2009年6月2日火曜日

夕方,河島さんと言われる、環境問題に取り組んでいる方が来られた。
この処いろんな場面でお会いする。

彼の職業は刀工である。日本刀を作っている。
ここは備前長船で、たくさんの名刀が作られて来た所である事から、彼も修行で高知県から来た。

彼が来てくれた理由は、今度日本熊森協会会長の、森山まり子さんという方が来て講演されるので、そのお知らせだった。
彼は一冊の資料を持って来てくれた。

タイトルは「西中国山地からクマを失うことの意味」と題しての田中幾太郎さんの講演記録だった。

うちの裏山には、狸、狐、鹿はいるが、流石に熊はいない。
県北中国山地には月の輪熊がいるというのは、昔から聞いていた。

早速その講演記録を読ませてもらった。
要点を掻い摘まんで言うと

① 50年前くらいには、熊は標高800m以上の深山に棲んでいた。

② そこはブナやミズナラ等の原生的自然林だった。

③ 昔の人は里山には住んだり、入ったりしたが、それ以上(800m以上)は決して上がらなかった。

④ 故に人と熊と出くわす事はなかった。

⑤ 高度成長期に入って、林道の開発が深山まで進むようになった。

⑥ 原生的自然林が伐採され、杉、桧の拡大造林が始まった。(昔は里山でモザイク的に杉や桧を育てていた。

⑦ 熊が困ったのはエサが少なくなったのは勿論だが、冬眠する為の大木のウロなども(熊は木を掘って中で冬眠する事が多い)伐採されてしまった。

⑧ 深山に棲めなくなった熊は里山に降りてくるようになった。

⑨ 養蜂業者も山深くにも入って来る事も拍車をかけた。

⑩ 熊は里山に棲むようになった。

⑪ 里山で産まれた熊は里山しか知らない。

⑫ 熊は人の住む地域まで降りてくるようになった。

⑬ 熊と人の戦いが始まった。畑を荒らすどころか、家の中まで入ってくるようになり、精神的被害も大きくなった。 

⑭ たくさんの熊が殺されるようになった。

⑮ 原生的自然林に熊が棲んでいた時は平均寿命が20~30年だったが、今は7~8年だ。

⑯ 熊が棲んでいた原生的自然林は水の宝庫であり、栄養価も高い。


「ワシも50年間、西中国山地をほっつき歩いてきて、ワシなりの考えがあります。それを言葉にしたら、連帯感です。自然保護とか、共生とか、そんなおこがましい言葉は正しくないです。ワシらは、自然に守られる最弱の生き物であって、保護とか共生などとは、おこがましい限りです。」


この講演のお礼の言葉として、日本熊森協会会長 森山まり子さんの言葉が載っている。

その中で「奥地にもう一度動物の棲める森を復元して、最高に豊かな森を造ってくれる大型野生動物たちと人との棲み分けを復活させる事が、早急に必要です。」
と述べられている。


これが、だいたいの概要である。
考えさせられる事が多い。

一応今度の、森山まり子さんの講演会についてお知らせしておこう。

日時   6月7日(日) 13:30~15:30
場所   備前市民センタ-4F  第1・第2講座室
参加費  1000円

である。私も行きたいと思う。 

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