最初に吉備津神社の代々続いた賀陽宮司の屋敷跡に
それから葦守八幡神社この辺りにも秦氏の集落があったと思われる。実は八田(はだ)と言う字(あざ)を探しに行ったのだが見つからず 地区の公民館で郷土史に目を通すと八田はわからなかったが、土田と言う処も秦氏とゆかりのある地だと記載されていた。そしてその時は「つちだ」としか読めなかったのだが、家に帰ってから「はた」だと気付いた。私が住んでいる長船にも土師という処があり「はじ」と読むからだ。
葦守八幡神社からは少し北に上がり二宮鼓神社に行った。鼓と言う字にも前から気になっていたので行けて良かった。
そこから鬼ノ城の麓にある阿曽の集落 そして血吸い川の上流から南下してみた。今日は前にも行った総社市の秦に行き そこから秦氏とも大きく関わってるであろう正木山に登ろうと思っていたが夕方になったので止めた。またの機会に。
葦守八幡神社
二宮鼓神社
血吸い川から阿曽の里を見る。
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