2011年5月9日月曜日

韓国ツアー

今回の韓国公演はつつみの望月先生の率いる桜友会と鼓空の共演だった。
桜友会からは7人、鼓空から5人の出演だった。
交通手段は9人が飛行機で3人が我がハイエースと船で行った。

5月2日朝7時30分に道場に2人のSlowなSさん達が来る。
それにSpeedyな私とがハイエースに乗り込み、いざ下関に向けて出発。
1時30分頃には下関港の国際ターミナルに着く。
まずは人の手続きをしてから、車そして和太鼓等のカルネの照合の手続きに入る。
カルネと言うのは多少の小荷物なら個人の所有物として持ち込み可能だが、それ以上だと原則、物を外国に持ち出すのは輸出になる、そして行った国では輸入扱いになり関税がかかるのである、また帰国の際にも韓国からは輸出、日本では再輸入となる。
だから今回のように日本から持ち出す物は営業ではなく必ず持ち帰りますと言う証明を予め取っておく必要がある、それがカルネである。
私達が持ち出す物は和太鼓9台にパーカッションそしてマイク関係、それにハイエースだ。
その照合は行きは下関港、釜山港、そして帰国の際は釜山下関と計4回受ける事になる。

すべての手続きを終え乗船、19時に大型フェリーは韓国に向け出発。
フェリーの中には免税店やカラオケ、ゲームセンターそして風呂もある。
客室は私達は勿論経費削減の為2等客室、15人程は入れる相部屋だ。
1人1人の布団は狭く、寝返りがやっと、まあ安いのだから贅沢は言えないが。
翌朝8時には釜山港に着く。
入国手続きを済ませ、いよいよハイエースは韓国に上陸、右側通行だ。
右ハンドルだけにどうかなと思っていたが、流石に20年前にアメリカで乗っていた感覚が蘇って来た。
5分後には片目、片手でもすいすい状態。
で安心のあまり早速道を間違える。
曲がるべき処を通り越したのである。
しかし大回りしたが、最終的にはソウルに向けて走る京釜高速道路1号線に入れた。
片道4車線なので凄く走りやすい。
標識はハングルで書かれていて下に英語もある、まあ道路番号が一番頼りだった。
3回程サービスエリアによって、つまみ食いをしつつ1号線を北上。
ソウル近郊で環状線100号線に入る。
そして30分程走り、中洞という処で降り、今回の目的地富川市に入る。
まずは市庁舎を目指す。
途中中学生に道を尋ねると、一生懸命片言の英語で説明してくれたのが嬉しかった。
市庁舎の側に我々が泊まるホテルがあった。

ホテルに着くと今回呼んで戴いたバレエのオ・ウンリョン先生と通訳の方が待っていてくれた。
荷物を置いてから早速会場の下見に連れて行って貰う。
メイン会場は市庁舎前の公園で大きな特設ステージが組まれている。
音響、照明のスタッフと軽く打ち合わせ。
4日昼過ぎに飛行機組が到着、一緒に食事をした後すぐに開会式のリハーサルをする。

19時30分から開会式。
富川市庁長を初め来賓の方々の挨拶。
そして今回ポクサゴル(桃源郷)芸術祭に参加したロシアの踊りのチーム、中国のチームそして私達が紹介される。
またその状況が舞台両サイドにある大型スクリーンに映し出される。
紹介の後舞台の前に長テーブルが用意され赤いボタンが一杯並べられる。
市長、来賓の方々、ロシアの代表、中国の代表、望月先生、私が呼ばれ並ぶ。
そして一斉にボタンを押すと市庁舎の上から花火が何発も上がる、開幕だ。
花火の直後に桜友会と鼓空の合同演奏だ。
曲目は「太古の響き」龍が地面から空に舞い上がる曲だ。
PAのトラブルが多少あったが、まずは勤めを果たす。

翌5日、本番は17時からの中央公演の野外音楽堂と20時からの市庁舎前のステージだったが、両方のリハーサルがある。
行ったり来たりと忙しい、またその合間に市庁舎に表敬訪問、そして会食会に呼ばれる。
大変丁寧なお持て成しを受けるが、時間が気になり落ちつかない。
何しろ移動の度に太鼓を車に積んでは降ろしセッティングをしなければならない、また市を挙げてのお祭りなのたくさんの人の中車の移動にも時間がかかる。
いろいろ大変だったが、本番は大勢の人の一杯の拍手を戴き役目を果たしたかなとの充実感があった。

翌6日はソウル観光
朝鮮王朝があった景福宮や南大門商店街に行った。
3時頃に飛行機組は帰国の為仁川空港に向かった。
残った私達3名と通訳の朴さんはソウル駅から少し電車に乗り、楽しみにしていたNANTAを観に行った。
NANTAはコックさんが包丁で野菜を切ったりまな板を叩いたり、いろんな台所にある物を使ってリズムを出したりするパーフォマンスで、リズムも面白いがお笑いも最高に楽しい。
内の1人のSさんは舞台に担ぎ出され、韓国の昔の花嫁衣裳を着せられ結婚までさせられてしまった。
NANTAは5つぐらいのチームに分けられて公演しているのでまた機会があったら是非に観に行きたい。

韓国ではいろんな店に食事に連れて行って戴いたが、どの料理も大体辛くそれにいろんな種類のキムチが添えられて来る。
確かにどれも美味いがすぐに汗も噴出して来るし鼻水も出てくる。
辛いが次の食事の時はまた真っ赤なキムチに手を出してしまうから不思議である。
ただ肉も出てくるがそれ以上にいろんな野菜が一杯出て来るので健康には良さそうだ。

帰りはまた高速道路を450km南下釜山に向かう。
楽勝だと思ってたら釜山港でまた道に迷う。
かなり重症、港が入り組んでいるのとたくさんの貨物船の埠頭があり訳がわからない。
いろんな人に道を尋ねるが、大体の方向だけで詳しくは誰も知らない。
余裕をみて出発したのにとうとう乗船時間に間に合わなくなってしまう。
フェリー会社に電話して取り合えず搭乗が遅れる旨を伝える。
そしてタクシーを捕まえそれに1人乗り、その後をハイエースで追いかけた。
埠頭に着き、乗船手続きそしてカルネの照合。
文化交流の側面から簡単に済ましてくれたので、無事帰国にたどり着く事が出来た。

大変だったが、楽しい旅だった。

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