサウスビレッジに繋げて行ければと想う。

2011年7月28日木曜日

ノースビレッジ

昨日は涼しかったが今日はまた暑い。
まあ私は暑い夏の方が好きなのだが。
今度の日曜日に岡山県和太鼓連盟主催の大震災復興支援のコンサートが開かれるので紹介したい。


東日本大震災復興支援チャリティー和太鼓コンサート


場所  おかやまファーマーズマーケット ノースビレッジ 芝生広場
日時  7月31日(日) 13時00分~ (雨天中止)

出演団体   
         あわくら太鼓       (西粟倉村)
         勝央金時太鼓      (勝央町)
         創作和太鼓 「和心」  (岡山市)
         備中かぐら太鼓     (高梁市)
         beZen 鼓空      (瀬戸内市)


入場は無料です。
募金箱で皆さんの想いを募りたいと思います。


暑い夏熱い太鼓で盛り上がりましょう。
どうぞ皆様お出かけ下さい。   
      

2011年7月26日火曜日

パソ困惑

私は元来パソコンとは無縁の生活をしていた。
私が使い出したのは鼓空のホームページが立ち上がり、その中でブログ等を書くようになってからである。
その都度必要に迫られ、周りの人に教えて貰いながらなんとかやってきたが、未だに解らない事が一杯ある。
何か問題が生じると
その都度パニックになる。

今日も問題が生じた。
ブログに投稿しようとしたら暗証番号がいくら入れても拒否されるのだ。
番号は間違えてはいない。
どうしてか、自分の頭に保存されていないデータを探しても見つかる筈も無い。
仕方なく諦めて、送らなければならないメールを出そうとした時私の頭は事の次第を理解した。
相手先のアドレスを入力しようとしたら、直接入力なのに半角のカタカナが出て来るのだ。
こんな事は生まれて初めてだ。 (少し大げさか)
理由は解った。 
暗証番号もカタカナで入っていたのだ。
理由は解ったが、どうしてなのかは理解できない。
理解できない私の頭はてっきり暑さでパソコンの頭脳が逝かれたに違いないと思った。
しかし一応何かの操作ミスかも知れないと、ふらふらしてた息子に聞いてみたら、問題は解決した。
私が他のキーを押していたのだ。
この件に関する限り悪いのはパソコンではなく、私であった。

暑いんだから他のキーも押すわなぁ~

2011年7月23日土曜日

チェルノブイリ②

先日アメリカのバークレーに住む友人夫婦がチェルノブイリで従事してた女性科学者の話の前半を翻訳しこちらに送ってくれていたが、今回全部完成したからと再度送ってくれた。
皆さんにも読んで戴きたい。

私は一昨日の深夜BSだったと思うが偶然チェルノブイリの原発事故の起る様子そしてその後の対応を事実に基づいてドキュメント的に制作された映画を見た。
かなり衝撃的なものだった。
そこには起きた事が想像を絶する事態で現実だと受け止められない現場の指揮官、作業員の姿があった。
また事実が判った時点でも、責任の問題、対面上の問題で事実を極端に過少に報告する姿勢。
作業員にも事実を正確に伝えず、無防備で作業をさせ、住民にもパニックになるからと現実を教えず、多くの人々が被爆して亡くなった事が報じられていた。
人間の心理的プロセス(個人レベルから国レベルまで)が被害をとてつもなく大きなものにしていた事がよくわかる。

ではバークレーの大羽夫妻からの情報を記そう。



皆様、


チェルノブイリの事故処理にあたった女性科学者、ナタリア・マンズロヴァが体験を語った「Hard Duty」の日本語訳が終わりましたので、お読み頂ければ幸いです。チェルノブイリの経験から学び、福島の原発事故による健康への被害が少しでも軽減されれば、という願いを込めて翻訳させていただきました。既にパート1はお読みになった方もいらっしゃるかと思いますが、翻訳のいきさつ、著作権のことなどについて前書きに目を通していただいてから、本文の方をご覧ください。



http://www.zenplanning.com/nuke/HardDuty/index.html 〔日本語訳前書き)

http://www.zenplanning.com/nuke/HardDuty/HardDuty_JP.pdf 〔本文)



大羽比早子

2011年7月19日火曜日

愛すべき先輩

今年初めての夏祭りに行った。
場所は寄島町の「イルカの家」という養護老人施設だ。
ここにはもうかれこれ10年近く行かせて貰っている。

ここの理事長は私の高校時代の一つ先輩である。
私達の高校のクラスは特殊で全寮性だった。
だから同じ処に寝泊りし、同じ釜の飯を食ってきたわけだ。
そのせいか今でも深い繋がりがある。
でこの理事長の事であるが、高校の時からの愛称がある。
顔が漫画の丸出駄目夫に似てる事からみんな「駄目ちゃん」と呼んでいた。
後輩の私達もそう呼んでいてたのだから可笑しなものである。
私達は昼夜一緒にいたのでいろんな話を一杯した。
でこの駄目ちゃんだが、顔に似合わずしっかりした考えを持っていた。
或る時私に「俺は寄島と言う小さな町で町医者をしている親父を尊敬している。今は親父が頑張っているから良いけど親父が動けなくなったら、町の人も困るだろう。俺は医者になって寄島に戻り親父の後を継ぐ。」と言ったのである。
高校の時の話であるから、当然大学医学部に入る前の話である。
その駄目ちゃんが今その時の話を現実にして頑張っている。
それもただの頑張りではなかった。
彼は病院を継ぎ、養護施設を建て、リハビリテーションの学校まで造った。
勿論奥さんを初め、多くの人の支えがあってこそ出来たものであろう。
しかしそれも彼の人柄があってこそだと思う。

私達も毎年ここの夏祭りに呼んで貰っているわけだが、彼が皆さんから信頼され一般的社会評価も高いのがよくわかる。
祭りには国会議員を初め地元名士が並ぶ。
私は人前では彼の事を理事長さんと呼ぶ。
しかし二人になると相変わらす「駄目ちゃん」である。
彼は全く変っていない。

2011年7月15日金曜日

チャリティー

岡山県和太鼓連盟主催のチャリティーコンサートに多くの団体が出演してくれる事になった。
皆の力を結集して良いイベントそして東北復興支援に少しでも力に成れるよう頑張りたいと思う。
コンサートの内容をお知らせしたい。


東日本大震災復興支援チャリティー 和太鼓コンサート


* おかやまファーマーズマーケット ノースビレッジ 芝生広場

日時    7月31日(日) PM1.00~

出演団体    
          あわくら太鼓
          勝央金時太鼓
          創作和太鼓 「和心」
          備中かぐら太鼓
          beZen 鼓空

* おかやまファーマーズマーケット サウスビレッジ (2日間)
       ~ フリーマーケット同時開催 ~

日時    9月18日(日) AM10時~

出演団体    
          清麻呂太鼓
          小ざくら太鼓
          津山鶴丸太鼓
          備中太鼓
          ふじた傳三郎太鼓
          和太鼓 風人
          
日時    9月19日(月・敬老の日) AM10時~

出演団体    
          創作和太鼓「和心」
          水島灘源平太鼓
          備中温羅太鼓
          早島イ草太鼓
          beZen 鼓空

また詳細については後日記したい。

2011年7月11日月曜日

試着

暑い日が続いている。
お陰で我がパソコンも機嫌斜めだったがなんとか繋がるようになった。
昨年も猛暑だった為我が記録用パソコンが完全にやられてしまった。
パソコンも人間も変らないなぁと思う。
先週は七夕の日に吉備津彦神社でキャンドルナイトがあった。

昼間は生憎の雨でイベントは拝殿の中で行われた。
いつも思うのだが、神社でするイベントと言うのは他とは違う緊張感が生まれる。
古来からの建築の中、神様が降りて来られるのかも知れない。
いろんなグループが出てしっとりとした演奏が続いた。

夕暮れ時になると雨は上がり、キャンドルが灯された。
屋台もたくさん出て食べ物や飲み物が豊富にあった。
タイ風の服を売っている店もあった。
ゆったりとした草木染めのパンツと可愛い上着が目に入った。
店の娘がパンツを履いてみて下さいという。
しかしながらここは屋台、フィッティングルームなどあるはずが無い。
とは言うもののサイズが合わなければどうしようもない。
私は客が周りを取り囲む中1人ズボンを降ろし履き替えた。

そうしたら周りの皆さん揃ってそのパンツが私に似合っているかどうか確かめているのだ。
こんな試着は初めてだ。
私はまたそのパンツを脱ぐのもどうかと思い、そのパンツを買いそのまま店を出た。
まあ涼しくて気持ちの良いパンツではあるのだが。

七夕や涼しきは我がパンツなり

2011年7月10日日曜日

パソコン

パソコンからネットに繋がらない状況が続いている。
今 携帯から入れている。
早く直してまたブログを書こうと思うので今少しお待ちあれ〜

2011年7月6日水曜日

七夕~平和の灯し火~

し明日7月7日(木)吉備津彦神社でキャンドルナイトが開かれます。
今年は東日本大震災もあり平和の祈りを捧げようという集いでもあります。
吉備津彦神社では宮司さんが中心となり岡山に被災者の方々を受け容れようと「おいでんせぇ岡山」を立ち上げ日々頑張っておられます。

キャンドルナイトについて

日時   7月7日(木)  16時~21時
会場   吉備津彦神社 境内

出演   16:00~  招福太鼓 宮司さん
              和太鼓   beZen 鼓空

      17:00~  朗読「織姫と彦星」七夕の唄 ASSOCIATION紫&小学生と松井

      17:30~  ポピーの人間紙芝居

      18:00~  火と水と風の音 饗縁 ヒコヒコ仲間

      18:30~  和太鼓   beZen 鼓空  

      19:00~  アースミュージック  kei

      19:40~  フラ(アロハDEハイロ) 大塚愛とハイロフラワーズ

      20:00~  アースミュージック えま&慧


楽しいひと時となると思います。
どうぞ皆さんお誘い合わせの上お出かけ下さい。

2011年7月4日月曜日

鹿嶋神社の辺り

昨日は兵庫県は姫路の東の高砂市に行った。
以前から世話になっているプロダクションのスタッフの奥さんが唄の先生をしていて、その発表会があり、華向けに太鼓を叩きに行ったのだ。
鹿嶋神社の側の鹿嶋殿という結婚式場を貸し切って行われた。
入り時間より早く着いたので鹿嶋神社に参拝する事にした。
この当たりは岩の多い山が回りを囲み、神社仏閣が溶け込んでいる。
鹿嶋神社は趣のある大きなお宮さんであるが、お参りをするとなんとなくお寺に来ている感じだった。
参拝の前にはまず手と口を水で清め、ろうそくに灯を付け、線香を焚く。
私は去年行った四国遍路を思い出した。

参拝の後楽屋入り。
いつものスタッフばかりなので、大変気は楽。
本番はそれなりの緊張感で収め、お客さんも満足して戴いたみたいなので、まずは一安心。
昼食を頂いた後はお先に失礼して会場を出た。
帰途に着くや否や神社の側にスローライフ系の雑貨、喫茶店を見つけ入った。
周りの景色も良く、落ち着ける店だった。
私はカシスオレンジを頼んだが、少し甘くそれでいてスッキリした味だった。
また来たい場所だ。

2011年7月1日金曜日

内部被爆

今日ニュースを見てて怒りが込み上げた。
民間団体が福島の子供達10人の内部被爆を検査した処全員が被爆をしていると言うのだ。
セシウム137が1リットル中1.13ベクレル検出されたらしい。

よくニュースでただちには影響が出る数値ではないと言うが、何も無ければ内部被爆は無い。
国は子供達の被爆量を年間20ミリシーベルトと大人でも厳しい数値を決めたり、根拠がまるでわからない。
私は風評被害と言う言葉にも疑問を感じている。
確かに全く関係のない物がうわさで関係付けられ被害を被るのはおかしいし、あってはならない事だ。
しかし勝手に決めた数値以下だったら大丈夫だとするやり方には納得がいかない。
またこれを言うと混乱が生ずるからと隠す姿勢は国民を馬鹿にしている。
危なければまずはそれから逃げる事だと思う。
食べる物、水には本当に注意して欲しい。
勿論農業、漁業に携わっている方々は大変な被害を受け、その上収穫した物が何も売れない状況は過酷であろう。
しかし多少でも危険が潜むなら、一端それから離れて欲しい。
またその方々を受け容れる国策、また民間の力が大いに必要だ。

2011年6月28日火曜日

チェルノブイリ

サンフランシスコの対岸のバークレーに住む友達比早子さんからチェルノブイリの原発事故の表立っていない情報、記録が入って来ました。
福島の状況に近い部分が多々あるので読んで戴ければと思います。

以下彼女からのメールです。


皆様、

Hello everyone,


チェルノブイリで原発事故処理作業に従事した科学者、ナタリア・マンズロヴァが、原発事故の過酷な現実を語る 「Hard Duty」 パート1の日本語訳が下記のリンクでご覧いただけます。


福島原発事故後の日本と世界を考える上で、とても重要なことが書かれていると思います。被爆による被害が少しでも軽減されるよう、よろしければお知り合いの方々にもナタリアの経験をお伝えください。パート2もまもなく翻訳が終わります。


― 大羽比早子http://www.zenplanning.com/nuke/HardDuty/

The below is the Japanese translation of “Hard Duty ? Part 1”in which one of

the scientists worked in Chernobyl for cleanup of the disaster, Natalia

Manzurova, describes the severe reality of nuclear accident.


She is talking about valuable facts that help us think about the situations in

Japan and the world after the Fukushima Nuclear Accident. To reduce the effect

of radiation exposure, please share the experience of Natalia with your friends.

The translation of Part 2 will be done soon.  

― Hisako Oba

English version: ”Hard Duty” (C)Copyright, 2006 Natalia Borisovna Manzurova &

Cathie L Sulliva,

http://www.zenplanning.com/nuke/HardDuty.pdf 



「Hard Duty」より抜粋:

From “Hard Duty”

キャシー・サリヴァン: 政府の対応はあまりに貧弱で遅く、批判に対する恐れから機能不全になっていた。事件直後10日間のニュース規制により、多くの人々が被曝から身を守るために必要な情報を手にすることができなかった。

The government response was too little, too slow, and crippled by fear of

criticism. An immediate 10-day news blackout left thousands of people with

inadequate information on protecting themselves from radiation.


ナタリア・マンズロヴァ: 多くの場合、致命的な被曝は、高濃度の放射線領域から離れるよう警告する計器がなかったために起こりました。

Often the fatal radiation exposures were for lack of monitors capable of warning

them away from high radiation areas.

2011年6月24日金曜日

避難②

急に暑くなった感じだ。
ちょっと作業をしたり、太鼓を叩いただけで汗びっしょりになる。
着替えばかりしている。

前に書いた千葉のいすみ市から避難されて来た天然酵母のパン屋さんはとりあえずは内の道場の近くの香登という処で仮住まいをする事になった。
先日家財道具と小麦粉を1.2tを引越しした。
小麦粉は震災前に仕入れていた物で、暑くなる前に早く低温倉庫に入れる必要があった。
幸い我が村の方に相談するとお知り合いの方の倉庫が米の収穫前までなら空いているので使っても良いと言ってくれたので、二人で持って行かさせて貰った。
これからパン屋さんは岡山県内で水の綺麗で、長閑な処を探しパン屋を開こうと思っている。
私としてはこの近辺で開いて欲しかったのだが、どうやら県北になりそうだ。
蒜山からの水がかなり気に入っているみたいだ。

岡山にはもうかなりの方が避難されて来ている。
おいでんせぇ岡山だけでも現在60所帯の方々が空家情報を求めて来られているようだ。
私の友達達も岡山への避難も考えている。
住む処はすぐ見つかると思うが仕事があるかどうかが大きなポイントになる。
私にもっとパワーがあれば一大コミューンを作り、皆をすぐにでも呼ぶのだが、もう少し時間がかかりそうだ。

何か良い情報があれば教えて戴きたい。

2011年6月20日月曜日

ワークショップ

土曜日に総社市で名古屋のGONNAというグループのコンサートを観に行った。
GONNAはマリンバと和太鼓4名の編成でマリンバのメロディーによっていろんな種類の音楽を奏でるユニークなグループだ。
昨年は岡山国民文化祭にも出演してくれた。
そのGONNAさんが岡山和太鼓連盟に「疾走」と言う曲をプレゼントしてくれ、昨日はそのワークショップがあった。
大勢のメンバーが大太鼓、据え置き太鼓、桶胴太鼓、平太鼓、締め太鼓に分かれ叩いた。
私は締め太鼓を叩いていたが、基本練習から皆本気で叩いているので、私もついつい連れいつもより多く叩いてしまった。
別に傘の上に玉を乗せ回しているわけではないのに
お陰で久しぶりに指に血豆ができてしまった。
まあでも乗りのある曲なので皆の呼吸が合えば楽しくなる。

私は夜本番が入っていたのでちょっと早めに抜けさせて貰ったが良いワークショップだった。
GONNAさんには感謝である。

2011年6月15日水曜日

水無月

水はあっても水無月これいかに!
梅雨の6月である。
先日結婚式に太鼓で呼ばれていったが、まさしくJune Brideだった。
確かに6月は結婚式が多いらしい。
これもいかにである。

6月は一般農家は忙しい。
田植えの時期である。
私は一般農家では無いが、それでもばたばたしている。
先日は鼓空畑でも世話になっている0田さんの処の田植えの手伝いに行った。
昨日、今日とはきゅうりの支えのネットを作る作業をしている。
前にも書いたが、春に蒔いた大根、人参、じゃがいもは発芽したが、ピーマン、なす、トマト、きゅうり・・は結局発芽しなかった。
私は直播にしたのだが、ポットで作るか何かしないとやはり難しいみたいだ。

そこで遅ればせながら以前の通り、苗を買って来て植えた。
きゅうり苗も4つ植えたので、そのネットを作っているわけである。
まだ30cmぐらいだが、ネットの高さは2m以上ある。
頑張って大きく育って欲しいものだ。

3年前から自然農をしている鼓空畑は土もだいぶ豊かになっているみたいだ。
えんどう、玉ねぎ、春菊を収穫し、イチゴもできている。
これから少し遅れているが大豆を植える。
山の上の猪、鹿集会所畑は綿、トウガラシ、ハーブを植えている。
今小さい芽が出だした処だ。
流石に猪、鹿には期待はずれだったみたいだ。
今の処荒らされている様子は無い。

少しづつ自然農が定着してくれば良いなぁ。

2011年6月11日土曜日

オレンジ

学生時代に一緒にバンドをやってたU君が奥さんを連れて徳島から来てくれた。
そのバンドの名前はオレンジ、若かりし私がビートルズのアップルに対抗して付けた名前だ。
VoG.G.Bs.Dsの4人編成。
U君はヴォーカルとギター、私はドラムスを叩いていた。
曲はハードロック、クリームから始まり、レッド・ツェッペリン、ジェフ・ベック、ディープ・パープル等の曲をカバーしていた。
夏はクラーも何も無い部室で滝のように流れる汗の中、ひたすら練習していた。

この時期は学生紛争の後期の頃でベトナム戦争反対から成田紛争の時代でもあった。
あまりの混乱の中、学校閉鎖ロックアウトもあった。
私はノーセクトではあったが、あまりの矛盾を感じて、デモに参加する事もあった。
機動隊とぶつかり、捕まりそうになった時友達が引っ張ってくれて何とか逃げた事もある。
やはり持つべきは友達だ。

こんな時代背景の中私達は音楽で社会を変えれると本当に思っていた。
実際音楽では「ウッド・ストック」が開かれ、「いちご白書」が上映されていた。

今この頃のバンド仲間と会い凄く懐かしく、またいろんな事を思い出す。
先が見えない時期であったが私達は本気だった。

U君もギターを続けているらしい。
また東京に住むもう一人のギターN君にも今U君と会っているよと電話したら、みんなで会いたいですねと言っていた。
N君も最近またギターを始めたらしい。
近い内に我がスタジオでオレンジが再結成できそうだ。
どんな音になるのだろう?
楽しみだ。

2011年6月7日火曜日

避難

昨日から千葉県の九十九里海岸のいすみ市から岡山に移り住みたいと言う方と行動を共にしている。
私もいすみ市には30年来の友人が住んでいて、鼓空も何回かライブをしに行かさせて貰っている。
今来られているのはその友人の友人である。
いすみ市の古民家で天然酵母でパンを作っておられた方だ。
東京、千葉でも名前が知られた有名なパン屋さんである。
家族は本人、奥さんと5歳、1歳の子供の4人家族。
移住の理由はやはり原発の放射能から逃れる為だ。
子供が小さいので思い切って移住する事に決めたそうだ。

昨日は「おいでんせぇ岡山」を立ち上げた吉備津彦神社の宮司さんの処へ行った。
「おいでんせぇ岡山」は東日本から避難される方々を支援する民間団体で空家や空き農地の情報を集め斡旋している。
そこで宮司さんから三石に空家がある事を聞き見にいった。
パン屋をするにはちょっと不便だが一時的に住むには良い処だった。
それから赤穂に行きゆっくりしてから、今度は北の八塔寺そして大芦高原の方に行った。
本人も岡山の自然に魅了され、ほぼ岡山への移住を固められたようだ。

我が家に帰ってからも私の友人に空き物件は無いかと電話で聞いたら偶然私の処から車で7分ぐらいの処にあると言うので早速見に行った。
やはりパン屋さんをするには難しい処だったが交通の便利が良い処なので候補地の一つとなった。

全然知らない処に移住するのだから不安もあるとは思うが、是非来て貰いたいと思う。
天然酵母で作る美味しいパンも是非食べてみたいので。

2011年6月3日金曜日

楽しいヨガ

今日は先週行けなかったヨカに行った。
日常ではなかなか使わない筋を伸ばしたり、呼吸を深くしたりすると気持ちが良い。
気持ちが良いのに1人では出来ないのが問題だ。
何故だろう?

昔から1人でも歩いたり、走ったり、自転車に乗ったり、サッカーボールを蹴ったりと適度には体を動かして来た。
しかしヨカだけは1人ではやる気がしない。
おそらくスローな時間が長いから、1人では間が持たないのかも知れない。

みんなでしよう楽しいヨガ!
本当は個々のものだけど。

2011年5月31日火曜日

シンプル

一昨日、昨日と台風が通過しフェーン現象と言うのか天気も晴れ、少し暑い。
内の牛猫モーも飯を食べに帰ってはすぐに出歩いている。

いろんな処で関わっているチャリティーイベントも開催に向け、少しづつ目途が立って来ている。
もう少ししたらここでも詳細について書こうと思うが、やはり協力して下さる方々は多い。
今回の地震、津波、放射能汚染によって、何か人々の心の在り様が大きく変わって来ているのではと感じる。

シンプルで心豊かな社会ができれば良いなぁ。

2011年5月29日日曜日

自由奔放

今月は月初めにツアーに出たので、後半そのしわ寄せが来て忙しかった。
まあ徐々に落ち着いて来てはいるが。

最近太鼓を教えてて感じる事がある。
大人に関しては左程思わないのだが、子供の指導についていささか考える。
私の教えている子供達は皆明るくのびのびして良いのだが、今一つする事に厳しさが足りない。
そもそも私の指導が甘い事に起因しているのだが、果たしていかがしたものであろうかと今さらながら考える始末。
一体何年やってるんだと突っ込まれそうだが。
やはり太鼓道と言う言葉もあるように厳しき修行の場所と位置付けた方が良いのだろうか。
私が知っている太鼓チームはどこも子供達にも厳しく指導している。
そしてそれが舞台にもしっかり表れている。

ふ~む、果たして私に厳しい指導が出来るだろうか?
出来たらフリーダムでいたいこの私に。

2011年5月26日木曜日

梅雨入り

5月なのに梅雨入りしたそうだ。
野菜にとっては恵みの雨だろうが、今からだと一月以上は雨の季節かも。
我が畑は今じゃが芋と大根、人参は芽を出しているが、他の野菜はまだである。
この雨で少し芽を出してくれると良いのだが。

毎年この季節にはうちの土手にふきが一杯なる。
いつもはそのままにしとくのだが、今回は何となく食べてみたくなった。
葉っぱを落とし茎だけにし、塩でもみ、熱湯に入れ少し湯がし、氷水で冷やす。
筋を取り、適当に切り、鰹出汁と塩、醤油、みりん、酒で煮た。
なかなか懐かしい味がした。

破竹も一杯でき出した。
また煮てみようかな。

2011年5月23日月曜日

五月雨

五月雨やあつめて早し吉井川

昨日今日と雨がよく降っている。
雨が降ると草が伸びる。
この処私はいろんな所の草を刈っている。
部落の関係、鼓空畑の関係、我が家の庭と。
草払い機に混合油を入れては西に東に。
最近ちょっと出てきたお腹周りには良いかも。

雨が降ると遊び猫モーが帰って来れない。
雨が降ると出て行かないのではなく、帰って来れない処が遊び猫たる由縁である。
どこで何をしてるのやら?

2011年5月19日木曜日

先日から3回程うちのお隣さんの家の前の畑に猪が来たらしい。
なんでも深夜外に置いてあったトタンのバタンバタンとする音がするので出た処、猪の親子らしき3匹が畑を荒らしていたと言うのだ。
親は60キロ程あって立派な牙があったそうな。
ほ~と聞いていたが、ちょっとおかしいなと思った。
お隣さんよりは内の方が山際にあるのだ。
おそらく猪達は我が家の庭先を通って、お隣さんに行ったものと思われる。
然るに我が畑は何の被害も受けていない。
これはどうした事か?
答えは一つ。
猪が我が畑を畑だと認識しなかったのだ。
我が畑には草が生えている。
彼等の目にはまさしく草原と映ったのだ。
馬鹿な奴等だ。
出直して来い。

いや来るな!

2011年5月16日月曜日

春祭り

我が部落の山の中腹に伊良高八幡宮というお宮がある。
以前長船の歴史を調べていた長老が伊良高は高麗を逆にしているのではと推察されていた。
なかなか興味深く聞かさせて貰ったが、あくまで推察だったし村の人達も本当の処はわからない。
だがここは農村集落であるので、このお宮を中心に1年中の行事が決められて行く。
1月、5月、9月に開かれるお日待ちそして春祭り、夏祭り、秋祭りである。

先週1週間は春祭りであった。
8日に神社と参道の清掃をしてからおしば下がり、神様がお宮から部落に下りて来られる。
お迎えするのがその年の祷屋(とうや)である。
新しく家を建てたお宅とか、繁盛しているお宅が受ける事が多い。
神様が祷屋に入られる時に祷開きという神事をする。
これで神様は1週間村人と共に過ごすのである。

村人はこの間宮田(神田とも言う)の草刈や用水の清掃もする。
昨日は神様が1週間の村での滞在を終えられ、お宮に戻られた。
お宮で神事が行われる。
神事の後は皆にお神酒が振舞われた。
何人かの人が私に春祭りだから太鼓を打ってくれと言う。
1年中村で太鼓を叩いている私、村の祭りに叩かないのも可笑しい。
気持ち良く奉納の太鼓を叩かせて貰った。

その後は村の奥さん連中が作ったバラ寿司をよばれる。
海老やイカの上に木の芽が載っていて香りが良い。
天気も良く適度にお神酒も戴き、良い春祭りだった。

2011年5月14日土曜日

ヨカ

雨が降り続いていたが、今朝はよく晴れて気持ちが良い。
我が家の山藤も綺麗に咲いている。

昨日は久しぶりにヨカに行った。
今まで1年以上教えて貰ってた先生がお産の為しばらく来れなくなり、この処他の先生のレッスンを受けている。
基本はどの先生も同じだと思うが体の動かし方やポーズの取り方は多少違う。
前は目を瞑っても出来たのに今は一つ一つ先生の動きを見ながらしている。
また当然の事だが先生のしゃべり型も違う。
バックにはメディテーションぽい音楽が流れているのだが、一杯説明をしながらしゃべる先生もいるし、言葉数の少ない先生もいる。
昨日の先生は本当に言葉が少なく途中で何回も寝てしまいそうになった。
まあヨガは自分の心身を見つめる事が目的なのだから寝ない方が良いだろう。

今日は雨で畑の草も伸びたので、ちょっとショートカットにしようと思う。
野菜の芽に陽光が当たり易くする為だ。
私もショートカットにしようか。
まあ止めとこう。

2011年5月9日月曜日

韓国ツアー

今回の韓国公演はつつみの望月先生の率いる桜友会と鼓空の共演だった。
桜友会からは7人、鼓空から5人の出演だった。
交通手段は9人が飛行機で3人が我がハイエースと船で行った。

5月2日朝7時30分に道場に2人のSlowなSさん達が来る。
それにSpeedyな私とがハイエースに乗り込み、いざ下関に向けて出発。
1時30分頃には下関港の国際ターミナルに着く。
まずは人の手続きをしてから、車そして和太鼓等のカルネの照合の手続きに入る。
カルネと言うのは多少の小荷物なら個人の所有物として持ち込み可能だが、それ以上だと原則、物を外国に持ち出すのは輸出になる、そして行った国では輸入扱いになり関税がかかるのである、また帰国の際にも韓国からは輸出、日本では再輸入となる。
だから今回のように日本から持ち出す物は営業ではなく必ず持ち帰りますと言う証明を予め取っておく必要がある、それがカルネである。
私達が持ち出す物は和太鼓9台にパーカッションそしてマイク関係、それにハイエースだ。
その照合は行きは下関港、釜山港、そして帰国の際は釜山下関と計4回受ける事になる。

すべての手続きを終え乗船、19時に大型フェリーは韓国に向け出発。
フェリーの中には免税店やカラオケ、ゲームセンターそして風呂もある。
客室は私達は勿論経費削減の為2等客室、15人程は入れる相部屋だ。
1人1人の布団は狭く、寝返りがやっと、まあ安いのだから贅沢は言えないが。
翌朝8時には釜山港に着く。
入国手続きを済ませ、いよいよハイエースは韓国に上陸、右側通行だ。
右ハンドルだけにどうかなと思っていたが、流石に20年前にアメリカで乗っていた感覚が蘇って来た。
5分後には片目、片手でもすいすい状態。
で安心のあまり早速道を間違える。
曲がるべき処を通り越したのである。
しかし大回りしたが、最終的にはソウルに向けて走る京釜高速道路1号線に入れた。
片道4車線なので凄く走りやすい。
標識はハングルで書かれていて下に英語もある、まあ道路番号が一番頼りだった。
3回程サービスエリアによって、つまみ食いをしつつ1号線を北上。
ソウル近郊で環状線100号線に入る。
そして30分程走り、中洞という処で降り、今回の目的地富川市に入る。
まずは市庁舎を目指す。
途中中学生に道を尋ねると、一生懸命片言の英語で説明してくれたのが嬉しかった。
市庁舎の側に我々が泊まるホテルがあった。

ホテルに着くと今回呼んで戴いたバレエのオ・ウンリョン先生と通訳の方が待っていてくれた。
荷物を置いてから早速会場の下見に連れて行って貰う。
メイン会場は市庁舎前の公園で大きな特設ステージが組まれている。
音響、照明のスタッフと軽く打ち合わせ。
4日昼過ぎに飛行機組が到着、一緒に食事をした後すぐに開会式のリハーサルをする。

19時30分から開会式。
富川市庁長を初め来賓の方々の挨拶。
そして今回ポクサゴル(桃源郷)芸術祭に参加したロシアの踊りのチーム、中国のチームそして私達が紹介される。
またその状況が舞台両サイドにある大型スクリーンに映し出される。
紹介の後舞台の前に長テーブルが用意され赤いボタンが一杯並べられる。
市長、来賓の方々、ロシアの代表、中国の代表、望月先生、私が呼ばれ並ぶ。
そして一斉にボタンを押すと市庁舎の上から花火が何発も上がる、開幕だ。
花火の直後に桜友会と鼓空の合同演奏だ。
曲目は「太古の響き」龍が地面から空に舞い上がる曲だ。
PAのトラブルが多少あったが、まずは勤めを果たす。

翌5日、本番は17時からの中央公演の野外音楽堂と20時からの市庁舎前のステージだったが、両方のリハーサルがある。
行ったり来たりと忙しい、またその合間に市庁舎に表敬訪問、そして会食会に呼ばれる。
大変丁寧なお持て成しを受けるが、時間が気になり落ちつかない。
何しろ移動の度に太鼓を車に積んでは降ろしセッティングをしなければならない、また市を挙げてのお祭りなのたくさんの人の中車の移動にも時間がかかる。
いろいろ大変だったが、本番は大勢の人の一杯の拍手を戴き役目を果たしたかなとの充実感があった。

翌6日はソウル観光
朝鮮王朝があった景福宮や南大門商店街に行った。
3時頃に飛行機組は帰国の為仁川空港に向かった。
残った私達3名と通訳の朴さんはソウル駅から少し電車に乗り、楽しみにしていたNANTAを観に行った。
NANTAはコックさんが包丁で野菜を切ったりまな板を叩いたり、いろんな台所にある物を使ってリズムを出したりするパーフォマンスで、リズムも面白いがお笑いも最高に楽しい。
内の1人のSさんは舞台に担ぎ出され、韓国の昔の花嫁衣裳を着せられ結婚までさせられてしまった。
NANTAは5つぐらいのチームに分けられて公演しているのでまた機会があったら是非に観に行きたい。

韓国ではいろんな店に食事に連れて行って戴いたが、どの料理も大体辛くそれにいろんな種類のキムチが添えられて来る。
確かにどれも美味いがすぐに汗も噴出して来るし鼻水も出てくる。
辛いが次の食事の時はまた真っ赤なキムチに手を出してしまうから不思議である。
ただ肉も出てくるがそれ以上にいろんな野菜が一杯出て来るので健康には良さそうだ。

帰りはまた高速道路を450km南下釜山に向かう。
楽勝だと思ってたら釜山港でまた道に迷う。
かなり重症、港が入り組んでいるのとたくさんの貨物船の埠頭があり訳がわからない。
いろんな人に道を尋ねるが、大体の方向だけで詳しくは誰も知らない。
余裕をみて出発したのにとうとう乗船時間に間に合わなくなってしまう。
フェリー会社に電話して取り合えず搭乗が遅れる旨を伝える。
そしてタクシーを捕まえそれに1人乗り、その後をハイエースで追いかけた。
埠頭に着き、乗船手続きそしてカルネの照合。
文化交流の側面から簡単に済ましてくれたので、無事帰国にたどり着く事が出来た。

大変だったが、楽しい旅だった。

2011年5月1日日曜日

出発

明日の朝、韓国ツアーに出発します。
しばらくブログは休みますが、帰ったらまた旅行記を書きたいと思います。
ではでは行ってきます。

2011年4月30日土曜日

Farmer's

世間はゴールデンウィークに入っているみたいだ。
緑が綺麗になって行く季節だ。
さっき久しぶりに鎌で畑の草をちょっと刈った。
完全無肥料にしてから2年目である。
去年はあまりにいい加減過ぎて収穫は少なかった。
まあ私なりに自然の状態に近付けた方法ではあったのだが。
今年はもう少し手を加えようと思っている。
問題は今までやっていた有機肥料が消えるまでは時間がかかる事だ。
完全に自然の状態に戻るには10年かかるとも言われている。
りんごの木村さんが苦労されたのもそこかも知れない。
まあ私は生産農家ではなく家で気楽にやっているのでのんびりとは構えられるが。

和太鼓連盟のチャリティーコンサートの日程がやっと決まった。
岡山ファーマーズマーケットノースビレッジが7月31日(日)でサウスビレッジが9月18日(日)だ。
サウスビレッジは今週再オープンだったので、確定するまで時間がかかってしまった。
これから出演団体を募って前に進めたい。
打ち合わせの中、どの人に会っても大変協力的なのが嬉しい。
皆さん想いは同じなのだろう。
復興には時間がかかる。
長いスタンスで考えていきたい。
また平行して人間の有り様も1から考え直す機会になればと思う。

2011年4月29日金曜日

失敗

慌ただしく毎日が過ぎて行く。
そしてその中失敗。
今日は御休小学校で敬老会があり、子供達がお年寄りの前で太鼓演奏をする事になっていた。
しかし私は他の事に気を取られていて、うっかり曜日の感覚を忘れてしまった。
電話を貰って急いで学校に行ったら、もう子供達の演奏は始まっていた。
幸い内のメンバーが来ててリハーサルはしてくれていたが。

子供達の演奏の後、お年寄りに太鼓を叩いて貰うと言うコーナーがある。
毎年恒例の事で結構皆さん楽しみにされている。
まあそれに間に合っただけ救われた。

どうも私はする事が指3本までなら、かろうじて大丈夫だが、それを越えると問題が生じるみたいだ。
優秀なマネージャーか秘書が必要だ。

しかし可愛そうな私を助けてくれるボランティアは果たしているだろうか?

2011年4月24日日曜日

脱原発

今日は午後から映画を観に行った。
タイトルは「ミツバチの羽音と地球の回転」である。
この映画は上関原発そして祝島の人達をテーマにしている。
この種の映画は大手マスコミがまず手を出さない為、民間の一部の人達が場所を借り上映される事が多い。
映画の内容は以前このブログでも紹介した「祝島」と似ている。
上関原発に反対する祝島島民の目線から作られている。
島民は殆どお爺さんお婆さんであるが、もうかれこれ30年近く毎週月曜日に集まっては原発反対のデモをしている。
島民の殆どは農業と漁業で生計を立てている。
故にこの瀬戸内海を汚さず、綺麗なまま後世に残す為に反対運動をして来た。
反対運動はしているけど普段のお爺さんお婆さんの顔はいつも笑顔で明るい。

映画の途中でスウェーデンの電力の状況がレポートされている。
スウェーデンはやはり脱原発の国で自然エネルギーの供給に力を入れている。
凄いのは各家庭がどのエネルギーを使うかで電力会社を選ぶ事が出来る点だ。
たとえばある家は風力発電所から電気を引くとかだ。
日本では大手電力会社が独占していて、その社と下請け会社の利権を守る為に自然エネルギーの開発にはかなり否定的だ。
またマスコミにも大手スポンサーである電力会社は自分達に不利な情報は流さないように圧力をかけている。

先日講演を聞かさせて貰った田中優さんも言っておられたが、大手電力会社が独占を止め、また国が脱原発の方に動いたら日本は原発無しでも自然エネルギーで電力を補う事が出来るそうだ。
またこうした太陽光、風力、地熱、海の波による発電の技術は日本は世界でも秀でているらしい。
原発が無いと日本はどうにもならなくなると言うのはまやかしだとの事。

映画の後この映画の監督釜仲ひとみさんのトークビデオの上映があった。
今日本政府が安全だと言っている放射線量の基準値がとんでもなく高い事。
今再開された小学校での多くが数値が高く、子供が将来に渡って危険である事。
六ヶ所村に使用済み燃料の量がとてつもなく多く蓄積されている事。
今度一度使った燃料からプルトニウムを抽出して再利用する事になっているが、このプルトニウム自体がウランに比べても桁違いに危険な物質である事などを述べられていた。

もう人は今までの事を教訓に脱原発に進むべきだ。
もし日本がそちらの方向に向かえば多くの国が追随するかも知れない。
世界全体から原発が無くなれば良い。

2011年4月22日金曜日

農大開始

今日は朝から農大に行った。
今年度最初の授業だ。
和太鼓は選択授業で他には英会話、ペン習字、生け花がある。
学生は1年毎に選択出来るので1年生で和太鼓をしてても2年生で他のものに変えても良い。
毎年数人は変更する。
どうしてかと学生に聞くとペン習字や生け花は作品が出来た時点で先生がチェックして良ければそれで終わりになり、楽だと言うのだ。
確かにそれに比べ和太鼓は終わりと言うものが無いからみっちり3時間する。
流れるのもわかるような気がする。
しかしでかい体をして、いかにも不精な学生が生け花等に移ったりすると、「お前それは違うだろう・・・」と言いたくなる。

が言わない。
みんな自由だ。

その代わりと言っては何だが、残った学生はより本気に和太鼓に向かうようになる。
また1年生にも熱心に教える。

今年は2年生が7人、1年生が9人で計16人だ。
どんな年になるか楽しみだ。

2011年4月20日水曜日

ハイエース海を渡る。

気温も徐々に上がり、本来一番過ごし易く気持ちの良い季節なのに何かとせわしく動いている。
部落の仕事、イベントの企画、韓国公演の準備等だ。
一つ一つをその瞬間にフォーカスを絞って考えれば多分大した事は無いのだろうが、なかなかそれが出来ない。

幸い韓国行きの準備は上手く進んでいる。
今回和太鼓は船と陸路を使って運ぼうとしているのだが、一つ問題が起きた。
我がハイエースは用途が貨物になっていて韓国税関が入国を拒否したのだ。
乗用なら良いのだが、貨物は駄目だと言う。
がっかりしたがそれでも私は諦めなかった。
私達は車を商用として使うのではなく、文化交流の為に使うのだからと言う旨を富川市から韓国税関に頼んで貰った。
すると手間はかかったが韓国税関は特例として許可を出してくれた。
何でも取り合えずは言ってみるものだ。

こうして我がハイエースは下関からフェリーで釜山に渡り、そこから京釜高速道路を450km北上ソウルに行き、そこから京仁高速道路で富川市に入る事になった。
しかし問題は幾つかある。
私達はハングル語を話す事も読む事もできない。
英語を話す人もいるにはいるが少なかった気がする。

また韓国は右側通行だ。
アメリカも右側通行で私も左ハンドルの車に乗っていたが、今回は右側通行の右ハンドルだから多少の戸惑いがある。
それに韓国の人達は運転が荒い。
まあ安全運転を心掛けようとは思う。

後はアニョハセヨ(こんにちわ) とカムサハムニダ(有難う) と笑顔で乗り切ろう。
楽しい旅にしたい。

2011年4月18日月曜日

城跡

我が道場の近くの山の上に美和神社と言うお宮がある。
ここはおそらく地元の人しか知らないだろうが景色の素晴らしい処だ。
瀬戸の島々、四国、瀬戸大橋などが見える。
広々としていて、ゆったりとした気持ちに成れる。

昨日この美和神社に登った。
ここの参道は桜並木が綺麗なので観に行った。
桜の花はだいぶ散ってはいたが。
お宮の前にちょっとした広場がある。
ここから南の方に山道がある事は知っていたのだが、今回そこに案内の看板が立っていた。
看板には高山城址1.7kmと書かれていて矢印があった。
山城自体はこの地方にはたくさんあるのだが、この近くにもあるとは知らなかった。
天気も良かったので片手に用意されていた竹の杖、もう片手にダラブッカを持って山道に入っていった。
山の尾根伝いに行くのだが、つつじが一杯咲いていて綺麗だし、拡がる景色も気持ち良い。
ただ難点は山歩きをするつもりでは無かったのでつっかけで来ていて歩き辛かった事。
でも杖があったので何とか進む事が出来た。
30分くらい歩くと下界も良く見える処があり、大きな岩があったのでダラブッカを取り出し、暫く叩いた。
気持ちが良い。
それからまた歩き始める。
徐々に登りが急になって行く。
そしてとうとう土を盛り上げただけの砦に入る。
城跡と言っても今残っているのはこれだけで、中も雑木が生えている。
これから少しづつ木も切り出し、建っていた城の底石などもわかる様にするのかも知れない。

私はまたまた頂上の見晴らしの良い処にある岩に座り、ダラブッカを叩き始めた。
ここにもつつじが一杯咲いていて黄色のあげは蝶が2匹が蜜を吸いながら舞っている。
あぶもまたつつじの蜜を吸っている。
地面には蟻がちょこまかちょこまか走っている。
滅多に人も入らず、側にコンビニも無いのに虫達の生活は完結している。
長閑だ。

暫く景色とダラブッカを楽しんでから美和神社への帰途に着いた。
また行こうと思う。

楽しみスポットが一つ増えた。

2011年4月15日金曜日

チャリティーイベント

今我が美和の里の山々も山桜に覆われ薄ピンクに染まって綺麗だ。
道場の周りでも鶯が鳴いている。
良い季節だ。
今日は最近なかなか行けてないヨカに行こうと思う。
体を動かすにも良い時期だ。

ヨカの後は18時30分から三木記念ホールである未来バンクの田中優さんと友達であるまーちゃんのトーク&ライブのチャリティーに行く事にしている。
田中優さんは以前からソーラーシステムや自然エネルギーの導入に力を注いで来た。
まーちゃんは沖縄の西表島の出身で自然を守ろうと音楽を通して訴えている。
二人のトーク&ライブの後は私達の企画するチャリティーの打ち合わせがある。
実は吉備津彦神社の宮司さんが東日本大震災の被災者を岡山でも受け容れようと「おいでんせぇ岡山」を立ち上げたのだ。
すでに何回かミーテイングを重ね具体的に動き始めている。
「おいでんせぇー岡山」は家を探すのは勿論だが、農地を確保する事も大きな柱になっている。
また各自に合った幅広い支援のあり方も考えている。
私は前回のミーティングに参加し何人かのミュージシャンとも会った。
そこではやはりチャリティーイベントの話が持ち上がった。
おそらく何箇所かでする事になると思うが、まずは吉備津彦神社の境内で7月7日に行う事が決まった。
今日はより具体的な話になろう。
今月末にはSVとNVの話も具体的になって来ると思う。

皆と力を合わせながら、出来る事をして行きたい。

2011年4月13日水曜日

 母親を病院に連れて行き、診察を受けるまでかなり待ち時間があるので後楽園に行った。
今がちょうど桜が満開の時で、見える範囲の土手が桜の花で覆われていた。
しかしいつもと違うのは出店が一軒も出てない事、花見の客もほんの僅かだった。
東日本大震災の為、今年は自粛と言う事らしい。

例年ではここで桜祭りが華やかに行われる。
桜祭りの開会式では鼓空も2度太鼓を叩いた。
夕方演奏の後ロールを叩き、ドンの一発ですべて夜桜に一斉にライトが照らされた。
出店も一杯出るし、花見客も処狭しとシートを敷きB.B.Q.をし酒盛りをする。
夜桜の下での人の賑わいは楽しい。

天気も快晴だったし私はダラブッカを桜の下で叩こうと持ち出した。
暫くぶらぶらした後、ちょっと奥まった処にベンチがあったので腰掛けダラブッカを叩き始めた。
青空の下桜を見ながら叩いていると景色と音が一体化して来る感じだ。
奏者は徐々に消えて行く。
暫くすると両親に連れられた男の子が遠くからダラブッカに興味を示す。
私は手招きをすると、男の子は両親に連れられ私の処に来る。
「叩いてみる・・」とダラブッカを差し出すと元気よく叩いた。
また私が目を瞑って叩いていて、目を明けるとおばさんが前にいた。
「良いわねぇ~」と声をかけてくれた。
私も大道芸人になろうかと思った。
しかし本当は私は人の前で演奏するよりは、人のいない自然の中で演奏する方が好きである。どうしたものか?

2時間程叩いてまたぶらぶらしていると少ない花見客の処からB.B.Q.の匂いがして来る。
私もお腹が空いて来た。
そして思った。
土手の上にダ0マと言う焼肉屋があり、毎年この時期には大勢の花見客の為に簡易こん炉を貸し出し、B.B.Q.の材料を売っている。それが今回自粛になった為に予めたくさん仕入れていた肉などが全く売れず、店の存続まで危ういとの情報が私の耳にも入っていた。
各成る上は私も多少ながらも売り上げに協力しようと思った。

店に入ると1階のどのテーブルも一杯、しかも皆6人がけ、私は一瞬躊躇した。
私は果たして店に協力する事になるんだろうか?
しかしながら優しきウエートレスは私を1つだけ空いていた6人がけのテーブルに案内した。
私はお薦めだと言う珍味セットを頼んだ。
頬肉等何種類か載っている皿が来た。
しかし私は何が何かわからぬままに急いで口の中に放り込んだ。
後に客が来てつかえたら悪いなぁと思ったからである。
幸い誰も入っては来なかったが。

B.B.Q.はやはりゆっくり食するものだ。

2011年4月10日日曜日

桜友会の皆さんと

5月に韓国の富川市に公演に行く。
これは岡山市と富川市が桃つながりで姉妹都市になっていて、今回はボクサゴル芸術祭(桃源祭り)に呼んで戴いたのである。
こちらからは鼓空と桜友会の方々で行く。

桜友会は望月太津友先生と言われる女の先生が指導されている邦楽と日本舞踊の会である。
望月と言う性は日本の囃子、長唄、歌舞伎等でつつみや太鼓を継承している由緒ある性だ。
踊りの方は花柳流を継いでおられる。
望月先生とは岡山国体の開会式や国民文化祭で御一緒している。
気さくな感じの良い先生だ。

今回の芸術祭ではこの桜友会の皆さんと一緒に4日の開会式で7分と5日に朝30分、夕方40分の舞台を勤める事になっている。
5日についてはお互いの持ち曲を自然な形で繋げると言う事で左程難しくは無い。
問題は開会式の演奏だ。
折角御一緒するのだからがっぷりと共演する事となった。

それで選曲だが、鼓空に「太古の響き」と言う曲があり、これをベースに編曲する事に決まった。
もともと「太古の響き」は龍が暗黒の中で雨音で目覚め、徐々にゆっくり動き出し、水晶の玉を見つけ飛び上がり、大空を舞い、そして彼方に消えて行くと言う曲である。
この曲に桜友会の方々に琴、つつみ、大皮、太鼓、舞踊で入って戴く。
素晴らしい布陣になった。
今日午後から2回目の合同練習がある。

韓国の方々にも喜んで貰える舞台にしたい。

2011年4月8日金曜日

村の事

今日は久しぶり小雨が降っている。
4月に入り流石に暖かくなって来た。
普段だとこの時期、気持ちも弾んでうきうきした感じになるのだが、流石にそうはならない。
まだ原発が収束の目途すら立ってないと言うのも気持ちを重くする。
本当に人間のライフスタイルを根本から見直す時期だろう。

さて私の住んでいる小さな集落の事を書こう。
ここは見方によれば、岡山平野の北西の角にある。
農業中心の村である。
私はここに1990年に入らせて貰った。
集落にいる限りは何年か置きに役員の仕事が回って来る。
今年私にも役員が回って来た。
3度目である。
最初は会計だった。
2度目は町内会長にさせられてしまった。
私より年配の方がおられたのだが、私にやってくれと頑として言われ引き受ける事になった。
この年は台風の直撃を受け、町内放送の電信柱が4本倒れるは大師堂は壊れるは、用水が詰まり大水が出るなど大変だった。
電信柱は山に入り木を切り、担ぎ出し、防腐剤を塗り立てた。
大師堂は部落の人達と2ヶ月程かけて改修し回りの土壁も塗り直した。
我ながら良く働いた年だった。

今回は町内会長は年配の方にお願いし、私は会計と2年受け持つ福祉委員となった。
今年は5部落が共同で奉っているお宮さんのお世話をする番になっている。
お宮や参道の掃除、宮田の作業、おしば下がり、祷開き、春祭り、夏祭り、秋祭りと行事が一杯だ。
大変な年に役を引き受ける事になったが、私も部落に入れて貰った時から郷に入れば郷に従うべきだと思っていたし、農村ゆえ神仏への信仰が残っているのもいいなぁと思っていた。
また何より、普段多少防音はしているものの練習の音は部落に漏れている。
だからお詫びの意味でもこういう時には一生懸命働こうと思う。

仕事と行事が重ならない事を願うばかりだ。

2011年4月5日火曜日

和太鼓チャリティーコンサート

岡山県和太鼓連盟の前回の理事会でチャリティーコンサートをしてみてはとの意見が出て、なんなく私が担当する事になった。
早速会場探しから入ったのだが、別に1ヶ所に絞る事も無いと、とりあえず県北と県南の2箇所を当たり、協力して貰える事になった。
その2箇所はSVとNVである。
なぜイニシャルかだが、SVは今管轄が県から岡山市に移譲中でありこの4月末に再オープンする事になっていて、この話が確実になるのはそれ以降となり、今は内定段階である。
もう一つは時期だが、当初7月末から8月にとの事だったが、両方とも屋外のイベントなので昼ならお客さんが暑いのではという心配があり検討が必要だ。

内容だが基本お金を出来るだけ使わず、募金で得たお金が少しでも被災地に行くよう心掛けようと思っている。
その為には照明は使わず、PAは鼓空の物等を使うとか、宣伝用チラシは輪転機で刷り上げるとか出演者の方々には申し訳無いが手弁当で来て貰うとかしなければならない。
今回それぞれ地元のグループの方々ともお話させて貰ったが、皆想いは一つであった。
日程が決まれば募集をして1ヶ所で4~5団体にお願いしようと思っているが、それに関しては全く心配していない。
もし団体数が多くなれば、さらに第3、第4と増やして行けば良い。
皆の想いが一つならさほど難しい事は無いだろう。

みんなが無理のない状態で楽しくチャリティーコンサートが開けたらと思う。

2011年4月2日土曜日

筋肉痛

台湾から帰って来て、もう普通の生活に戻ったと思ったら、急に眠くなったり、体の節々が痛くなったりする。
昨日は久しぶりにヨカに行った。
そうしたら余計に筋肉痛になってしまった。
しばらく忙しくて行けなかった事もあるが、この春今まで教えて貰ってた先生が私用でしばらく休む事になり、今は違う先生が来られている。
私も前の先生なら片目片耳だけでスイスイついて行けたのだが、今度の先生は基本は同じだと思うが体の動かし方がだいぶ違う。
これで良いのかなぁと先生や周りの人を見て確認している始末。
お陰で心身共に疲れてしまった。

今日は東北の震災の為のチャリティーコンサートをする為の会場を探しに行った。
場所だけ決まれば出演者はすぐに集まってくれると思う。
詳しく決まったらまたお知らせしたい。

また他のチャリティーイベントでも鼓空が空いている時は協力しようと思っているので気軽に声をかけて戴きたい。
いろんな処で一杯支援の輪が拡がれば良いと思う。

2011年3月31日木曜日

台湾公演

昨日台湾から帰って来た。 
今回は台中市の主催する「免躍芸百 2011台中女馬祖国際観光文化節」という祭りに出演した。 ちなみに女馬は一字であり女馬祖でMazuと発音するらしい。

3月22日朝3時前に三美一体の花みずきのメンバーが我が道場に来てすぐ関空に向けて出発。搭乗手続き後、9時15分のJALで台北に飛んだ。
空港では蔡さん親子が向かえに来てくれていた。
台北から岡山市の姉妹都市新竹市で食事をし、台中に向かう。
この日はこの後ゆっくりできたが、翌日23日から帰る前日28日までは毎日舞台が続いた。
6公演である、25日からは鼓空のSさんも加わった。

演奏する場所は台湾の人達の信仰を集めているお宮さんの前の特設ステージ。
どこのお宮も大きく赤白を基調に緑、黄色が入り鮮やかだが装飾は細かい。
毎回私達の前に台湾のバンドや太鼓チーム、民族音楽の人達が演奏する。
どの演奏も楽しく拝見した。
 私達のステージは清流、花みずき、瞬、きずな、鬼太鼓、紫の光、舞の順だった。
清流と紫の光、舞は鼓空の曲で瞬は私のソロ、花みずきときずなは傳三郎太鼓さんの持ち曲だ。台湾行きの話が決まったのは3月になってから、それから4回ぐらいの音合わせで本番を迎えた。

最初は時間の無さに不安もあったが、流石に若き三美一体の吸収力は凄く、あっと言う間に私達の曲を覚えた。
彼女達の花みずきはユニット名になっていて息もぴったしだったので、私達は加わらず、きずなで共演をした。
どこの舞台でもお客さんが凄く喜んでくれ、拍手を一杯くれた。
行った甲斐があった。
日本の地震、津波、原子力発電所の問題を心配してくれた方も多かった。
いきなり私の前に来て手を合わされる方もおり、私もやっと拝まれる立場になったかと思ったが、実はそうではなく、お悔やみを言っておられたようだ。
毎日続く舞台だが、昼の空いている時には買い物をしたり、コーヒーを飲みに行ったり、孔子廟や台中公園に行ったりした。

食事は朝はホテルのバイキング、夜は最初舞台の前に弁当を買って来てくれていたのだが、これはご飯の上に牛肉や豚肉を揚げた物が載ってたのだが、少し油が強く、皆食欲が湧かなくなったので、後半はしゃぶしゃぶやすき焼きに連れて行って貰っていた。
あと地元の人達がいつも食べている豆や米粉で作っているお粥ト豆醤(トウチャ)米醤、小ろん包等は疲れた胃にも優しく美味しかった。

台湾の人達とのコミュニケーションだが、英語はごくごく一部の人しか喋れない。
日本語はある程度年配の方なら喋れる人もいる。
多くは蔡ママが台湾語と日本語の橋渡しをしてくれた。
言葉は通じにくいが台湾の方々は本当に優しかった。
私が毎日顔を合わせていたホテルの守衛のおじさんにちょっと飲みに行って来るわと手を口に当ててジェスチャーをしたら、すぐ手招きをしたから行ってみると58度の台湾の酒をくれたり、その後もお茶の接待をしてくれたりした。
バスに乗った時、降りる場所がわからなくなり地図を見ていたら、すぐ2人の方が教えに来てくれた。
またホテルへの帰りに道に迷い消防署に入って聞こうとしたら、すぐ電話を取り、タクシーを呼んであげると言ってくれた。
その他にも人の優しさに触れる機会は一杯あった。

今回の台湾公演では呼んでくれた蔡ママと3兄弟は勿論、鬼の面を茶屋町鬼太鼓さんに、据え置き太鼓は台中の太鼓チームに締太鼓、桶胴太鼓は台北の太鼓教室でお借りした。
皆さんの協力があって初めて実現した。
感謝したい。

シェイシェイ

2011年3月21日月曜日

台湾

明日から8日間台湾に行く事になっている。
前回は台北だったが今回は台中だ。
私のイメージではのどかな自然が拡がっている感じがするのだが、どうだろう?

朝3時にふじた傳三郎太鼓さんの三美一体(本当は花みずきと言うユニットだが、3人とも名前に美が付くので私が勝手に呼んでいる)がうちの道場に集まり、すぐ我がハイエースで関西空港を目指す。
9時15分の飛行機で台湾に飛ぶというわけだ。
5~6箇所での公演になるが詳しい場所はまだ知らない。
市の名前もホテル名もわからない、まさに出た処勝負。
可笑しな感じだが、あちらのプロダクションの方は信頼できる人達なので全く心配はしていないし、より旅らしくて良い。

台湾からは今日本に救援隊が来てくれている。
また多くの人達が日本を心配してくれていてたくさんの募金が集まっているそうだ。
私も舞台の上で何らかのお礼が言えたらと思う。

まあこう言うわけで暫くブログはお休みするが、帰ったらまた旅日記を綴ろうと思う。

2011年3月16日水曜日

地震これから

今回はこのブログの更新も遅れてしまった。
もう日本中すべての人が注視している地震、津波そして原発に私も与えられる情報に釘付けになっていた。
自然と言うのはやはり人為では計り知れないものである。
原発については以前から多くの人が指摘してきたように人の手に負えないものだ。
あらゆる事を想定して造られた物だから安全だという人の欺瞞が崩された。
しかしながら起きてしまった以上、最小限の被害であって欲しい。
今原発の中で必死で働いている皆さんも命がけだろう。
早い終息を祈るばかりである。

今私達に一体何が出来るのだろうと多くの方が考えておられよう。
現状では食料、水、医薬品、ガソリンを初め多くのものが全くの品不足となっているそうだ。
しかしながら物資を送る事やボランティアに入る事は今はしない方が良いらしい。
緊急車両が通れなくなったり、ボランティアの人もそこで生活する以上被災地の負担になるからだ。
節電も私も僅かではあるが始めてたが、有効では無かった。
東北、関東方面とこちらでは電気の形式が違い、送電出来ないのだ。
トランスで変換する事は可能だが、圧倒的にトランスが少ない。

で改めて今私達に出来る事だが、募金、献血ぐらいかなと思う。
またこれからは被災者が一時的でも移住する所が必要だと、その情報を集める動きも出始めている。
かって神戸の地震の時は岡山の牛窓にも被災者の方々が来られていた。
東北から岡山は神戸と違って遠いが縁故を頼って来られる方もおられるかも知れない。
一応情報は集めておこうと思う。

今日は寒い、さっきこの岡山でも雪が散ら着いた。
被災地に早く食料と暖が取れるようになって戴きたい。

2011年3月11日金曜日

ピーマン

我が頭は今ピーマン状態だ。
空っぽで何も考えられない。
今月末の台湾公演、4月の静岡土肥での菜の花舞台、5月の韓国公演、鼓空だけではなく、他のグループとの共演が多い。
また舞台の事だけでなく、飛行機、フェリーの手配もなかなか大変だ。
あれやこれやと考えていると頭がこんがらがって思考停止になる。
頭がもう考えたくないと私の意志に反して拒否反応を起こすのだ。
簡単なブラックホール状態。
まあ私の場合はピーマンぐらい。
各成る上は目先の事だけに捕われて生きよう。

2011年3月7日月曜日

ほっと一息

昨日いつも行っている加茂町の文化センターで「加茂の陣」なるコンサートがあった。
前にも書いたが「加茂の陣」は津山鶴丸太鼓さんが主体となって毎年この時期に開かれている。
これに私が指導している作州矢筈太鼓が出演させて戴く事になったのだ。
今まではメンバーものんびりと練習をやって来たのだが、この2ヶ月は今までに無い集中力で頑張っていた。
あまりの集中、緊張で皆顔が引きつっていた。
リハーサルの時にはそれもピークに達し、普段なら有り得ないミスも続発。
4曲あるのだが、構成的には前の2曲がストイックな感じで後の2曲はお客さんにも楽しんで貰う曲にしていた。
だがメンバーは4曲ともストイック、笑顔などとても出て来ない。
お客さんはどうすれば良いのか。

そして迎えた本番、トップバッターだった。
私は祈る気持ちで客席最後部の高い処にいた。
内容は小さいミスは幾つかあったし、笑顔こそ出なかったけれど、それでも今までに無い良い演奏だった。
女性3人は年数は重ねているが、こんなに緊張感のあるステージは初めてだし、男性2人は入ってまだ間が無い。
本当に無謀だと言えば無謀だった。
しかしきつい中にも上昇の兆しがあった。
演奏が終わった時にはメンバーの目には涙が溢れていた。
良い経験をした。

矢筈の後は津軽三味線の二若社中さんののの三味線、太鼓、民謡があり、最後は津山鶴丸太鼓さんのステージ。
小さい子から年配の方まで必死に太鼓に向かう。
体を張った動きは観ていて気持ちが良い。
新しい技も幾つか出た。
進化してるなぁと言う感じだった。

私も今日は夕方教えが入っているが、それまでのんびりしたい。

2011年3月4日金曜日

台湾公演

今月末に8日間台湾に行く事が急遽決まった。
呼んで戴いたのは一昨年にやはり呼んで下さった蔡さんと言う方が経営するプロダクションだ。
前回は台北で5箇所の公演だったが、今回は台中で5箇所だそうだ。
ただあまりに急な話だし、うちのメンバーも年度末である事や5月には韓国公演が控えている事もありなかなか都合が付かない。
結局うちと岡山の藤田傳三郎太鼓さんとの混成グループを作る事になった。
最初に私と傳三郎太鼓さんの打ち手3名が行く。
そして3日遅れて鼓空からもう1人加わると言う方向で昨夜やっと決まった。
台湾の蔡さんもこの過程の中、心配になり息子さんと共に昨日岡山に来られた。
私も泊まり先のホテルに行き、お会いした。
やっと表面上は形が付いたので、皆さんほっとし談笑となった。

しかし実際問題はこれからだ。
1回のステージが40分。
前回は鼓空から5人行ったので私達の持ち曲だけで通す事が出来た。
しかし今回はそうは行かない。
まずは傳三郎さんと私の4人のステージを考えなければならない。
時間はあまりない。

どんべえのきつねう~ドン。
3分で出来上がり。

2011年3月1日火曜日

加茂の陣

加茂の陣とは毎年津山鶴丸太鼓さんがこの時期県北の加茂で開いているイベントである。
この度私が指導している作州矢筈太鼓がこのイベントに参加させて戴く事になった。
作州矢筈太鼓は14年前に加茂の商工会の婦人部の人達によって結成された。
最初は20人程メンバーがいたが、もともと年配の方々が多かったので徐々に辞めていかれ、終いに3人になってしまった。
今まで地元の祭りや慰問や文化祭にはちょくちょくは出ていたが、大きなイベントには出た事が無い。
今回3人とは言え14年続いたからにはコンサートらしいイベントに出られたらと、鶴丸さんや商工会関係者にお願いしたわけである。

しかしお願いしたものの矢筈太鼓は今まで和気藹々楽しくやってきたグループである。
他のグループに比べたらいささか緊張感にかけるのは否めない。
だが出演すると決まった以上、お客さんも大勢来られるわけだからそれなりの演奏をする必要がある。
昨年の暮れ当たりからメンバー達の気持ちが否が応にも高まって来た。
ちょうどそんな折りに矢筈太鼓に快挙が起きた。
商工会婦人部のグループに男性2人が入って来たのである。
前は女性にこだわっていたが、3人となった今そんな事ばっかり言っておられない。
メンバーが増えるのは嬉しい事だ。
男性の1人は和太鼓ではないが、打楽器の経験者なので教える事はすぐ理解してくれる。
もう1人はこの方に誘われ入ったケーキ屋さんである。
こうして矢筈太鼓は5人となった。

でコンサートにどのように取り組むかだ。
私としてはこれからの矢筈に期待して無謀ではあるが、男性2人にも舞台を踏ませたいと思っている。
加茂の陣は来週日曜日3月6日だ。
メンバー達も未だに無い程の集中力で臨んでいる。
私も月1回のペースで教えに行っているのだが、2月は5回行った。
まだまだ心配である。
明日そしてコンサート前日にも教えに行こうと思っている。
出来るだけの事をして少しでも良い演奏をして貰いたい。

2011年2月25日金曜日

農大

今朝は農大に今年度最後の授業に行った。
私が大学に行き出してからはかれこれ8年は経っていると思う。
その間お世話になった学校の先生達は皆異動で出てゆかれた。
だからおそらく今現在一番長く勤めているのはこの私であろう。
と言う事は次期学長は私か?


いやいや非常勤講師の私に学長の席など待っている筈は無い。
待ってるのはまた来年も学生と共に汗にまみれる事だけだろう。

まあそれも良いか・・・

2011年2月22日火曜日

太鼓の授業

西大寺の観音院さんの裸祭り、会陽も終わり、一挙に暖かくなった気がする。
まあ喜んでいると、そうは行かない法華の太鼓となるかも知れないが・・・(本当はだんだん良くなる法華の太鼓)
外を歩くにも上着を1枚取る感じだ。

先週から御休小学校の伝統文化の授業に行っていた。
普段は和太鼓クラブの指導に行っているのだが、こちらは授業であるから1年生から6年生まで全員に太鼓を教える。
もう今年で3年目だ。

1年2年は45分の授業1回、3年から6年までは2回づつ行う。
子供達は結構この時間が好きで、しっかり食いついて来るから楽しい。
内容は最初楽器の説明、そして古来から伝わるリズムを教える。
一通り基本をしたら、皆で簡単な曲に挑戦する。

1年生は、迷子の迷子の子猫ちゃん・・・と犬のおまわりさんを唄いながら叩かせる。
2年生以上何にしようかと考えていたのだが、内にある初心者向けの太鼓の本の中に簡単で面白いのがあったのでそれにした。
譜面の下にはスットン、スットン、スットントンなどと書かれている。
何か狸でも出てきそうな感じだ。
私もこんな事は言った事もないし、唄った事もない。
だけど子供達と唄っていると楽しくなる。
最初口だけで唄い慣れたら今度は唄いながら太鼓を叩く。
子供達もすぐ叩けるようになる。

それが出来たら、今度は地のドンドコドンドコに合わせて先程のリズムを叩く。
合うと流石に面白く、終わったら皆の拍手が起きる。
こうしてあっと言う間に時間が経ってしまう。

ちなみにスットン、スットン、スットントンのスはお休みである。
どうぞお試しあれ。

2011年2月19日土曜日

韓国公演

今年の5月に韓国はソウル市の近くの富川(プチョン)市に行く事になった。
富川市は岡山市とは姉妹都市である。
やはり桃ができ、富川市の桃源祭り「ボクサゴル芸術祭」に出演する事になったのだ。
私は富川市には5年程前にクラッシックバレエのバック演奏で、つつみの望月先生と一緒に行った事がある。
先生とは岡山国体の開会式でも御一緒していて、気心が知れた仲である。
今回はその望月先生のお弟子さん達の桜友会と私達のbeZen鼓空が富川市から呼んで戴いた。
開会式と翌日の野外コンサートで40分2回をこの2組で勤める事になった。

ステージの内容や演目はこれから詰めて行く事になるのだが、それより今は富川市にどうやって行くかで頭を悩ましている。
数多い太鼓を飛行機に載せて運ぶよりは船で移動した方は経費も安くつく。
一番理想の形は我がハイエースに太鼓を載せ、下関まで行きそのままフェリーで釜山まで行く。
そして高速道路で450km北上し富川市に入る事である。
だが一つ問題が生じた。
我がハイエースは用途が貨物になっている。
乗用車なら問題は無いのだが、貨物車は韓国税関が許可しないとの事だ。
一応岡山市を通じ、富川市には車が営業目的で無く、日韓の文化交流で行くので許可して貰えるよう税関に頼んで戴けないかとお願いしている。
今の処その返事は返って来ていない。
もし我がハイエースが駄目なら、釜山から富川までレンタカーを借りる事になる。
どちらにしても今月一杯には結論が出ると思う。

またまた珍道中になりそうだ。

2011年2月17日木曜日

雪解け

二月も半分逃げた。
嬉しいやら、嬉しいやら。
先日3日間県南にも雪が降った。
しかしその2日間、私も県北の方に行ったのだが、左程でも無かった。
むしろ県南の方が雪が多かった。
不思議な事もあるものだ。
別に県南が南極に近いからでは無く、太平洋の冷たい低気圧のせいみたいだ。

今日は比較的暖かかった。
もう少ししたらおおいぬのふぐりも一杯見かけるようになるだろう。
暖かくなる春に備えて出来る事をしておこうと思う。

2011年2月14日月曜日

ブリージングストレッチ

一昨日西大寺の五福座でブリージングストレッチのセミナーがあった。
主催は内のメンバー二人だったので手伝いをした。
朝から働き者の私は壁に幕を張ったり、床にござを敷いたりと良く働いた。
昼に今回の先生である古久澤靖夫さんが東京から到着したので、メンバー2人と古久澤さんと私とで五福座の前にある茶蔵で打ち合わせ件昼食を摂った。

1時よりセミナー開始。
古久澤さんはヨガや整体、気功、断食等を通して自己治癒力を高め、健康になる術を教えている。
お弟子さんや師事する方も多く、この日も岡山は元より広島、香川、愛媛、高知、兵庫、大阪、京都、そして栃木からも来られていた。
総勢30名程。
前半は講義中心で後半は実践中心だった。
内容は病気は血液の流れや呼吸そして消化器系の滞りが原因で起きるからそれを取り除けば健康に成れると言うものだった。
言葉を変えれば気の流れを良くすると言う事らしい。
また精神と肉体は相互に深く関わっているので、気持ちの持ち方、考え方も大切であると言われていた。

こんな話を聞きながら、実際体を動かしてみる。
ヨガの要素も多く入っている。
呼吸を意識しながら、頭、肩、肩甲骨、肺そして心臓、胃、肝臓、すい臓、腸、足と体を動かす事によって、各部に刺激を送って行く。
運動がどこに効くのかがわかって面白い。
精神的な話は当然宗教観にも繋がって行く。
良くない考え方、捕らえ方をしたら体に緊張感が走り、体が強張るし、良いバイブレーションで人に接すれば、人間関係も良くなり、幸せにも成れるだろう。

3時間30分のセミナーだったが、あっと言う間に終わった。
その後は先程の茶蔵で懇親会。
ここは自然食中心の店で、焼きそば、グラタン、おでんを始め、何を食べても美味しい。

翌日は古久澤さんが神社巡りがしたいと言われていたので、10人程のセミナー参加者と共に吉備の中山に行った。
最初は吉備津彦神社、そして古久澤さんが数年前から行きたかったという黒住教の宗忠神社に行った。
黒住教はやはり神道で山の頂上から毎朝旭日を拝むのが修行となっている。
本殿参拝後、ご来光を拝める場所にも連れて行って貰った。
本当に景色も良く清清しい処だった。
古久澤さんが行きたいと言っていなかったら、多分行く事は無かったと思う。
良い機会だった。

山から下りると最後に吉備津神社をお参りした。
どこも立派な神社ばかりなので、皆さん感激しておられた。
最後に岡山駅にお送りし、解散となった。

楽しい2日間だった。

2011年2月11日金曜日

先程起きたら窓の外は雪景色だった。
天気予報でこの週末は降りそうと言っていたが、まさか本当に降るとは。
私は朝方布団の中で実は良かったと思っていた。
そんなに寒くなかったので、雪は降ってないと勝手に思い込んでいたのだ。

で何故雪に拘るかだが、明日は古久澤さんと言う方のブリージングストレッチの講習が西大寺の五福座であり、これからその準備に行かなければならない。
ブリージングストレッチについては次回書こうと思うが、内のメンバーが主催しているので私も手伝う事になったのだ。

そして夜にはお隣の兵庫県でライブが入っている。
早め早めに動いた方が良さそうだ。

モーが昨晩から帰ってない。
どこのこたつで丸くなっているのか?

2011年2月8日火曜日

回転寿司開店

岡山でも回転寿司のチェーン店が多くなった。
値段は様々で一皿100円切る処から品によって250円、400円以上置いている処もある。
確かに採れたての新鮮な物がある店はある程度値段が張るのも納得できる。

私が回転寿司に入るのは仕事で出ている時だ。
値段的には一般定食屋さんの感覚だ。
今安さを売りにしている処は私が知る限り3チェーン。
かっぱ寿司、スシロー、そしてくら寿司。

去年南大阪に行った時、どうしても寿司が食べたくなって、回転寿司を探した処、くら寿司を見つけ、入ろうとしたらなんと1時間30分待ち、地元ならまだしもとても大阪で並ぶ気にもなれず、出て車を走らせてたら、またくら寿司があった。
しかしこの店も長蛇の列、諦めてまた車を走らすとスシローがあった。
ここは10分でカウンターに付けた。
そこで私は南大阪では一応人気はくら寿司の勝ちと結論つけた。

岡山に於いては私は東岡山を車で走る事が多く、そこにはスシローがあった。
でちょいちょい仕事の帰りに入っていたのだが、この度その200m西になんとくら寿司が出来たのである。
いやはやなんでスシローの近くにと思った。
こんな事は確かによくはある。
コンビニやスーパー同士がすぐ側に出来たりする。
私はもう少し考えたらと思う。

しかしくら寿司もせっかくできたのだから一応顔を出そうと思った。
中は大変合理的だった。
食べた皿は皿入れに落とすと自動的に計算してくれるし、勿論カウンター上のボタンを押すとオーダーも出来る。
各種赤だしやうどんもある。
私には大きな意味でスシローとの相違点は感じられなかった。

ほんの200mしか離れた立地条件、これからも、熾烈な戦いが始まるのだろう。
回転寿司をこよなく愛している私としては、両方頑張って欲しい。
列の短い方に並ぶようにしようかな。

2011年2月6日日曜日

深夜

金曜日の深夜、またしても掴まった。
昼間しろと何度も言っているのに、未だに聞く耳を持たない。
本人達も辛いだろうに。
そう「朝まで生テレビ」である。
このタイトル自体の必然性を全く感じない。
そろそろ寝ようかなと思っていると突如始まる。
そして始まったからには最後まで観なければならない。

いつもの様に司会は田原総一郎氏そして政治家、評論家が激論を交わす。
ゲストに堀衛門こと堀江貴文氏が出演。
論点は幾つかあったが、後半になって尖閣諸島がテーマに。

堀衛門「あんな小ちゃい島なんかどうでもいいじゃない、欲しいならあげちゃえば、何か問題ある?」
評論家「小さい島だけど、その周りの海域ってものがあるでしょう、漁業権だってあるし。」

堀衛門「魚なんか買ってあげればいいじゃない。」

判り易すくも何とも大雑把な堀衛門だった。

2011年2月4日金曜日

如月

昨日、今日とちょっと気温が上がりほっとしている。
私の計算では2月に入ったので、冬はもう3分2終わった事になる。
冬は12月1月2月と決めているので。
ここらはまだだが、梅が咲き始めたという情報も入って来た。
寒いながらも確実に春は近付いて来ているのだろう。

元来寒がりな私であるが、よく耐えてきていると思う。
まあ私に限らず動物も植物も耐えているのだろうが。

春になったら動きも活発になって来る。
今の内に準備できる事はしておきたいものである。

2011年1月31日月曜日

新天地

鼓空のSlowな二人のSさんは2年前より赤目塾に通っていた。
赤目塾は奈良県の赤目という処にあり、自然農の川口さんが全国から集まって来る若者達に講義と実践で教えている。

二人のSさんはやはり2年前より備前市の鶴海という処に田畑を借りて自然農をしている。
自然農は原則畑は耕さないし、肥料は与えないし、草も抜かない。
こんなんで作物が採れるのかと思われようが美味しい野菜が採れるのである。
ただ有機肥料や化学肥料を与えていた田畑は本来の自然の土に戻るまでは時間がかかり、それまでは収穫量も激減する。
Sさん達の田畑も今この状態で我慢の時である。
しかしながら採れた野菜は味がしっかりしていて美味い。

或る日私と二人のSさん達と鶴海の山の中腹を車で走っていた時偶然にも見晴らしの良い処に出た。
南前方には山並みも見えるし海も見える。
そこはかなり広い休耕田だった。
こんな処で畑ができ、人の集まる空間が出来ればいいなぁと皆の意見は一致した。
そこで早速地元の人達にお願いをし、借りれる運びとなった。

だが問題はある。
ここが何故休耕田になっていたかである。
そう山の中腹故、猪や鹿が出て作物を食い荒らし、農作が放棄された場所だったのだ。
確かに猪が荒らした場所や鹿の糞も一杯落ちている。
しかしながらそんな事はどうでも良いのである。
景色が良ければ。
一昨日ここの土地の高くなっているセイタカアワダチソウを刈り、畝立てをし畑を作った。
赤目塾に通っている鈴鹿のTさんも応援に来てくれた。

一応畑は出来たので、さて何を植えるかだが、猪や鹿の興味をそそらない物が良い。
今の処綿やハーブがいいだろうと言う事になった。
果たしてどうなるのか楽しみだ。

2011年1月28日金曜日

病院好き

私の母は病院好きである。
まあ年のせいもあるが、頭から足先まで少しでも具合が悪いと進んで病院に行く。

病院に行って先生に「ここが痛い。」と言って、先生に「それは大変じゃなぁー、でも大した事はないから」と言って貰えれば満足して帰って来る。
母親にとって良い先生というのは母親の話をよく聞いてくれる先生だ。
治るとか治らないとかとは別の話である。
そんな母を病院に送り迎えをしている私は母に言う。
「良い先生は多くの患者さんを治す事に忙しくて、あんたの話相手などしている暇は無いわ~」と
すると母は怒り「あんたも私の年になったら解るわ~~」 と
これがいつも車の中でされる親子の会話である。

なんと次元の低い話であろう。

2011年1月26日水曜日

吉備津彦神社

昨日は備前一宮にある吉備津彦神社に行った。
吉備津彦神社は由緒ある大きな神社で桃太郎伝説の元になっている事でも知られている。
ここで美咲さんと臼井則孔さんの初詣コンサートがあった。
お二人は初春西日本の一宮を巡りながらコンサートを開いている。

美咲さんとは最初大阪で開かれる風人の祭で会った。
その後私達の主催するコンサートや玉井宮東照宮の龍神祭に来て貰ったりしていた。
昨年は岡山の美咲町で美咲さんのコンサートがあり、私も飛び入り出演した。
今回は手回しオルゴールシンガーの臼井さんと一緒と言う事もあり、楽しみに出かけた。

神社の会場に着くと、久しぶりに宮司さんと会う事が出来た。
実は数年前ここの広い神社の境内でダライ・ラマの推奨する「世界聖なる音楽祭」のプレイベントがあり、私達も出演していたのだ。
宮司さんも再会を喜んでくれ、お守りのステッカーを戴いた。

コンサートは美咲さんと臼井さんが替わりがわり唄った。
美咲さんはギターを持って唄うのだが、いつもながらその唄声は天使のように高音が透き通っていて伸びる。
臼井さんは自分でオルゴールを回しながら、それに合わせて唄うのだが、その声は優しくオルゴールの音と共に癒される感じだ。
1時間30分くらいのコンサートだったが充分堪能する事が出来た。

終わってからお二人とマネージャーの0原さんと少しだけ話をした。
私は夜稽古が入っていたので、旅の無事と再会を祈りつつ失礼した。

2011年1月24日月曜日

総社で総会

昨日は岡山県和太鼓連盟の総会があった。
鼓空も連盟に属していて、私も不肖なれど理事をしている。
総会では去年の報告そして今年の予定、そしてそれに伴う収支の説明、承認等が行われる。

その後は和太鼓のワークショップがあった。
今回講師はGONNAから二人来られた。
そしてその一人小林さんの作曲した曲を教えて貰い皆で演奏するというものだった。
曲名は「疾走」乗りの良い楽しい曲だ。
パートは大太鼓、平太鼓、据え置き太鼓、桶胴太鼓、締め太鼓と5つ。
今回私も締め太鼓で参加した。

3時間半の練習だった。
最初は皆走り過ぎの感があったが、徐々に落ち着いて来る。
乗りも出だし、各自動きも出て来る。
私も譜面を見ながら頑張って叩いた。
他の人の曲を叩くのは新しい発見があって実に面白い。

県内のいろんなグループからの参加者80名程の合同演奏。
共に汗をかき、皆で曲を仕上げて行くのは楽しい。

今日はこれから加茂に作州矢筈太鼓の練習に行く。
先週大雪の為に今日に延期してもらったのだ。
今年3月には彼等も大きなコンサートに出演する。
頑張って指導して来ようと思う。

2011年1月21日金曜日

かきおこ

かきおことは か行変格活用のことではない。
岡山県民にはだいぶ知れ渡ってきていると思われるが、牡蠣のお好み焼きの事である。

一昨日朝婦人部隊の練習の後、皆で日生に食べに行った。
日生にも前からお好み焼き屋は数軒はあった。
しかし「かきおこ」なる物は無かった。
できたのはここ数年の話だ。
今回日生に行ってみると、町中到る処に「かきおこ」ののぼりが上がり、それはもうこれぞ町お越しって感じだった。

今回は発祥の店とも言われる「たまちゃん」という店に行った。
私は以前にも来たことがある。
その時は一つの鉄板に地元のおじさんがいて、私もその鉄板に入り、店主とおじさんと世間話をしながらのんびりお好み焼きを食べたものだ。
然るに今回は「かきおこ」のヒットで駐車場も3倍ぐらいに広げていたのに、満杯だった。
ナンバープレートも姫路や大阪からのもある。
店頭には行列ができている。
幸いここは鉄板も7枚程あり、客の回転は速かった。
しかしそれでも私達は30分以上は待った。

さて私達5人狙いはやはりかきおこ、1人を除いては。
その1人は過去3回牡蠣に当たり、怖くて食べられず穴子入りお好み焼きを頼んだ。
穴子入りも珍しいとは思うが、ここらは穴子がよく獲れる処なので。
ひょっとしたら柳の下に穴子が2匹かも。

普通の「かきおこ」は牡蠣が6個入っていて900円。
私は初めてでもあるし、牡蠣を堪能しようと大にした。
大は1300円牡蠣も一杯入っていたと思うが食べるのに一生懸命で牡蠣の数は数えてない。
で問題は味であるが、これが実に美味い。
焼かれたお好み焼きの上に半分は岩塩、残り半分にはソースがかかっている。
それに好みで鰹節、青海苔、紅生姜をかける。
私は牡蠣だからちょっとベチャベチャ感があるのかなと思っていたが、さにあらず。
牡蠣も焼かれいるが尚且つプリンプリンとしている。
お好み焼きとの相性も今まで食べた事の無い感じだがよく合う。

本当に日生よくやった!って感じだ。
津山のホルモンうどん、蒜山焼きそばとヒットが続いている。
食べるもので賑わって行くのもなんかホカホカと嬉しい。

2011年1月19日水曜日

ロックの殿堂

先日深夜に酒を飲みながらボゥーとテレビを観ていたら、やたら懐かしいロックシーンの映像が流れて来る。
ギターリストで言えばエリック・クラプトン、ジェフ・ペック、ジミー・ページなど。
60年代後半から70年代のロックの黄金期に活躍したミュージシャン、バンドが一杯出る。
それも彼等がある程度年を取り、いぶし銀の味を出している。
何だろうと観ていると、ROCK AND ROLL HALL OF FAME と言うROCKで殿堂入りした人達によるコンサートだった。
そしてそれを収めたDVDの宣伝だったのである。
昔よく聴いたバンドの演奏が延々続く。

私は以前にもこれに似た事があったなぁと振り返る。
前はクラッシック音楽のソロのピアノ演奏がずっと流れていた。
私は深夜一人酒を飲んでピアノ曲を聞いていると、そのメロディーの素晴らしさにはまってしまい、コマーシャルが終わる頃には0120-000-000と電話をしていた。
4枚組のCDだったが、届いた時一度聴いたきりだ。

今回も同じシチュエーションだったので私は多少ながらも慎重になっていた。
しかし余りに懐かしい音楽の繰り返しにコマーシャルが終わる頃にはまたまた電話機を取っていたのである。
本当に深夜のコマーシャルは私狙いではないかと思う。
昨日DVDが届いた。
代引きで1万6千円ちょっと払った。
まだ観てはいないが、少なくとも二度は観ようと思う。
また後日内容を報告をしたい。

2011年1月16日日曜日

前のブログに私の北限は摂氏0度と書いたが、昨日の予報では今日は雪が降りマイナス7度まで下がると言っていた。
私にはとても信じ難い話だった。
しかしながら今朝起きて一番に窓越しに外を見ると幸いにも雪は降っていなかった。
温度もかなりの覚悟をしていた故さほどにも感じなかった。

今朝は自閉症の子供達の教室があった。
皆来れるかどうか心配したが全員元気に来ることが出来た。

明日は県北の加茂にも行く事になっている。
たぶん大丈夫だとは思うが、あまりに雪が多く大変そうなら日にちを変更して貰おうかな。

2011年1月12日水曜日

長船

寒い日が続いている。
私は以前は冬が嫌いで、よく夏より冬の方が好きと言う人がいたら、なんて感覚をしてるんだろうと、その人の感覚を疑ったものだ。

米国からこの岡山に帰った時もどこに住もうかと車であちこち探し周った。
いくつか条件もあったが、その内の一つが田舎で音の出せる処であった。
県北に行けば自然が残っていて、条件を満たす処は一杯ある。
しかしながらそうはしなかった。
もう一つの条件があったからだ。
私には住む北限と言うものがあったのだ。
私は摂氏0度以下になると凍りつき動けなくなるとと固く信じていた。

今瀬戸内市の長船という処に住んでいるが、県南であり田舎だ。
ここは驚く程、発展して来なかった。
その理由はおそらく交通の不便さだ。
長船にも東西南北道は走っているが、東に行くと片上湾に突き当たり、それ以上行けない。
国道2号線は長船から山を越えた北側を走っている。
長船は結果取り残された。

私はこの取り残された長船が大好きである。
このまま取り残され続けて欲しい。

2011年1月9日日曜日

京橋花月

昨日は大阪の京橋花月に行った。
京橋花月は2008年と最近できた吉本の演芸場である。
何故行ったかであるが、なんと餅つき太鼓を叩く為だった。

朝5時30分頃メンバーと合流し一路大阪へ。
9時過ぎにあちらのスタッフと会い早速準備に。
紅白の垂れ幕を張り、赤い毛氈を敷く。
真ん中に石うすをセットし舞台上手に太鼓を大小2つ置いた。

11時過ぎから米の蒸し班は準備に入り、餅のつき手と私は袴に着替える。
12時前より吉本の司会者の案内お客さんが一杯集まって来る。
司会者の振りで私は太鼓ソロを始める。
4分ぐらい叩いた処で蒸された餅が石うすの中に入れられこねる。

準備万端、内のメンバーが軽くついた処で吉本新喜劇の若手の皆さんがなだれ込んで来た。
生憎私はたいぞうさんの名前しか知らなかったが、皆さんいつもテレビで観るお馴染みの方々ばかりだった。
お客さん達も大喜びだ。
早速新喜劇の人達による餅つき、大きな掛け声と共に杵が振り下ろれる。
私もそれに合わせてドンドコドンドコ。
途中から子供達も参加。
あっと言う間に餅がつき上がった。

この後芸人さん達は大勢のお客さんに餅を手渡し、すぐに新喜劇の本番に行った。
ほんの30分くらいの事だったが、お客さん達を一挙に盛り上げるパワーは流石吉本だ。
私も新喜劇は好きだったが、より身近に感じられるようになった。

2011年1月7日金曜日

胃は一つ

この処胃腸の調子が今一つだった。
去年の暮れから、暴飲暴食が祟ったみたいだ。
寒いとすぐ暖かい物を食べてしまうし、休日とあらばついついテレビを観ながら酒を飲んでしまう。
これが続くと流石に胃腸も参ってしまう。

牛猫モーの事ばかり言えない状況だ。
でも食ったら寝、食ったら寝のモーは何ともなさそうなのは何故だろう?
牛猫だから胃が4っつあるのか。
まあモーの事は兎も角、少しは体の調整をしようとヨカに行った。
ここらが私の偉い処だ。
今年の初レッスン、腹周りもしっかり動かし深呼吸も一杯した。
多少は楽になった気がする。
胃腸も物理的に治すのも有りかなと思った。
帰りは久しぶりに私の吉井川河川敷公園に行って、サッカーゴルフをした。
春先に一人フェイント直角蹴りに凝り過ぎ、膝を痛めてしまったのでずっと行けなかった。
もう完治したし、この冬はまた通おうと思う。

今日は鼓空の初稽古だ。
まずは基本からゆっくりと・・・かな。

2011年1月5日水曜日

今日は・・・

年が明けてもう5日経ちました。
早いものです。
私は一昨日、昨日とは年賀状を読んだり、テレビを観ながら酒を飲んだりとダラダラ過ごす事が出来ました。
明日からは通常の生活に戻ろうと思っているのですが、今日1日はどう過ごすべきか今考えています。
もう1日ダラダラ過ごすか、はたまた徐々に明日からに備えるか?
決めてから書けって話ですが。

でもこうして書いていると少しはアクティブな感じになって来ました。
ちょっと外に出てみようかな。
出るのなら初詣にでも行こうかな。
にでもと言うのは失礼か。

決めました。
吉井川を下降して西大寺は観音院さんにお参りに行って来ます。
正月の市も出ているから、ぶらぶら遊んで来よう。

ではでは・・・・

2011年1月2日日曜日

謹賀新年

皆様 明けましておめでとうございます。
本年もよろしくお願い致します。

今年は如何なる年になるのでしょう?
昨今人と人の触れ合いが少なくなる余り、辛い事件も多く耳にするようになりました。
そんな中私に出来る事は僅かですが、少しでも世の中が温かくなる為にも頑張って太鼓を叩いて行こうと思います。
もし同じ方向を考えておられる方がおられれば御一緒しましょう。

私は昨日元旦には姫路市のイオンに行って獅子舞太鼓を叩いて来ました。
大勢の人達の中2頭の獅子を操って行くのは大変楽しいですし、福を願って頭を噛まれ泣き出す子供達、子供を差し出す親達を見ているとついつい笑いが出ます。
昔ながらの風情でしょうが、ずっと続いて行って欲しいと思います。
今日は倉敷の大手家電量販店に行って餅つき太鼓を叩いて来ました。
太鼓ソロの後餅つきが始まるんですが、最初こちらのスタッフがつき、その後子供達にも小さな杵を持たせ叩かせました。
子供達も慣れぬ事とはいえ、頑張って杵を持ち上げていました。

餅がつき上がってからはスタッフは餅をちぎっては丸め、黄な粉を付けてはビニールの小袋に入れ、並んでいるお客さん達に渡す作業をせっせと続けていました。
私はその間適当に太鼓を叩いていようと思っていたのですが、あまりの長蛇の列にひっちゃ気のスタッフの様子を見て、太鼓を叩くのを止め、丸まった餅に黄な粉を付ける役を買って出ました。
お陰でと言うのも何ですが、流れ作業は上手く運びました。
私もこれからは餅作りも出来る和太鼓奏者で売って行こうと思います。

さっき帰って来て、今酒を飲みながら書いています。
酔いが回りそうなのでこの辺で止めます。
皆さん酔いお年を !!