2009年10月30日金曜日

目が

覚めた。
何故かは後程。

今朝は7時過ぎに出て,津山のイ0ンに9時に入る。
11時、1時、3時と3回太鼓演奏をする。
それも作州武蔵太鼓で。
それも武蔵不在で。
こんなの有りかなと思う。

事の成り行きはこうである。
あるプロダクションさんがイ0ン創立2年目を祝したイベントの一つとして、武蔵太鼓の代表の岡0さんに出演依頼をした。
しかし、スケジュールの都合上無理と判明。
岡0さんは鼓空に変わりに行ってくれないかと要請。
私はお受けする。
そしてその旨、プロダクションに伝えると、津山の近郊のグループでとの決まりになっていると言う。
で湯郷を拠点とする作州武蔵太鼓として、出てくれないかと言われた。
私は岡0さんがいない武蔵太鼓はありえないし、岡0さんの許可なくして、武蔵太鼓の名前は使えないと説明する。
(おそらく岡0さんはOKしないと思ってである。)

ところがである。
岡0さんは簡単に「ええよ~」と言ったのだ。
そんな。聞けば昔世話になったプロダクションらしい。
武蔵太鼓と名乗るも良し、必要な鬼の面やはっぴも貸すからと言うのである。
岡0さんがそう言うなら、私はもはや断る術を知らない。
受ける事になったのである。

でも武蔵と言えば二刀流。
私は普段小次郎なのだが、剣を抜いたのは何故かただの一度だけ。
それがさらに2本の刀など、到底及びもしない。
しかし受けた以上なんとかしないといけない。
私は無理やり、今日は小次郎ではなくて、武蔵だと頭に言い聞かせる。
刀は?
ばちが刀だと思おう。
てわけで舞台に臨んだ。

実際始まると人が集まってくるが、誰一人疑問を持つ人は無かった。
皆さん熱心に私達の演奏を聴いてくれ、拍手も一杯戴いた。
良かった、良かった。
無事勤めを果たした。

荷物を片付けてから、勝山に向かった。
「龍物語」でお借りしてた衣装と、模造刀を返しに行く為だ。
私は電話しなければいけない用件があり、しながら中国道の津山インターから入った。
するとスーと覆面パトカーが来て、私の車を止め、あのう携帯電話をされてましたね・・・・・
と相成ったのである。

私はここで目が覚めた。
減点1、罰金6000円。

あ~あ~
なんのことやら~~

2009年10月29日木曜日

まだぼう

まだ頭がぼうーとしている。
先週土曜日に、ぼさつの面々5人と昔同時期千葉で活動してたキャンディータイムの2人茂木兄弟が来た。
ぼさつのまーちんはサンフランシスコ、隆ちゃんはシアトル、龍一ちゃんは愛媛からだ。
またマネージャーの信ちゃんと息子のさとるそして茂木兄弟は千葉と神奈川からで、ハイエースに楽器、PAシステムを一杯詰めて来てくれた。
これが実に助かった。
日曜日の「いわとわけ音楽祭」でうちのPAを貸す事になっていたが、調子が悪く、急遽持って来て貰ったPAで対応する事になったのだ。
有り難かった。

その日はうちのメンバーに先に石門別神社に入って貰い、ぼさつと茂木兄弟は午前中、道場で音出し。
まーちん、隆ちゃんが最近作った曲、そして昔からの曲をする。
ノリはすぐ決まるのだが、エンディングなどの決めに時間を取る。

昼から「いわとわけ音楽祭」に向かう。
今回はデュオ、トリオ等の小編成のグループが多かった。

夕方になって、まずは鼓空が30分演奏し、ぼさつがその後30分ちょっとした。
ヒッピーバンド的要素の強い音楽に、お客さんも横揺れして踊る。
楽しい雰囲気の中終わった。
音楽祭の最後演劇で天の岩戸を開け、平和を願う。
神社で打ち上げをして帰る。

翌月曜日は昼間、みんなで牛窓の方に遊びに行ったりしてのんびり。
夜は道場で簡単なコンサート。
慧のバンドが前座をしてから、ぼさつのリラックスした中、演奏。
最後にみんなでセッション。
慧とツインドラムスでも遊んだ。
楽しいひと時だった。
夜中、茂木兄弟と龍一ちゃんは長距離の帰途に着く。
翌日朝、まーちん、隆ちゃん、信ちゃん、さとるが新幹線でとりあえず、千葉に向けて帰った。

またみんな集まれる機会が出来たらと思う。

昨日は鼓空のメンバー4人で全日空ホテルで、高梁の学校の同窓会に行った。
同窓会と言っても、皆さん古希に成られる年齢。
しかし皆さん若々しかった。
こちらが元気を貰ったようだった。

私もいつまでもぼうーとしないで頑張ろう。

2009年10月27日火曜日

あたぼう

頭がぼうっとしている。
回路がはずれているのか、何も考えられない。
書いていると、少しは戻るのか。
4日間走り抜けた感じ。

順を追って書くと、
先週木曜日、玉井宮さんに行き、竹を大小25本程切り、ルネスに運ぶ。
金曜日、「龍物語」の本番、午前中仕込みと鼓空のリハ。
午後からことさん、美咲さんのリハをする。
3時から、物語のリハ、何しろ全員集まるのは初めてなので、場面場面でのタイミングの取り方を決める。劇団転起与砲の面々、備中神楽、ことさん、美咲さん、私、音響、照明、みんな大変。
特に本物の龍が影絵のスクリーンを破って飛び出す処、龍が舞い終わった後、飛び上がり、2階にいる龍に摩り替わる場面が難しいが、大事な処だ。

物語のリハの後、美咲さんの「ありがとう」をことさん、鼓空で練習する。
そしてすぐゲネプロに入る。

6時30分開場、7時開演
本番 物語やはり多少タイミングの悪さもあったが、まずまず無事に終える。
2部はことさん、美咲さん、鼓空の順に演奏。
お二人とも優れたアーティストなので、何の心配もない。
鼓空の演奏でもお客さんが乗ってくれ、大勢踊ってくれた。
最後に「ありがとう」をみんなで唄い演奏して終わった。
半年間関わって来ただけにほっとした。


翌日土曜日は玉井宮東照宮での宵祭り、大勢の方が参拝に来られる。
上がり口の公園には出店が並ぶ。
境内には一杯龍が飾られている。

5時より鼓空そして、獅子舞、ことさん、美咲さんの順に
最後にことさん、美咲さん、私で即興演奏をした。
2日間無事に終わった。

後2日間はまた明日にでも。

2009年10月22日木曜日

とうとう

明日23日夜7時から、岡山のルネス・ホールにて「龍物語 in ルネス」が開かれます。
面白いイベントです。
お時間のある方は是非お越し下さい。
秋の夜長、みんなで楽しみましょう。

2009年10月21日水曜日

もう

間近になりました。
明後日です。
「龍物語 in ルネス」は。
焦らなければ。
何を?
わかるようでわからない。
これこそ人生か?

人事を尽くして天命を待つ。
まずは人事を尽くす事か!

2009年10月20日火曜日

ますます

「龍物語 in ルネス」が近くなった。
間違いなく、昨日より1日少なくなった。
当たり前か。
大場先生とも細かい連絡を取り合う。
今日も秘密の練習をする。
ここで言えないのが残念だ。

今心配なのは、入場券の事である。
前売り券については大体把握できるのだが、当日券がどうなるかだ。
前回鼓空祭の時は後半かなりチケットが売れ、お客さんに窮屈な思いをさせてしまった。
今回それは避けたい処だが、こればかりは当日券で入られる方によっても大きく左右される。
いい状態に収まる事を祈るのみである。

後残り2日、やれるべき事はやっておきたい。

いよいよ

「龍物語 イン ルネス」がいよいよ今週金曜日に開かれる。
竹を30本程ルネスホールに入れる事になっているのだが、やっと皆さんの御協力で、車の手配が付いた。

昨日朝はサプライズ企画の打ち合わせ。
午後からは、日常、御安小学校と、夜は加茂に練習に行く。
車の移動中に劇の中の音楽について、細部を考える。
まだそんな事をしてるのかと怒られそうだが。
念には念をという事で。

お客さんがきっと喜んで戴けるような内容となっています。
お時間のある方是非来て下さい。

「龍物語 in ルネス」

日時   10月23日(金) 19時より
場所   ルネスホール(岡山市)
出演者 美咲さん(唄) ことさん(篠笛) 備中神楽保存振興会、転起与砲(劇団) beZen鼓空(和太鼓)

1部 龍物語 2部 コンサート
入場料 前売り 2000円 当日2500円 高校生以下1000円

です。

2009年10月18日日曜日

稲刈り 2

今日も朝から天気が良かった。
朝一番は太鼓の練習があり、11時頃から、田んぼに行った。

鼓空から6人と友達が2人での稲刈りだった。
稲を刈ると、6株づつに束ねる。
そしてそれを田んぼの中に組んだ干し台に掛けていく。

稲は順調に刈っていけるが、束を作るのが、慣れるまでは少し時間がかかる。
でも皆だんだんと早くなってくる。

掛け稲は、先程の束を1対5に分け掛ける。
そして次の束は5対1という具合に変わり交代に掛ける。
こうすると一つの横棒にたくさん掛けれるとの事。

すべて掛け終わると、その上にネットを被す。
最近天日干しをしている処は少ないので、雀が喜んで狙ってくるのだそうだ。

今日は途中で米田さんの撮影会がある。
その時は田んぼの中、みんなの位置が決められる。
それはそれで面白かった。
私は途中、桶太鼓を叩く。

3時過ぎにはすべて作業が終わった。
楽しい秋の一日だった。

2009年10月17日土曜日

稲刈り

今日は午前中、富山天龍太鼓の練習に行き、3時頃から今年鼓空の面々と友達とで一緒に田植えをした田んぼに行き、稲刈りをした。

明日みんな揃って稲刈りをする事になっているが、予行演習の意味もあり、今日は鼓空から3人と、田んぼを借りている米田夫妻とで4分の1ぐらいの稲刈りをし、天日干しする為の柱に、刈った稲を掛けていった。
最近では鎌で稲を刈るのも、天日干しもなかなか見られない。

秋の夕暮れ、稲を干している光景は、なんだか懐かしくていい。
明日は昼前から、みんなで稲刈りをする事になっている。

収穫の太鼓も叩こう。

2009年10月16日金曜日

農大

今朝は農大に行った。

この処、金曜日は何かあり、ヨカに行けてない。
来週も忙しく行けないだろう。
私達が忙しい時は肉体労働が続いているという事である。
演奏が肉体労働というわけではない。
太鼓の持ち運びが大変なのである。

演奏がある日は、まず太鼓の梱包、楽器車に載せる。
現地で降ろしセッティング。
演奏後に梱包、楽器車に載せる。
帰って、道場にいれ、梱包を解き、セッティング。
とまあ、太鼓が重いだけに、なかなかの仕事量だ。
それに、うちからPA機材も持って行く事も多々ある。
昨日もお客さんから、4人でこんなに機材持って来るのと驚かれた。

で話を元に戻すと、肉体労働の後は、特にまた違う意味できついヨカをして体のバランスを整える必要がある。

でもう一つ話しを元に戻すと、しかしながら今日はヨカでなく、農大に行ったのだ。
どこまで脱線するのか?

来週の土曜日、農大では一番のイベント「収穫祭」がある。
この日はたくさんの来賓、そして収穫した物を買いに来る人達で賑わう。
農大の太鼓チームはオープニングで叩く、また午後、イベント広場でも叩く。
収穫祭に太鼓はよく合う。

私も毎年オープニングには立ち会う事にしている。
だが、今年は龍物語の翌日、そして龍神祭の宵祭りの日だ。

まあこの際多少重なっても一気に乗り切ろうと思う。

2009年10月15日木曜日

大名行列

今日は朝7時にメンバー3人が道場に来て、4人で岡山県の北西にある新見市に行った。
私達の道場は岡山県の南東の瀬戸内市にあるので、遠いと言えば遠い。言わなくても遠い。
前回、新見に行った時は2時間30分と予定してたのに、3時間かかってしまい、大慌てした。

だが、私達には学習能力があるので、入り時間が10時30分だったが、道場を7時30分に出発。
そして尚且つ、山陽町から総社まで高速に乗り、岡山市内の通勤ラッシュを避けるという技に出た。
おかげで10時には新見の目的地に着いた。

今日の催しは新見に300年以上続くという大名行列。
正式には「御神幸武器行列」、また一般には「土下座祭り」と言われている。

古き町並みを「下に~ 下に~ 」と侍が列を成して通る。
槍を高々と上げた侍達が通る。
また祭事であるらしく、御神輿も5~6台出る。
獅子舞も練り歩く。

庶民の人々は道の端にござを敷いて、座って見物する。
見物するのだから、頭は低くはなかった。
酒を差し出す人もいる。

こんな伝統が有り、由緒ある祭りがまだあるんだなぁと思う。
今日も全くの平日、木曜日である。
昔から毎年10月15日と決まっていて、動かさないのだ。
その一途さも凄い。

処でなぜこの祭りに私達が呼ばれたかであるが、以前新見市で仕事で来た時に、たまたまこの祭りの主催者のお一人が聞かれていて、呼んで下さったのである。

ただ、この時も演奏の後半はドラムスやジャンベを使い、賑やかにしていたのだが、この主催者の方はそれが気に入ってくれたのだそうだ。
で一応ドラムス、ジャンベを持って行ったのだが、現地に着き、あちこちの軒先に御神幸と書かれた提灯を見ると、いささか不安になる。
何しろ300年以上の歴史だ。

私達を呼んでくれた主催者の方が良しとしてくれても、他の大多数の方が納得してくれなくては困る。
急遽、1回目ステージの曲目を変更する。
前半の3分の2は渋く和太鼓らしい曲を続ける、そして後半3分の1をビートのある曲と比率を変えたのだ。

たくさんのお客さんが聞いてくれていた。
私達の演奏の後、しばらくして長い行列が通る。

そしてその後2回目のステージ、お客さんの変動があまりないように思われたので、曲目を変える事にした。
今度は前半3分の1が和太鼓らしい曲、そしてちょっと冒険だったが、ドラムスを使った曲のメドレーをした。
お客さんは結構乗ってくれた。
後主催者の方々の顔を拝見したら、皆さんも喜んでくれていた。
また是非来て下さいとのお言葉も戴いた。
ほっとする。


皆さんにお礼を言って、新見を後にした。

2009年10月14日水曜日

ルネス

今日夕方からルネスホールに行った。

10月23日に行われる「龍物語」のリハーサルである。
劇団、備中神楽、照明、音響、スタッフそして鼓空のメンバーが揃った。
だいたいの感じでは上手く行きそうだ。
細部の詰めがもう少し。
各場面場面での時間を計る。

再度台本の更生をする。
後9日間で本番。

美咲さん、ことさんとも細かい打ち合わせが必要だ。
いいイベントにしたい。

2009年10月13日火曜日

秋だれ

昨日まで4ステージ続けてあった。
毎朝早く起き、出勤してたが、今日の昼は全くのオフ。
だれーと過ごす。

テレビを見ながら昼寝をする。
体が畳に溶けそうになる。

パソコンを開いていると、猫のモーが膝の上に乗ってくる。
モーは多少風邪をひいている。
移すなよ思う。
猫の風邪は人にも移るのか、定かではないが。
今毛づくろいを始めた。
時々体勢を入れ替える。
私が書いている事など、全くお構いない。
自分勝手な奴だ。

モーの頭を上に向け、耳を両手で押さえ、オットセイにしてやる。
もともと猫とオットセイは同じ仲間だ。


嘘である。

夜の練習まで、もう少しだれーとしておこう。

2009年10月12日月曜日

春日神社

今日も私の平生の行いがいいのか、気持ちのいい秋晴れだった。
これで秋祭りの3日間すべて快晴。
これは平生の行いどころか人徳の成せる業か。

今日は西大寺の西阿知の山の上にある春日神社の秋祭りに行った。
こちらには大分前から来ているが、いつから来てるんだろうと鼓空の履歴を見る。
すると最初に来たのは2000年だった。
今回で9回目になる。
こんなに呼んで戴けるのは、本当に有り難い事だ。

子供達の相撲大会から始まり、祭事が行われる。
その後鼓空の演奏。
持ち時間は50分、祭りにしては長い。
いつもの様に大太鼓ソロ、清流、華、渓谷鼓から始める。
後半は祭りなのでのる曲ばかりで通す。

お客さんも楽しんでくれたみたいで、まずは役目を果たした感じ。
太鼓の後は毎年恒例の餅投げ。
餅に混じって袋菓子も一杯投げられる。
大人も子供も一生懸命拾う。
楽しいひと時である。
私もかなり拾ったが、あまりに私は心優しいので、取り損ねたお婆さんにもあげる。
お婆さんもにっこり。
幸せな気分になる。

弁当、お菓子、飲み物、お神酒など一杯戴いた。

また来年も!

2009年10月11日日曜日

秋晴れ

今日も青空で清清しく、祭りには最高の日だった。

今朝は岡山市のやや西に位置する福田地区という処の秋祭りに行った。
八幡様を祀ってある神社で、4町の氏子さん達が集まっている。

長らく祭りがされてなかったが、昨年これでは駄目だと長老達が立ち上がり祭りを復活させた。
この長老の中に、うちのメンバーがお世話になっていた方がおられ、初っ端に依頼を受けた。
そして今年も呼んで戴いた。
今年は去年より多くの人達が来られた。
これからも徐々に盛り上がって行きそうなエネルギーを感じる。
今年は特に子供達の参加が多かった。
子供達は手作りの御神輿を作って、各町に持ち帰りうねってから、また神社に戻って来る。
御神輿が4つ帰って来た処で鼓空の演奏になる。
皆真剣に聞いてくれる。
真剣なばかりでは悪いので、後半はのる曲を演奏する。
大人も子供も皆さん喜んでくれた。
また来年もお邪魔する事になりそうだ。

今日は演奏が終わると、すぐに片付けて祭りの途中だったが失礼する。
道場に戻り、太鼓を入れ替えて、私は倉敷市の真備町に行く。
真備町の竹林で囲まれた古墳で開かれる「竹林音楽祭」に出演する為だ。
これは瀬戸内源平太鼓として受けた仕事だ。
昨年も呼んで戴いて、今回もまた呼んで戴く。
有り難い事だ。

始まりは地元の子供達の、竹のオーケストラの演奏、そしてミュージカル、女性ボーカル2人とキーボードの演奏などが続く。

ゲストは昨年も青森から来られた津軽三味線の山上進さん、そして倉敷のソプラノ歌手の河口めぐみさんだ。
山上さんは三味線意外にも、尺八や横笛も吹かれる。
心に響く音を出される。

昨年は音楽祭の最後に一緒にコラボをさせてもらった。
そして今年も2曲程ご一緒した。
全くの即興演奏で緊張感がある。
しかしながら一年ぶりに会ってまた一緒に音を出すというのは嬉しい。
またご一緒出来る機会があればなぁと思う。

竹林が照明に照らされ素敵な雰囲気での音楽祭は無事に終わった。
この音楽祭もずっと続いて行けばなぁと思う。

2009年10月10日土曜日

泉学園

今日は泉学園という知的障害者更生施設の祭りに行った。
ここはもう7年ぐらい前だろうか、一度行かさせて貰っている。

到着するとすぐ、一人の障害者の方の出迎えを受ける。
いろいろ園内の事、職員さんの事、私達が知らなくてはいい情報を一杯教えてくれる。
すこぶる元気で、かつ大変優しい人だった。

今日はうちから3人で来た。
さっそく、太鼓のセッティングにかかる。
外のイベントだったので、大太鼓も持って来た。
まず台を組み立て、その上に大太鼓を載せる。
3人では持ち上げるのも、心もとないので、スタッフの方々にも手伝ってもらう。

今日は金管楽器のコンボのチームも来ていた。
トランペット2本、ホルン、チューバ、トロンボーンの編成。
普段なかなか聞けない音なので、楽しみ。

祭りは彼等によるファンファーレから始まり、すぐオープニング鼓空だった。
大太鼓ソロから始め、3人で30分演奏した。
鼓空で3人での演奏も時々はするが、なかなか緊張感がある。

演奏後はゆっくり、食券を戴いてたので、やきそばを食べたり、ラムネを飲んだりして過ごす。
先程の金管楽器のチームはアニメのトトロなど、なじみのある曲を演奏してた。
ホルンやチューバの音が面白い。

大道芸の人も来られていた。
この方は以前スマトラ沖地震のチャリティーイベントでも、ご一緒していた。
大きな体格の方だが、その割に高い声を出す。
子供達には低い声よりも高い声の方がいいかもね。


今日も天気に恵まれ、いい祭りになった。

2009年10月9日金曜日

菜の花

今朝、農大に行った。
「菜の花を植える集い」なるものが催されたからだ。
式のオープニングで農大の和太鼓チームが演奏する事になっていて、私はリハーサルから立会い最終的な調整をする事になっていた。

この催しには岡山県知事の石井さんも来られた。
普段、県知事も忙しく、農大の卒業式の時も大抵代理の方が来られ祝辞を述べられる。
でも今日、来られたという事は、県がこの事業にいかに力を入れようとしているかの現われだ。
テレビ局も取材に来ている。

式は10時から始まり、農大の近くの3つの保育園からも可愛い園児達が集まって来る。

この催しの意味は、皆で菜種を植え、春に収穫し、菜種油を摂り、食事で揚げ物等に使い、その後、精製してバイオエネルギーとして車の燃料等とし、二酸化炭素の排出量を抑えようという壮大なる計画だ。
昨年は県下で5h植えたらしい、今年は20h植えるそうである。

確かに、昨今田舎で農業を生活の糧としている方々は老齢化している。
休耕田も、致し方なく拡がっている。
そんな土地に菜の花を植えて行く事はそれなりに意味があるような気がする。

式典の後、保育園児や親御さん、農大生、そして知事も参加して菜の花を植える。

秋の清清しい青空の下、気持ち良い催しだった。

2009年10月8日木曜日

頭が

軽くパニックになりそうだ。

先程、来年の国民文化祭でのクラシックバレエの曲の練習用のCDの取り直しをした。
寸法を少し長くするように頼まれたからだ。
1つは済んだ。

そして今一番に気になっているのが、龍物語。
1部は劇と音のすり合わせ。
2部のコンサートのもって行き方。

10月の残り11本の仕事のメンバーと曲の組み合わせ。
11月には1時間30分の小学校での音楽鑑賞会もある。
新しい事もやりたいが、練習時間が取れるかどうか。

まずは今週土曜日から月曜日までの4本の仕事を無事にこなさなくては。
土曜日の夜は真備の竹林音楽祭で、津軽三味線とピアノの方々とのコラボもある。
はたしてどんな感じになるのか?

とりあえずは一つ一つという事で。
今日はもう何も考えず、軽く酒でも飲んで寝よう。

2009年10月7日水曜日

嵐の前

の静けさであろうか、少し雨は降っているが差ほどではない。
大型台風という事であるが、今全くその感じが無いだけにいささか不気味である。
ゴジラかはたまたジョーズか。
天気予報では、今四国沖で進路は紀伊半島の方に向いている。

台風と言えば、もう10何年も前に19号台風と言って大型の台風が瀬戸内海に入って来た事がある。
その夜はかなりの雨風だったが、朝起きるともう過ぎ去っていた。
私が何げなく、テレビのスイッチを入れると、台風の被害状況をが映し出されている。
そして洪水で田園地帯が浸かっている場面が映った。
凄いなぁと思っていると、アナウンサーが長船と言った。
エーと思いながら、2階に上がり窓を開け外を見る。
私の家はちょっと高台にあるのだが、眼下に海が広がり朝日でキラキラ輝いていた。

長船はもともとは海で、入り江だった。
そこを埋め立て農地にしたのだ。
この時、昔の入り江の状態がはっきりわかった。

殆どの道が大水に浸かり寸断されている。
1日2日は食料も買いに行けなかった。
水道も止まり、大きなタンクに水を入れたトラックが来て、配給をしていた。
田んぼの稲はほとんど全滅、床上浸水の家もたくさんあり、甚大な被害がでた。
やはり天災は凄いと実感。

今回の台風も注意しなければ!!

2009年10月6日火曜日

風邪

ちょっと風邪気味。
太鼓の練習で汗をかいて、すぐ着替えれば良かったのだが、その後他の事をしてて体を冷やしたからだろう。
今日は早く寝ることにします。
済みませぬ。

2009年10月5日月曜日

石門別神社

先程まで「いわとわけ音楽祭」の打ち合わせに行っていた。
私達も今年で8回目ぐらいになろうか、ずっと出演している。

もともとは岡山のミュージシャン達が集まって始まった音楽祭だ。
ここが各お宮の祭りとは違った処である。
今は音楽以外にも演劇や朗読の方々も出演されていて、祭りを盛り上げている。

私達は年間いろんな祭りに参加させて貰っている。
昔は祭りの時は、その何週間前から、そのお宮のある集落の大人も子供も集まって、笛や太鼓の練習をしたものだ。
だけど今は人々の生活が忙しくなり、そんな時間は取れなくなった。
それで、各お宮の氏子さん達から、祭りを盛り上げるように依頼されて私達は行かさせて貰っているのである。

私は今日始めて今年の「いわとわけ音楽祭」打ち合わせに参加した。
うちに関係する事は、うちからPA機材を出すことになった事、それと鼓空の持ち時間と、ぼさつの持ち時間が各々30分づつとなった事である。

ルネス、玉井宮東照宮、石門別神社と3日続くが充実した秋の日々にしたい。

2009年10月4日日曜日

WAの会

今朝は自閉症の子供達のWAの会の練習があった。
最初小学生だった子供達も高校生になっている。

小さい時は一つ一つの曲も彼等用に簡単にわかり安くしていたが、最近は原曲をそのままを教えている。
難しい難しいと言いつつも、序所に覚えて叩けるようになってくる。
見ているご両親達も嬉しそうだ。
最初私も自閉症の人と接した事がなくて、どのように接して行けばいいのか迷ったが、時と共に別にどうでもいいんだと思うようになった。

自閉症がうんぬんではなく、その子その子のパーソナリティーだと考えれば、全く問題は無いのである。
ずっと彼等を見ていると、あっと驚く程優しかったり、他人と自分との間に変な境界線を設けなかったりと、実にPeacefulである。
彼等ばかりだと、きっとこの世に戦争など全く起きないのではと思う。

これからも、ずっと彼等の生き方を見て行きたい。

2009年10月3日土曜日

御休の集い

今日は御休宮池公園というちょっと山に入った処での祭りに参加した。
山々に囲まれた中に、宮池という大きな池がある。
池の淵から池の中央まで朱色の橋がかかっていて、なかなか風情がある。

池のほとりに鐘つき堂がある。
今日の祭りは、町の何人かの挨拶の後、子供達がこの鐘をつく処から始まった。
最初のアトラクションとして、私達が普段教えている御休小学校の和太鼓クラブの演奏だ。
子供達は普段の練習の時はだらだらでも本番の時は多少緊張感のある演奏をする。
たぶん緊張しているのだろう。

この後、地元の方々によるハワイアンの踊り、うたごえ、銭太鼓、傘踊りなどがあった。
私達も皆さんの手作りの山菜おこわや、豚汁を頂きながら、楽しく過ごした。
最後のアトラクションとして鼓空が出演する。
最初、私の大太鼓ソロ、そして清流、華をする。
それからは、せっかくの祭りなのでジャンベと和太鼓による、アフリカンの3曲メドレーをした。
途中から非常にノリのいいおばさんがいて、最初後ろで踊っていたのだが、あまりに踊りが上手いので、メンバーが舞台前までに引っ張り出した。
お客さんもそれを見て多いに盛り上がり、後に続いて何人かが踊り出した。

アフリカンの後はドラムスを使って紫の光、舞、仲間のメドレー、最後まで皆さん踊ってくれた。
無事に役目を果たしたかなと思ったら、アンコールがかかった。
御休の子供達も一杯残っていたので、せっかくだから、渓谷鼓をみんなで一緒に叩いた。
子供達は先程よりもまだ緊張してた。
たまには緊張もしないとね。

今日は地元の皆さん、本当によく動かれていた。
そのお陰で私達も楽しませて貰った。

また皆さんと御一緒できればと思う。

2009年10月2日金曜日

ヨカ

雨にも負けず、車でヨカに行った。
今日は2日酔いではなく、1日ちょっと酔いぐらいだった。
ジムも雨の為か、多少人も少なかった。
改めて、私は偉いと思った。

最初はいつも通りスローから始まる。
四つんばいから展開する技、そして犬のポーズを起点とした技とだんだんきつくなってくる。
そのきついポーズの時に先生は言う「深い呼吸をしましょう。」
自分の体を根限りねじっている時に、深い呼吸など出来るわけがない。
無理を言う先生だ。

だが先生が偉いのは、先生もきついポーズをしてるのに、ごく自然に次の事を指示するのである。
本当はきついんだけど、無理して普通のしゃべり方をしてるのだろうか?
今度注意して見てみよう。

とは言うものの、そんな余裕が私にあるわけがない。

今日死ぬかと思ったポーズを紹介しよう。
簡単なので皆さんやって下され。

と矛盾した事を言う。
いや、簡単なのはポーズでなくて、説明が簡単だと言うことである。

1 仰向けになる。
2 両手を頭の後ろで組む。
3 左足を天に向けて上げ、右足は床についたまま、真っ直ぐ前方に伸ばす。
  (ここまでで、私は簡単簡単と思う)
4 次に右足のかかとを少し浮かして伸ばす。
5 その姿勢をキープしたまま、ゆっくり10カウントを数える。

腹筋が悲鳴をあげる。

その逆をする。

腹筋が悲鳴をあげる。

私は何度も言うが、こんな事一人では絶対しない。
皆がいるから、一人でボケーともしてられないので、仕方なくするのである。

厳しきヨカの道である。

2009年10月1日木曜日

ぼさつ

私は以前「ぼさつ」というバンドにいた。
このバンドは、一言で言えばヒッピーバンドだ。

私が最初に「ぼさつ」を知ったのは、ある大晦日の夜に千葉のマザースというライブハウスでの年越しライブでである。
その当時私は「K.B.B」というブルースバンドにいて、この時に一緒になった。
初めて「ぼさつ」の演奏を聴き、あまりに自由で懐の広さを感じ、こんなバンドなら一緒にやってみたいなぁと思っていたら、その後1年ぐらい経った時、その機会が訪れた。

ある企画で、龍一ちゃんとバンドを組み、出演する事になった。
そしてその練習場所として、連れて行かれた処が「ぼさつ」のメンバーが共同生活をしてた農家の一軒家だった。
そこの蔵がスタジオに改良されてたのである。

そこに訪れる度に、「ぼさつ」のメンバーと終わる事の無いセッションをするようになった。
そして前任のドラムスの方が都合が悪くなった事もあり、私が参加するようになった。
「ぼさつ」はそもそもはアメリカのカンサス大学で生まれていた。
その頃はアメリカもヒッピーカルチャーの真っ只中で、彼等もその流れを汲んでいた。

1年程、活動を共にしたが、皆根っこがヒッピーであるので、ばらばらに旅に出ることになった。
まずはインドに行き、ヨーロッパを回り、南米に行ったりしながら、最終的に、アメリカはサンフランシスコに集まり出した。
私もここで皆と合流して、再度「ぼさつ」として活動するようになった。

5年程シスコ近辺のベイエリアでバンド活動をしながら、共に過ごしたが、各自いろんな状況の中、生活の場所を変えらざるを得なくなった。
私も父が倒れ、母が一人になったので、岡山に帰ることになった。

そんな皆ばらばらになった「ぼさつ」が2003年の秋に、私達の道場に集まり、コンサートをした。
アメリカはシアトル、バークレー、ハワイ、そして千葉と愛媛からである。

その後、皆揃う事はなかったが、各自帰国する度に岡山に来てくれ、一緒に音を出した。
が今年メンバー2人が帰国、5人揃う事になった。
また昔千葉で同時期共にしたキャンディータイムというバンドの茂木兄弟も来てくれる。

せっかくの機会なので、10月25日(日)に岡山で開かれる「いわとわけ音楽祭」に鼓空と共に出演することになった。
また翌日26日(月)に私達の道場でコンサート兼セッション大会を開くことにした。
また熱い夜になりそうである。

今から楽しみである。