ラベル 旅のこと の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 旅のこと の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2020年2月3日月曜日

熊野

同窓会も終わり 私は名古屋から南下し熊野に行った。今回以前から気になっていた徐福の足跡を調べに行った、徐福は秦の始皇帝の命で不老不死の薬を求めて日本に来た人物だ。最初に来た秦氏とも言われている。徐福の伝説はいろんな処に残っているがここ熊野にも多く残っている。徐福の所縁のある波田須神社、徐福の宮等見て回った。熊野からは新宮に向かった。新宮では最初に熊野速玉神社を参拝し、それから徐福公園、蓬莱山のある阿賀須神社に行った。参拝の後神社の手前にある歴史記念館に入った。そしてそこで管理をされている方から声をかけられ、徐福を調べているんですと言うとなんとそれから延々2時間徐福の事、始皇帝の事、熊野の事、修験者の事などを喋っていただいた。地元の研究者とお話しできて良かった。その後は神倉神社石段を上るのが大変だった。頂上には大きな御神体の岩があった。新宮からは那智へ。熊野那智大社や滝を見た。那智からは熊野本宮大社に本当に忙しき参拝の旅だ。しかしながら四国八十八箇所を周った時も一日車で12ヶ所を周っていた。歩かれているお遍路さんには申し訳なかったが。本宮大社の後は龍神温泉に一日走り周ったのでとても気持ち良かった。この後高野山に向かおうと思っていたが、宿に人から高野山は雪が残っている所や道が凍っている所があると聞き、今回は断念した。最初の日は同窓会だったので優雅なホテルだったが後の2日間は車中泊だった。寒さ対策はしっかりしてたので大丈夫。天候に恵まれ良い旅となった、

徐福の宮
 徐福公園
 神倉神社
 熊野速玉大社
 熊野那智大社
 熊野本宮大社


2019年8月15日木曜日

阿波おどりを観に行った。
チケットを買ってた人が行けなくなって急遽行かないかと声をかけていただいた。
私は 6年程前一度行き大変感動した覚えがある。その後は都合が合わず行けなかった。私達が行ったのは昼間の会館、阿呆連を初め6団体が出演した。夜練り歩く外の会場とは違いエンターテイメント性が強調されている。勿論 連によって特色はあるが整然とピシッと揃った女踊り 腰を落とし自由奔放の踊りの対象が素晴らしい。また三味線、唄、篠笛 太鼓 チャンチキの演奏も速くなったり遅くしたりと場面々々で揺れ動く。これもみんなが練習を積んで呼吸を合わせて来た賜物だろう。
今回ハプニングで感激した事がある。当初私は行く予定がなかった為youtubeで阿波おどりを観ていた。その時特に印象に残っていたのは娯茶平というグループで地を這うような男踊り、優雅で艶やかな女踊り、また女性陣が腰を落として男踊りをするのだがそれがぴったり揃っていた。そしてこの連の代表をされている岡秀昭さんの踊りも見事だった。
今回会館では出なかったので諦めてたのだが偶然この娯茶平を徳島駅前のそごうの会場で観る事ができた。一般のお客さんも呼び込んで。岡さんはここでは連の紹介などを喋られるだけだったが私は会えて嬉しかったので一緒に写真を撮っていただいた。行けて良かった。大型の台風が来ていて昨日 今日は阿波おどりは中止になった。一年がかりで練習を続けて来た連の皆さんの事を考えると残念だ。



2018年6月8日金曜日

吉備

久しぶりに吉備の秦氏 賀陽氏そして温羅を訪ねてみた。
最初に吉備津神社の代々続いた賀陽宮司の屋敷跡に
それから葦守八幡神社この辺りにも秦氏の集落があったと思われる。実は八田(はだ)と言う字(あざ)を探しに行ったのだが見つからず 地区の公民館で郷土史に目を通すと八田はわからなかったが、土田と言う処も秦氏とゆかりのある地だと記載されていた。そしてその時は「つちだ」としか読めなかったのだが、家に帰ってから「はた」だと気付いた。私が住んでいる長船にも土師という処があり「はじ」と読むからだ。
 葦守八幡神社からは少し北に上がり二宮鼓神社に行った。鼓と言う字にも前から気になっていたので行けて良かった。
そこから鬼ノ城の麓にある阿曽の集落 そして血吸い川の上流から南下してみた。今日は前にも行った総社市の秦に行き そこから秦氏とも大きく関わってるであろう正木山に登ろうと思っていたが夕方になったので止めた。またの機会に。


葦守八幡神社                    
             

二宮鼓神社
 

血吸い川から阿曽の里を見る。 

 
 
 
 

2017年11月9日木曜日

奈良 大和

奈良は大和に行った。今回3回目。目的は五十狭芹彦(吉備津彦)の生誕地 磯城郡田原本町にある法楽寺を訪れる事だった。このお寺は昔は21の建物がある大きな寺だったが今は一つだけ本堂だけ残っている。住職さんは93才になられる優しい女性の方だった。いろんなお話を聞き、古い板絵を見せていただいたりした。
田原本町では他に史料館、役場 観光協会に行き五十狭芹彦に関するお話をお聞きした。
また崇神天皇陵に行ってみた。丘になっている処に大きな池があり、その中に前方後円墳があった。大きさといい美しさといい素晴らしかった。今回も卑弥呼だとも とよだとも言われる百襲媛の墓 箸墓古墳、そして大神神社、長谷寺にも行ってみた。なかなか有意義な旅だった。




2016年11月23日水曜日

演劇集団 円

娘 遥の所属する演劇集団 円の公演を観に行った。
題は「影清」平景清の老いてからの回想で近松門左衛門の浄瑠璃を大きな人形を使って再現するというもの。人形を前面に押し出しているだけに普段の演劇とは全く違ったものだった。
主演景清は団長でもある橋爪功さん 遥は影清と遊女との間にできた娘を演じた。
いつも思う事だがむすめ遥も良い役者さん達に囲まれ幸せだ。

2016年11月15日火曜日

大和

先週末我がハイエースに布団を積み込み奈良に行った。
まずは三輪山に、大神神社に参拝した後、山頂の奥津盤座まで登らせて戴く。
翌朝早く長谷寺に参拝、お坊さん達のお勤めに参加させて戴く事ができた。
このお寺は弘法大師が建てた大きな寺だ。紅葉が奇麗で猿ものんびり秋を楽しんでいた。
長谷寺から橿原神宮へ、ここは神武天皇が奉られている。
神武東征なども描かれていた。
この日は七五三で祝う親子も一杯いた。
それから明日香村に行く。
この地は蘇我氏が支配していた処で、おそらく蘇我馬子の墓と思われる石舞台古墳に行った。小山の上に大きな岩を組み立て石室が造られている。
元々はこの岩の上に土を盛られていたはずだが、雨水が人為的な物jか土が流れて岩がむき出しにjなっている。
古墳を見学してから、やはり馬子が建てた飛鳥寺に、ここには最古である釈迦如来仏像が安置されていた。
飛鳥資料館を除いてから藤原京跡地に、かなりの広さがあった。
今はこの敷地を国が買い上げて発掘、保存をしている。
最後にもしかしたら卑弥呼の墓ではと言われている箸墓古墳に行った。
もう日が落ちて暗くなっていたので外周だけを周った。
古墳の側に池があり幻想的な感じがした。
今回来年に行う吉備、大和、出雲をテーマにした公演の為に多少でも大和の事を知りたいと思って来たが大和は本当に古く深い感じがした。
また機会を作って行ってみたい。

2015年10月22日木曜日

観劇

東京芸術劇場に娘遥が所属する演劇集団「円」の作品FAUSTUSを観に行った。
この作品のポスターやフライヤーの画像が少々過激だったので、一体どんな感じだろうと思っていた。
しかしテーマはシリアスだがユニークな笑いもたくさんあり面白かった。
毎回観劇して思うが娘も素晴らしい役者さん達に囲まれ幸せだ。

2014年8月17日日曜日

奈良

久しぶりに奈良に行った。
今回の奈良は、年に一度乙倉会と称して親族が集まり皆で観光をしたりして夜にささやかな宴会をし皆の近況を話し合うという集いがあり、今年が奈良だったのである。
私は久しぶりの奈良なので他にも足を伸ばしたいと思い、車で行った。
着いた朝は一人で薬師寺、唐招提寺や平城京跡を見て周った。
薬師寺は玄奘三蔵法師ゆかりの寺である。
今年一月に娘とインドを旅した時ナーランダと言う広くて、僧侶が集まり学問をした処に行った。
三蔵法師も中国からこの天竺であるこのナーランダに来て修行をし、仏典を中国に持ち帰ったのだ。
遺跡の一角に法師が過ごした石室があった。
ここから仏法が中国に伝わり日本にも流れて来たのだのだと想うと感慨深かった。

唐招提寺はかの鑑真和尚が日本海に阻まれながらもやっと日本に辿り付き、建立した寺だ。
寺の奥に鑑真和尚の御廟があった。
庭には蓮の花が咲いていた。
この後平城京後を観て皆と合流した。
ならまちを一緒に散策し元興寺に行った。
夜は三世代10名でささやかな宴会。皆の近況を話しあった。
楽しかった。





2014年6月28日土曜日

ブレーメンの自由

只今 新幹線で上京している。
娘遥の所属する演劇集団 円の公演を観に行く為だ。
タイトルは「ブレーメンの自由」
娘は前回に続いて主役を戴いている。
我が娘ながら頑張っているなぁって感じ。
今回の上京でも また私が学生時代にやっていたバンドメンバー達と音出しする。
これも楽しみだ。

2014年4月7日月曜日

再会

今 池袋から北の方に上がった赤羽という処にいます。
なんでかと言うと今年の1月に娘とインドに行ったのですが、その時ずっと案内してくれたのが若干33〜34才の青年のニラージュさんでした。
日本語も良く勉強してたし、何しろ3人での旅だったので意気投合したわけです。
その彼がとにかく日本に来たいと言う事で赤羽にある日本語学校に申し込み受理され3ヶ月のビザを取得しました。
で今日はその学校の入学式なのです。
〜インド人の入学式〜
でこれが終わってから会う事になりました。
赤羽には犬島One Drop Fesにも来てくれたギターの中上君もいるので彼とで3人で会う事になりそうです。
ちょっと眠いけど再会が楽しみです。

2014年1月15日水曜日

インド 5

一度デリーに帰ってから今度はデリーから南西に266kmの処にあるジャイプールに行った。
城壁で囲まれたヒンズー教の街だ。
赤砂岩を使った建物が多く通称ピンクシティと呼ばれている。
有名な天文台やシティパレス 風の宮殿等見所一杯だが何と言っても丘の上に建つ巨大なアンベール城は圧巻だ。
そこから見下ろす景色が湖もあり素晴らしかった。
ジャイプールの後は友達の薦めもありリシュケーシュに行った。
ガンジス川の上流でヒマラヤからの綺麗な水が流れている。
ビートルズがマハリシュのアシュラムでヨガの修行をした事でも知られている。
ここはこのようにヨガの聖地でもあり多くの外国人が来ている。
私達は折角なので朝5時30分からヨーガ・ニケタンで1時間瞑想。
そしてその後1時間15分程ヨガをした。
瞑想では40分ぐらいで足に痺れがきれそうになり迷走。
ヨガは日本なら優しい女の先生が「出来る処までで良いんですよ。」と言ってくれるのだが ここは筋肉質の男の先生。
ひじや膝をもっともっと伸ばして 背中にもっと力を入れて。
More More More だ。
きつくしないと効かないと仰るのだ。
私には充分効いているのに。
まあそれでも何とか終わり娘とすぐ目の前のガンジスの河岸に降りた。
小さい女の子達が寄って来て小さい入れ物に入った花を買ってくれと言う。
真ん中にろうそくが有り火を付けてガンジス川に流すのだ。
私達はべナレスでもボートから流していたので上流でもう一度と言うのは何か意味ある事のように感じた。
いくらだと聞くと一つ50ルビーだと言う。
子供が扱うにしては高過ぎる。
しかし結局負けて2つ100ルピーで買った。
その時の子供の笑顔ったらありゃしない。
私達を流し易い処に連れて行き、ろうそくに火を付けようとするが風ですぐ消えてしまう。
女の子の手と私の手で囲みマッチでを火を付ける。
ちゃんと付いた時そっとガンジスに流した。
やはり川沿いで夕方から始まるヒンズー教の僧侶達を中心としたガンジスへの祈りにも参加した。
アコーデオンを横に寝かしたようなハーモニウムと言う楽器 ダブラで奏で それに合わせて時に朗々と唄い また手拍子を叩きながら歓喜のような曲も唄う。
何曲が唄った後でグルらしき人が現れる。
サンスクリット語で何かを喋りシャンティシャンティと繰り返す。
インドの人達のガンジスに対する想いが伝わり大変良い時を過ごさせて貰った。

2014年1月10日金曜日

インド 4

今回のインド旅行ツアーとしては今日で終わるが毎日かなり充実していた。
これは1つにはツアーと言っても私と娘しかいなかったのだ。
どう言うわけか日本人もあまり仏教の聖地には行かないらしい。
もう一つ良かったのは私達を案内してくれた現地ガイドのニラージュさんが凄く丁寧でインドの良き処も悪い処もストレートに教えてくれた。
私達親子とずっと3人で周り行く所々で予め頼んでくれていたドライバーに乗せて行って貰うのだ。
これはかなり助かった。
実は私は日本で予定している時2週間ツアーでなく全部フリーにしたらとも考えていた。
何とか成るだろうと思っていた。
しかしずっと回って思った。
絶対何とかは成らない。
時間がたとえば3ヶ月以上あるとかなら別だが2週間だと無理だ。
何故かと言えば列車に乗るにしても7時間8時間遅れはざらで予め指定席を抑えていてもスケジュールが狂ってしまう。
私達乗った電車も2回程かなり遅れて入って来て到着時間も4時間遅れた。
また一度は列車が入って来るのが7時間程遅れていたのでニラージュさんが他の列車を取り直してくれた。
外国人が電車で苦労するのには他にも理由がある。
車内アナウンスが無い事また駅名がヒンズー語で書かれているので遅れている電車が一体どこを走っているのか皆目見当も付かない。それから町でも観光地でも私達外国人を見ると土産を売りつけようとする人、物乞いの人達が集まって来る。
それもかなり執拗に来て離れようとしない。
一人でも買ったりあげたりしたら他の人達も集まって来て動けなくなる。
私も施しをあげたいと思う時もあるが場所を考えないといけない。ニラージュさんは私があげたくなる小さい子供達にはあげなくて良いと言う。
近くに必ず親がいてあっちへ行けこっちへ行けと指図しているのだそうだ。
ニラージュさんはあげるなら手足の無くなって動けなくなっている人や年老いた人等本当に困っている人にあげて下さいと言っていた。
このように聞いてわかる事も一杯あった。
今アグラのホテルだがこれからデリーに一度帰る。
そしてこれから先は親娘でジャイブールで行こうと思っていたが電車のチケットを取るのが難しそうだ。
またニラージュさんの世話になりそうだ。

インド 3

ブッダガヤから電車に乗りウ゛ァラナシ(ベナレス)に着く。
翌早朝ガンジス川を手漕ぎボートに乗る。
霧が出ていてオレンジ色の朝日が見える。
岸にはたくさんの沐浴場があり人々が頭から身体を洗っている。
しかし冬の朝なので沐浴をしている人は少ない。
洗濯をしている人達もいる。
火葬場も2つ有り木々の中で遺体が焼かれているのが見える。
灰はガンジス川に流される。
ヒンズー教徒の人達には墓は無くこうして神々の住むベナレスのガンジス川に流される事を望んでいる。
この後2つのヒンズー教の寺を廻りべナレス・ヒンズー大学を見学した。
夕方から夜行列車で10時間かけてアグラへ。かの有名なタジマハールを見学。
ヤムナー河のほとりに建つタジマハールは本当に綺麗だ。
全て白い大理石で造られていて可愛いい絵柄が随所に入っている。この後アグラ城に行った。
やはり石積みの広く大きな城だ。
ここからもタジマハールが見える。
本当にムガール帝国はとんでもない力を持った国だったのだろう。続く。

インド 2

夕方ブッダガヤに入りマハーボディ寺院に行った。
こここそお釈迦さんが悟りを開いた処だ。
大きな菩提樹(4代目)があり、木の下に金色の玉座があった。
その後にアショカ王が建てた高い仏舎利塔がある。
チベットやタイ、ブータン、スリランカ等からたくさんのお坊さんがきて読経をしている。
感想を書こうとしたが言葉に言い表せない。
私達は翌日の朝もここに参り玉座の前で般若心経を唱えた。
それからスジャータがお釈迦さんに乳粥を与えた処に行った。
そこにも小さなお寺が建てられていた。
のどかな処だ。
その後私達は仏陀が最初に説法を説いたサルナートに行った。
私達は仏陀が座った場所の周りを裸足で歩き座りまた読経をした。
2000年以上の前に起きたその場所におれる事ただただ感謝のみだ

2014年1月9日木曜日

インド 1

成田から10時間の飛行を終え無事深夜にデリーのホテルに着く。
翌日はさっそくデリーの世界遺産でもあるムガール帝国の時に建てられたフユマン廟やクトゥプミナールを観る。
高く石やレンガを積み重ねる技術にただただ驚く。
インドの父ガンジーの墓にも参る
夕方より寝台列車に乗り一晩かけてガヤへ。マガダ王国の首都でだったラージギールに行く。
ここにある山の頂上にもお釈迦さんが訪れていて今はそこに日本のお坊さんによってが仏舎利塔が建てられていた。
そして次私達はナーランダー大学に行く。
大学と言っても5世紀に建てられた仏教中心の学校で一時は1万人の学僧が学んでいた。かの三蔵法師が法を学び教えていた石造りの部屋も観る事が出来た。
何か歴史を遡って凄いい感じ。
この後いよいよお釈迦さんが悟りを開いたブッダガヤに。
ではまた。

2014年1月3日金曜日

インドへ

これから上京します。
そして明日夕方成田空港からインドに向かいます。
若い頃から憧れてたインドですがなかなか機会に恵まれませんでした。
それが昨年暮れにふと娘がアジアを旅したいと言い出し、それならばお互いに仕事の都合も付きやすい1月に一緒に行こうという事になりました。
本当に久しぶりの二人旅です。
インドには今回2週間程ですが、最初にインドの聖地を周り,後は全くのフリーにしててホテルも取っていません。
良きも悪きも混在しているインド果たしてどんな旅になるか楽しみです。
またこのブログに投稿出来たらしますし、出来なかったら帰国次第報告します。
ではとりあえず東京に行きます。

2013年4月25日木曜日

あわれ彼女は娼婦

2泊3日で上京した。
娘遥の所属する演劇集団円の公演を観る為だ。
今回のタイトルが「あわれ彼女は娼婦」だった。
この中遥は娼婦と呼ばれる役をした。
話の内容を抜粋するとロミオとジュリエットから三十年、女王エリザベスの死後、政治経済宗教の矛盾が一気に顕在化、黒死病流行とあいまって、社会が不安の霧に覆われるなか、愛し合う二人の兄妹が近親相姦でありながら結ばれ子を孕み、死に向かって行く。
  ー絶望が深いほどいっそう美しい光を放つー
このような話である。
いつもながら娘は大先輩の皆さん方に支えられ精一杯役を演じていた。
役者の生活もなかなか大変であるがその充実感は娘からも感じられる。
頑張って欲しい。


2012年12月27日木曜日

浅草

演劇集団 円は浅草の田原町を拠点がある。
そこにはホールも有り上演される事も多い。
娘遥はそこから徒歩5分ぐらいの処に住んでいる。
遥が円の研修生だった頃からするともう7年ぐらいになろうか。
私は公演がある時は出来るだけ観に行くようにしているから、浅草にはよく来ている。
そして来る度に良い町だなぁと思う。
勿論、浅草寺、仲見世、雷門の当たりはいつも観光客で一杯だが、都会の刺々しさは全くない。
やはりお店の人達等に下町の人情が行き届いているからであろう。
どの店に入っても優しく迎えてくれるし、食事をしても観光地は普通値段が高めだが、浅草はそんなことはなく安くいろんな物が食べられる。
上京する時は東京のあちこちに行ってみようと思うが、浅草にいるとすべて満たされた気持ちになる。
浅草には演芸場もいくつかあり芸人の町でもある。
前に浅草公会堂で新春の歌舞伎を観て感動したが、今回はこてこての芸能が観たくなり、浅草寺の西門の側にある木馬亭に入った。
漫才ありコントあり、手品あり、そして大衆演劇がある。
出演者と客が近く、笑いの渦が出来る。
演劇もこてこて清水の次郎長と森の石松の話。
船の上で「お前さん江戸の生まれだったねぇ」「あ~神田の生まれよ」「さ~寿司食いねぇ~寿司食いねぇ~」とお馴染みの場面も出て来る。
客はわかっていても大笑い。
下町の人は演芸も大好きだ。



2012年12月25日火曜日

演劇集団 円

東京に娘遥の所属する演劇集団 円の公演を観に行った。
今回は「魔女とたまごとお月様」と言うタイトルで子供向けの作品だ。
亡くなられた前の座長岸田今日子さんが子供の為の作品もしていこうと始められ、毎年クリスマスの頃上演されている。
今回は両国のシアターX(カイ)であった。
私は2公演観たのだが、お客さんは満杯。
ステージの前が桟敷席になっていて、子供達の席だ。
話の内容は孤独で意地っ張りの魔女と渡り鳥の子供の奇妙な親子ごっこが森の住人や妖精を巻き込んで、かけがいのない信頼関係を築いて行くというもの。
観ている子供達は物語に入り込み、思った事感じた事を喋り出す。
役者はそれに応じながら物語を進める。
実にスリルもあるし面白い。
遥は妖精の役で1時間以上かかるメイク、そして衣装と共に現実離れした感じ。
歌も唄い、踊り、喋る。
私も公演の時は出来るだけ行く事にしてるが、その度に喜劇だったり、シリアスな役だったり、おどけた役だったりと大きく変わる。
娘ながらよく出来るなぁと感心する。
今回は12回公演、また来年春にも役を戴いているそうだ。
有難い事だ。

2012年12月21日金曜日

上京

師走も半ばを過ぎた。
私は芸術回廊を終えた事や鼓空の練習はまだあるにしても今年の他の各団体の教えが終わった事等で少し放心状態である。
ちょっと宙に浮いた感じ。
であるからとりあえず浮きついでに明日から東京に行こうと思う。
メインは役者の娘の公演を観に行く事だが、今回ちょっと時間が取れたので、長年会ってない人達にも会えればなぁと思っている。
東京を泳いで来よう。