2011年8月26日金曜日

古代吉備

今日は吉備津彦神社で悠0さんに会い、一緒に造山古墳に行った。
何故行ったかと言うと、11月11日にここで宇宙神楽なるものをするので下見をする為だ。
古墳の下で古代吉備を研究している0さんと合流した。

この古墳は前方後円墳で全国で4番目の大きさらしい。
あまりの大きさに吉備の首長であるとか、はたまた大和から来た権力者かとか学者の意見も分かれているそうだ。
ちなみにOさんは応神天皇の陵かも知れないと言っていたし、また悠0さんは卑弥呼の墓かもと言っていた。
いずれもロマンのある話だ。

私達はまずは方(四角)の部分に登った。
上には神社があった。
何故か阿蘇の石で作った石棺もあった。
次に前方なる場所から後円なる処に移動した。
円の方が高い位置にある。
登って見るとやはり上は広かった。
見晴らしの良い処で温羅が住んでいた鬼城や最上稲荷奥の院、他の古墳群が見える。
0さんが秀吉の高松城の水攻めの時各武将が陣取った山々を教えてくれる。

私は円の周りを歩いた。
しばらくして悠0さんの友達の絵描きさんが登って来た。
彼女は地元の方でやはり古代吉備についてもよく知っていて、温羅と吉備津彦の戦った場所やそれに纏わるゆかりの地名等を教えてくれた。
吉備の国は歴史から抹殺された部分が多く、今盛んに歴史の見直しをしているそうだ。

私も吉備の歴史に左程詳しくはなかったが、流石にこの巨大遺跡の上に立ち周りを見渡すとここでたくさんの事が起きてきたんだなぁとは容易に想像する事が出来る。
もう少し吉備の国の研究もしてみようかな。

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