2011年6月28日火曜日

チェルノブイリ

サンフランシスコの対岸のバークレーに住む友達比早子さんからチェルノブイリの原発事故の表立っていない情報、記録が入って来ました。
福島の状況に近い部分が多々あるので読んで戴ければと思います。

以下彼女からのメールです。


皆様、

Hello everyone,


チェルノブイリで原発事故処理作業に従事した科学者、ナタリア・マンズロヴァが、原発事故の過酷な現実を語る 「Hard Duty」 パート1の日本語訳が下記のリンクでご覧いただけます。


福島原発事故後の日本と世界を考える上で、とても重要なことが書かれていると思います。被爆による被害が少しでも軽減されるよう、よろしければお知り合いの方々にもナタリアの経験をお伝えください。パート2もまもなく翻訳が終わります。


― 大羽比早子http://www.zenplanning.com/nuke/HardDuty/

The below is the Japanese translation of “Hard Duty ? Part 1”in which one of

the scientists worked in Chernobyl for cleanup of the disaster, Natalia

Manzurova, describes the severe reality of nuclear accident.


She is talking about valuable facts that help us think about the situations in

Japan and the world after the Fukushima Nuclear Accident. To reduce the effect

of radiation exposure, please share the experience of Natalia with your friends.

The translation of Part 2 will be done soon.  

― Hisako Oba

English version: ”Hard Duty” (C)Copyright, 2006 Natalia Borisovna Manzurova &

Cathie L Sulliva,

http://www.zenplanning.com/nuke/HardDuty.pdf 



「Hard Duty」より抜粋:

From “Hard Duty”

キャシー・サリヴァン: 政府の対応はあまりに貧弱で遅く、批判に対する恐れから機能不全になっていた。事件直後10日間のニュース規制により、多くの人々が被曝から身を守るために必要な情報を手にすることができなかった。

The government response was too little, too slow, and crippled by fear of

criticism. An immediate 10-day news blackout left thousands of people with

inadequate information on protecting themselves from radiation.


ナタリア・マンズロヴァ: 多くの場合、致命的な被曝は、高濃度の放射線領域から離れるよう警告する計器がなかったために起こりました。

Often the fatal radiation exposures were for lack of monitors capable of warning

them away from high radiation areas.

2011年6月24日金曜日

避難②

急に暑くなった感じだ。
ちょっと作業をしたり、太鼓を叩いただけで汗びっしょりになる。
着替えばかりしている。

前に書いた千葉のいすみ市から避難されて来た天然酵母のパン屋さんはとりあえずは内の道場の近くの香登という処で仮住まいをする事になった。
先日家財道具と小麦粉を1.2tを引越しした。
小麦粉は震災前に仕入れていた物で、暑くなる前に早く低温倉庫に入れる必要があった。
幸い我が村の方に相談するとお知り合いの方の倉庫が米の収穫前までなら空いているので使っても良いと言ってくれたので、二人で持って行かさせて貰った。
これからパン屋さんは岡山県内で水の綺麗で、長閑な処を探しパン屋を開こうと思っている。
私としてはこの近辺で開いて欲しかったのだが、どうやら県北になりそうだ。
蒜山からの水がかなり気に入っているみたいだ。

岡山にはもうかなりの方が避難されて来ている。
おいでんせぇ岡山だけでも現在60所帯の方々が空家情報を求めて来られているようだ。
私の友達達も岡山への避難も考えている。
住む処はすぐ見つかると思うが仕事があるかどうかが大きなポイントになる。
私にもっとパワーがあれば一大コミューンを作り、皆をすぐにでも呼ぶのだが、もう少し時間がかかりそうだ。

何か良い情報があれば教えて戴きたい。

2011年6月20日月曜日

ワークショップ

土曜日に総社市で名古屋のGONNAというグループのコンサートを観に行った。
GONNAはマリンバと和太鼓4名の編成でマリンバのメロディーによっていろんな種類の音楽を奏でるユニークなグループだ。
昨年は岡山国民文化祭にも出演してくれた。
そのGONNAさんが岡山和太鼓連盟に「疾走」と言う曲をプレゼントしてくれ、昨日はそのワークショップがあった。
大勢のメンバーが大太鼓、据え置き太鼓、桶胴太鼓、平太鼓、締め太鼓に分かれ叩いた。
私は締め太鼓を叩いていたが、基本練習から皆本気で叩いているので、私もついつい連れいつもより多く叩いてしまった。
別に傘の上に玉を乗せ回しているわけではないのに
お陰で久しぶりに指に血豆ができてしまった。
まあでも乗りのある曲なので皆の呼吸が合えば楽しくなる。

私は夜本番が入っていたのでちょっと早めに抜けさせて貰ったが良いワークショップだった。
GONNAさんには感謝である。

2011年6月15日水曜日

水無月

水はあっても水無月これいかに!
梅雨の6月である。
先日結婚式に太鼓で呼ばれていったが、まさしくJune Brideだった。
確かに6月は結婚式が多いらしい。
これもいかにである。

6月は一般農家は忙しい。
田植えの時期である。
私は一般農家では無いが、それでもばたばたしている。
先日は鼓空畑でも世話になっている0田さんの処の田植えの手伝いに行った。
昨日、今日とはきゅうりの支えのネットを作る作業をしている。
前にも書いたが、春に蒔いた大根、人参、じゃがいもは発芽したが、ピーマン、なす、トマト、きゅうり・・は結局発芽しなかった。
私は直播にしたのだが、ポットで作るか何かしないとやはり難しいみたいだ。

そこで遅ればせながら以前の通り、苗を買って来て植えた。
きゅうり苗も4つ植えたので、そのネットを作っているわけである。
まだ30cmぐらいだが、ネットの高さは2m以上ある。
頑張って大きく育って欲しいものだ。

3年前から自然農をしている鼓空畑は土もだいぶ豊かになっているみたいだ。
えんどう、玉ねぎ、春菊を収穫し、イチゴもできている。
これから少し遅れているが大豆を植える。
山の上の猪、鹿集会所畑は綿、トウガラシ、ハーブを植えている。
今小さい芽が出だした処だ。
流石に猪、鹿には期待はずれだったみたいだ。
今の処荒らされている様子は無い。

少しづつ自然農が定着してくれば良いなぁ。

2011年6月11日土曜日

オレンジ

学生時代に一緒にバンドをやってたU君が奥さんを連れて徳島から来てくれた。
そのバンドの名前はオレンジ、若かりし私がビートルズのアップルに対抗して付けた名前だ。
VoG.G.Bs.Dsの4人編成。
U君はヴォーカルとギター、私はドラムスを叩いていた。
曲はハードロック、クリームから始まり、レッド・ツェッペリン、ジェフ・ベック、ディープ・パープル等の曲をカバーしていた。
夏はクラーも何も無い部室で滝のように流れる汗の中、ひたすら練習していた。

この時期は学生紛争の後期の頃でベトナム戦争反対から成田紛争の時代でもあった。
あまりの混乱の中、学校閉鎖ロックアウトもあった。
私はノーセクトではあったが、あまりの矛盾を感じて、デモに参加する事もあった。
機動隊とぶつかり、捕まりそうになった時友達が引っ張ってくれて何とか逃げた事もある。
やはり持つべきは友達だ。

こんな時代背景の中私達は音楽で社会を変えれると本当に思っていた。
実際音楽では「ウッド・ストック」が開かれ、「いちご白書」が上映されていた。

今この頃のバンド仲間と会い凄く懐かしく、またいろんな事を思い出す。
先が見えない時期であったが私達は本気だった。

U君もギターを続けているらしい。
また東京に住むもう一人のギターN君にも今U君と会っているよと電話したら、みんなで会いたいですねと言っていた。
N君も最近またギターを始めたらしい。
近い内に我がスタジオでオレンジが再結成できそうだ。
どんな音になるのだろう?
楽しみだ。

2011年6月7日火曜日

避難

昨日から千葉県の九十九里海岸のいすみ市から岡山に移り住みたいと言う方と行動を共にしている。
私もいすみ市には30年来の友人が住んでいて、鼓空も何回かライブをしに行かさせて貰っている。
今来られているのはその友人の友人である。
いすみ市の古民家で天然酵母でパンを作っておられた方だ。
東京、千葉でも名前が知られた有名なパン屋さんである。
家族は本人、奥さんと5歳、1歳の子供の4人家族。
移住の理由はやはり原発の放射能から逃れる為だ。
子供が小さいので思い切って移住する事に決めたそうだ。

昨日は「おいでんせぇ岡山」を立ち上げた吉備津彦神社の宮司さんの処へ行った。
「おいでんせぇ岡山」は東日本から避難される方々を支援する民間団体で空家や空き農地の情報を集め斡旋している。
そこで宮司さんから三石に空家がある事を聞き見にいった。
パン屋をするにはちょっと不便だが一時的に住むには良い処だった。
それから赤穂に行きゆっくりしてから、今度は北の八塔寺そして大芦高原の方に行った。
本人も岡山の自然に魅了され、ほぼ岡山への移住を固められたようだ。

我が家に帰ってからも私の友人に空き物件は無いかと電話で聞いたら偶然私の処から車で7分ぐらいの処にあると言うので早速見に行った。
やはりパン屋さんをするには難しい処だったが交通の便利が良い処なので候補地の一つとなった。

全然知らない処に移住するのだから不安もあるとは思うが、是非来て貰いたいと思う。
天然酵母で作る美味しいパンも是非食べてみたいので。

2011年6月3日金曜日

楽しいヨガ

今日は先週行けなかったヨカに行った。
日常ではなかなか使わない筋を伸ばしたり、呼吸を深くしたりすると気持ちが良い。
気持ちが良いのに1人では出来ないのが問題だ。
何故だろう?

昔から1人でも歩いたり、走ったり、自転車に乗ったり、サッカーボールを蹴ったりと適度には体を動かして来た。
しかしヨカだけは1人ではやる気がしない。
おそらくスローな時間が長いから、1人では間が持たないのかも知れない。

みんなでしよう楽しいヨガ!
本当は個々のものだけど。