2011年5月31日火曜日

シンプル

一昨日、昨日と台風が通過しフェーン現象と言うのか天気も晴れ、少し暑い。
内の牛猫モーも飯を食べに帰ってはすぐに出歩いている。

いろんな処で関わっているチャリティーイベントも開催に向け、少しづつ目途が立って来ている。
もう少ししたらここでも詳細について書こうと思うが、やはり協力して下さる方々は多い。
今回の地震、津波、放射能汚染によって、何か人々の心の在り様が大きく変わって来ているのではと感じる。

シンプルで心豊かな社会ができれば良いなぁ。

2011年5月29日日曜日

自由奔放

今月は月初めにツアーに出たので、後半そのしわ寄せが来て忙しかった。
まあ徐々に落ち着いて来てはいるが。

最近太鼓を教えてて感じる事がある。
大人に関しては左程思わないのだが、子供の指導についていささか考える。
私の教えている子供達は皆明るくのびのびして良いのだが、今一つする事に厳しさが足りない。
そもそも私の指導が甘い事に起因しているのだが、果たしていかがしたものであろうかと今さらながら考える始末。
一体何年やってるんだと突っ込まれそうだが。
やはり太鼓道と言う言葉もあるように厳しき修行の場所と位置付けた方が良いのだろうか。
私が知っている太鼓チームはどこも子供達にも厳しく指導している。
そしてそれが舞台にもしっかり表れている。

ふ~む、果たして私に厳しい指導が出来るだろうか?
出来たらフリーダムでいたいこの私に。

2011年5月26日木曜日

梅雨入り

5月なのに梅雨入りしたそうだ。
野菜にとっては恵みの雨だろうが、今からだと一月以上は雨の季節かも。
我が畑は今じゃが芋と大根、人参は芽を出しているが、他の野菜はまだである。
この雨で少し芽を出してくれると良いのだが。

毎年この季節にはうちの土手にふきが一杯なる。
いつもはそのままにしとくのだが、今回は何となく食べてみたくなった。
葉っぱを落とし茎だけにし、塩でもみ、熱湯に入れ少し湯がし、氷水で冷やす。
筋を取り、適当に切り、鰹出汁と塩、醤油、みりん、酒で煮た。
なかなか懐かしい味がした。

破竹も一杯でき出した。
また煮てみようかな。

2011年5月23日月曜日

五月雨

五月雨やあつめて早し吉井川

昨日今日と雨がよく降っている。
雨が降ると草が伸びる。
この処私はいろんな所の草を刈っている。
部落の関係、鼓空畑の関係、我が家の庭と。
草払い機に混合油を入れては西に東に。
最近ちょっと出てきたお腹周りには良いかも。

雨が降ると遊び猫モーが帰って来れない。
雨が降ると出て行かないのではなく、帰って来れない処が遊び猫たる由縁である。
どこで何をしてるのやら?

2011年5月19日木曜日

先日から3回程うちのお隣さんの家の前の畑に猪が来たらしい。
なんでも深夜外に置いてあったトタンのバタンバタンとする音がするので出た処、猪の親子らしき3匹が畑を荒らしていたと言うのだ。
親は60キロ程あって立派な牙があったそうな。
ほ~と聞いていたが、ちょっとおかしいなと思った。
お隣さんよりは内の方が山際にあるのだ。
おそらく猪達は我が家の庭先を通って、お隣さんに行ったものと思われる。
然るに我が畑は何の被害も受けていない。
これはどうした事か?
答えは一つ。
猪が我が畑を畑だと認識しなかったのだ。
我が畑には草が生えている。
彼等の目にはまさしく草原と映ったのだ。
馬鹿な奴等だ。
出直して来い。

いや来るな!

2011年5月16日月曜日

春祭り

我が部落の山の中腹に伊良高八幡宮というお宮がある。
以前長船の歴史を調べていた長老が伊良高は高麗を逆にしているのではと推察されていた。
なかなか興味深く聞かさせて貰ったが、あくまで推察だったし村の人達も本当の処はわからない。
だがここは農村集落であるので、このお宮を中心に1年中の行事が決められて行く。
1月、5月、9月に開かれるお日待ちそして春祭り、夏祭り、秋祭りである。

先週1週間は春祭りであった。
8日に神社と参道の清掃をしてからおしば下がり、神様がお宮から部落に下りて来られる。
お迎えするのがその年の祷屋(とうや)である。
新しく家を建てたお宅とか、繁盛しているお宅が受ける事が多い。
神様が祷屋に入られる時に祷開きという神事をする。
これで神様は1週間村人と共に過ごすのである。

村人はこの間宮田(神田とも言う)の草刈や用水の清掃もする。
昨日は神様が1週間の村での滞在を終えられ、お宮に戻られた。
お宮で神事が行われる。
神事の後は皆にお神酒が振舞われた。
何人かの人が私に春祭りだから太鼓を打ってくれと言う。
1年中村で太鼓を叩いている私、村の祭りに叩かないのも可笑しい。
気持ち良く奉納の太鼓を叩かせて貰った。

その後は村の奥さん連中が作ったバラ寿司をよばれる。
海老やイカの上に木の芽が載っていて香りが良い。
天気も良く適度にお神酒も戴き、良い春祭りだった。

2011年5月14日土曜日

ヨカ

雨が降り続いていたが、今朝はよく晴れて気持ちが良い。
我が家の山藤も綺麗に咲いている。

昨日は久しぶりにヨカに行った。
今まで1年以上教えて貰ってた先生がお産の為しばらく来れなくなり、この処他の先生のレッスンを受けている。
基本はどの先生も同じだと思うが体の動かし方やポーズの取り方は多少違う。
前は目を瞑っても出来たのに今は一つ一つ先生の動きを見ながらしている。
また当然の事だが先生のしゃべり型も違う。
バックにはメディテーションぽい音楽が流れているのだが、一杯説明をしながらしゃべる先生もいるし、言葉数の少ない先生もいる。
昨日の先生は本当に言葉が少なく途中で何回も寝てしまいそうになった。
まあヨガは自分の心身を見つめる事が目的なのだから寝ない方が良いだろう。

今日は雨で畑の草も伸びたので、ちょっとショートカットにしようと思う。
野菜の芽に陽光が当たり易くする為だ。
私もショートカットにしようか。
まあ止めとこう。

2011年5月9日月曜日

韓国ツアー

今回の韓国公演はつつみの望月先生の率いる桜友会と鼓空の共演だった。
桜友会からは7人、鼓空から5人の出演だった。
交通手段は9人が飛行機で3人が我がハイエースと船で行った。

5月2日朝7時30分に道場に2人のSlowなSさん達が来る。
それにSpeedyな私とがハイエースに乗り込み、いざ下関に向けて出発。
1時30分頃には下関港の国際ターミナルに着く。
まずは人の手続きをしてから、車そして和太鼓等のカルネの照合の手続きに入る。
カルネと言うのは多少の小荷物なら個人の所有物として持ち込み可能だが、それ以上だと原則、物を外国に持ち出すのは輸出になる、そして行った国では輸入扱いになり関税がかかるのである、また帰国の際にも韓国からは輸出、日本では再輸入となる。
だから今回のように日本から持ち出す物は営業ではなく必ず持ち帰りますと言う証明を予め取っておく必要がある、それがカルネである。
私達が持ち出す物は和太鼓9台にパーカッションそしてマイク関係、それにハイエースだ。
その照合は行きは下関港、釜山港、そして帰国の際は釜山下関と計4回受ける事になる。

すべての手続きを終え乗船、19時に大型フェリーは韓国に向け出発。
フェリーの中には免税店やカラオケ、ゲームセンターそして風呂もある。
客室は私達は勿論経費削減の為2等客室、15人程は入れる相部屋だ。
1人1人の布団は狭く、寝返りがやっと、まあ安いのだから贅沢は言えないが。
翌朝8時には釜山港に着く。
入国手続きを済ませ、いよいよハイエースは韓国に上陸、右側通行だ。
右ハンドルだけにどうかなと思っていたが、流石に20年前にアメリカで乗っていた感覚が蘇って来た。
5分後には片目、片手でもすいすい状態。
で安心のあまり早速道を間違える。
曲がるべき処を通り越したのである。
しかし大回りしたが、最終的にはソウルに向けて走る京釜高速道路1号線に入れた。
片道4車線なので凄く走りやすい。
標識はハングルで書かれていて下に英語もある、まあ道路番号が一番頼りだった。
3回程サービスエリアによって、つまみ食いをしつつ1号線を北上。
ソウル近郊で環状線100号線に入る。
そして30分程走り、中洞という処で降り、今回の目的地富川市に入る。
まずは市庁舎を目指す。
途中中学生に道を尋ねると、一生懸命片言の英語で説明してくれたのが嬉しかった。
市庁舎の側に我々が泊まるホテルがあった。

ホテルに着くと今回呼んで戴いたバレエのオ・ウンリョン先生と通訳の方が待っていてくれた。
荷物を置いてから早速会場の下見に連れて行って貰う。
メイン会場は市庁舎前の公園で大きな特設ステージが組まれている。
音響、照明のスタッフと軽く打ち合わせ。
4日昼過ぎに飛行機組が到着、一緒に食事をした後すぐに開会式のリハーサルをする。

19時30分から開会式。
富川市庁長を初め来賓の方々の挨拶。
そして今回ポクサゴル(桃源郷)芸術祭に参加したロシアの踊りのチーム、中国のチームそして私達が紹介される。
またその状況が舞台両サイドにある大型スクリーンに映し出される。
紹介の後舞台の前に長テーブルが用意され赤いボタンが一杯並べられる。
市長、来賓の方々、ロシアの代表、中国の代表、望月先生、私が呼ばれ並ぶ。
そして一斉にボタンを押すと市庁舎の上から花火が何発も上がる、開幕だ。
花火の直後に桜友会と鼓空の合同演奏だ。
曲目は「太古の響き」龍が地面から空に舞い上がる曲だ。
PAのトラブルが多少あったが、まずは勤めを果たす。

翌5日、本番は17時からの中央公演の野外音楽堂と20時からの市庁舎前のステージだったが、両方のリハーサルがある。
行ったり来たりと忙しい、またその合間に市庁舎に表敬訪問、そして会食会に呼ばれる。
大変丁寧なお持て成しを受けるが、時間が気になり落ちつかない。
何しろ移動の度に太鼓を車に積んでは降ろしセッティングをしなければならない、また市を挙げてのお祭りなのたくさんの人の中車の移動にも時間がかかる。
いろいろ大変だったが、本番は大勢の人の一杯の拍手を戴き役目を果たしたかなとの充実感があった。

翌6日はソウル観光
朝鮮王朝があった景福宮や南大門商店街に行った。
3時頃に飛行機組は帰国の為仁川空港に向かった。
残った私達3名と通訳の朴さんはソウル駅から少し電車に乗り、楽しみにしていたNANTAを観に行った。
NANTAはコックさんが包丁で野菜を切ったりまな板を叩いたり、いろんな台所にある物を使ってリズムを出したりするパーフォマンスで、リズムも面白いがお笑いも最高に楽しい。
内の1人のSさんは舞台に担ぎ出され、韓国の昔の花嫁衣裳を着せられ結婚までさせられてしまった。
NANTAは5つぐらいのチームに分けられて公演しているのでまた機会があったら是非に観に行きたい。

韓国ではいろんな店に食事に連れて行って戴いたが、どの料理も大体辛くそれにいろんな種類のキムチが添えられて来る。
確かにどれも美味いがすぐに汗も噴出して来るし鼻水も出てくる。
辛いが次の食事の時はまた真っ赤なキムチに手を出してしまうから不思議である。
ただ肉も出てくるがそれ以上にいろんな野菜が一杯出て来るので健康には良さそうだ。

帰りはまた高速道路を450km南下釜山に向かう。
楽勝だと思ってたら釜山港でまた道に迷う。
かなり重症、港が入り組んでいるのとたくさんの貨物船の埠頭があり訳がわからない。
いろんな人に道を尋ねるが、大体の方向だけで詳しくは誰も知らない。
余裕をみて出発したのにとうとう乗船時間に間に合わなくなってしまう。
フェリー会社に電話して取り合えず搭乗が遅れる旨を伝える。
そしてタクシーを捕まえそれに1人乗り、その後をハイエースで追いかけた。
埠頭に着き、乗船手続きそしてカルネの照合。
文化交流の側面から簡単に済ましてくれたので、無事帰国にたどり着く事が出来た。

大変だったが、楽しい旅だった。

2011年5月1日日曜日

出発

明日の朝、韓国ツアーに出発します。
しばらくブログは休みますが、帰ったらまた旅行記を書きたいと思います。
ではでは行ってきます。