2011年3月31日木曜日

台湾公演

昨日台湾から帰って来た。 
今回は台中市の主催する「免躍芸百 2011台中女馬祖国際観光文化節」という祭りに出演した。 ちなみに女馬は一字であり女馬祖でMazuと発音するらしい。

3月22日朝3時前に三美一体の花みずきのメンバーが我が道場に来てすぐ関空に向けて出発。搭乗手続き後、9時15分のJALで台北に飛んだ。
空港では蔡さん親子が向かえに来てくれていた。
台北から岡山市の姉妹都市新竹市で食事をし、台中に向かう。
この日はこの後ゆっくりできたが、翌日23日から帰る前日28日までは毎日舞台が続いた。
6公演である、25日からは鼓空のSさんも加わった。

演奏する場所は台湾の人達の信仰を集めているお宮さんの前の特設ステージ。
どこのお宮も大きく赤白を基調に緑、黄色が入り鮮やかだが装飾は細かい。
毎回私達の前に台湾のバンドや太鼓チーム、民族音楽の人達が演奏する。
どの演奏も楽しく拝見した。
 私達のステージは清流、花みずき、瞬、きずな、鬼太鼓、紫の光、舞の順だった。
清流と紫の光、舞は鼓空の曲で瞬は私のソロ、花みずきときずなは傳三郎太鼓さんの持ち曲だ。台湾行きの話が決まったのは3月になってから、それから4回ぐらいの音合わせで本番を迎えた。

最初は時間の無さに不安もあったが、流石に若き三美一体の吸収力は凄く、あっと言う間に私達の曲を覚えた。
彼女達の花みずきはユニット名になっていて息もぴったしだったので、私達は加わらず、きずなで共演をした。
どこの舞台でもお客さんが凄く喜んでくれ、拍手を一杯くれた。
行った甲斐があった。
日本の地震、津波、原子力発電所の問題を心配してくれた方も多かった。
いきなり私の前に来て手を合わされる方もおり、私もやっと拝まれる立場になったかと思ったが、実はそうではなく、お悔やみを言っておられたようだ。
毎日続く舞台だが、昼の空いている時には買い物をしたり、コーヒーを飲みに行ったり、孔子廟や台中公園に行ったりした。

食事は朝はホテルのバイキング、夜は最初舞台の前に弁当を買って来てくれていたのだが、これはご飯の上に牛肉や豚肉を揚げた物が載ってたのだが、少し油が強く、皆食欲が湧かなくなったので、後半はしゃぶしゃぶやすき焼きに連れて行って貰っていた。
あと地元の人達がいつも食べている豆や米粉で作っているお粥ト豆醤(トウチャ)米醤、小ろん包等は疲れた胃にも優しく美味しかった。

台湾の人達とのコミュニケーションだが、英語はごくごく一部の人しか喋れない。
日本語はある程度年配の方なら喋れる人もいる。
多くは蔡ママが台湾語と日本語の橋渡しをしてくれた。
言葉は通じにくいが台湾の方々は本当に優しかった。
私が毎日顔を合わせていたホテルの守衛のおじさんにちょっと飲みに行って来るわと手を口に当ててジェスチャーをしたら、すぐ手招きをしたから行ってみると58度の台湾の酒をくれたり、その後もお茶の接待をしてくれたりした。
バスに乗った時、降りる場所がわからなくなり地図を見ていたら、すぐ2人の方が教えに来てくれた。
またホテルへの帰りに道に迷い消防署に入って聞こうとしたら、すぐ電話を取り、タクシーを呼んであげると言ってくれた。
その他にも人の優しさに触れる機会は一杯あった。

今回の台湾公演では呼んでくれた蔡ママと3兄弟は勿論、鬼の面を茶屋町鬼太鼓さんに、据え置き太鼓は台中の太鼓チームに締太鼓、桶胴太鼓は台北の太鼓教室でお借りした。
皆さんの協力があって初めて実現した。
感謝したい。

シェイシェイ

2011年3月21日月曜日

台湾

明日から8日間台湾に行く事になっている。
前回は台北だったが今回は台中だ。
私のイメージではのどかな自然が拡がっている感じがするのだが、どうだろう?

朝3時にふじた傳三郎太鼓さんの三美一体(本当は花みずきと言うユニットだが、3人とも名前に美が付くので私が勝手に呼んでいる)がうちの道場に集まり、すぐ我がハイエースで関西空港を目指す。
9時15分の飛行機で台湾に飛ぶというわけだ。
5~6箇所での公演になるが詳しい場所はまだ知らない。
市の名前もホテル名もわからない、まさに出た処勝負。
可笑しな感じだが、あちらのプロダクションの方は信頼できる人達なので全く心配はしていないし、より旅らしくて良い。

台湾からは今日本に救援隊が来てくれている。
また多くの人達が日本を心配してくれていてたくさんの募金が集まっているそうだ。
私も舞台の上で何らかのお礼が言えたらと思う。

まあこう言うわけで暫くブログはお休みするが、帰ったらまた旅日記を綴ろうと思う。

2011年3月16日水曜日

地震これから

今回はこのブログの更新も遅れてしまった。
もう日本中すべての人が注視している地震、津波そして原発に私も与えられる情報に釘付けになっていた。
自然と言うのはやはり人為では計り知れないものである。
原発については以前から多くの人が指摘してきたように人の手に負えないものだ。
あらゆる事を想定して造られた物だから安全だという人の欺瞞が崩された。
しかしながら起きてしまった以上、最小限の被害であって欲しい。
今原発の中で必死で働いている皆さんも命がけだろう。
早い終息を祈るばかりである。

今私達に一体何が出来るのだろうと多くの方が考えておられよう。
現状では食料、水、医薬品、ガソリンを初め多くのものが全くの品不足となっているそうだ。
しかしながら物資を送る事やボランティアに入る事は今はしない方が良いらしい。
緊急車両が通れなくなったり、ボランティアの人もそこで生活する以上被災地の負担になるからだ。
節電も私も僅かではあるが始めてたが、有効では無かった。
東北、関東方面とこちらでは電気の形式が違い、送電出来ないのだ。
トランスで変換する事は可能だが、圧倒的にトランスが少ない。

で改めて今私達に出来る事だが、募金、献血ぐらいかなと思う。
またこれからは被災者が一時的でも移住する所が必要だと、その情報を集める動きも出始めている。
かって神戸の地震の時は岡山の牛窓にも被災者の方々が来られていた。
東北から岡山は神戸と違って遠いが縁故を頼って来られる方もおられるかも知れない。
一応情報は集めておこうと思う。

今日は寒い、さっきこの岡山でも雪が散ら着いた。
被災地に早く食料と暖が取れるようになって戴きたい。

2011年3月11日金曜日

ピーマン

我が頭は今ピーマン状態だ。
空っぽで何も考えられない。
今月末の台湾公演、4月の静岡土肥での菜の花舞台、5月の韓国公演、鼓空だけではなく、他のグループとの共演が多い。
また舞台の事だけでなく、飛行機、フェリーの手配もなかなか大変だ。
あれやこれやと考えていると頭がこんがらがって思考停止になる。
頭がもう考えたくないと私の意志に反して拒否反応を起こすのだ。
簡単なブラックホール状態。
まあ私の場合はピーマンぐらい。
各成る上は目先の事だけに捕われて生きよう。

2011年3月7日月曜日

ほっと一息

昨日いつも行っている加茂町の文化センターで「加茂の陣」なるコンサートがあった。
前にも書いたが「加茂の陣」は津山鶴丸太鼓さんが主体となって毎年この時期に開かれている。
これに私が指導している作州矢筈太鼓が出演させて戴く事になったのだ。
今まではメンバーものんびりと練習をやって来たのだが、この2ヶ月は今までに無い集中力で頑張っていた。
あまりの集中、緊張で皆顔が引きつっていた。
リハーサルの時にはそれもピークに達し、普段なら有り得ないミスも続発。
4曲あるのだが、構成的には前の2曲がストイックな感じで後の2曲はお客さんにも楽しんで貰う曲にしていた。
だがメンバーは4曲ともストイック、笑顔などとても出て来ない。
お客さんはどうすれば良いのか。

そして迎えた本番、トップバッターだった。
私は祈る気持ちで客席最後部の高い処にいた。
内容は小さいミスは幾つかあったし、笑顔こそ出なかったけれど、それでも今までに無い良い演奏だった。
女性3人は年数は重ねているが、こんなに緊張感のあるステージは初めてだし、男性2人は入ってまだ間が無い。
本当に無謀だと言えば無謀だった。
しかしきつい中にも上昇の兆しがあった。
演奏が終わった時にはメンバーの目には涙が溢れていた。
良い経験をした。

矢筈の後は津軽三味線の二若社中さんののの三味線、太鼓、民謡があり、最後は津山鶴丸太鼓さんのステージ。
小さい子から年配の方まで必死に太鼓に向かう。
体を張った動きは観ていて気持ちが良い。
新しい技も幾つか出た。
進化してるなぁと言う感じだった。

私も今日は夕方教えが入っているが、それまでのんびりしたい。

2011年3月4日金曜日

台湾公演

今月末に8日間台湾に行く事が急遽決まった。
呼んで戴いたのは一昨年にやはり呼んで下さった蔡さんと言う方が経営するプロダクションだ。
前回は台北で5箇所の公演だったが、今回は台中で5箇所だそうだ。
ただあまりに急な話だし、うちのメンバーも年度末である事や5月には韓国公演が控えている事もありなかなか都合が付かない。
結局うちと岡山の藤田傳三郎太鼓さんとの混成グループを作る事になった。
最初に私と傳三郎太鼓さんの打ち手3名が行く。
そして3日遅れて鼓空からもう1人加わると言う方向で昨夜やっと決まった。
台湾の蔡さんもこの過程の中、心配になり息子さんと共に昨日岡山に来られた。
私も泊まり先のホテルに行き、お会いした。
やっと表面上は形が付いたので、皆さんほっとし談笑となった。

しかし実際問題はこれからだ。
1回のステージが40分。
前回は鼓空から5人行ったので私達の持ち曲だけで通す事が出来た。
しかし今回はそうは行かない。
まずは傳三郎さんと私の4人のステージを考えなければならない。
時間はあまりない。

どんべえのきつねう~ドン。
3分で出来上がり。

2011年3月1日火曜日

加茂の陣

加茂の陣とは毎年津山鶴丸太鼓さんがこの時期県北の加茂で開いているイベントである。
この度私が指導している作州矢筈太鼓がこのイベントに参加させて戴く事になった。
作州矢筈太鼓は14年前に加茂の商工会の婦人部の人達によって結成された。
最初は20人程メンバーがいたが、もともと年配の方々が多かったので徐々に辞めていかれ、終いに3人になってしまった。
今まで地元の祭りや慰問や文化祭にはちょくちょくは出ていたが、大きなイベントには出た事が無い。
今回3人とは言え14年続いたからにはコンサートらしいイベントに出られたらと、鶴丸さんや商工会関係者にお願いしたわけである。

しかしお願いしたものの矢筈太鼓は今まで和気藹々楽しくやってきたグループである。
他のグループに比べたらいささか緊張感にかけるのは否めない。
だが出演すると決まった以上、お客さんも大勢来られるわけだからそれなりの演奏をする必要がある。
昨年の暮れ当たりからメンバー達の気持ちが否が応にも高まって来た。
ちょうどそんな折りに矢筈太鼓に快挙が起きた。
商工会婦人部のグループに男性2人が入って来たのである。
前は女性にこだわっていたが、3人となった今そんな事ばっかり言っておられない。
メンバーが増えるのは嬉しい事だ。
男性の1人は和太鼓ではないが、打楽器の経験者なので教える事はすぐ理解してくれる。
もう1人はこの方に誘われ入ったケーキ屋さんである。
こうして矢筈太鼓は5人となった。

でコンサートにどのように取り組むかだ。
私としてはこれからの矢筈に期待して無謀ではあるが、男性2人にも舞台を踏ませたいと思っている。
加茂の陣は来週日曜日3月6日だ。
メンバー達も未だに無い程の集中力で臨んでいる。
私も月1回のペースで教えに行っているのだが、2月は5回行った。
まだまだ心配である。
明日そしてコンサート前日にも教えに行こうと思っている。
出来るだけの事をして少しでも良い演奏をして貰いたい。