2010年11月30日火曜日

演劇

今回、岡山市民による演劇、ダンス、音楽、美術などの合わさって総合芸術を作ろうというプロジェクトが立ち上がった。

市民参加型のイベントはこれまでにも何回かあったように思うが、今回は継続的に作り上げて行こうというものだ。
主催は岡山のルネスホールである。

まずは来年3月26日にルネスホールでの公演が決まった。
作品名は「シェイクスピア X 温羅伝説」と言う。
台本はまだ出来てないらしいが、私も全く想像がつかない。

今この参加者を募集している。
またこの準備として4回に渡ってアートスクールなるものも開かれている。
テーマは演劇、音楽、即興劇、ダンスだ。

私は音楽のスタッフとして関わる事になったので、音楽のスクールを覗いてみた。
講師は古0さんと言い、アラビアン音楽専門の人だ。
私の10年来の知人でもあり、共演した事も何度もある。
どんな授業をするのかなと楽しみにして行った。
スタジオみたいな所であったのだが、床にはタンバリンらしき物やフレームドラム、ダラブッカなど一杯置かれていた。
まず最初に古0さんによる楽器の一通りの説明と模範演技があった。
それからがユニークで、参加者が20名程いたのだが、みんなに好きな楽器を選ばせ、なんでもいいからミュージシャンに成り切って1分30秒の演奏をせよというものだった。
おそらくミュージシャンは一人もいなくて、演劇志望の方々ばっかりだったように思うが、皆さんそのパーフォーマンスたるや実に面白かった。
囚われない楽器の使い方、楽器を持って唄う人、踊る人、即興でここまでするとは役者って凄いなぁと改めて思った。
私も参加している為、演奏せざる終えなかったのだが、やりにくい事この上ない。
打楽器が専門の私は下手にぼける訳にも行かない。
結局ダラブッカの演奏を直球でするしかなかった。
幸い善良なる岡山市民演奏後には拍手をくれた。
こうして楽しく音楽のスクールは終わった。

12月末にはキャスティングも決まり、来年早々練習に入りそうである。
私もこんな芸達者な皆さんとの共演楽しみだ。

2010年11月27日土曜日

秋晴れ

今朝も雲一つない秋晴れだ。
東に太陽、西に下弦の月が薄っすら出ている。
我が道場の周りの山々も紅葉し、鳥達も啼いている。
のどかだ。

うちの牛猫モーも秋になり食欲も凄く、餌を与えて食べた後でも他の人が来ると「僕食べてないよ。」的顔をしてせがむ。
困ったものだ。
おかげで太りに太り、上から見ても腹のラインが外に大きくカーブしている。
牛の原型だ。
そのうちにおっぱいが出るようになるだろう。

今日は鼓空の初期のメンバー2人とホテルでの仕事に行く。
先日久しぶりに音合わせをした。
熱い感じは昔ながらだ。
まあ今日も仕事とは言え楽しんで来たいと思う。

2010年11月23日火曜日

高野山

四国八十八ヶ所の巡礼を無事に終え、第1番札所の霊山寺にお礼に行き、その足で鳴門海峡を越え、淡路島を通り高野山に向かった。

山陽道、近畿道を抜け、松原の近くになると、この日朝早くに起き、一日中車で走り、よく歩いた事もあって眠気に誘われた。
だがその時高速道路から偶然天然温泉の看板が見えた。
私は巡礼中はいつも車中泊だったので寝る処は決めていなかった。
しかしこの松原天然温泉は長旅を終えた私には嬉しかった。
中に入ると、そこは健康ランド。
受付に行くとサービスデイとかで1000円でいいと言う。
私はとてつもなくここが気にいってしまった。 (この時は・・・)

早速腹も空いてたので、レストランで食事。
寿司とそばのセットを頼む。
それから安心のあまり、ビールの中ジョッキを注文。
五臓六腑に染み渡り、軽く酔いが廻る。
廻って良いのだ、長旅が終わったのだから。

少し落ち着いた処で風呂に行く。
私の好きな寝転びジャグジーバスがある。
誠に持って気持ち良い。
ここの天然温泉は炭酸が入っている。
細かな泡が次々浮かんで来る。
ラムネ温泉とも言うそうだ。
いつもながら、全部の風呂に入ってみる。
露天風呂は外気と風呂の温度差がかなりあった。

一通り堪能した処で寝床探し。
テレビ付きの背もたれが倒れる椅子が空いてたので、これに決まる、完璧だ。
明日は何時起きでも良いと思い、あえて携帯のアラームもかけず。
ボーとテレビを観てたら、またもや睡魔。
テレビを消し、毛布に潜る。

そして悲劇は始まる。
寝たのが10時30分。
夜中1時45分に何者かが私の肩を叩く。
「お客さん閉店の時間ですよ。」
なんたる事か、館内にはほたるの光が流れている。
そんな馬鹿な。
普通健康ランドは朝まで寝ても良い筈だ。
2時でお終いの店がどこにある?

まあとは言え、周りの人もいないし、これが当店のやり方だと言われれば、敢えて言葉も出ず。
眠い目を擦りながら着替えて外に出る。
どこで二度寝しようかと考えたが、とりあえずは高野山の方向に向かい、良い処で寝直そうと思う。
室内灯を付けてもまだ暗い車の中で、これ以上詳しい地図は無いと自慢のスーパーマップルを見る。
しかしながら高速道路沿いに走っていると、何だかおかしい。
よく見ると南阪奈道とかかれている。
南阪奈道、そんな名前聞いた事も無いし地図にも載って無い。
私はてっきり阪和道沿いに走っているつもりでいたので、見当違いも甚だしい。
考えてみればこの自慢のスーパーマップルも10年前に買った物だ。
10年前の真実は今の真実とは異なると言う事か。
地図による混乱はこの後にもある。

結局阪和道で泉南まで行き、西から高野山に登る事にしたのだが、泉南から途中通った紀ノ川市も載って無いし、合併によって広くなった橋本市、明らかに地図の方向と標識の方向がずれているのだ。
地図はやはり新しい方が良いかも。

まあ阪和道を使ったお陰で岸和田のPAで3時間ちょっと寝た。
7時30分に起き出発、1時間程一般道を走って高野山に入る。
頂上の高さは1000m、四国の紅葉も綺麗だったが、高野山の紅葉も綺麗だ。
まだ朝も早いので葉の1枚1枚から蒸気が上がっている。
やはり早起きはするものだ。
夜の深酒などはもっての他だ。

長い山道をやっと高野町に着いた。
ここには117のお寺があり、参拝者をもてなす店が立ち並び、門前町だ。
私はまずは弘法大師の御廟のある奥の院に向かった。
入り口から御廟までは2kmの道のり。
参道の両側には皇室、大名、各宗教の聖人から多くの会社、個人まで20万以上の墓が並んでいる。
御廟に着くとこの日は21日でお大師様の日と言う事で法要が行われた。
私は読経と四国巡礼が無事終わった事の報告とお礼を述べた。

奥の院を出てからはゆっくり金剛峰寺や壇上伽藍を参拝した。
しばらくぶらぶらしてると大師教会という建物があり、そこの玄関に偉いお坊さんが戒を授けてくれ、説法をしてくれるという紙が貼られてた。
私も折角高野山に登ったし、料金も500円だったから興味半分で申し込んだ。
待合所ではもう25名ぐらいの方がいた。

時間が来てお坊さんが受戒堂なる処に案内してくれる。
堂に入るとすべての戸は閉められた。
中は蝋燭の火だけ、暗くて隣の人の顔もよくわからない状態。
終わるまでは何があっても出られないと言われる。

お坊さんの案内で阿じゃ梨さん(じゃは門構えの字だが無い)が入室され弘法大師さんの額の前に座られた。
顔も全く見えない。
ここで菩薩十善戒を授かった。
この後説法があり、最後に一人づつに、菩薩戒牒なる札をお渡しになられた。
私も3段なる足踏みを登り、阿じゃ梨さんの前に座り、手渡しでお札を戴いたのだが、この時もお顔は一切見えなかった。

今まで経験した事の無い感じだったが、これが密教なのだろう。
有り難い感じで散歩してるとお茶の接待があったのでよばれた。

私はこの高野町のどこかで奉納の太鼓を叩きたいと思った。
しかしどこにもたくさんの寺院があるし、民家もある。
しばらく探した処、高野町から龍神町に向かう旧道があった。
人通りもほとんど無いし、人里からは少しだけ離れている。
ここだと思い車から太鼓を降ろし台に乗せる。
しかし思い切り叩くには憚られる。
私は少し音を小さめに、しかし力強く叩こうと思った。
多分仏さんは小さくても聞いてくれるような気がしたのだ。
20分ぐらい叩いた。

太鼓を叩いた後しばらく車を走らせていると、線香を作っている作業所があり、そこに広い駐車場があり、ご自由にお使い下さいと言う看板が立っていた。
作業所は日曜日で休みならしい。
私は今度はダラブッカを出し、思い切り叩いた。
すっきりとした気分になった。

帰りはまた大阪まで2時間の道のりだ。
お腹が空いてきた。
南大阪を走っていると、く0寿司があった。
私は回転寿司しかないと思って行くと長い行列、店の外にまで並んでいる。
ここでずっと待つのはきついと思い、また車を走らす。
するとまたまたく0寿司がある、今度こそはと思い入ると、なんと1時間30分待ち、お客さん達良く並んでいるものだ。
しかるに私はまたまた断念。
また車を走らせていると今度はス0ローがあった。
中に入ると待ち時間15分。
私はカウンター指定だったので5分で席に着けた。

どうやら南大阪では人気はく0寿司の方が勝ちのようだ。
まあ私はそんな事はどうでもよく、いかいかい えんがわ いかいかい うに と一杯食べた。

楽しい旅になった。

2010年11月22日月曜日

結願

今年5月から週末を使い、廻った巡礼の旅も5回目になる。
今回は最初が第78番札所の郷照寺、瀬戸大橋を渡ってすぐの処にある。
土曜日の朝、家を5時30分に出発。
途中コンビニに寄って、肉まんとサンドイッチと午後の紅茶を買う。
こんな朝早くから午後の紅茶を飲んだら、体調を崩すのではちょっと心配。

瀬戸大橋を渡る頃夜が明けてくる。
郷照寺に着いたのは7時前、なかなか良い感じだ。
参拝を終え、納経所で墨書、御朱印、本尊の御姿を戴く。

続いて天皇寺、国分寺へと向かう。
国分寺には綺麗な弁財天も祭られていた。
音楽、芸能の仏様なので手を合わせる。

次は五色台にある白峰寺と根香寺に行ったのだが、秋晴れの中の紅葉が鮮やかだった。
本当に五色に輝いていた。
私としては夏に続けて来たかったのだが、いろいろ忙しくと来れなかった。
しかし結果良かった。

続いて一宮寺そして屋島寺、八栗寺と廻る。
眼下に源平合戦の古戦場が見える。
今は陸になっているが、昔は入り江だったらしい。
何もこんな景色の良い処で戦わなくてもと思う。

続いて第86番札所の志度寺、第87番札所の長尾寺を参拝する。
そしていよいよ最後第88番札所の大窪寺に入る。
ここには結願したお遍路さんが置いていった杖がたくさんあった。
私もお参りをして、ほっとした気持ちになる。

しかしながらお遍路さんは結願した後には、最初お参りしたお寺か高野山または両方のお礼参りに行くらしい。
私もまずは徳島鳴門にある第1番札所の霊山寺に向かった。
到着したのは4時30分、ぎりぎりだった。
最初に来たお寺だけに懐かしい。
四国巡礼のお礼の参拝をし、納経所でご苦労様でしたの言葉と記帳をして戴いた。

そしてこの後淡路島を通り高野山に向かった。

続く。

2010年11月18日木曜日

相撲

相撲と言えば白鵬が双葉山の連勝記録69に挑戦し、今回は結果63に終わった事が大きな話題になった。
私も熱烈な相撲ファンではないが、テレビ中継をしているとついつい見てしまう。

そして昨日は白鵬の事ではなく、新たな発見をした。
今まで数限り無く相撲は見ていると思うが、昨日は相撲の力士ではなく行司に目が行った。
こんな事は初めてだ。
そして非常に面白かった。

力士を一切見ないで行司だけを見る。
すると行司の動き、掛け声のタイミング、視線、そして相撲の決着がついた時、すぐに勝ち力士の方に軍配を挙げる素早さ。
どれを見ても凄い。

皆さんにも一度は力士を一切見ないで行司だけを見る事をお薦めしたい。

2010年11月14日日曜日

旅の本②

前回とろんさんの本について書いたが、今回はナナオ・サカキさんの本について書きたい。

ナナオさんの事はインターネットにも紹介されているので、簡単に書き写してみる。
大正12年鹿児島生まれ。
家や定職を持たず、電話も持たない放浪生活をしながら、国内外を歩き詩人やアーティストと「部族」という集団生活の創立にも関わった。
また詩や朗読を通して環境保護や反戦などの政治活動に加わり、海外でも名を広めている。

彼の名前を知ったのは私が20代半ばの頃だった。
「菩薩」と言うバンドの属し始めた頃でメンバーは彼の事は良く知っていた。
彼が詩人であり旅人である事を聞いて、私もずっと会ってみたいと思っていた。
しかしながら、なかなかその機会に巡り合えなかった。

やっと会えたのは6年程前に三重県の長良川下流の河川敷でピースギャザリングがあり、その時だった。
たくさんのキャンプテントが張られて入る中、やはりヒッピーのミュージシャンである内田ボブさんと話をしている彼に会った。
彼は思ったより大柄な人だった。
しばらくの間、話をする事が出来た。
彼はいろんな所を旅しているが、土地の事や人の事等その暗記力の良さには驚かされた。
私が彼に会ったのはこの時が始めてで最後になった。
3年程前、長野の大鹿村と言う処で亡くなったのだ。

私は去年おそらく彼も何度も立ち寄ったであろう東京の西荻窪にあるプラザード書店に行った。
ここの本屋にはここにしか無い宗教関係の本や精神世界の本が一杯置かれていて、私も20代の頃はよく行っていた。
久しぶりに寄ったのだが、その時ナナオさんの「犬も歩けば」という本が追悼の意味も含めて置かれていた。

それを今また読んでいる。
この詩集はアメリカの大地、沖縄西表、知床、信州、東京国分寺等いろんな所で書き綴られた詩が載っている。

もう一度彼の生き方に深く入って行ければと思う。

2010年11月12日金曜日

旅の本

読書の秋だからと言う訳ではないが、久しぶりに本を読んでいる。
2冊あって著者の2人ともよく知っている人だ。
2人ともヒッピーの草分け的存在だ。

最初に読んだのはとろんさんと言う人の「とろんのダイジョーぶ経典」
彼とは1999年に玉野で開かれた「ありがたや、お月さん」と言うイベントで一緒になった。
会った時、身なりといい長いトレッドヘヤーといい、よくもまあこれまでこの社会で生きて来れたものだなぁと感心した。
彼は尺八や笛の奏者でもあるのだが、その時は司会もしてて、その話のユニークさにも惹かれた。
そしてその翌年2000年に長野で開かれた「命の祭り」で彼が担当しているステージが有り、そこに呼んでくれたのだ。
彼はもともと岡山の総社の出身だったが、若い頃より、ネパール、インド、タイ、アメリカとずっと放浪の旅をして来た。
日本にいる時も東京の国分寺や荻窪などヒッピーの集まる場所に出入りしてた。
彼は若い時から賃金労働というものを拒否し続けている。

昨年彼の両親の看病の為に帰って来た。
奥さんと総社宮の側に小さいなアクセサリー、軽食の店を出した。
2階には一間だが、宿泊も出来るスペースがあった。

私達もちょうど国文祭の時に泊めて貰った。
一人1泊1000円と破格でしかも店にあるビールや焼酎は好きに飲んでいいと言うから、なんて商売っけの無い人達なんだと思った。

この店に先程書いた「とろんのダイジョーぶ経典」があったので買わさせて貰ったのだ。
女性達との旅や暮らしが赤裸々に書かれている旅日記で、至る処で大笑いした。
今朝彼に電話で本を読んで面白かった事を伝えたら、大変喜んでくれた。
そして電話のタイミングの良さにも喜んでくれた。
実は彼等は来年の7月までまたタイとインドを旅する事になっていて、今日東京に向けて出発する処だった。
家の電気のブレーカーを落とす直前だったらしい。
旅の無事を祈り、また帰国後一緒に遊ぼうと話した。

とろんさんの本を読んだ後、今度はヒッピーなら誰でも知っている、ナナオサカキさんの詩集を手に取った。
この話はまた後で。

2010年11月9日火曜日

携帯電話

秋も深まりつつある今日この頃である。

私は太鼓の指導に行ったり、ライブに行ったりはしているが、精神的には重圧から開放され楽に過ごしている。
昨日4年程使っていた携帯電話が画面の接触が悪くなり、新しいのに買い換えた。
まあ新しいとは言え、今月末には新機種も出るらしいので一つ前の型だ。
最近は携帯電話もインターネットの要素がどんどん増えているみたいだ。
少し待てばとも思うが、前の携帯が完全に壊れてからでは遅いので買う事にした。

今では当たり前になっているワンセグもあるし、他の機能も以前のよりは充実している。
私としては電話がかけれ、メールが出来ればほぼ満足で、たまに写真を撮ったり、インターネットで検索するぐらいである。

現代は情報を得る事に関しては凄い発展をしている。
しかし遅れている私が言うのも何だが、便利を追求するあまり、失って行く物も多いような気がする。
頭で理解した事が決して全てでは無い。
汗水垂らしてのみ、理解出来る事の方がはるかに多い。

私もついつい便利な方向に意識が向くが、気を付けたいと思う。

2010年11月6日土曜日

のんびり

国民文化祭での私達の務めも無事に終わった。
いろんな面で緊張感が続く毎日だったが、今はそれから開放され自由になった感じだ。

昨日はヨガに行ったり、河川敷でサッカーボールを蹴ったりして過ごした。
また今日は暖かい秋晴れだったので鼓空のメンバーのやっている自然農の田畑を見に行った。
無農薬、無肥料で始めたばかりなので、まだそんなには収穫が無いが、徐々に土が豊かになって行く筈なので、その内に健康的な野菜が取れ始めるだろう。

明日は新見市の方でライブがあるが、今晩は酒でも飲みながらゆっくり過ごそうと思う。

2010年11月4日木曜日

洋舞フェスティバル

昨日国民文化祭の「洋舞フェスティバル」が倉敷市民会館であった。
今回の洋舞とは現代舞踊とバレエを指している。

本番はまず岡山」の現代舞踊による「COCOON」から始まり、埼玉、愛媛、岩手、北海道、京都、山口、静岡の方々の舞台が続いた。

そして最後に岡山のバレエ「夢かける」だった。
「夢かける」は倉敷の大原美術館創立の80周年に合わせてそのできて行く様子を表した作品だ。
大原孫三郎、児島虎次郎、奨学生達の話そして美術館に展示されているモネの「睡蓮」や「柳」「青い鳥」「扇の童女と笛吹き」また棟方志功の「門舞神」等をバレエで表現する。

私達は孫三郎が奨学生達を海外に送り出す場面。
孫三郎と虎次郎の夢を共有する場面
棟方志功の門舞神(神々の世界」
の3場面の演奏を受け持った。

演奏する場所は舞台前のオケピット(バレエ等でオーケストラが入る場所)だった。
私達は上手側で下手側には邦楽の方々が入られた。

今回はすべてが大掛りで天井から大きな造作品が降りて来たり、絵画を浮き上がらせたり、昔の倉敷から美術館ができて行く処を映し出したりと照明、音響、大道具さんのタイミングも非常に難しかった。
ただ舞台の総合的な演出がしっかりしていたので、皆でそれに合わせて行くという感じだった。

本番ダンサー、バレエリーナ達の踊りは皆素晴らしかった。
私達はオケピットの中から観ているのだが、作品の中に吸い込まれて行く感じだった。
おそらくお客さん達も同様だったんではないかと思う。

最後のカーテンコールが閉まるとバレエリーナ達も泣いていたし、先生方も泣いていた。
この1年以上懸命に練習し、作り上げて来たのだから感慨も一入だったのだろう。
前を踊る主役の子達も後ろで皆で合わせる踊るコールドバレエの子達も皆綺麗だった。

こんな作品に立ち会えて、私達も幸せだ。

2010年11月1日月曜日

和太鼓の競演

国民文化祭の「和太鼓の競演」が土曜日曜とあった。

私達も木曜から準備に入り、金土と泊り込みだった。
1年以上前から企画してきたが、当日は台風直撃の可能性。
幸い進路が変わり、速度も速くなったので、難は逃れる事が出来た。

土曜日は岡山県内23グループの演奏、ゲストはGONNNA。
どこのチームも気合が入って良い演奏だった。
勿論その中、鼓空も演奏した。
曲目は「清流」と「華」
太鼓は出演団体も多くセット、ハケが大変なので、用意された太鼓を使う。
鼓空は私のソロから始まるのだが、どんな太鼓が来るかわからない状態。
しかし3点セットの真ん中は、鼓空の太鼓が用意されていた。
おそらく気を使って戴いたのだろう。
演奏はまずまず押さえれたかなって感じ。

私は2日間スタッフとしても入っていた。
役は直前説明、内容は各団体の演奏の前に舞台の出入りや音だしきっかけ、ハケのタイミング、マイク関係等の説明をする。
5人で担当したのだが、チームワークも良くスムーズに進行する事が出来た。

日曜の朝は外のステージで子供達や障害者の演奏があった。
私達が教えている御休和太鼓クラブとWA!の会も出演した。
2つとも場に動じる事も無く精一杯の演奏をした。
彼等にとっても良い経験になったのでは無かろうか。

午後は県外の8団体を迎えての舞台。
今回は鬼に関係のある団体が来てくれた。
「ようこそ岡山へ」って感じだ。
合間合間にモニター越しに拝見したが、どこのチームも特色があり面白かった。
ゲストは志多ら、GONNAもそうだが、客を乗せるのが旨い。

こうして無事「和太鼓の競演」は終わった。
とりあえず1段落、ほっとしている処。

しかし今日午後からは気分を完全に変えて、バレエのモードに入らなければならない。
最終リハが倉敷市民会館である。

後3日間頑張りたい。