2009年6月30日火曜日
ツアー ①
これはbeZen鼓空としてではなく、「天魂」としてだ。
「天魂」は私とクリスタル・ボウルのShinさんとのユニットだ。
あまたまと読み、前から読んでも、後ろから読んでも、AMATAMAである。
ツア-の予定としては、東京3ヶ所と外房3ヶ所ぐらいを考えている。
外房の方は30年来の友人 手塚君という方がおり、アレンジをしてくれている。
彼には昔からお世話にばかりになっている。
最初は私が京千ブル-スバンド(K.B.B.)にいた時、彼は青森の弘前大学にいた。
彼は大学祭の時、私達を呼んでくれた。
また、りんご会館という大きなホ-ルで、K.B.B.のコンサ-トも開いてくれた。
お客さんは満員だった。私達も心に残るコンサ-トになった。
今彼が住んでいる外房でも、2度、3ヶ所でbeZen鼓空のライブを開いて貰っている。
本当に有り難い友人である。
このツア-、東京でのライブ場所が決まらなかった。
が、やっと3ヶ所見えてきた。
この3ヶ所、何か凄いつながりがありそうだ。
また後日書く事にしよう。
2009年6月28日日曜日
演劇 ①
今回の三作のテ-マは「人獣の契り」となっている。
誠に怪しい。
夕方6時に天神山文化プラザに入ると、「迷宮」そして「蚕神」の練習をしていた。
どちらも妖艶な雰囲気が漂う。
私もここにいていいのか、躊躇する程だ。
しかし役者さん達は、冗談を交えながらも、一生懸命、役の中に入ろうとしている。
8時になり、私達が演奏する「葛の葉」が始まった。
私は始めての参加でもあるし、ビデオを撮りながら、役者さんの動きを追った。
「葛の葉」は狐と人が、愛し合い、子供も出来る話だ。
本当に演劇の世界は凄いと思う。
普段有り得ない世界をリアルに描写して行くのだから。
今日は1回しか通せ無かったから、太鼓は用意してたが、叩く事はなかった。
帰り際に脚本家の白神さんに、私達に対する希望を伺った。
そうしたら、思った通り、感じたままに叩いて下さい、との事だった。
これは大変な事だ。
私達のやり方次第ではガラッと雰囲気も変わってしまう。
全くもって恐ろしい。
帰って、今度共演する事になった、篠笛の方に連絡を取り、一応の感じをお伝えし、今後の練習の仕方を相談させて貰った。
どんな形になるにしろ、精一杯入り込まなくてはと思った。
いい舞台にしたい。役者さん達の為にも
頑張らなくては !!
2009年6月27日土曜日
チャ チャ チャチャラチャーン
夜中1時過ぎ、そろそろ寝ようかなと思っていると、突如鳴る。
私はドキッとする。
捕まったと思う。
田原総一郎氏の「朝まで生テレビ」である。
なんで朝までするのか?意味がわからない。
「夕方まで生テレビ」でもいいではないか!
そうすれば、出演者も番組スタッフも私も、みんないいに決まってる。
番組の中身に関しては、出演者が皆、話す内に、だんだん熱くなってきて、ついつい本音が出る処が非常に面白い。
私も見ている内に、それは甘いよなとか。そうだそうだもっと言ってやれとか。
それは話が飛び過ぎだろとか。
話の腰を折るな、もむな、と熱くなってくる。
と同時にこんな好き勝手な事が言えて、日本は幸せだなぁとも思う。
昨晩のテーマは「新たな貧困」であった。
この不景気の中、リストラにあって、失業し、住む処も失なったホームレスの人達をどう救うかと言う話だ。
野党は当然政府の無策を言うし。与党はこれこれの方針を打ち出している、と言う。
評論家達は根底にある問題を解決しなくては、と言う。
田原さんは田原さんで、自分の気に入らない意見が出るとバッサリ切り捨てる。
私もその時その時の小手先の方法では解決しないように思う。
貧困に関しても、日本だけの事じゃなく、世界的に見れば飢餓で死んでいく人達も一杯いるわけだから、まず大国が直接的にも間接的にも戦争を止め、世界の食料問題、経済のあり方を、真剣に考えなければならない時期に来ていると思う。
こうしてあれこれ言っている内に朝4時過ぎとなる。
外も白みかけている。
私、今朝から、ちょっと打ち合わせ、練習、和太鼓連盟の会議と続く。
いやはや、いささか眠い。
チャ チャ チャチャラチャ-ン
今鳴ってくれればいいのに・・・・
2009年6月26日金曜日
10や1や
「てんやわんや」とは一体何か?語源は何か?
向学心のある私は、すぐ辞書を開く。 (電子辞書だけど)
てんでん(各自勝手に、の意)と、わや(無茶苦茶、の意)の2語が結合してできた言葉。
われがちに騒ぎ立てるさま。互いに先を争って混乱するさま。
となっている。
となると私の使い方は間違っているのか、まあ判断して頂きたい。
今私は3つの問題を抱えている。
① 「龍神祭」の龍の物語を作ること。
② Shinさんとのユニット「天魂」の曲作りをすること。
③ 演劇「葛の葉」の演奏のイメ-ジ作りである。
とまあ一人てんやわんやなのである。
これって有り?
で当面の問題は明後日から「葛の葉」の練習である。
今、共演することになっていた三味線の方が出られなくなり、新しい方を探している。
一応即興演奏という事だ。
では何に対しての即興演奏かという事になるのだが、これが難しい。
まずは、ちくわ笛の住宅さんの朗読、役者さん達の動き、そして新たに迎える邦楽の方である。
アンテナを4つ5つ立てて置かなくてはならない。私の頭は狂いそうである。
また音量のバランスも難しそうだ。
朗読をCDに入れてもらっているのがあるので、それと台本とで、とりあえずイメ-ジ作りだけ、しておこう。
暑い夏が来そうである。
2009年6月25日木曜日
草刈 ②
ウチの東には池がある。
敷地と池の間には竹や笹が一杯生えている。
ガ-ドレ-ルも少しはあるのだが、ほとんどはこの竹や笹があるので、人や車が池に落ちることはない。
また山間で風が回るので、防風林の役目も果たしてくれている。
しかしながら、この竹達に葛と山藤のつるが巻き付き、家側の方に竹が倒れて来てしまった。
そうなると車の屋根を擦ったりするので、なんとかしなくてはならなくなった。
山藤は春先、薄紫でぶどう状の花束をつける。
大変綺麗だ。
私も大好きなのだが、いくらかは切らざるを得ない。
で葛と山藤のつるとの戦いが始まる。
下の方のつるはすぐ取れるのだが、竹の上の方に巻きついたつるはなかなか取れない。
いくら引っ張っても駄目だ。
引っ張れば、引っ張る程、つるもムキになる。
今度は草払い機を上に向け、つるを切るのだが、高さに限りがある。
仕方なく竹を何本か切り、竹ごと引っ張る、そしてつるの先を手繰り寄せ切るのである。
こうしてかなりの竹と笹、つるを切った。
やっと車も難なく通れるようになった。
次は敷地の入り口近くの土手の草刈、土手の草刈は滑るので非常に危ない。
草払い機で足を切ったという話もよく聞く。
ウチの土手の下は御近所の畑があり、柿の木も何本か植えられている。
その柿の木に土手から伸びた葛が巻きついている。
これはなんとかしなくては、迷惑をかける。
葛はいやはや、どこにでも巻きつく。
少しは自立して欲しい。
だいぶ取ったがまだまだある。
今日中には終わらせたいのだが、昼から稽古もあるし、難しい処か。
この時期本当に草との戦いだ。
草も嫌いじゃぁないんだけどね。
2009年6月24日水曜日
草刈 ①
まだ一日中、降るような事もないが、ちょろちょろとは降るようになった。
待ちに待った雨なので、嬉しいのだが、草の丈もぐ-んと伸びる。
また竹もあっと言う間に伸びる。 (いくら早くてもあっと言う間に伸びることは、無いだろうが・・・・)
となると当然草刈をしなくてはならない。
草払い機に混合油を入れ、防護用の眼鏡をかけ、麦わら帽子をかぶる。
大体草払い機を満タンにしたら、1時間程もつ。
私もこのくらいが限度だ。
休んでまた始めるという感じだ。
最初栗林の中から始めた。
若い竹や笹が伸び、栗の木の葉っぱの中まで届いている。
栗の木も意外と繊細で、他の物が自分に当たるとその枝の葉っぱを落としてしまうし、実も付けない。
まあ自分の枝のエリアに、竹や笹がボコボコ生えてきたら、私でも嫌だろうと思うが。
そんな訳でまず栗林の下草を退治。
次に畑の周りと家の周りの土手の草刈。
私自身は少しぐらいなら、草が生えててもさほど気にならないのだが、農家の方は大変嫌う。
蛇が出るからである。
蛇は私も好きに慣れない。未だにドキッとする。
長い物には巻かれろというが、私は蛇には巻かれたくない。
でもここに住みだしてから、20年程になるが、昔よりは多少慣れて来た。
未だにドキッとはするが、次の瞬間が違うのである。
マムシかどうか瞬時に判断するのだ。
違えば、ゆっくり退去されるのを待つ。
私は一度あわてた蛇を見た事がある。
ウチはちょっと高い所にあるのだが、家へ上がる坂道でである。
この坂道はS字を書くようになっている。
私の車がS字の中頃に入った時、その道の真ん中に蛇がいた。
蛇は夕涼みをしてて、まさか今車が来るとは思ってないらしく、ビクッとした。(肩の辺りが揺れた)
でその後取った行動、私はあっけにとられてしまった。
その蛇どうしたと思う?
最初蛇は坂道に合わせて、S字でじっとしてたのだが、車を見るや余程慌てたのか、そのS字のままジャンプを3回繰り返し草むらに逃げ込んだのである。
私は開いた口が塞がらなかった。
今年は敷地の中で2度見た。
一匹は土手の中腹で見た。
もう一匹は朝起きて、畑でも見ようと思い、玄関を出て6歩程歩いた所、私の頭は畑がどうなっているのかなぁと思っているから、当然畑の方に目がいっている。
しかし私の目の下に、一瞬気配を感じた。
私の足の30cm横に蛇がいた。
アッと思いながらも、すぐ判別マムシではなかった。
本当に、いるんなら、いると言えよ。
しばらく蛇はじっとしてたが、すぐいなくなった。
草刈の話をしようと思ったが、脱線してしまった。
続きはまたにしよう。
2009年6月23日火曜日
河川敷 ②
久しぶりのサッカ-ゴルフだったので、出来はあまり期待してなかった。
サッカ-ボ-ルもいつも蹴ってないと、上手くいかない。
ボ-ルに対しての足の角度だったり、腰の捻りだったりと微妙に違うのである。
しかしながら、昨日は最初から調子良く、大体思った所に飛んだ。
気持ち良く、ボ-ルを蹴ってると、土手の上を拡声器を鳴らしながら来る車がある。
声を聞くと、耳慣れた、萩原誠司さんの声だった。
選挙前の広報活動をしてるのだろう。
彼は元岡山市長である。
在任中は私もよく賄賂を贈り、便宜を図って貰った。
っって事はないが、良くイベントでもご一緒する事もあり,親しくして戴いた。
外国公演の時も推薦状を書いて戴いた事もある。
車が近付いてくると内容もはっきりと聞こえた。
「自民党の萩原誠司でございます。仕事魂の萩原誠司でございます。」
仕事魂かと思いながらも、久しぶりだったので、車に向かって手を振った。
ところが、車の中は運転手だけ、萩原さんは乗ってない。
録音を流していたのである。
私、萩原さん、手を抜いてると思った。
いつも通り公園の端から端までを3往復サッカ-ゴルフをして、休んでいた。
するといかにも公務員らしき、作業服姿の方が二人、来られ川の写真を撮り始めた。
私はてっきり、吉井川河川事務所の方かと思い、声をかけた。
もしそうだったら、集めていたゴミを持って帰ってもらおうと思ったからである。
しかし残念ながら違っていた。
公務員 「私達は上水道を管轄してるんですよ。・・・・・・ ところで鼓空さんじゃありませんか?」
私 「ええ、そうです。・・・」
公務員 「ドラムも叩かれますよね?」
私 「はい、まあ・・・・・しどろもどろ」
私、演奏の時、話かけられのは慣れているが、サッカ-ゴルフのアスリ-トの時は、困るのである。
まだインタビュ-に慣れてない。
まあ笑顔で立ち去って行かれ、私も帰途に着く事にした。
2009年6月22日月曜日
吉井川河川敷 ①
行く時はほぼ毎日行くのだが、この処、畑もあったし、なんとなくバタバタして行けなかった。
私はこの川が大好きである。
広くて、のどかなので、心が落ち着く。
ここに処中来るのは、私に隠れたもう一つの顔があるからである。
その顔とは、私はなんと「サッカ-ゴルフ」の創始者なのである。
だからエライ。
「サッカ-ゴルフ」と聞いても耳慣れない方もおられようが、(・・・・ほとんどそうか) 紳士のスポ-ツである。
まずは、どのようにして、生まれたのかを説明しよう。
私は最初草原の中でサッカ-ボ-ルを蹴っていた。
草原の中であるから、草丈の高い処も低い処もある。
この草丈の低い処をめがけてボ-ルを蹴る。
ゴルフ的に言えば、グリ-ンに乗せるという事だ。
これは非常にスリルがある。
なぜかと言えば、一端草丈の高い処に入ると,拾いに行くのも大変なのだ。
また蛇が出る事もある。(実際、2度遭遇した)
だから慎重にボ-ルを蹴る。
うまくグリ-ンに乗れば最高に気持ちいい。
これで片道1.5kmの草原の端から端まで、グリ-ンを探しながらボ-ルを蹴り続け、往復する。
しかし3ヶ月程経ち、春になり、どこもかしこも、草が伸びだし、出来なくなった。
それで河川敷にある公園に場所を移す事にした。
公園の中には、12箇所に岩が置かれている。
その岩に何回蹴ったら当たるのかを競うのである。
競うと言っても今はまだ、私一人でやってるのであるが。
一つの岩に当たったら、次の岩を目指す。
公園の端から端までは350mあるので、3往復する。
面白いプレ-としては、川の土手に斜めに蹴り上げると、ボ-ルは三日月状の弧を描く、下りた処に次の岩がある、これは立体的要素が入り高度のテクニックだ。
このようにして、「サッカ-ゴルフ」が生まれた。
2年半前の事である。
まさに、スポ-ツ界の快挙であった。
ではこの「サッカ-ゴルフ」の魅力をお教えしよう。
① 普通のサッカ-と違って、自分のボ-ルを取りに来るようなデリカシ-のない輩はいないのである。
② ボ-ルが飛んで来る事はないので、ヘッディングやトラッピング等、痛い思いをしなくていい。
③ ボ-ルを蹴った後も、すぐ息せきを切って走る必要はない、ゆっくり周りの景色を見ながら歩いていけばいいのである。
まあ、というわけで、実に楽しい、紳士のスポ-ツである。
是非試して頂きたい。
私は常時、新規選手が現われるの待っているが、未だに現われていない。
どうしてだろう?
(明日に続く・・・・)
2009年6月21日日曜日
合同練習
9月6日の岡山国民文化祭のプレイベントのフィナ-レを飾る、全チ-ム揃っての合同曲の練習である。
曲名は「飛天」、据え太鼓も、締め太鼓、大太鼓、担ぎ桶太鼓みんな竹バチを使う。
昼の1時から始まり6時までの長丁場であった。
私は今日夜、別の本番があり、途中抜けるので、見学する事にした。
最初の2時間半ぐらいは各パ-トに分かれての練習だったので、いろいろ見て回った。
どのパ-トも前回よりは数段良くなっている。
みんな各チ-ムで一生懸命練習したのだろう。
いつも思う事だけど、和太鼓仲間はいい。
みんなが全力投球する姿も気持ちいいし、終わった後の清清しさもいい。
今日の鼓空は前回よりは多少みんなに追いついた感じはするが、暗譜してないだけ、まだちょっと遅れてるかな。
まあまた来月、再来月と合同練習があるので、多分追いつくとは思うけど。
これから、私達の本番も増えてくる。
鼓空は毎年冬の間に基礎練習に励み、春からの本番に備えて来てたのだが、今年は例年になく完成度が低い。
各メンバ-のいろんな状況もあったのも事実だが、お客さんにはそんな事は関係ない。
早くみんなのモチベ-ションを高めて、恥ずかしくない演奏が出来ればと思う。
2009年6月20日土曜日
富山
場所は旧岡山市街から、東山峠を越えた所である。
西大寺側である。
昔はこの辺り一面も海だったそうである。
江戸時代に干拓され、農地となった。
私は岡山の中学校に通っていた頃、友達と自転車で、日本のエ-ゲ海、牛窓に行った事がある。
その時、東山峠を登りきった所で、眼下を見下ろした時、延々緑の水田が続いていたのを鮮明に覚ている。
人家も所々に固まって、ポツポツとあるだけだった。
それが今では、たくさんの人家が立ち並び、お店も一杯でき、大型店舗も入って来た。
旧岡山市からは衛星都市として、一番に拡がっていった所だ。
その一地区、富山学区にある公民館で富山天龍太鼓は練習している。
ここのメンバ-の編成は変わっている。
大人と子供達の混合チ-ムである。
だから、ここだけのいい所、ここだけの問題点がある。
いい所は大人達が、いつも子供達を見ていてくれてるので、何から何まで全部私が言わなくても、きちんとする処はきちんとしているとこである。
また地域単位でも、大人と子供が仲良く接しているのは、見ていても楽しいし、明るい感じがする。
問題点は、小学校の中学年までは、そんな大人の言う事を聞きながら、太鼓の練習をする。
だが、高学年になると、子供達だけの世界が欲しいのか、一緒にいろんなクラブに入ったり、また揃って塾に行ったりする。
その気持ちも分からない訳ではない。
が、せっかく上手くなって来たなぁと思っていると,止めてしまうので、非常に残念である。
この問題を解決する方法があればいいのだが、今の処浮かばない。
でも、すべてがすべてそうなのではなく、ずっと続いている子もいる。
そんな子は本当に太鼓が好きなんだなぁと思う。
今日の練習には小学校の女の校長先生と中学校の音楽の先生が参加された。
お二人とも真剣に練習しておられた。
中学校の音楽の先生から、この秋の音楽発表会で、子供に太鼓を叩かせたいのだけど、教えて頂けないかとの依頼を受けた。
とりあえず日程を調整して後日連絡させてもらう事にした。
今日から新たに、子供2名、大人1名がメンバ-に加わった。
人が増えるのは嬉しい。
2009年6月19日金曜日
ヨカ
時間ぎりぎりに入ったので、フロア-全体に皆さんヨガマットを敷かれていた。
私は一瞬入り口でためらった。
私には皆さんを押し分けて、入り込む勇気はないのである。
ふと入り口入ってすぐ横を見ると、見慣れない物が積み重ねてある。
10cmx15cmx20cm ぐらいのレンガの形をしていて、中にスポンジが入っている、柔らかいけど、柔らか過ぎない物であった。
私はとりあえず、それらをどかせば、私のマットを敷けると思い、隅に動かしていた。
先生が来られ、「これ使われますか?」とその柔らかレンガの1つを私に差し出した。
私 「これは何ですか?」
先生 「これはヨガをしている時に支えに使う物で、手で持ったり、お尻の下に置いたりして使うんですよ。やっててきついと思われたり、体の硬い方、そのような方にいいんですよ。」
私 「そのような方です。」
借りる事にした。
使ってみるとなかなかいい、自分が大きくなったようにも感じる。
今までポ-ズをとった時、拡がりにくかった、胸や肩甲骨など体操の選手の如く開く。
恐るべし、柔らかレンガである。
終わりに
先生 「皆さんもお家にこのような物があったら、是非使ってやってみて下さい。 いいですよ。
ただこれ買えば高いんですよ。いい物になると5000円以上もするんです。
普通でも2000円ぐらい。私はこれを800円で買いましたけどね。」
先生なかなか買い物上手であった。
2009年6月18日木曜日
てらこや・おひさま
てらこや・おひさまは、不登校の子供達の集まりである。
フリ-スペ-スだから、自由なんだろう、きっと。
私も行くか! 学校に行ってないし・・・・
彼等が来始めてから、もう7年が経つ。
小学生だった子供達はボランティアの人達に連れられ来た。
みんな学校に行ってないから、やたら元気であった。
あまりに元気なので、彼等を連れて県北のキャンプ場に、合宿に行き、そこで一緒に祭りをしたりした。
彼等は「おひさま太鼓」と名前を付け、太鼓の練習に励んだ。
そして、年一度の「おひさまフェスティバル」に出演とか、お祭りに呼ばれたりとか、また鼓空の主催するコンサ-トにも度々出るようになった。
小学生だった子供達も、大きくなり、今や高校生以上である。
最近は、学校が大変だったり、バイトが忙しかったり、就職活動に追われたりと、なかなか太鼓の練習に来れなくなった。
残念ではあるが、まあ自立の一歩なので止む終えないとも思う。
今練習に来てる人達は、ほとんどボランティアだ。
ボランティアの人もまた、長く太鼓を続けている。
付き添いのつもりが、いつの間にか、のめり込んだようだ。
昨今、てらこやの問題は、ボランティアさんはいるのだが、子供が少ない事だ。
子供達が少なくなると、団体を維持するのも大変になる。
大きな家を借りているので、家賃や光熱費、水道代、その他経費がかかる。
私はもっと営業をするようにと言っている。
学校に通っている子供にも積極的に声をかけ
「なぜ学校なんかに行ってるの?こちらの方がずっと楽しいよ。」とか言って誘えばいいのにと。
実際は、不登校の子供達も、まだまだ大勢いると思うので、こんなフリ-スペ-スもあるよ、と知ってもらうことが大事かなと思う。
今年も、「おひさま太鼓」は2箇所から呼ばれているらしい。
子供達も久しぶりに参加し、みんなで一緒に集中稽古をする事になっている。
じっくり、しごいてやろう。
覚悟しろよ、子供達!!
2009年6月17日水曜日
龍 ②
今日は実行委員長(たぶん)の大場先生と,備中神楽保存振興会の佐藤さんという方とお会いした。
佐藤さんは過去に玉井宮でも奉納されており、細かい説明は要らなかった。
ただ気になっていたのは、備中神楽はスサノオノミコトがヤマタノオロチを退治する話である。
ここで2点、私の頭の中で疑問が生じていた。
① まずヤマタノオロチは龍か否か?(文献には龍だとする説があるにはある。)
佐藤さん「ヤマタノオロチは大蛇です。しかしながら、蛇には角がありません。オロチには角があります。 だから、そこはグレ-ゾ-ンです。」
と判りやすい答が返って来た。
② ヤマタノオロチはスサノオによって殺される事になっているが、玉井宮では龍が奉られており、崇める立場にある。話の違いについては?
佐藤さん「新しいスタイルがあってもいいと思います。話の内容に沿わさせて貰います。」
と普通、一般には保存会の立場の方は、形を外す事を嫌がられるのだが、佐藤さんの答は違っていた。
と私には不安であった処が2つとも解消されたのである。誠にもって有り難い。
で3人でホ-ルの中に入り、全体を見回した。
当然、次は流れから、どのようなスト-リ-かと言う事になるのだが、
そこはいい加減な私、全く出来ていないのだ。
佐藤さんにしろ、篠笛のことさんにしろ,唄の美咲さんにしろ、スト-リ-も出来ていないのに、お呼びだけしてるのだから、空恐ろしい。
(これこそ龍か! ・・・・なかなかいいなぁ。今日は冴えている。)
もう一度、佐藤さんに深くお願いをし、お二人と別れてから、玉井宮に行った。
先日、宮司の佐々木さんから、お借りした神話の本を返す為だ。
今日は本殿を参拝してから、金龍さんと白龍さんにもお参りした。
いいアイデアが浮かびますようにと・・・・
帰りに社務所で「龍神守」という水晶の玉を買わさせてもらった。
これで鬼に金棒、龍に水晶だ。
頑張ろう!!
2009年6月16日火曜日
モ- ②
がボロボロだった。
目と鼻はぐじゅぐじゅ、口からはよだれ、肩の辺りと、手足は傷だらけ、それにやせ細っていた。
前の勇ましさは微塵もなかった。
で私の足にすがる様に、もう駄目だ、助けてくれと言った。
翌朝一番で病院に連れて行った。
あごの骨が折れていた。また右下の牙も折れていた。
先生は、交通事故にあったのではと言われた。
脱水症状も起こしているし、体温も落ちていた。
かなり危険な状態で、この2、3日が山だろうとの事だった。
すぐ入院、まずあごを固定し、餌も食べれない状態だったので、のどに穴を開け、チュ-ブを通し、栄養剤、流動食を流し込めるようにした。
また、手でチュ-ブを引っ掛けないように、下敷きを丸めたような物をのどの周りに取り付けた。
こうして、安静の中1週間が過ぎた。
体重も入院した時は3.8kgしかなかったのだが、多少増え、体温も元に戻った。
先生も駄目かもと思っていたらしく、この子は生命力がありますねと感心されていた。
私もBOSSの地位まで行ったのだから、そうかもと思った。
家に連れて帰り、檻の中に入れていた。
しばらくは、横になったままだった。
それから1週間ぐらい経つと毛並みも戻ってきて立ち上がり、檻が狭いと言い出した。
で家の中で、放す事にした。
餌も口から食べれるようになり、のどのチュ-ブをはずし、下敷きも取った。
日が経つに連れ、体重もますます増えて6.5kgになった。
若干太めではと思う程である。
こうなると自信も序々に出始め、家から出してくれと言った。
前統治してたエリアの事が気になりだしたようだ。
私もずっと、家の中に閉じ込めて置くのもなぁと思い、出す事にした。
颯爽と出かけて行ったのだが、現実は甘くなかった。
またまた大喧嘩をし、負けて帰って来た。
牙も折れているし、前のようには戦えなかったのだろう。
でもモ-は何度も何度も戦いに行った。
その度に傷だらけで帰って来た。
傷をしては、しばらく家で静養し、癒えるとまた出て行く。でまた敗れる。
私は何度も、もう止めとけと言ったが聞かなかった。
今回また大傷を負い、帰って来た。
今私の側で休んでいる。
このままゆっくり過ごしてくれればいいのだが・・・・
2009年6月15日月曜日
モ- ①
名前はモ-。
捨て猫だったのだが、口元の左右に黒い模様があり、何故か平安時代の貴族を彷彿するな顔立ちだ。
なぜモ-となったか、これには深い訳がある。
① ある日、この家に放浪の猫が立ち寄り居ついてしまった。
その猫にマ-と名付けた。
② ある日、この家に子犬が拾われて来た。
その子犬にミ-と名付けた。
③ ミ-は大きくなり子供を産んだ。
ミ-の子だからム-と名付けた。
④ 草刈が面倒なので、山羊を飼うことにした。
一匹の子山羊が来た。
名前をメ-と名付けた。
次はやはりモ-かと思ったが、牛を飼うのは流石に大変そうである。
しかしながら、ある日、黒と白のホルスタイン模様の雄の子猫が来た。
名前はモ-に決定した。
モ-は最初上品に家猫として飼われていた。
がある時外に出たいと言ったので、出してみた。
最初は近場のお散歩だったのだが、序々に行動範囲が拡がった。
で、よその猫の縄張りにまで行くようになった。
当然喧嘩になり、負けては帰って来ていた。
しかしながら、ある時から、外でお泊りする様になった。
以前は毎日帰って来ていたのだが、丸1日帰らず、2日3日と帰らず、1週間帰らず、2週間帰らずとなった。
おそらくここの部落のBOSSにまで昇進したのであろう。
たまに帰って来ても、私の顔を見て、元気にしとるかと言い、見回っては、また出て行くのである。
変な感じ。
そのモ-がとうとう帰って来なくなった。
部落を何度も探したが、見つからなかった。
4ヶ月の月日が経ち、流石に私は何かあって死んだのではと思うようになった。
・・・・・・・・・・・・ この続きはまた明日に ・・・・・・・・・・・
2009年6月14日日曜日
きゅうり
なんで今頃と思われる方もおられよう。
実は、4本あるきゅうりの苗の高さが、皆20cmちょっとしかないのである。
(先日ちょっとやる気を見せたが・・・・・)
4月の中頃植えたのだから、そろそろ2ヶ月になる。
理由を考えてみた。
① 雨が少なかった。
② 新しく畑を拡げた場所で、もともとは宅地用の砂が入っていた。
前からの畑は粘土ぽいので、混ぜてはみたが、まだ不十分で水はけが良すぎたのかも知れない。
③ 建物のすぐ西なので、午前中、多少日当たりが悪い。
④ もともと大器晩成の苗だった。
以上が考えられる。
でも一応支柱を作る事にした。
露の間に急に大きくなると、雨の中支柱を作るのも大変なので。
今朝は少し早く起きた。
① 少し太めの竹を6本ほど切った。 ( I take takes.)
② 鋸で枝をみな落とした。
③ 2m30cmぐらいの竹を6本作る。
④ 一方の竹の端を斜めに切り、地面に突き立て安くする。
⑤ 6mある畝の端に、3本の竹を斜めに突き刺し、ひもでくくる。(さすが3本でくくられた竹は倒れない)
これを両サイドに立てる。
⑥ 7m程の竹を、両サイドの3本組さんの上と中ほどに交わす。
⑦ 畝の中に4本竹を立てる。
すべて交差してる部分をひもでくくる。
⑧竹にネットを取り付ける。(このネットにきゅうりのつるが巻きつき、大きくなる・・・・・・ 筈)
これだけするのに休み休みだったので夕方までかかった。
ネットの高さは2mちょっと、毎年このくらいには充分なる。
今20cmの苗はまだ下を向いたままだ。
もう一度やる気を出すのを待とう。
2009年6月13日土曜日
田植え
もともとはSlow Lifeに憧れる必要もない二人のSlowなSさんが、今年から米田さん処の田と畑を借り、自然農を始めていた。
備前市の鶴見という所で、ウチの道場から車で10分程行った所だ。
やはり他と違わず過疎化が進んでいる。
もともと米田さん処は広い田んぼと畑を持っているが、奥さんと2人で世話をするには、年齢的にもきつくなったらしい。
それに、収穫量も多く、とても2人で食べ切れる量ではない。
だから私達も年中、野菜とかを戴いていた。
このような状況の中、2人のSlowなSさんは、農作業をすることになったので、米田さん夫婦は、大変喜んだ。
部落の方々も物珍しさもあり、二人の作る畑や田んぼを覗いてくれる。
また道で会っても、皆さんいい感じで迎えてくれる。
すべて上手く行っているようだ。
唯一多少なりとも問題があるとすれば、畑も田も基本的に自然農でやっているので、草は生やしているし、水も殆どやらない状態なので、昔から農業をされてた、米田さん夫婦からすれば、気になってしょうがないみたいである。
米田さんは夫婦は、休む暇もなく、いつも畑で何かされている。
目の前に草があったら、無意識のうちにでも、手が伸びている。
しかしながら、お二人とも、自然農をやろうとしている2人の気持ちもわかるので、いささか心の中で葛藤があるのかも知れない。
でも若い二人が来てくれるのは嬉しくて仕方ないみたいである。
田植えは鼓空から8人と,友達が6人、米田さん夫婦、村の人数人と20人ぐらいでした。
勿論昔ながらの手植えである。
衣装も女性は、黒いTシャツとズボン、赤い腰巻、頭には豆絞りの手ぬぐいと、なかなか決まっている。
男は私を含めてソコソコ、引き立て役である。
印の付いた紐に沿い、植えては、自分の足跡をならし、後ろに下がる。
最初は慣れぬこともあり、多少モタモタ感もあったが、序所に皆コツをつかみ、ペ-スが上がってくる。
みんなが揃って田植えをする姿は、なぜか微笑ましい。
私は最初だけ田の隅で、お田植え太鼓を叩き、田植えに参加した。
太鼓の音を聞いて近所の方たちも見に来られた。
写真を撮っておられた方も数人おられた。
どなたも笑顔だ。
今は田植えもほとんど機械で植えるので、皆さん、このような姿はなつかしいのだろう。
田んぼは4畝程であったが、1時間ぐらいで終わり、もう1ヶ所田植え機の入りずらい田んぼの手伝いをした。
昼過ぎには田植えも終了し、汚れた手足とか足袋とか洗った。
食事は鼓空のSさんとMさん(変な組み合わせ! 食事に関しては絶妙のカップルなのである) が、おにぎり、味噌汁、漬物を用意してくれていたので美味しく頂いた。
みんな安堵感と充実感に満ちていた。
2009年6月12日金曜日
農大
1週間前から、この日のことは気にしていた。
手帳に穴があきそうな程である。
(もし、意味不明な方がおられたら、仕方ない、過去の私の大失敗を探して下され。今ここで再び書くのもつらいので・・・)
今期、学生は全部で14人、2年生5人に1年生9人である。
この中、女子学生は2年生が1人、1年生が4人と例年に比べて多い。
毎年、男子学生の半分はおふざけモ-ドに入る。(まあ愛嬌程度なので、いいのであるが・・・)
が女子学生はいつも真面目である。
だから2年生になって、しっかり太鼓を叩けるのは女子学生の方が比率が高いかも知れない。
私の希望としては、皆卒業した後、田舎に帰り、夏祭りなどに率先して太鼓のバチを持つようになってもらいたい。
今年も10月の収穫祭に、3曲演奏する事にしている。
これから夏になってくると、昼間作業をしている学生は皆バテバテになる。
その前に、ある程度曲を仕上げておきたい。
今日は授業が終わって、学生の作ったなすとトマトをもらった。
つやつやしていた。
2009年6月11日木曜日
龍 ①
今年はその前日にルネスホ-ルで前夜祭が開かれる事になった。
これは、昨年、一昨年と篠笛のことさんという方にゲストで来てもらっていたのだが、
今年はもう一人、天使の歌声の美咲さんという方も、お呼びすることになり、せっかく二人のすばらしいア-ティストに来てもらうのだから、鼓空と一緒に龍を招く為の、前夜祭をしようという事になったのである。
ことさんの篠笛は、なんとも言えない音色で、お宮の本殿にも、ぴったりと溶け合う。
昨年は私と即興演奏する機会にも恵まれた。
美咲さんとは昨年の大阪での「風人の祭り」で舞台を共にした。
彼女はギタ-1本で、弾き語るのだが、その声は透き通り、まさに天使の歌声だった。
私もお二人の方と演奏するのを大変楽しみにしている。
がしかし、楽しいだけなら言う事は何もないのだが、またしても試練が来た。
龍をテ-マにした演奏会なので、初め40分は音で龍の物語を綴ることになっている。
その物語を創るのを、どうやら私がしなくてはないらしい。
それで玉井宮東照宮さんから、神話の本をお借りし、読ませて戴いた。
神話にはたくさんの神々が出てくるが、すこぶる人間的だ。
龍と神話との関係を見てみると2箇所ある。
一つはスサノオノミコトが退治したとされるヤマタノオロチ、これは龍ではないかとの説がある。
もう一つは、海幸彦、山幸彦と豊玉姫の話に出てくるワニ、これが龍という説である。
物語にするのなら、神社の祭りであるし、神話から創るのが一番いいようにも思えるが、今一つ乗り気になれない。
理由は怒られるかも知れないが、私としては、神は人間的な思考からはずれた処にあって欲しいと思うのである。
というわけで、改めて「龍」とは一体何かについて、調べ考えなければならなくなった。
一作年の龍神祭の時にはライブハウス、ペパ-ランドの能勢さんが、龍についての本もお書きになっている事もあり、お呼びして伺った。
その時の話は視覚的には蜃気楼が海から空に立ち登る時に、そのように見えると仰っていた。
龍は中国の思想からとも言われるが、西洋にもドラゴンというものがある。
いずれにしても、人と、神とか宇宙の間に橋渡しする生き物のような感じがする。
風水のような気の流れではと、仰る方もおられた。
私はこんな事も考えた。人間には7つのチャクラがあり、すべての執着から解き放たれた時,下から上に、すべてのチャクラを通り、エネルギ-が突き抜けるとすれば、それは感覚的には龍のようかとも。
いずれにしても、龍を現実の中、物語にするのは、大変な作業かも知れない。
10月まで間に合うのだろうか。
先程、洞察力のある信頼すべき仲間の,龍一ちゃんに電話した。
龍の事を聞くなら、まず龍一ちゃんである。
があいにく電話には出なかった。
どうしたのだろう?
さては今頃、天にでも登っているのか?
手の水晶に気をとられて、携帯を忘れたのかも・・・・・・
2009年6月8日月曜日
津山店
無駄に元気な子供達を教えてから、北上した。
今夜 津山の北、加茂町の作州矢筈太鼓の練習に行く為だ。
だがその間に、私には津山で、 もう一つ重要な仕事がある。
私共のチェーン・レストラン000フルの秘密の視察である。
本来はスーツにネクタイ姿が標準であるが、店の人にバレては何にもならない。
で私はTシャツ、ラフな綿パン、つっかけという格好だ。
これならまずバレる事はない。私も気を使っているのである。
今日は小学校終わってからMさんにたい焼きをもらった。
で車で食べながら来たので、そんなにはお腹が空いてなかった。
私はライトミールのコーナーから明太子スパゲティ- 399円を頼もうとしたら、一品料理の焼き鳥が目に付いた。
説明に「こんがり香ばしく焼き上げた本格派」と書かれてあった。
この言葉に惹かれた。
私は明太子スパゲティーに焼き鳥2本199円を追加した。
なんて組み合わせだと思う。
店始まって以来かも。
だが、こんな客もいるんだよ、と従業員にも知らしめないといけない。
この組み合わせでは流石に、喉が渇きそうだったので、財布からトリンクバーの券を取り出した。
ウエイトレスはきちんと仕事をしてた。
明太子スパゲティと焼き鳥を一緒に持って来ても、笑わなかった。
スパゲティの味はまあ普通。(誰がどう作ってもあまり変わらないのかも・・)
焼き鳥は本格派と言われると、ちょっと言葉が詰まる、まあ柔かかった。
ドリンクはいつものように、梅こぶ茶。
私は一体どこに行きたいんだろう?
支払い合計は728円であった。
まあ今回良かったのは、宣伝部の「こんがり香ばしく〜 」のくだりであろうか。
私も引っ掛けるとは、見事な腕前た。
今度、会ったら誉めといてあげよう。
2009年6月7日日曜日
講演
彼女は日本熊森協会の会長さんである。
もともとは小学校、中学校の理科の先生であったが、ある時、兵庫県の月の輪熊が絶滅しそうな事を知る。
いろいろ調べている内に藤沢さんと言う熊の研究者に会う。
ここの話は大変、興味深く聞かさせてもらった。
藤沢さんは処中、奥山に入っていた。
入る度に20頭ぐらいの熊に出くわしたそうな。
で今まで数千頭の熊に会って来たが、一度も熊が襲いかかってくる事はなかったそうである。
本来熊は小さな虫などは食べるが基本的には草食で、臆病で優しい動物らしい。
そう言えば畑正憲さんも熊は優しいんですよと言っていた。
森山さんは、藤沢さんの意思を継ぐ。
自分で熊を守る為の会を立ち上げることを、決意する。
学校でも、退職覚悟で、中学生に熊の実態を教えると、子供達から、熊を絶滅から守ろうという運動が生まれていった。
この動きは大きくなり、県知事や環境省への直訴を繰り返す。
そして天皇陛下に会う機会があり、陳情までに至ったそうな。
直訴、陳情の内容は、それまでは熊は有害獣として殺してもよい事になっていたので、それを止めさせる事だった。
当然、山裾に住む人達、町からは、猛反対を受ける。
しかしながら、わかっている人はわかっていた。
祖先が手付かず守ってきた奥山の自然林が戦後の国土総合開発や拡大造林政策,道路、スキ-場建設などで荒廃した事を。
その為に熊が降りて来た事を。
本来熊と人とは会うことはなかった。
いろんな話を聞く中で、広葉樹と針葉樹の比較が興味深かった。
広葉樹は根の深さが地上に出ている部分の3倍程あり、保水力が非常にある事。
それに比べて杉、桧などの針葉樹の根は非常に浅く、何かあると、すぐ倒れるし保水力もない。
また針葉樹林は中に入ると陽が入らない為、下草もはえず、地面が茶色っぽい色をしてる。
広葉樹林はたくさんの木々や草が共存していて、木々、草達の高さもばらばらで、陽が下まで入って行く。
人もこの広葉樹が蓄え、湧き出た水で生きて行くことができる。
針葉樹ばかりだと、保水力が無い為,川の水も少なくなる。
熊による奥山の自然的原生林への働きは
熊は広葉樹の森を歩き回ったり木に登ったりする事で、下草を抑えたり、人間がする枝打ちをして、太陽の光が森の中まで入るようにしている。
今日本熊森協会では、奥山の頂上付近にかろうじて、残っている原生的自然林を拡げる仕事をされている。
また針葉樹の中にも、広葉樹を植える運動をされているらしい。
こんな処が今日の講演の主旨だったように思う。
今日は今日で、知らなかった事を多く教えて頂いた。
考えさせられる1日だった。
2009年6月6日土曜日
尾道
昨日ヨカの後,心持ウエストがスリムになったかと思ったが、昨日尾道に行って、衣装に着替えようとしたら、ズボンのチャックの上のホックが、きつさの為、「耐えられない」と言って、切れてしまった。
気のせいだったのだろうか。
尾道は、庭も広く、建物も風格のある一流料亭での仕事だった。
内容は、尾0造船さんの船の進水式の前夜祭で、祝いの太鼓を叩く事である。
尾0造船さんが受け渡すお客さんを招待しての宴席だ。
私達は何回かこの仕事をさせて貰っている。
だいたい、取引先は外国の方々だ。
いつもの様に、祝いの太鼓を叩いた後、鬼の面をかぶり、ばちに白い房をつけブラックライトとストロボの中、怪しげで威嚇的な鬼面太鼓を叩く。
鬼は厄除けの意味があるからである。
私達が叩いた後、太鼓に興味を持ったお客さんに叩いてもらう事になった。
白人の女性の方と、男性の方が舞台に出て来られた。
簡単なリズムをお教えし、一緒に叩いた。
宴席は盛り上がった。
無事に仕事も終え、太鼓を車に積んでいる時、広島のプロダクションの方が来られ、高そうな麦焼酎を一緒に行ってたうちのSさんに渡した。
Sさんは焼酎を飲むタイプではないので、みんなが太鼓を運んでいる時に、私はその焼酎を大事に、そっと衣装に包んで、自分の鞄に入れようとしてた。
が、運悪くSさんに見つかってしまった。
私はてっきり自分の物になると思っていたのだが、Sさんによると確定はしてないと言う。
仕方なく、みんなに、「焼酎を戴きました。」と言うと、皆さん心優しいのか、
「それは0倉さん持って帰って下さい。」と心地よい回答が帰って来た。
めでたしめでたし。
今日は朝、富山天龍太鼓さん (龍・・繋がり) に行き、太鼓の指導してから、吉井川の河川敷に行った。
夕方より、バレエの曲のレコ-ディングをした。 (やっと曲が出来たのである。)
またまた めでたしめでたし
昨日頂いた焼酎の On the Rock が旨い。
2009年6月5日金曜日
ヨカ
私は日程の関係で、金曜日の朝か土曜日の午後しか行けない。
でどちらかで行くのだが、たまたまどちらも、同じ女の先生である。
その先生のレッスンはパワ-ヨガと呼ばれている。
パワ-ヨガは普通のヨガに比べていささかハ-ドとのこと。
私としては別にパワ-は付いてなくてもいいのだが、先生がそうすると言われるのだから仕方ない。
私には選択肢はないのである。 (NO CHOICE ・・・・・・たまに英語を使ってみる。)
でもずっと行ってると、先生がなんとかのポ-ズと言われたらすぐわかるようになった。
またこのポ-ズから次のポ-ズへと察しがつくようになった。
私は少しづつでも進歩しているのである。
生徒は80%は女性である、そこに紛れて私はおとなしく、ひたすらヨカをしている。
最近、心持ウエストがすっきりしてきているような気がする。
気のせいであろうか。
今日はこれから尾道に行く。
瀬戸内源平太鼓さんの仕事だ。
尾道と言えば尾道ラ-メンかとも思うが、夕食は出るので、またの機会に。
また尾道の尾は龍の尾らしい。
今年も行われる龍神祭の玉井宮東照宮は龍の頭に位置する。
実に壮大な話だ。
(同じ龍だとしたらである・・・・・・・・・)
2009年6月4日木曜日
ラン、ラン、ラン
以前、パソコン用のランについて苦言を呈していた。
棟が違い、14メ-トルぐらいあるにも関わらず、家の外を内線用のランを使っていた。
それと言うのも、その時、外部用のランはなく、他に方法はありません。とはっきり言われたので、仕方なく内線を使う事になったのである。
(内線だと風雨,陽光によって、劣化すると言う事だった。)
がである、NTTに再度問い合わせをしてもらった処、そんな事はないと言う事になった。
NTTは、再びその下請け業者に言ってくれたのである。
で今朝、その業者の人達が外線用を持って来て、取り替えてくれた。
たぶん、下請け業者はNTTよりお叱りを受けたのだと思う。
ちょっと可哀想だったかと思うが、2万円以上払って、内線が劣化して使えなくなった私はもっと可哀想かも、と言うことで、まあ止む終えないとしてもらおう。
これで配線については落ち着いた。
めでたし めでたし
今日は午後から、てらこやお日さまの練習があった。
不登校の子供達の会である。
てらこやお日さまについては、またゆっくり書こう.
2009年6月3日水曜日
雨
恵みの~ と続く言葉も、他にはあまりないのではと思うが、いかがであろうか?
雨はやはり恵みだなぁと、少しでも畑をやっていると、そう思う。
昨日まで、葉っぱを丸めていた、ししとうやピ-マンも葉をひろげている。
水分が少なくなると、自ら葉を丸めて、太陽の光をできるだけ受けないようにする。
また水分の足りている時は目一杯 (どこが目かわからないけど)、太陽の光を受けようとする。
本当に植物は頭がいい。 (どこが頭かわからないけど、多分目の上だろう。)
きゅうりは4月の末に苗で買った時から、いささかも大きくなっていない。
途中、てんとう虫に葉っぱを食べられたりした時もあった。
流石にこの時は、木酢を水に薄めて、葉っぱに塗って、なんとか難を逃れたが。
こんなきゅうりだが、今日は茎からして、しっかり見える。
なんかやる気を出しているようだ。
本当は競馬で言えば、まくりと言う事になるのかも。
これからに期待したい。
午前中の稽古、普段は4人でしているのだが、今日は新しい人が2人来られた。
人数が増えると、それなりに楽しい。
また新人の人が、出来ないなら出来ないなりに、一生懸命している姿は、見ていて気持ちがいい。
一人でも多く太鼓を経験してくれればなぁと思う。
午後からは、雨も降ってるし、本を読んだり、テレビを見たりして、まったりしている。
夜の稽古まで、もう少しこのままでいよう。
2009年6月2日火曜日
熊
この処いろんな場面でお会いする。
彼の職業は刀工である。日本刀を作っている。
ここは備前長船で、たくさんの名刀が作られて来た所である事から、彼も修行で高知県から来た。
彼が来てくれた理由は、今度日本熊森協会会長の、森山まり子さんという方が来て講演されるので、そのお知らせだった。
彼は一冊の資料を持って来てくれた。
タイトルは「西中国山地からクマを失うことの意味」と題しての田中幾太郎さんの講演記録だった。
うちの裏山には、狸、狐、鹿はいるが、流石に熊はいない。
県北中国山地には月の輪熊がいるというのは、昔から聞いていた。
早速その講演記録を読ませてもらった。
要点を掻い摘まんで言うと
① 50年前くらいには、熊は標高800m以上の深山に棲んでいた。
② そこはブナやミズナラ等の原生的自然林だった。
③ 昔の人は里山には住んだり、入ったりしたが、それ以上(800m以上)は決して上がらなかった。
④ 故に人と熊と出くわす事はなかった。
⑤ 高度成長期に入って、林道の開発が深山まで進むようになった。
⑥ 原生的自然林が伐採され、杉、桧の拡大造林が始まった。(昔は里山でモザイク的に杉や桧を育てていた。
⑦ 熊が困ったのはエサが少なくなったのは勿論だが、冬眠する為の大木のウロなども(熊は木を掘って中で冬眠する事が多い)伐採されてしまった。
⑧ 深山に棲めなくなった熊は里山に降りてくるようになった。
⑨ 養蜂業者も山深くにも入って来る事も拍車をかけた。
⑩ 熊は里山に棲むようになった。
⑪ 里山で産まれた熊は里山しか知らない。
⑫ 熊は人の住む地域まで降りてくるようになった。
⑬ 熊と人の戦いが始まった。畑を荒らすどころか、家の中まで入ってくるようになり、精神的被害も大きくなった。
⑭ たくさんの熊が殺されるようになった。
⑮ 原生的自然林に熊が棲んでいた時は平均寿命が20~30年だったが、今は7~8年だ。
⑯ 熊が棲んでいた原生的自然林は水の宝庫であり、栄養価も高い。
「ワシも50年間、西中国山地をほっつき歩いてきて、ワシなりの考えがあります。それを言葉にしたら、連帯感です。自然保護とか、共生とか、そんなおこがましい言葉は正しくないです。ワシらは、自然に守られる最弱の生き物であって、保護とか共生などとは、おこがましい限りです。」
この講演のお礼の言葉として、日本熊森協会会長 森山まり子さんの言葉が載っている。
その中で「奥地にもう一度動物の棲める森を復元して、最高に豊かな森を造ってくれる大型野生動物たちと人との棲み分けを復活させる事が、早急に必要です。」
と述べられている。
これが、だいたいの概要である。
考えさせられる事が多い。
一応今度の、森山まり子さんの講演会についてお知らせしておこう。
日時 6月7日(日) 13:30~15:30
場所 備前市民センタ-4F 第1・第2講座室
参加費 1000円
である。私も行きたいと思う。
2009年6月1日月曜日
演劇
どうして私がと思われる方もおられよう。
私のもう一つの顔、それは役者だ。(作州武蔵太鼓さんで佐々木小次郎の経験有り・・・・・)
と言ってみたい気もするが、そうでなく劇のバック演奏をする事になった。
私は劇の演奏は、過去に秘宝館昇天堂さんの公演で3回程、また他の演劇グル-プの方々とも、共演させてもらっている。 いつも生演奏だ。
今回は秘宝館昇天堂の兄弟分になるのか、悪の秘密結社さんの公演だ。
悪の秘密結社だから、内容も凄い。
今回は人と獣が愛し合う話で三部作になっている。
チラシより紹介すると
其の壱 迷宮 (クレタ島に棲み 生贄を喰らうという化け物ミノタウロスを退治しに勇敢にも暗闇に分け入ったアテネの王子テセウス。しかし、彼がそこで見たものは・・・・・)
其の弐 蚕神 (飼われていた馬が娘に恋をした・・ 父親は怒りにまかせて・・悲恋の果てに思わぬ結末が・・・)
其の参 葛の葉 (安倍保名が助けた白狐が、保名の妻 葛の葉に化けて恩返し、瀕死の保名と共に信太から阿倍野へ逃げ、暮らす間に子を成す、この子供が後の安倍清明だが、そこへ・・・・)
3部とも仮面劇で、朗読に合わせて、役者が仮面をつけて、立ち振る舞う。
私は葛の葉で三味線の森本和正さんと即興で演奏する。
葛の葉の朗読は、今や全国区、ちくわ笛の住宅正人さんである。
この葛の葉の開演前に、私と住宅さんとで、一曲演奏する事になっている。
曲名は決まっているが、今は伏せておこう、楽しみにして頂きたい。
問題は公演まであと2ヶ月弱しかなく、皆さん忙しい人ばかりなので、音合わせがどれくらい出来るかだ。短時間に集中する必要がありそうだ。
一応公演スケジュ-ルを記しておこう。
日時
迷宮 7月25日 PM8.00~
蚕神 7月26日 PM1.00~
葛の葉 7月26日 PM6.00~
場所
岡山県天神山文化プラザ
入場料
前売 (3部通し券) 大人1000円 高校生以下500円
当日 (1部のみ) 大人 500円 高校生以下400円
となっている。お時間のある方は、是非観に来て戴きたい。